過去と手紙
ウィーゼルを出たリーリア、マリー、ヴィンセントの3人は、大通りに向かって歩き出した。
夕日に照らされた街は、至るところが暖かなオレンジ色に染められている。
家に帰ろうと走っていく子供たちを眺めながら、リーリアはヴィンセントに問いかけた。
「そういえば、ヴィンセント様はラウドと古くからの付き合いだとおっしゃっていましたよね」
「うん、そうだよ。僕とラウドは10歳くらいの時に、この街で出会ったんだ」
「おふたりはその頃から仲が良かったんですの?」
「いや、そんなことはない。最初は喧嘩ばかりだったよ。僕も初めてラウドにあった時はなんて失礼な奴だろうと腹を立てていたな。ちょうど、今の君のようにね?」
揶揄うように笑ってみせたヴィンセントに、リーリアもつられるようにくすりと笑みをこぼした。
「もう、ヴィンセント様ったら」
「だが、なんでだろうな。不思議と嫌いにはならなかった。僕たちはこの街で何度も待ち合わせてはあちこちを一緒に探検していたよ。ラウドも僕もガキだったから、殴り合いの喧嘩なんてのもしょっちゅうでさ」
「まあ、ヴィンセント様が殴り合いの喧嘩だなんて、想像できませんわ」
「それを言うなら僕だって、君みたいな美しいご令嬢が、ラウドに対して怒っているのを見た時はびっくりしたよ。……まあ、それよりもラウドが貴族に対して心を許してることの方が驚きだったけどね」
「あの……ラウドは、どうしてあんなにも貴族を嫌っているのですか?」
「………」
ヴィンセントは突然黙り込んでしまった。
その、どこか思いつめたような、苦しそうな表情を見て、リーリアは慌てて言った。
「ごめんなさい。知り合ったばかりなのに、ずいぶんと踏み込んだ質問をしてしまったわ!どうか忘れて下さい」
「いやいや、君が謝る必要はないよ」
そう言って微笑んで見せた彼の笑顔は、どことなく悲しみを孕んでいて。
大通りに到着した3人は、足を止めた。
「ねえ、リーリアちゃん」
ヴィンセントの顔は、影になっていて表情を読み取ることはできない。
「君はもちろん美しいけれど、それは外見だけじゃない。それよりももっと綺麗なのは、君の心だ。それをどうか大切にしてほしい」
「…は、はい」
ヴィンセントの言葉に首を傾げたリーリアだったが聞き返すことはできなかった。
「ヴィンセント様、送ってくださりありがとうございました。それでは、ごきげんよう」
「うん。気をつけてね、リーリアちゃん。それにマリーさんも」
「ありがとうございます」
ヴィンセントは、雑踏に紛れていく2人の背中が見えなくなるまで、そこに立っていた。
そして踵を返し、ゆっくりと本拠地に戻るため歩き出した。
彼は呟いた。
「あの子は貴族社会で生きていくには、あまりにも綺麗すぎて……心配になるよ」
夕日に照らされた橙色の世界で、ヴィンセントはそっと目を伏せた。
いつも通り一家揃って夕食を食べ終わり、リーリアは父に今日のことをあらかた報告すると、自室へ戻った。
(ヴィンセント様のあの言葉、あれはいったいどういう意味だったのかしら?)
ヴィンセントの苦しそうな笑顔の裏にあるものは何なのか、リーリアが考えを巡らせていると、部屋の扉がノックされた。
「失礼いたします」
入ってきたのは1人の使用人であった。
「こちら、リーリア様宛にお手紙が届いております」
「あら、ありがとう」
手紙を受け取ったリーリアが礼を言うと、使用人はお辞儀をして退室していった。
その扉が閉まった途端、リーリアは微笑みを消し、気合を入れるかのように深呼吸をした。
「……ついに来たわね」
白地の封筒には、金色と赤の豪華な縁取り。そして王家の紋章が刻まれている。そう、差出人はアレンである。
リーリアは封を切ると、手紙を開いた。
『 愛するリーリアへ
まず初めに、僕は君に謝罪をしなければならない。いや、謝罪をしても許してもらえないかもしれないね。
昨日の舞踏会で僕は君を置き去りにした挙句、魔力査定ではグレモリー男爵令嬢を王宮まで送り届けた結果、それがシュバルツ公爵家の名誉を傷つける軽はずみな行動になってしまったことは、王太子として断じて許されないことだろう。本当にすまない。
そして、ここからは君の婚約者として。
本来婚約者である僕が、君をないがしろにして他のご令嬢を丁重に扱うなど言語道断で、僕が君以外にうつつを抜かしていると思われても仕方がないだろう。
だが、僕の婚約者は君しかいない。君は僕にとって大切な人だ。僕は男爵令嬢を愛してなどいない。
しかし、今更こんなことを言ったところで、君は信じてはくれないだろう。明日、君の家に行って公爵に謝罪した後、君と話がしたい。もし会いたくないのなら会わなくてもいい。だが、少しでも僕に情けをくれるなら、明日の午後、予定を空けておいてくれないだろうか。急なことで本当に申し訳ない。
アレン』
手紙を読み終わると、リーリアは大きく息を吐き出した。
正直なところ、少し驚いていた。いつもは穏やかで優しい彼が、こんな文章を書くのが意外だったからだ。
(いまさらこんなふうに言ってくるなんて、いったい何を考えているのしら。ミシェルに愛はないと言われたところで、そんなの信じられるわけないじゃない。それにしても、アレン様はこの先わたくしをどうするおつもりなのかしら……まあいいわ。明日いらっしゃるみたいだし、確かめるのはその時にしましょう)
手紙を再び封筒の中に戻し、それを棚に入れるため立ち上がった。
いつも手紙を入れている引き出しを開けてそれをしまうと、リーリアはマリーを呼び、明日の殿下訪問の予定を伝えた。
マリーは少し心配そうな顔をしていた。
「お嬢様、もし2人きりになりたいと言われても、私が隠れて見張っております」
「マリーったら、そんなに心配しなくても大丈夫よ。アレン様に警戒していることがバレてしまっても面倒だし、その時はわたくし1人で十分よ」
「…かしこまりました」
マリーが退室した後、リーリアは先ほどの手紙を取り出して、再び目を通した。
君しかいないだとか、大切だとか、そんな言葉は全く信用ならない。はずなのに。
今はアレンから離れて自立することを目標にしているが、もしも、元どおりの自分たちに戻ることができるのなら、それは悪いことではないのかもしれない。
リーリアはそんな希望を持っている自分に気づき、慌てて首を振った。
だがついに明日、浮気疑惑の核心に迫ることができるかもしれない。
そんな思いで、リーリアは自分の手を握りしめた。




