思わぬ再会
パンを持って走る少年を追いかける店の主人、
そしてそれを追いかける貴族令嬢とメイド。
その異様な光景に、道行く人々は驚いた顔で振り返った。
公爵令嬢が全速力で走るなんて、みっともないことかもしれない。だが、そんなことには構わず、リーリアは走り続けた。
少年は細い路地に入り、何回も角を曲がり、追ってくる主人を撒こうとしているようだ。
だが所詮は大人と子供。ついに主人は少年に追いつき、肩を掴んだ。
「お前、そのパンはうちの店から盗んだものだろう!さっさと返しやがれ!」
「い、嫌だ!」
「あ?何だとこのガキ!」
主人が腕を振り上げた時、やっとのことで追いついたリーリアは叫んだ。
「そこの方、お待ちになって!」
「…ん?何だ、お嬢ちゃん」
リーリアは少しだけ息を整えた。
「あの、そのパンはわたくしが買います。ですからどうか、その子に乱暴することだけはやめていただきたいの」
「あ、ああ……だがこういうガキは一度痛い目見ねえと、また盗むぞ?」
「そうかもしれません…でもどうか、今回は私に免じて許していただけませんか?」
「ふん、まあ良いだろう。次はねえからな、ガキ」
主人は少年を放すと、マリーからパンの代金を受け取り、少年を睨みつけて帰って行った。
(はあ……良かった、間に合ったわ)
リーリアが大きく息を吐き出すと、少年が警戒した顔で話しかけてきた。
「…あんた、なんで俺を助けたんだよ」
「あなたが追いかけられているのを見て、このままではあなたが殴られてしまうと思ったからよ」
「は?盗みをした俺のこと、庇うつもりだったのかよ?」
「ええ、そうよ。だって私がパンのお金を払えば解決できるでしょう。それと、このりんごもあなたにあげるわ」
「いや、そうだけどさ…」
リーリアにりんごを渡され、理解できないという顔をしている少年に対し、マリーは言った。
「諦めた方が良いですよ。お嬢様は誰かが助けを求めていれば、考えるより先に走り出してしまう、そんな方なのです。ただ、お嬢様。貴族のご令嬢が人前で走るというのも、どうかと思いますよ」
「それは……ごめんなさい」
メイドに説教されるお嬢様という光景を目にした少年は、気づかれないうちにさりげなくその場から立ち去ろうとしていたが、リーリアはそれを見逃さなかった。
「待ちなさい!まだ話は終わってないわ」
「げっ!…何だよ」
「こんな身分の人間が、盗みは悪いことだと説いたところで、説得力がないのは分かっているわ。でも、盗みで生きていくなんて危なすぎる。働き口が欲しいなら、我が家で雇うことも可能よ」
「お嬢様。それは旦那様の許可を取っていますか?」
「い、いえ……でも、ちょうど最近、庭師が足りないと聞いたわ!だから大丈夫よ!」
「…私は知りませんからね」
貴族の屋敷の庭師という、比較的安定した職場で働けば、今よりはまともな暮らしができると思ったリーリアだった。
しかし…
「そんなところ誰がいくか、バーカ!」
「なっ……!」
自分よりも幼い少年からバカ呼ばわりされ、リーリアは頭を殴られたような衝撃を感じた。
すると、背後から声が聞こえた。
「くっ、はははっ、お前、やっぱり面白いわ!」
聞き覚えのある揶揄うようなその声に、リーリアは勢いよく振り向いた。
「…失礼ですが、どなたでしょうか」
マリーがリーリアを守るようにラウドとリーリアのの間に割って入ったが、リーリアはそれを制した。
「マリー、大丈夫よ。信じられないと思うけど、この方が今朝話した大魔導士様なの。…それで、ラウド。いつからいたの?」
「それはもうお前が全速力でそいつを追っているとこからだな。そんで、お前がどうすんだろうと思って様子を見に来たら、自分より小さいガキにバカ呼ばわりされてるとはな!あ〜超面白え」
悪びれもせず大笑いしていたラウドだったが、ひとしきり笑うと、真面目な顔つきをして言った。
「だがまあ、良いとこのお嬢様にしてはよく考えた方だと思うぜ。ただ、こいつ、家族がいるんじゃねえか?なあガキ」
「…いるよ。この先のボロ家に、妹と弟がいる」
「らしいぜ。だから、お前の家で働くということはつまり、そいつらを置いて行かなきゃならないってことだ。ああ、その顔は兄弟も一緒に雇ってやろうという顔だな?やめた方がいいぜ。だってお前、さすがにこの街中の食うのに困ってる人間を世話することは出来ねえだろ?」
「それは…そうだけど…」
「もしこのガキどもをお前が無条件に助けたとなれば、お前の家に何人もの人間が押しかけるぞ。それを全員助けるくらいの気概がなければ、中途半端な優しさは無意味だ」
「そう、よね…」
自分の考えの甘さを指摘され、思わずしゅんとするリーリアに、ラウドは続けた。
「でもな、手を差し伸べられるってのは普通にできることじゃねえ。ぬくぬく育ってきた貴族だったらなおさらな。だから、気落ちすることはねえと思うけどな。少なくとも俺はお前を見直したぜ」
「あ、ありがとう…」
まさか慰めの言葉をかけられると思っていなかったリーリアはひどく戸惑った。
「それでな、ガキ。お前に紹介したいところがある。ついて来い」
「…うん」
「あとリーリア、お前も来い」
「……分かったわ。マリー、ついてきて」
「かしこまりました」
ラウドは小道の先を進み、路地へと入っていく。
何度か角を曲がると、少し開けた、広場のような場所に出た。
屋台のような場所にはパンの入ったカゴがいくつも並べられており、そこでは大勢の人々が列を作っていた。
「毎日ではないが、ここで時々無償でパンを配ってる。お前もたまに来るといい。そんで、2度と盗みなんかするんじゃねえぞ?お前が捕まったら家族が泣くだろうが」
「…分かった。ありがとう、兄ちゃん」
「ほら、こいつにもなんか言うことあんだろ」
「……姉ちゃんも、さっきはバカなんて言って悪かったよ。あと、助けてくれてありがとう」
すっかりしおらしくなった少年に、リーリアは微笑んだ。
「いいわ。気にしないで」
そういうと少年は軽く頭を下げて、パンの列に走って行った。それを見届けると、ラウドは再び口を開いた。
「お前、あそこでパンを配ってるやつが見えるか?」
「え?ええと………あっ!」
なんとパンを配っているのは、あの年配の魔導士であった。そしてその近くには、昨日見た他の魔導士の姿もある。
「もしかして、あのパンは魔導会が配っているの?」
「ご名答」
「…あの、どうしてここにわたくしを連れてきたの?」
「そりゃあ、あちこちで魔導会のことを嗅ぎ回ってる貴族令嬢がいるって聞いたからな。お前じゃなかったか?」
「……わたくしで間違いないわ」
「はっ、やっぱりそうか。ちなみに言っておくと、この街の人間に俺たちのことを聞いても無駄だぜ?街で暮らしてるやつ以外、特に貴族には魔導会のことは喋らないように言ってあるからな。あのパン配りも、表向きではただの慈善団体の活動ってことになってるぜ」
「そうだったの。でも、そこまで貴族との関わりを避けているのはいったい何故なの?」
「………俺が貴族ってもんを信用してねえから、かな」
リーリアはその時初めて、ラウドの瞳に影が落ちるのを見た。だがリーリアが次に言葉を発するより前に、ラウドが口を開いた。
「まあでも、面倒くせえってのが一番の理由だけどな。くだらねえ礼儀だのマナーだの権力争いとやらに巻き込まれたくねえんだよ。…さあ、この話は終わりだ。次のとこ行くぞ」
「待って!次のところって…?」
再び別の場所へと歩き出したラウドの背中をあわてて追いかけながら、リーリアは過去に何かあったのだろうかと、頭の中で考え続けていた。




