動き出した歯車
会場内は先ほどとは打って変わって、静寂に包まれていた。
魔導士の気遣いだろうか、リーリア以外の貴族はすでに会場からいなくなっており、ホールに残っているのは警備の兵士が数人と、魔導士のみであった。
(これで査定がどうなろうと、わたくしの魔力についての噂が広がることはなさそうね……少しは気が楽になったわ)
ヴィンセントに導かれ、リーリアは歩みを進めた。彼女は台座の前に立つと、一度深呼吸をした。
(魔力を使えた事は今まで一度もないけれど……大丈夫、きっとできるわ)
リーリアは少しためらい、だがすぐに意を決し、指先に力を込めて魔力を解放し始めた。
すると、リーリアの右手から、ぼんやりとした光の流れが、すぐに消えてしまいそうなくらい細々と、クリスタルに向かって放たれた。しかし、それでは足りなかったのか、クリスタルはなかなか反応しない。
「リーリア嬢、もう少しだけ魔力を強められますか?」
ヴィンセントに促され、リーリアはより強い魔力を放つことができるよう、再度力を込めてみたものの、何かに押さえつけられているような感覚に襲われ、思うようにいかない。
だが、このままでは目の前にあるこの石が反応しないと思ったリーリアは、自分を押さえつける何かを振り切るかのように、内に眠る魔力を解き放とうとした。
その瞬間__
(……っ、何、これ、息が、できないっ……!)
自分を押さえつけていたものが突然暴走し始め、リーリアは自分が何かに強く縛られているような息苦しさと、激しい痛みに襲われた。
すぐさま魔力の解放をやめ、伸ばしていた右手でドレスの胸元を掴んだが、苦しみが終わる気配はなく、頭の中は割れるように痛い。
「リーリア嬢?!」
慌ててヴィンセントが駆け寄り、崩れ落ちたリーリアを抱きとめた。
ぼんやりとした視界の中、大魔導士がすぐに呪文のようなものを口にし、リーリアに向かって光を飛ばした。
(……少し楽になった……けどっ……)
それでもなお、苦悶の表情を浮かべるリーリア。
「馬鹿な!なぜ治癒魔法が効かないのだ!」
ヴィンセントが叫んだ、その直後。
朦朧とするリーリアの視界の中で、ホールの2階部分からこちらに、何かが一直線に飛んできた。
そして勢いよくリーリアの心臓部分にぶつかると、そのまま彼女を包み込んだ。
それは、禍々しく、だがそれ以上にどこか神秘的な、紫色の光であった。
暴走した何かは、その光に抵抗するそぶりを見せたもののすぐに勢いを失い、自分の中で元の状態に戻っていくのをリーリアは感じた。
(助かった、のね……)
リーリアは抱きかかえてくれていたヴィンセントに礼を言い立ち上がった。
苦しみから解放されたリーリアは大きく息を吐き、光の飛んできた方向を見上げると、2階部分に、何者かが肩で息をしながら立っていた。
銀色の光を帯びた黒い髪と、吸い込まれそうな紫色の瞳。
仮面は身につけていなかったたが、すぐにリーリアはそれがあの仮面の男だと分かった。
「……あなた、先ほどの?」
リーリアの呟いた問いかけには答えず、男は手すりを乗り越えて、こちらの方に飛んできた。
床にふわりと降り立つなり、男はヴィンセントを睨みつけた。
「……おい、ヴィンセント、てめえどうして無理に魔法を使わせた?俺が間に合っていなかったらどうなってたか分かってんだろうな?」
「確かに、僕の発言によってこんなことが起こってしまった。リーリア嬢、あなたを苦しめることになってしまい本当に申し訳なく思う。すまない、この通りだ」
「ヴィンセント様、頭をお上げください……!あれはヴィンセント様のせいなどではございませんわ。わたくしの方こそ、急に倒れてしまい申し訳ございません」
「いや、本当に申し訳ない。今、どこか痛みを感じるところなどは……?」
「いいえ、もう大丈夫ですわ」
「まあ、回復したのならいい。それにしても相変わらずだな、ヴィンセント。お前どうせ今日もその擬態で、無自覚に令嬢引っ掛けてんだろ?」
「擬態?さあ、何のことを言っているのかさっぱりわからないな」
仮面の男とヴィンセントの、軽口を叩き合っている親しげな様子に目を瞬かせていたリーリアは、自分がまだ感謝を伝えていないことに気づき、はっとした。
「……あの、先ほどお会いした方ですわよね?この度は助けてくださって、本当にありがとうございます」
「あーやめろ、そういう堅苦しいやつ。なんかお前に言われると余計落ち着かねえ。それにさっきまでお前、俺に対して犬みてえに噛み付いてきてたじゃねえか」
「……っ、助けていただいたことは事実ですので、お礼を申し上げたまでですわ。でも、人を犬に例えるだなんて、やはりあなた失礼なのではなくて?!」
「ほら、やっぱ犬そっくりだぜ?」
(さっきといい今といい、本当に失礼な方ね!)
リーリアが仮面の男をキッと睨みつけると、大魔導士が突然声を上げて笑い始めた。
「わっはっは、これはこれは、ずいぶんと威勢のいいお嬢さんだ!」
大魔導士について、勝手に“優しいおじいちゃん”というイメージを持っていたリーリアは、その豪快な笑い方に驚いた。
「え、ええと…大魔導士様?」
「はっはっは!実はのう、リーリア嬢、わしは大魔導士ではないのじゃ。今日は一日、大魔導士“役”をしていただけでの」
「………え?」
陽気に笑っている老人と、呆気にとられているご令嬢。ヴィンセントの近くでその2人を眺めていた仮面の男が、リーリアに歩み寄ってきた。
「つまり、お前が大魔導士だと勘違いしていたそこのじいさんは、俺が用意したフェイクだったってわけだ。……そうだな、お前は魔導会の人間じゃねえが、特別に教えてやろう。俺の名はラウド。お前がずっと探してた、“大魔導士様”だ」
紫色の瞳が、リーリアのすぐそばで、不敵な笑みをたたえていた。




