彼の瞳
昼食を早めに終え、リーリアはアレンを迎える準備をしていた。
例え婚約者が浮気の弁明に来るなどという状況であっても、公爵令嬢たるもの、常に完璧でなくてはならない。
リーリアは編み込みが施された髪を鏡でチェックすると、ドレスに乱れがないか、マリーに確認してもらった。
「完璧です、お嬢様」
「ありがとう、マリー」
リーリアが部屋の中で待っていると、ノックの音が聞こえた。
「リーリア、僕だ。入ってもいいかな?」
「ええ。どうぞ」
入ってきたアレンはリーリアを見るなり、安心したような顔をした。
「ああ、良かった。君の声が聞こえたものの、やはり姿を見ないと不安だったよ」
「では、アレン様、こちらにおかけ下さい」
リーリアは扉の近くに立ったまま、部屋に入るよう促したが、アレンは首を横に振った。
「もし君さえ良ければ、ここではなく庭園で、2人だけで話がしたいんだが…」
(やっぱり2人きりなのね。まあ、そりゃあメイドにじろじろ見られながらの謝罪なんて、やりづらいにも程があるわね)
「ええ。構いませんわ」
「ありがとう」
部屋を出る時、マリーが応援の意味を込めて小さくガッツポーズをしてくれたのを見て、リーリアは心の中でくすりと笑い、気合いを入れ直した。
ちょうど春まっさかりの庭園は見事なものだった。
数々の花が咲き誇っているが、その整った枝葉の様子からは、きちんと手入れがされていることが分かる。新しく植えられた見慣れない桃色の小ぶりの花は、どうやら昨日マリアとリューネが選んだものらしい。
2人は、庭でお茶ができるようにと設置された長いベンチに、横並びで腰掛けた。
「君の父上に、この度の行動を謝罪をしたよ。そして、王家と公爵家の結びつきについて、今後も決して無下にしないことを約束してきた」
「お父様は何と?」
「許してくださったよ。そして君に話をして来いとおっしゃった」
「……そうですか。でも、アレン様。公爵家の名誉に関わるとなると話は別ですが、それ以外のことに関しては、わたくしは別に良いのですよ?
ミシェル嬢とのことにも、口出しするつもりはございませんわ。国王に王妃が2人以上いたり、愛人がいることは特に珍しいことではありませんし」
「違う、僕はそんなつもりはない」
「でも、わたくし舞踏会の前にも見ましたわ。アレン様とミシェル嬢が王宮の庭園で、会っていらっしゃるのを」
リーリアがじっと彼を見つめると、アレンは何かに耐えるような顔をした。
「リーリア、これから僕の話すことを聞いてほしい。信じてもらえないかもしれないが、僕は君にだけは知っておいてほしいんだ。
まず、僕が男爵令嬢に対して丁重に、かつ親しげに接しているのは、“そうしなければいけない”からだ。僕がそうしなければ、大切な君が傷つけられてしまうんだ」
「…どういうことですの?」
「彼女は僕にとある取引を持ちかけてきたんだ。とはいっても、それを断れば君に危害が及んでしまう。だから、今だけはミシェル嬢に良い顔をしておかなければならないんだ。君にこの取引の内容を詳しく話すことはできない。だが、どうか信じてほしい。僕は君を裏切ってなどいない」
重ねられる言葉の数々に、素直にそれを信じてしまいそうになったリーリアは、相手のペースにのまれかけていることに気づき、自分を戒めた。
(口では何とでも言えるわ。今聞いたことが本当のことであるという確証はどこにもないのよ。でも、これだけ何度もわたくしに危険が及ぶと言われると、気になるわね…)
「その、お話の内容があまりに予想外のことで驚いているのですが、危険というのは、命を狙われているとかいったことでしょうか…?」
「いや、生死に関わるものではないから、それだけは安心してほしい」
「身の危険ではないとすると…もしかして、魔法が使えなくされていることに関係があることですの?」
そう尋ねると、アレンはぴくりと眉を動かした。
「……“使えなくされている”?」
「ええ。わたくしが魔法を使えないのは、何者かに魔力が封印されているからであると伺いましたわ」
「そうか……それを聞いて確信したよ。僕は急がねばならないようだ」
「何を、ですか?」
「ミシェル嬢の目論見を阻止しなければならない。どんな手を使ってでも」
アレンの瞳に暗い影が宿っていた。
リーリアが彼の突然の変化に目を瞬かせていると、アレンはリーリアに向き直り、おもむろに彼女の髪に触れた。
自分の髪にアレンの指が通っていく感覚。
そしてその指はそのまま、リーリアの頬に添えられた。
(な、何ですの!?)
声を出すことができないリーリアを、アレンはじっと見つめた。その目は慈しむような光を宿しているが、それにも関わらずリーリアはまるで蛇に睨まれているような寒気を感じた。
頬に添えられた手はそのままに、近づいてくる顔。
(ア、アレン様!?いやまさか、そんな…)
鼻が触れ合うか触れ合わないか、それくらいの至近距離で彼女の瞳を見つめたアレン。
「…僕は必ず、君を守るよ」
その言葉を残して、リーリアの頬を撫でると、アレンはすっと立ち上がった。
「今日は会ってくれてありがとう。また手紙を送る。それでは、僕は失礼するよ」
「は、はい…お気をつけて……」
帰っていくアレンを呆然と見送ったリーリアは、はっと我に帰った。
(び、びっくりしたわ………)
ミシェル嬢との噂が立ち始めてからというもの、リーリアはときどき、アレンを怖いと思う瞬間がある。
だが、それも気のせいかもしれない、と彼女は思い直した。
(それに、結局わたくしにとっての危険が何なのか、はぐらかされてしまったわね。仕方ない、別の方向から攻めてみることにしましょう)
アレンの瞳が宿すものは、愛か、憎しみか、はたまた執着なのか。
それを知る者は彼自身しかいない。
リーリアが屋敷に戻ると、マリーがすぐに温かいミルクティーを持ってきてくれた。
(もしミシェル嬢がわたくしに危害を加える可能性があるという言葉が本当だとしても、今のところ刺客を向けられたりはしていないし、身の危険が及ぶようなこともないわ。ミシェル嬢がわたくしにしたことといえば、舞踏会でわたくしを嘲笑っていたくらいですわね。…ミシェル嬢がアレン様を狙っているのはあの様子からして間違いないけれど……ということはミシェル嬢はアレン様を脅して、自分と結婚させるつもりなのかしら?)
破魔の力を持っているミシェルならば、たとえ男爵令嬢という身分だとしても、王太子の婚約者になるにはまずまずだと言える。
とすると、アレンがミシェルを愛しているならば、破魔の力があると分かった時点で、すぐにリーリアとの婚約を解消することも、できなくはないのだ。
だがそれをせず、リーリアに自分を信じてほしいと言う、ということは、アレンがリーリアに対し愛があるかは置いておいて、少なくとも、リーリアをまだ自分の手元に置いておきたいと言うことだ。
とすれば、考えられるアレンの目的は2つ。
アレンは実はミシェルを愛しているが、公爵家の後ろ盾を手放したくないと、リーリアにはミシェルに脅されていると嘘をつき、婚約者の関係を続け、囲い込んでおきたいという思惑。
もうひとつは、本当にミシェルがリーリアに害を及ぼす可能性があり、アレンがリーリアを守るため、今はミシェルの言いなりになるしかないのだが、ミシェルの企みを潰した後は、本来の婚約通り、リーリアと結婚したいという思い。
リーリアは果たしてどちらなのか、と首をひねったが、どちらにせよまだまだ情報が足りない。
それに、ミシェルが持っている、アレンが言いなりになるほどの要素とは、いったい何なのか見当もつかなかった。だが、先ほどのアレンの反応からして、やはりリーリアの魔法に関係があるのだろう。
どうにも分からないことが多すぎる。
とりあえず、ラウドに今のことを報告しようと、リーリアはマリーに便箋とペンを持ってくるよう命じた。




