転校生、壱
これよりひとつ、物語りを。
夢を見る。
どこへぶつかるでもないさざ波は、永遠にも近い距離を重ねて水平線を形作り。
夕焼けに煌めくあちこちの光は、レンズを通したかのように丸い日光の幻影を見せる。
私はそれを、欄干に肘をついてただ眺めている。
不安と悲しみと、胸を苦しく塞ぐ得体のしれない感情を抱えて、その色を瞳に焼き付ける。
一生この想いを手放したくなくて、私は祈る。終わらないように、終わらないようにと、手を海にかざして。
けれど、その願いはどこにも届くことはない。
コンクリートで塞がれた空が目に映ったとき、私がいるのは、海のない囲われた街。
私たちは、閉じ込められている。
「眠っ。」
日曜日などとうに終わり、週も半ばに差し掛かったこの頃に。ただの高校生、つまりは私の気合が入る訳もなく。
人ゴミに流されるまま登校し、気が乗らないままに教室へと足を運ぶ。
管理局の仕切る囲われたこの町は、致死率百パーセントのウイルスから逃れた最後の砦だ。
外と中とを隔絶する、象徴的な白い壁は既に私たちの生活の一部である。
教室の扉を一歩跨いだところで、名前もよく知らないクラスの女子におはよう、と声をかけられ私は、
「おはよう」
と百点の笑顔で応える。
私は外面がいい。
ぱっとしないけれど優秀で、付き合いも悪くなく、それでいて劣等感を抱かせない。
一つの相互監視システムとして働く、年頃の女子の人間関係を無難に生きるためには最適な方法だ。
けれどまあ、そういう風に過ごしてきたものだから、クラスにおける私の存在はかなり薄い。
十人組にはなれても、二人組にはなれない。
誰の一番にもならない。
誰の一番でもない私は、私の一番でない人たちに囲まれて生きていく。
全くもって息が詰まりそうだが、彼女のように息を「殺さねば」ならないよりは良いというものだろう。
淵の丸い眼鏡にまとめた髪、地味を体現したその姿は一周回って美しいとも言えなくはないが、あくまでそれも様式美、気の弱さと対人能力の低さのせいで周囲に馴染めずにいる。
天性のいじめられっ子、雨川。
「いじめ」というほど明確な行為は存在しないのだが、クラス内、ないし周囲に明らかに彼女を蔑視する雰囲気が出来上がっているのが、誰にとっても明白だった。
主導者などいない。
青春と堕落をはき違えた理不尽な不満を、そこにあった「歪み」にぶつけているだけ。
くだらない限りだが、ある意味一番の平和を作り上げているのかもしれない。
だがしかし、首謀者は居なくとも先行者は居る。
雨川の下の名前は覚えていないけれど、あの天性のいじめっ子、つまりは先行者こと化宮翼の名前は忘れられようはずがない。
スターにしてアイドル、注目を浴び、称賛され生きるという、雨川の真裏にして私の真逆の生き方を選んだ女。
名前を忘れたりしようものなら、私も雨川のようになりかねない。
ありとあらゆる他人に好かれ、体制を味方につけようというその努力は称賛に値すると、素直に評価する。
まあ、まねをする気には全くならないが。
ここまで長く書き連ねたが、とにもかくにも私がここで言いたかったのは、この朝、化宮が転校生の噂をいち早く持ってきたのは、別に珍しいことではなかったということ。
「転校生の話、知ってる?」
彼女が仲の良い女子男子、つまりはクラスを主に構成する全員にあらかた全て触れ回った後、私を認識すると義務の様に私へ話しかけてきた、クラスのスター化宮は、まぁうざいほどの笑顔を全面に貼り付けてそう言った。
私は、話したがりの彼女が私に望む通りに、「知らないなぁ。転校生来るの?」と惚ける。
君が今さっき私の側で大声で騒いでいたのを、このキョリで私が聞いていない訳がないというのに。
「私さっき聞いたんだけどさぁ、今日転校生来るらしいの。このクラスに!話じゃ男の子って話なんだけど、すごいイケメンとかだったらいいなぁー!」
いや、イケメンがクラスに転校してきたことで君に何の得があるかは全く分からない。
おそらく期待するようなラブコメは君には起きないよ。
目の保養?どうせ直ぐ飽きる癖に。
しかし、別に私は他人の希望を否定するつもりはないので、精々楽しむと良い、と内心思っているだけだが。
私は自身を客観的だ、と断定出来るほど生命として完成していないし、自分の事すら分かりはしないのに、ましてや他人の事など分かろう筈がない。
だから私の他人への評価は私がそこそこの精度だと思っていたとしても、あくまでも自身に基づいたものであることを、私は自戒しなければならないだろう。
私は聞き流しがバレない絶妙なタイミングで「そうだね。」と相槌を打つ。
しかし転校生か。この囲われた居場所に、うまく馴染めることを祈る。
「はいお前ら始めんぞ座れぇ。」
私たちの担任は、教室に入るなり生徒を席に戻した。
「知ってる奴も少なくないだろうが、今日からこのクラスに 転校生が一人入る。ほら、入れぇ。」
やる気の感じられない担任の紹介とともにドアをくぐったのは、黒髪の少年だった。
日本人的な柔らかさを持ちつつそれでいて目鼻立ちが完璧に整った、端的に言って美少年。
化宮の望みは無事に叶ったわけだ。
ちらっと雨川の方を見ると、彼女は一貫して全く彼に興味無さそうに、まるで転校生に気づいてすらいないかのごとく窓際で遠景をながめていた。
それに比べて対照的に、化宮は、本人は小声のつもりであろう声で周辺に話しかけまくっている。
まあ、どちらも予想通りだな。
私が視線を前に戻したとき、彼はチョークを置き、こちらに向き直していた。
微笑んで、彼は口を開く。ゆったりと、淀みなく。
「今日からこちらでお世話になる、竹原望です。初めての転校で、分からないことも多くあると思いますが、仲良くしていただけるとありがたいです。」
ぱちぱちと、穏やかに沸き上がった拍手は、彼がこの集団の「心」を掠めて掴むことに成功したことを、暗に示していた。
上手いな、と私は思う。本当に初めての転校ならば完璧すぎるほどだ。
どこか懐かしい、昔の記憶に触れるような彼自身の声を、姿を、そしてその使い方を理解している。
いつか崩れなければいいが。
朝礼が終わると、途端に転校生の周りに人が団子みたいに群がる。
なんだかんだ言いつつ私は人ゴミが得意ではないため、トイレに行く風に教室を出る。
早退してしまおうかと少し考えて、結局諦めて教室へと引き返した。
今はとにかく眠い。後はやり過ごして眠ろう。