街へ飛び出して
時は少し前に戻る。
マリーがヴィンセントを追いかけて台所へ行ってしまうと、食堂にはラウドとリーリアの2人だけが残った。
「そういえば、ミシェル嬢に会ったらしいわね」
「ああ。少なくとも俺の意見ではあの女、笑い方といい話し方といい、胡散臭いにも程があるぜ。それにあいつ、俺のこと覚えてたみたいだし、これから厄介だな」
「覚えていたということは、以前にも会ったことがあるの?」
「いや、会ったことはねえんだが、舞踏会で見られちまってたみたいなんだよな。ほら、お前と踊った時にだいぶ注目浴びちまったからよ」
「あ、あの時に……」
リーリアはあの舞踏会で、まさか二階にいたミシェルに見られるほど会場の視線を集めていたとは知らず、今更ながら恥ずかしくなった。
「それにしても、お前もそんな格好してこの辺をうろついてると、男爵令嬢に会った時すぐにバレちまうんじゃねえか?」
リーリアが自分の服装を改めて見ると、確かにラウドの言う通りである。
いくらパーティー用の服装より地味だとしても、貴族の服というものは一般人のそれとは比べ物にならないほど、華やかで上質なことに変わりはない。
これでは街で目立つことは避けられないだろう。
「確かにそうね…町娘にでも扮したらいいのかしら?」
「でもお前、それっぽい服持ってんのか?」
「い、いえ、一着も持っていないけど…」
「そうだろうな。じゃ、今から服売ってる店行くぞ」
「今すぐに行くの?ええと、だったらわたくし、マリーに話を…」
「あ?面倒くせえな。町娘になりきるんだろ?だったらメイドの外出許可なんていらねえよ。ほら、行くぞ」
その無茶苦茶な理論にリーリアが反論する間も与えず、ラウドは彼女の手を取り、歩き出した。
このままではマリーに黙って抜け出すことになってしまう。確かマリーは出かける前にも、街は危険だからと、1人では行かせてくれなかった。
リーリアは小さい頃から、マリーに危ないから駄目だと言われれば、素直にそれに従っていた。
マリーは厳しいように見えるが、それはいつも自分をあらゆる危険から守るためなのだと、リーリアにも分かっていた。
だが何故だろう。自分を引くこの手を振り払おうとする気持ちになれない。そればかりか、どこかでこの状況に胸を高鳴らせている自分がいた。
リーリアは生まれて初めて、誰かの許可など関係なしに、外へと飛び出したのである。
ウィーゼルを出て、そのまま大通りへと歩いている間、2人はずっと無言だった。
ラウドはリーリアの一歩前を歩いているため、その表情を見ることはできない。
リーリアは黙って飛び出してきたのは良いものの、今になって不安な気持ちがむくむくと大きくなってきた。
(きっと、マリーは今ごろ怒っているわよね。まさか、今後外出禁止なんてことはないと思うけど……ああ、やっぱり一声かけてから出てきた方が良かったかしら…?)
リーリアが今更ながら思い悩んでいると、2人が大通りに差しかかろうとした時、不意にラウドが立ち止まり、それまで繋いでいた手を離した。
「……悪かったよ」
「え?」
「俺はただ、お前はこの街にいる時くらい、貴族っていう肩書きに囚われなくても良いと思ったんだ。だが、そんなに気を悪くするとは思わなかった」
「あ、あの、ラウド?別にわたくしは気を悪くしてなんかありませんよ?」
「え?…いや、だってお前、さっきから一言も喋らねえじゃねえか。いつもみたいに文句の一つも言ってこねえし、俺はてっきりお前が怒ってるのかと」
いつになく気まずそうな顔をしているラウドを見て、リーリアはきょとんとした後、思わず吹き出した。
「ふふっ、いつも余裕たっぷりのあなたが、まさかこんな事で、わたくしが怒っていないか心配してくれているなんてね?」
「なっ……うるせえ!腹立ててねえなら、さっさと行くぞ」
くるりと背を向けて歩き出したラウド。リーリアはその彼の耳が少し赤くなっていることに気づき、くすぐったいような、なんとも言えない気持ちになった。
(いつも失礼なことばかり言うし、一緒にいると腹が立つようなことばかりだけど、こんな時は優しいだなんて、変な人)
心の底から温かい気持ちになったリーリア。勝手に抜け出してきたことも、案外そう悪いことではないのかもしれない、と思った彼女に、もう不安は残っていなかった。
大通りをしばらく進むと、目的の洋服店にたどり着いた。
中に入ると、ラウドはリーリアに好きなものを選ぶように言い、自分は店の隅にある椅子に座った。
リーリアは悩んだ末に、無難なワンピースをひとつ選び、マリーに会計を頼もうとして、はっとした。
(わたくし、お金を持っていないわ…!どうしましょう)
お嬢様特有の習慣から、会計のことをすっかり忘れていたリーリアが慌てていると、ラウドが立ち上がり、店員を呼んだ。
「おい、これの代金はいくらだ?」
「少々お待ちください」
店員が額を伝えると、ラウドは上着のポケットから財布を取り出し、店員に銀貨を渡した。
リーリアは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい…今度きちんとお返しするわ」
「あ?んなもんいらねえよ。いいからもらっとけ。あと、どうせこれからまだ歩くんだ。今着替えてこいよ」
「わ、分かったわ」
「おい、そこの店員。悪いがこいつの着替えを手伝ってやってくれ」
「かしこまりました」
リーリアが1人で着替えられないと踏んだラウドが店員を呼び、リーリアは試着室で買ったばかりの服に着替え、着ていた服は大きめの巾着袋に入れてもらった。
リーリアは新しい服に着替えた途端、今までの服とはあまりにもかけ離れたその動きやすさに胸を躍らせた。
試着室を出たリーリアは、目をキラキラと輝かせながら言った。
「ねえラウド、わたくしこんなに動きやすい服を着たのは初めてだわ!体が軽くなったみたい!」
リーリアはその場でくるっと回って見せた。
そんな彼女を見て、ラウドは満足そうに笑った。
「おう。なかなか似合ってんじゃねえか」
「……! お、お褒めに与り光栄ですわ」
「じゃ、行くぞ」
ラウドの顔を見て、公爵令嬢らしからぬはしゃぎ方をしてしまったと急に我に返ったリーリアは恥ずかしさがこみ上げてきて、顔が熱くなるのを感じながら、慌ててラウドの背中を追いかけた。
「ええと、ラウド。今はいったいどこに向かっているの?」
店を出て歩き始めてからしばらく経ったが、ラウドがいったいどこを目指しているのかリーリアには全く見当もつかず、首を傾げた。
大通りをまっすぐ進み、店の数がまばらになってきた頃、ラウドは細い道に入った。
「この先にはな、俺が昔住んでいた家がある」
「家?ラウドは昔からこの街に住んでいたの?」
「まあ、生まれたのはここじゃねえが、8歳くらいの時に、親父と2人でこの街に住み始めたんだ」
道の突き当たりにある小さな家の前で、ラウドは立ち止まった。
ラウドは懐かしそうに目を細め、その扉を開けた。
「ほら、入っていいぞ」
「では…お邪魔するわ」
リーリアが中に入ると、家具やインテリアなどは残されたままで、歩くと、ところどころで床が軋んだ。
ラウドは棚からろうそくを出すと、ほこりを払い、指を近づけて火を灯した。
リーリアがろうそくに照らされた家の中をキョロキョロと見回していると、ラウドはいきなり床に敷いてあった古びた絨毯をめくった。そして床に貼られている木の板を一枚ずらすと、なんと地下へと向かう階段が現れた。
「まあ!そんな仕掛けがあるのね」
「ああ、地下室があることは誰にもバレたことないぜ。だいぶ狭いから、頭上には気をつけろよ」
ラウドに続いて、一歩ずつ足を進めるたびに軋む階段をなんとか降りると、そこは何かに使われていた形跡があった。
本棚には分厚い本がたくさん並べられており、他にもぼろぼろになったクッションや、机の上には、石が入ったガラスの瓶などが乱雑に置かれていた。
焦げたような跡が壁にあるのを発見したリーリアがそれを眺めていると、ラウドもリーリアの後ろからそれを覗き込んで言った。
「懐かしいな。それは俺がガキの頃、火の魔法の加減ができなくて壁を燃やしちまったやつだ」
「まあ、そんなことがあったの?」
「ああ。ところで立ったままなのもアレだから、座っていいぞ。ちょっと汚ねえけどな」
2人はクッションのほこりを払い、その場に腰を下ろした。リーリアは、先程からずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「あの……ラウド、どうしてわたくしをここに連れてきてくれたの?」
「それは、俺の話をするためだ」
「ラウドの話…?」
「そうだ。お前の封印について知るには、お前の幼少期からの記憶が必要になる。だが、お前に一方的に過去をしゃべらせるってのは、フェアじゃねえだろ?だから、まずは俺が話す。その後、お前が自分の話をするかどうかは、お前に任せるがな」
リーリアは、ラウドが自分の過去に最も関係のある場所にリーリアを連れて来て、そこで話をしようとしているのは、彼なりの誠意なのだと分かった。
ラウドは遠くを見つめるように目を細めると、口を開いた。
「それじゃあ、俺の昔話をしようか」




