王太子と男爵令嬢
リーリアが会場を飛び出す、少し前のこと。
王宮内のとある一室。そこには二人の影があった。
普段は窓から中庭が見えるその部屋も、今はカーテンが閉められ、空に浮かぶ星さえも、彼らを見つけることはできない。
「私、あんなに大勢の方に注目されたのは初めてで、少し疲れてしまいました」
「大丈夫か?」
「はい!そのおかげでアレン様を独り占めできたので、問題ありませんわ」
「そうか。……だが、もう人の目はない。そろそろ腕を解いてもらってもいいかな、ミシェル?」
「え〜?でも、今日のことで、どのみちもうアレン様の浮気はほぼ確定したようなものじゃないですか。ですから、今すぐ私と結婚してしまいましょう?」
アレンは優しい笑みを崩さずに、やんわりと自分の腕に絡められていたミシェルの腕を解いた。
「はは、全く、ミシェルは気が早いなぁ。……だが、約束は守ってもらわないと」
「分かっていますわ!でも、進捗状況は至って順調ですし、それを達成すればアレン様と結婚できると思うと、浮き立ってしまうんですの」
「そうか。ではその調子で残りも頑張ってもらおうか」
「ふふっ、そういう契約を交わしたとはいえ、アレン様、そろそろ私に本物の愛が芽生えてくださってもいいんですのよ?」
可愛らしく首を傾げたミシェルに対し、アレンは完璧な微笑みを返した。
「そうだなあ、もしかすると今後、君に恋に落ちてしまう、なんてこともあるかもしれないね」
「もう、いつもそうやってはぐらかすんですから」
「でも、例え僕が君を好きにならなかったとしても、君は僕と結婚したいんだろう?」
「もちろんですわ。だって私、アレン様をお慕いしておりますもの。最後の条件もさっさとクリアして見せますから、待っててくださいね?」
「ああ。よろしく頼む。では、何か不都合なことがあれば扉の前にいるメイドに言いつけてくれ。僕はもう失礼するよ」
「ええ。アレン様、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
これからミシェルの住まいとなるその部屋を後にしたアレンは、自室に続く廊下を進んでいた。
先ほどまでミシェルに向けていた優しい微笑みは跡形もなく消え去り、そこにあるのは絶対零度の眼差しであり、目元は悔しそうに歪められていた。
(くそっ、あの女に不覚を取ったのは僕だが、完璧に足元を見られてしまっているな。急いで計画を進めなければ。……とはいえ、目標達成は、そう上手くはいかないだろう。まだ猶予はある。最後に勝つのはミシェルじゃなくて、この僕だ)
アレンは自室の棚の奥の方から、古ぼけた書物を引っ張り出した。
ボロボロになった革の表紙には、金色の文字で何かが書かれているが、掠れていてもう読むことはできない。
しばらく文字を目で追っていたアレンであったが、先ほど仮面の男と踊っていたリーリアの、自分の見たことのない楽しそうな表情が頭から離れず、奥歯を噛み締めた。
集中できずにアレンが窓の外を見ると、そこには美しい星空が広がっていたが、その夜空の色はまるで、あの仮面の男のようで。
苛立ったアレンは本を置き、外の景色が見えないように自室のカーテンを勢いよく閉めた。




