第五十八話 確かなスタート地点
鳴り響く電話の音…
宮子は もう電話の相手が誰なのかを察した様に やるせない表情で受話器を手に取りました
宮子「はい… 佐藤です」
電話の相手「こんばんは 県立K南高校の刈谷と申します」
宮子「あっ… 先生… お世話になります」
そうです 宮子の察した通り 電話口の相手は 光の担任である刈谷先生でした
刈谷は光が今日も学校に来ていない事や 出席日数の事等を宮子に伝えると光が居るなら代わってもらいたいと申し出て来ました
宮子「…はい」
宮子は 重たい表情でポツリと返事をすると 迷った挙句 無言で光に受話器を渡しました
光「…」
光は怒った表情で受話器を差し出す宮子に 動揺しながら恐る恐る受話器を受け取り静かに耳に当てて言いました
光「はい… もしもし…」
刈谷「光か? 先生だ… 如何した 何故 学校に来ないんだ?」
光「ああ… スミマセン…」
刈谷「うん… まあ色々と家庭での悩みもあるんだろうが… 明日は来てくれよ 俺と話をしよう…」
光「…」
刈谷「な… 先生 待ってるから…」
光「はい…」
そして光は ゆっくりと受話器を置き電話を切りました
宮子「…」
食卓の会話は止まり テレビの音だけが沈黙にまぎれて流れています
すると 電話から一部始終を見ていた三郎が 空気の重たさを悟ったのか 穏やかな口調で宮子に言いました
三郎「お前ぇ達 如何したんだ? 急に沈みだして… 【先生】って… 学校からか?」
三郎がそう言うと宮子は申し訳なさそうに小さな声で言いました
宮子「うん… 光の担任の先生…」
三郎「学校で何かあったのか…?」
宮子の様子を見て 三郎は心配そうに聞き返しました
暫くの間 黙っていた宮子は とても言い難そうに眉間に皺を寄せると 仕方ないと言った表情になり 静かに話し出しました
宮子「あのさ… 実は こいつ学校ずっとサボってんだよ…
あたしも昨日知ったんだ… 夕べ兄貴に言おうか迷ってたんだけど… ごめんね」
三郎「え!? おい… 今の話 本当なのか光!」
三郎は 大きな声でそう言うと とても驚いた様子で光の方を見ました
光「…」
しかし 光は苦い表情で黙ったまま何も答えません…
俊「何で行かねぇんだよ…」
俊は そんな光の様子を見て困った表情でボソッと言いました
光「…」
しかし光は依然と何も話しません…
すると そんな光の態度を見て 苛立ちを感じた宮子は 困惑した表情を怒りへと一変させ激しい口調で怒鳴り始めたのです
宮子「おい光! あんた聞いてんの! このまま学校に行かないなら仕事しなよ!
それも嫌なら ここからは出てってもらうからね!!
あたし達は あんたが高校にちゃんと行くって言ったから同居を認めたんだよ!
その事 解ってるよね!!」
光「…」
光は それでも黙ったままでしたが 激しい宮子の言葉に下唇を噛み締め小さく震え始めました
三郎は そんな光の様子を見て可哀相に思えたのか宮子に切なそうな表情で言いました
三郎「おいおい宮子… まだ光の話を何も聞いてねえだろう… あんまし怒るな…」
宮子「だって…」
三郎にそう言われた宮子は口をへの字に曲げ台所に引っ込んでしまいました
そして三郎はとても穏やかな表情で俯いた光の顔をしたから覗き込むと優しい口調で語り掛けました
三郎「なあ光… 少し落ち着いたら話してくれや お前ぇ… 何で行かねえんだ学校に?
俺が訳を聞いてやるから話してみろや…」
光「…」
しかし光は話そうとしません…
俊「おい光… 黙ってないで何とか答えろよ!」
俊が三郎に気を遣い 光を怒鳴りました
すると…
俯いていた光はとても険しい表情で顔を上げ皆を睨みつける様に か細く話し出したのです
光「何の… 何の意味があるんだよ…」
すると三郎は光の言ってる意味がわからず俊と宮子の顔を見回して言いました
三郎「ん? 意味?」
しかし 俊は三郎にそう聞かれても 同じ様に全く意味が解りませんでした
そして呆れながら聞き返しました
俊「さあ… 何 言ってんだ お前?」
光「…」
すると 光は また俯いて黙ってしまいました…
そして誰もが その光の言わんとする意味が解らないまま沈黙の中で苦い表情を浮かべました
その沈黙は一分位の事でも 何故かとても長く感じました…
誰も何も話そうとしないままの食卓…
かつて今まで こんなにも楽しい三郎家で こんなにも重苦しい状況になった事は一度だってありませんでした
そんな 短くも長く感じた五分ほどが過ぎる頃 光が再び 小さな声で話し始めたのです
光「将来の夢… 希望も無い… 俺なんか 何で学校に行く意味があるの…?」
そう… これが光の 今の自分を伝える 精一杯の言葉でした…
しかし 次の瞬間 光の言葉に怒りを覚えたのは宮子でした
【ドタ ドタ ドタ!】
(宮子が荒々しく居間に入ってきた)
台所から宮子は激しく居間に入ってくると 勢い良く光の目の前に座り両手で光の肩を掴み大声で言いました
宮子「あんた! ふざけた事言ってんじゃないよ! 皆がどれだけ心配してると思ってんだよ!!」
激しく光を 前後に揺らす宮子…
三郎「おいおい! 止めろって!」
それを見た三郎は慌てて宮子の手を引っぱり 光から身体を放しました
光「…」
宮子の激で今にも泣き出しそうな表情になる光…
三郎は一旦 宮子を落ち着かせる為 その場に座らせると穏やかな口調で言いました
三郎「待てよ宮子… 今は光の話を最後まで聞かないと何にも解らねえじゃねえか…」
宮子「…!」
三郎に仲裁に入られた宮子は息を荒くして黙ったまま光を睨みつけました…
俊「…」
そして俊は何かを言いたそうな表情で その光景をジッと見ていました…
再び沈黙してしまった状況の中 最初に三郎が光に話しかけました
三郎「そうか光… お前ぇは将来の夢も希望も 何も無かったのか…
そりゃ俺たちゃ… 無理してお前ぇを学校なんかに行かせてしまって可哀想な事したよな…」
すると三郎の言葉に光は 躊躇いも無く急に興奮して話し出したのです
光「そ そうでしょ! でも それだけじゃないんだよ!
三ちゃんや兄貴だって こんな将来の無い俺に交通費や学費で お金を使って無駄だと思うでしょ!
こんな無駄な人間に時間をかけてさ! やる事 全てが無駄じゃないか!!
俺だって一緒に働けば生活費の足しになって助け合えるんだよ!
なのに何で俺は学生じゃなきゃいけないんだよ!! みんな おかしいよ!!」
激しい口調で三郎に そう訴えた光は まるで何かに憑かれたかの様な表情で目を丸くしていました
そんな光の表情や様子を三郎は悲しそうな目で見ていました…
三郎「そうか… 無駄か… そうか… おかしいか…」
いつもは痛快に笑い飛ばす三郎…
しかし 三郎は そう言ってとても悲しそうな表情で光の目を見つめました…
すると 次の瞬間…
宮子「てめぇ! ヒカルー!!!!」
宮子が今までに出した事もない大きな声で光を怒鳴り付けました
光「!!」
光は その あまりの大声に驚き竦み上がりました
宮子「お前みたいなバカ! もう出てけー!!!
クソガキが簡単に働くって言いやがって!
お前みたいなヘナチョコを 一体どこの会社が雇ってくれるってのさ!!
生意気な事 ガタガタ抜かしてんじゃねえよ!!!」
宮子は光の勝手な言い草に 怒りと悔しさで感情が抑えきれず ついに大声で泣きながら訴えていました
その光景に 一瞬 唖然とした光でしたが 感情が高まった者同士 もう歯止は利かない状況になっていました
そして 負けじと光も宮子に食ってかかりました
光「何だよ! 出てけって! 俺は三ちゃん達と一緒に働いちゃダメなのかよ!!」
三郎「宮子! 光! いいから少し落ち着いて話そう! な! な!」
三郎は そんな状況を収束させようと二人を宥める事で必死でした
すると 黙って一部始終を見ていた俊が終に言葉を発したのです
俊「お前は甘いよ…」
それは 何処と無く重い… 重い… 一言でした…
光「!」
俊の言葉に意表を突かれたのか光は驚いた様子で俊の方を見いています
そして 言葉を失った光に宮子は追い撃ちを掛ける様に はやし立てました
宮子「そ… そうだ! そうだ!」
しかし 俊の一言で表情が段々と険しくなった三郎は 宮子の はやし立てを止めさせ様と先程までとは少し違った強めの口調で注意しました
三郎「宮子! もうやめろ…」
しかし どうやら この俊の意表を突いた一言に光の感情は更に高ぶるのです
光「何だよ…」
何かを言いたそうに口を尖らす光…
俊「何がだよ…」
その表情を見て冷ややかな顔で睨む俊…
それは 久しくなかった 兄弟喧嘩を思い出させる一足一刀の間合い…
そして終に 光は感情のあまり言ってはならない一言を発してしまったのでした
光「なんだ! 偉そうに!! テメエだって 高校 辞めたじゃねえか!!
テメエこそ【甘い】代表だろーがー!!」
三郎「!」
光の言葉に三郎の顔は凍りつきました
俊「だから! 言ってんだろ俺は!!」
俊の口調は今にも光を殴りかかる勢いに感じるほどの気迫でした
光「何がだよ!!」
穏やかな光も 俊の気迫に負けじと激しく声を震わせます
俊「俺がどんな思いで高校を辞めたのかなんて テメエには解らないんだよ!!」
すると この俊の言葉に宮子がうろたえ始めたのです
宮子「俊 もういい… いいよ それ以上言わなくて…
このバカには今は何を言っても解らないんだから…」
宮子が俊を気遣います…
しかし光の感情は落ち着こうとはしません
光「ああ そうだよ… 俺はバカだよ!!
だから俺には兄貴の気持ちもお袋の気持ちも解らねえよ!
それが如何したんだよ!!」
すると この光の言葉に再び宮子の怒りが蘇りました
宮子「光! あんた!! いい加減にしなよ! それ以上言ったら本当に叩くよ!!」
そう言って宮子は光の頭上に平手を振り上げました
光「何だよ! 叩けは良いだろ! 今更 叩かれる事にビビらねえよ!!
そうやって いつも暴力でしか解決できねえんだろ! お袋も 兄貴も!!
俺を置いて 親父から逃出したくせに オメエらの方が勝手なんだ!!」
激しい口調で言い放つ光の本音だったのでしょうか… 暴言はもう止まりませんでした…
俊「何だとテメエ!!!」
宮子「ヒカル覚悟しな!!!」
そして当に! 宮子が光を叩こうとした その時!!!
【ドォーーーーーーーーン!!!】
(三郎が激しく卓袱台を叩いた)
三郎「もうヤメロおおおーーーーーーー!!!」
【カラン… カラン…】
(卓袱台の上に置かれた缶の灰皿が床へと転げた…)
静まる部屋の中…
光「…」
俊「…」
宮子「…」
三郎が怒った姿を俊と光は初めて見ました…
そして宮子は 何年ぶりに三郎の怒鳴り声を聞いたことだったでしょうか…
その大声は この三人の罵声を全て一瞬でかき消し…
まるで空間に歪を作ってしまったかの様な途轍もない迫力でした
三人は驚きで言葉を失い そのまま 黙りこんでしまいました
暫くして三郎は 静かに床に落ちた灰皿を拾うと
平然と… そして淡々と… まるで独り言のように ゆっくり話し出したのです…
三郎「俺は… 自分の夢や希望が何だったのかって人に聞かれたら…
正直な所… 未だに何だったのか答えられねぇ…
でもょ… 俺は人に恥じない自分らしい人生を過ごして来た事には自信があるんだ
夢や希望ってのはぁ… 生きていく上で探して見つけ出すもんじゃねえのかな…
俺はバカだから難しい事は教えてやれねぇ…
ただな 光… 少なくとも俺も宮子も俊も お前ぇの将来に希望を持って応援してきたんだ…
だから 俺達が自分の希望に いくら金を使おうと それが無駄なんだとは誰も思ってねえんだぞ…
まあ! お前はそうは思って無かった見てぇだけどな… がははは」
そして三郎が何時ものように痛快に笑うと この話を黙って聞いていた光は 何か心の奥底で引っかかっていた物が外れた様な気がしのです
光『生きていく上で見つけるもの…』
それは自分の思っていた視野や世界とは違う何かが目の前に ポッと現れた瞬間でした…
光「俺の夢は… 皆の希望…?」
黙っていた光は 三郎の目を見て確認するように小さな声でそう聞きました
すると三郎は光の顔を見てニッコリ笑い 大きな声で話し出しました
三郎「ああそうだ!
俺はアッパッパーで高校に行けなかった 宮子は この通りの中学時代からのアバズレ女だ
高校に行く前に子供作って所帯を持っちまったからな がははは」
そんな痛快に笑う三郎の言葉に宮子は恥ずかしそうにして席を立ちました
宮子「やめてよもう… 恥ずかしい…」
宮子がそう言って台所に行ってしまうと 光はその後姿を見つめながら 独り言の様に言いました
光「俺が皆の…」
三郎「ああ そうだ! それと… 俊は… 俊はなあ…
まあ 今更言いたくねえけど… 必死に説得した俺達を振り切って
まるで今日の お前ぇの様に間違った選択をした…
だから 今 お前ぇを必死で引き止めてんだよ… お前ぇは良い兄貴持ったな がははは」
三郎は俊の方を見てそう言い再び痛快に笑うと 俊はその言葉に少し照れたのか舌打ちをしながらその場に寝転がってしまいました
俊「ちぇっ…」
光は そんな俊の寝転がる姿を見ながら言葉を失ってしまいました
光「…」
そして三郎は 唖然として黙ってしまった光の顔を見ながら とても穏やかな口調で再び話し出すのです
三郎「塗装業のアルバイトなんか何時だって出来る仕事だぞ 光…
今と言う時間は一度しかないんだ… だから今は俺達の希望でいて欲しい それが俺達の願いだ!
どうだ? 明日からちゃんと 俺達の為に学校に行ってくれねえかな」
光「兄貴…」
光の目に涙が…
俊「あん…?」
光「お袋…」
そして光の目から涙が零れた…
宮子「バカだね…」
光は 自分が今まで思っていた事の軽率さにとてつもない憤りを覚えるのでした
光「ごめん… 俺 何か皆の事を誤解していたんだね 酷い事 言ってごめん…」
光が そう言うと 突然 頭の中を ある言葉が掠めて行きました
光『!!』
”十年後の自分の為に出来る事…”
”夢を持て! 持たない者は幸せになれない…”
それは… 光が中学の時に和夫の話してくれた言葉…
それは 紛れもない父親の教えでした…
光『親父…』
心の中で そう呟いた光が そのまま暫く俯いて考えていると 台所から戻って来た宮子が その様子に苦笑いしながら話しかけてきました
宮子「だ… だって! あんたさぁ 頭いいじゃないか!
せっかく公立高校入ったのに 辞めるなんて勿体無いじゃない!」
宮子が そう言うと今度は寝転がっていた俊が話し出しました
俊「気にすんなよ 別に俺は何とも思ってねえよ… 口喧嘩なんか何時もの事だろ…
それより 解ったら ちゃんと明日から真面目に学校行けよ 学校を辞めたら友達とは それきりだぞ
俺は友達が多かったけど仕事しちゃえば普通に遊ぶ事なんて出来ないんだ…
だから友達を失った事と同じなんだ…
もし お前が高校を辞めたら 絶対に今以上に孤独になる… お前 友達少ないからな…」
光「うん解った… 俺 早起きして雨の日もバスと電車でちゃんと行く…」
俊の言葉に涙を拭きながら光は答えました
宮子「大丈夫だ! 早い時間は家の前にバス来て無いから これからは駅まで毎日ちゃんと あたしが送ってやっからさ!」
宮子はそう言って光の肩をポンっと叩きました
俊「帰りならバイクで良けりゃ駅まで迎えに行ってやってもいいぜ…」
光「お袋… 兄貴… ありがと…」
宮子と俊が光にそう言うと 腫れぼったい光の顔にささやかな笑顔が戻ると三人の様子を見ていた三郎がとても上機嫌な威勢のある大きな声で話し出しました
三郎「ようし! これで仲直りだ!!
それから光! 俺もトラックで駅まで迎えに行ってやれんだからな!
遠慮ししねえで駅に着いたらドンドン電話して来い! がーははは!」
光「う、うん… でもトラックはチョット恥ずかしいかも…」
三郎「あ~? オメエは何を ぜいたくいっちょるのか~ がーははは!」
宮子「ふふふ」
俊「ふっ」
気付けば皆に 何時もの笑顔は戻っていました…
そう… この時 光は思ったのです
和夫と別れ 行き場所を失い無我夢中で三郎の家に逃げてきた自分は自分自身を見失っていた…
そして その事に皆は気付いていて必死で自分を応援してくれていたんだと…
光は和夫と別れてから今日まで宙に浮いたようにモヤモヤと毎日を暮らしていたのかも知れません
それは一番信頼していた者から突き放された誰にも話す事の出来ない悲しくて寂しい時間だったのです
でも… 光よりも はるか以前に それは俊が身をもって経験していた…
だから 俊は もちろん… 宮子や三郎も今の光に将来の希望を失わせたくはなかったのです
光『皆… ありがとう…』
光はこの時を期に夢を見付ける為の再出発を心に誓いました
そして その再出発とは…
父親の教えに正面から向きあう事の出来た【確かなスタート地点】だったのかも知れません…
つづく