第五話 黄色いご飯
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宮子が夜に働く様になってから、三ヶ月が過ぎようとしていました
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彼女は、全く家事をせず、部屋は酷く散乱し、風呂場は未洗濯の衣類と生ゴミが山積みになっていました。
台所と流しに至っては洗われてない食器でゴッタ返し、大量のゴキブリが発生し、家の中のはカビと腐敗で酷い悪臭が漂っていました。
祖母の家に飛び出して行った俊は、学校が通える範囲で無かった為、三郎の説得で一度は家に送り帰えされたものの
その後の宮子のいい加減さに益々嫌気が差し、一ヶ月ほど前からは宮子の妹である叔母の家で世話になっていました。
叔母の名は麻子、彼女は宮子の四歳年下でとても優しい穏やかな人柄でした。
叔母と言っても、まだ彼女は二十六歳でしたから子供達にとってはお姉さんの様な存在でした。
俊からその後の宮子の状況を聞かされていた三郎と祖母は、彼女に注意をしようとアパートの方に度々尋ねていたのですが、
いつもすれ違いばかりで全く連絡が取れませんでした。
だから仕方が無く子供達を一旦、学校の近くに住んでいた麻子に預かってもらう様に頼んでいたのです。
麻子も事情を聞いて子供達が可哀相になり、二人を預かる事を快く承諾してくれました。
しかし、光は叔母の家に行く事が決まっても、このゴミ屋敷から全く離れようとしませんでした。
『叔母の家に行けば、少なくとも普通の生活が出来る…』そんな事位、光は分かっていましたが、どうしても行きたくなかった訳があったのです。
麻子は既婚で夫がいました。夫の名は国男、麻子の六歳年上で、とても神経質な性格でした。
まだ光が小学校に入る前の事です、国男は酒の席で和夫と口論になり、殴り合い寸前にまでなった事がありました。
そんな国男は光の容姿が和夫に似ていた事が不愉快で、光にチクチクと嫌味を言っては虐めていたのです。
普段は俊と麻子がいる手前、あまりそんな態度を見せる事はありませんでしたが、光は自分が国男に嫌われている事は十分に解っていました。
だから、彼はここで孤独に生活する事の方が気が楽だったのです。
しかし俊は社交的で愛嬌の良い性格で親戚から可愛がられていたせいか、光が何故 麻子の家を拒むのかが全く理解出来ませんでした。
俊が何度 説得しても それを拒む光…
俊には その行動が ただの乳離れ出来ない甘えん坊にしか感じなかったのです。
俊「なあ、行くぞ光… いつまで ここに居るんだよ! 麻子お姉ちゃんは お前の事を本当に心配してるんだぞ!」
光「うん… ぼくは お母さんをここで待つよ、麻子お姉ちゃんには心配いらないって伝えて。それにさ… もし お母さんが帰った時 家に誰も居なかったら可哀相だから…」
光は国男の事を俊に話し出せませんでした。
それは、たぶん光の俊に対する優しさだったのかも知れません。
俊「親らしい事も何もしてくれないのに、何で可哀相なんだよ… お前は本当にバカだよ…」
俊は光に そう言うと とても悲しそうに辛い表情をしながら麻子の家に行ってしまいました。
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光は また一人になってしまいました…
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【グスッ… グスッ…】(光は泣いていた)
光「ぼくは何で、こんな臭くて汚い所にいるのかな… ぼくは いつかこのまま死んじゃうのかな…」
光は涙を流しながら独り言を呟いていました。
一ヵ月前に、俊が麻子の家に行ったばかりの頃は、まだ何とか宮子は二日に一度の割合で帰っていました。
しかし、朝は子供達が学校に行った後に帰宅し、子供達が学校から帰る前には、晩ご飯の お金だけを置いて慌てて居なくなるのでした。
三郎とのすれ違いも偶然ではなく、宮子が意図的に身内と顔を合わせる事を避けていた為でも有りました。
俊が麻子の家に世話になっている事や、祖母や三郎が連絡を取りたがっている事も、宮子は全部承知していたのです。
そして夜の仕事に変えた訳は、お金の為だけではなく、裏に男がいたからなのでした。
彼女は始めから親兄弟に子供を押付けるつもりだったのです。
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それから、宮子が帰らない日々は段々とエスカレートして行き、ついに一週間が過ぎ様としていた時の事でした
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光「今日もお母さん帰らなかったか… 今夜はなんだか寒いな…」
この日の夜は雨が降り、寒さも一段と厳しく、古い木造のアパートには冷たい隙間風が吹き込んでいました。
光「あっ!? ストーブ消えてる… 灯油を入れないと。」
光は雨の降る中、庭先に置いてあったポリタンクに灯油を入れに行きました。
光「あ…!?」
こんな日に限って、最悪な事に買い置きの灯油が切れてしまっていたのです。
一週間前、宮子が光の勉強机の上に置いていった夕食代も、もう二日前に使い切ってしまい、光は灯油を買いに行く事も出来ませんでした。
光「どっ、どうしよう…、ストーブがないと寒くて死んじゃうよ… あっ、そうだ!」
考えた彼は、布団を何枚も敷いてテレビと部屋中の電気を点けました。
光「これで少しは暖かいな…」
何とか寒さはしのげましたが、部屋の中で吐く息は白くなるほど冷えていました。
すると今度は…。
【グ――――…】(光のお腹が鳴いた)
寒さはしのげても空腹は満たされません。
二日前に最後のお金で店屋物を注文して食べてからは 夕食は、ひたすら水を飲んでは、塩・調味料・コーヒー用の粉クリーム等をなめたり、給食の余ったパンを持ち帰ったりして空腹を満たしていました。
しかし育ち盛りの年頃です、こんな事で空腹が治まるはずもありません。光は、たまらず、何もないあちこちの戸棚と入れ物をあさりながら、何か食べられそうな物を探しました。
光「何もないなぁ…、お腹減ったなぁ…」
冷蔵庫を開けては閉め、開けては閉め、そんな事をしている内に彼は何気なく炊飯器を開けてみたのです。
光「あっ! ご飯だ!」
炊飯器の中の米は、一週間前に宮子が炊いた物でした。
きっと彼女が自分で食べる為に用意した物だ思いますが、何かの急用で、そのまま外出してしまったのでしょう。
その米は酷く黄色がかっていました。
炊飯器は保温のままにしてありましたが、光がシャモジで混ぜると米はボロボロと砕けました。
光「お母さん、ご飯を炊いて行ってくれてたんだ… まだ食べれるよねきっと…」
光は、そのご飯を茶碗に盛ると表面を満遍なく平たく潰し、箸で押して凹ませながら顔を書いたのです。
とても嬉しかったのでしょう、その顔はニッコリと笑っていました。
その笑った顔を見ながら、光は醤油をかけて少しずつ楽しんで食べ始めたのです。
しかし、一週間前の物です… 米は腐っていました、でも極度の空腹だった光には、そんな事は全く判りませんでした。
これで この日は何とか空腹をしのげましたが、光の心の中はボロボロでした。
何も知らない、何も出来ない…
いつしか彼は。生きるという人間の本能だけで生活していたのです。
こんな毎日を必死で生きてるだけの彼に、今は悲しみも、辛さも、寂しさも、すっかり麻痺していたのです。
そして、光の身体を刻々と病魔が侵している事にも気付いてはいなかったのです…
【ザ―――――…】(雨音)
空腹が満たされた光は、いつの間にかテレビを点けたまま眠ってしまいました。
【ザ―――――…】(雨音)
光の心を表すように 外は雨が激しく降り 部屋の中は点けっ放しのテレビの音が ただ小さく響いていました。
その時…
【ピーンポーン】(玄関の呼び出し音が鳴った)
呼び出し音は静かな部屋に鳴り響きました…
つづく