第五十四話 ラジカセ
光は和夫の質問に暫く動揺していましたが もうこれ以上 誤魔化しは効かないと思ったのか 意を徹して和夫の酒乱の事を話し始めました。
光「親父… 俺が今から話す事 ちゃんと聞いて欲しいんだ…」
光が真剣な表情で静かに話し始めました。
和夫「どうしたんだ… 急に改まって…」
光「うん…」
何時に無い光の表情で 何か重要な話が始まる事を感じた和夫は 一旦 鍋にかけていた火を止めました。
和夫「何だか話が重くなりそうだな… 兎に角 座って話をしよう…」
光「うん…」
和夫は苦笑気味で そう返答した光の顔を見て 何かを感じたのか じっくり話を聞く為に居間に行くように促しました。
そして二人が何時もの場所に腰を下ろすと 和夫が予め卓袱台に用意して置いた急須にポットのお湯を注ぎ始めました…
【ジョロ ジョロ…】
(急須にお湯が注がれた)
その後 渋い表情になって煙草に火を点けた和夫を見ながら 光は穏やかに話を始めました…
光「親父さ… 昨日 自分が お酒を飲んでいた事を覚えている?」
光に問い掛けに 和夫は二組の湯呑に お茶を注ぎながら答えました。
和夫「ああ… 確か昨日は夕方頃から飲み始めて… その後は…
はは… 酔ってしまったせいか あまり良くは覚えはないな… そのまま寝てしまったかな…」
和夫が照れ臭そうに答えると 口に咥えた煙草の煙は顔の前でモヤモヤと揺らぎ それと湯呑の湯気が混じり合いながら消えました。
光は その広がって上へ昇る湯気をゆっくりと見上げた後 静かに顔を戻して再び話し出しました。
光「そう… じゃあ酔った後の事は 覚えてないか…」
光は思い詰めた表情で寂しげに 和夫に言いました。
和夫「ああ… う~ん… 済まんな。 ハッキリとはな… 大分酔ってたかもな…
ただ何となくイライラしていた事は薄っすら覚えているんだが…
その後は 今朝まで寝てしまったので思い出せん… はは…」
和夫は 光の言葉に何かを思い出そうと腕を組んで天井を見上げ答えましたが 何も思い出せず首をひねって苦笑いをしました。
光「そう… やっぱりか…」
光が溜息を吐く様にガッカリしながら そう言うと和夫は不安な顔になり聞き返しました。
和夫「如何した? 知らん間に お前に何か迷惑かけてしまったかな…」
光「迷惑って言うか… 暴れて大変だったんだ。」
光が遠慮深く そう答えると和夫の表情は驚きに変わりました。
和夫「暴れてた!? 俺が?」
光「うん… タンスやテレビの台をガンガン何度も蹴って…
近所中に聞こえる位の大きな声で【ぶっ殺すぞー!!】って… 何回も喚いていたんだよ…」
光は昨夜の様子を たどたどしく申し訳なさそうに話しました。
和夫「なんだと…」
和夫の驚いた表情は尚も激しさを増し 開いた口が塞がりません…
それでも 光は意を徹して和夫に話を続けました。
光「俺の事も兄貴の事も… 佐藤家の人間の事も… 全員 ぶっ殺してやるんだって言ってた…」
光が そう言うと和夫は動揺しながら お茶の入った湯呑を手に取り苦笑いを浮かべて答えました。
和夫「まっ まあ… 佐藤の奴らの事は ともかく…
俺が お前達の事までそんな風に言うなんて… 何かの聞き間違えだと思うがな… はは…」
記憶のない 和夫は落着きを取り戻そうと必死で光に弁解をしました。
光「全然 覚えてないんだね…
俺… 親父が あんなに酷く酔った姿を見たのは 昨日の晩で二度目なんだよ…」
和夫「に 二度目…!?」
光「前の時も大声で怒鳴りながら同じ暴言を何度も繰り返し言ってた… けど その時は三時間位 騒いだら 親父は騒ぎ疲れて寝ちゃったんだ…
でも昨日は それが今日の朝まで ずっと ずっと 休む事無く続いてたんだよ…」
光は否定する和夫に反論する事なく平常心で そう答えると 目をギュッと閉じて上を向きました。
そんな 光の言葉を聞いた和夫は口をへの字に曲げ ふに落ちない表情で答えました…
和夫「それで… お前… 今日 寝不足だったのか…」
光「へへ… まあ そう言うことかな。」
光は 驚いて聞いて来た和夫の言葉に気を遣って 無理をして笑顔で応えました…
和夫「…」
そして沈黙が走りました…
光「…」
暫く無言のままの二人…
和夫「フー…」
そのまま和夫は煙草の煙を吹かしながら考え込んでしましました…
そんな言葉の無くなった重たい空間は光に重要な話をさせる事を止めさせている様でなりません。
しかし 光は その先の話を覚悟して話したのです。
光「だから俺… 昨夜から今日の朝まで全然 寝れずに起きてたんだよ…」
光は和夫の心中を察し ハニカミながら そう言いました。
和夫「信じられん…」
和夫は俯いたまま とても小さな声でそう呟き光の言葉を認めようとしません…
光「別に信じて欲しいわけじゃないんだ… だって記憶が無いなら仕方ない事だし…
それに俺だって この事を話すべきか迷ったんだもん。
でもさ… 保健室で一日中寝てたら流石に担任達には怪しまれちゃうよね…」
和夫「…」
和夫は光の言葉に何も言い返す事が出来ません…
しかし 光は俯いて黙り込む和夫に 尚も気を遣いながら話を続けました。
光「だから保健室で目覚めてから 放課後 担任に事情を聞かれたんだよ…
けれど俺… やっぱ 本当の事は言い出せなかった…」
悲しそうに淡々と話す光の姿を見ても和夫は何故か罪悪心を持つ事が出来ず 何処かに逃げ場を探してる様に焦りました。
和夫「酒に酔った軽はずみで暴言を吐いた事は申し訳なかった…
しかしな光… 俺は 自分がそんなに暴れて騒いだ事を全く思い出せないんだ…
むしろ 何と言うか… お前が 少しばかり大袈裟に話をしている様な気がしてならんのだが…」
光「え…」
光は この和夫の言葉に戸惑いました…
和夫「なあ光… お前だって 本当は 何か別の事で朝まで起きて理由もあるんだろ? そうだよな!?」
光「…」
和夫の必死な言い訳に 光は ただただ空しい表情しか浮かべません…
そして口と目を歪ませながら答えました。
光「待ってよ… 何の為に 俺がそんな事を大袈裟に言わないとイケないのさ…」
やるせない表情になる光…
和夫「そりゃ… 俺の暴言に腹が立って…」
和夫の言葉は曖昧に濁されました。
光「腹が立つって… ねえ親父… 本気で そう思ってるの…」
和夫「お…」
和夫が言葉を失いかけた時… 光は呆れた表情に変わりました。
光「じゃあ 親父は俺の話しを嘘だと思ってるんだね…」
光は和夫の表情を見て悲しそうにそう言いました。
和夫「いやいや… そうじゃない… ただ…」
光「だから… 別に信じてくれなくても良いんだ… でも嘘は吐いてないよ!」
和夫「いや嘘だとは言っておらんだろ… ただ少し位 酒に酔って言った事を そんなに大袈裟に話すものだから 俺もつい…」
和夫は光の言葉に躊躇いながら そう言うと顔を左右に揺らして俯きました。
光「解ったよ… じゃあ その時の自分の声を聞いてみなよ…」
和夫「聞く…?」
和夫は光の この言葉に驚いたのか俯いていた顔を起こして驚いて そう言いました。
光「さっきも言ったけど 俺が親父が酔った姿を見たのは二度目… 最初に見たのは今年の夏休みの時だった。
兄貴の所にアルバイトに行ってた時 俺は親父に言われた通り 一週間たって一度 家に戻ったんだ… 覚えてるよね。」
和夫「あ… そんな事あったな…」
光「夕方頃 家に帰ると誰も居る気配のしない 真っ暗な部屋で電気も点けずに呆然と座ってる親父の姿があった…
その時 俺は親父の顔を見て驚いたよ…
親父は俺が今までに一度も見た事がない位 恐ろしく不気味な表情をしていたんだ…」
光は 夏休みに起こった時の事を目を閉じて脳裏に思い浮かべながら話し始めました…
所が 光の その話を聞いていた和夫は 何故か急に小さく笑いだしたのです。
和夫「ははは 何だよ光… 何を言うのかと思えば。
だいたい あの日は仕事で俺は いなかっただろう お前 勘違いにも程があるぞ。」
どうやら 和夫は光の話を理解していない様子でした。
すると 光は そんな和夫の返答に嫌気を差しながら つい強めの声で反論してしまいました。
光「だから! あの日 親父は 昨日と同じ様に 酔ってて土曜日に俺が帰って来た事を全く覚えてないんだよ!」
光の言葉に和夫は更に驚いた表情で聞き返しました。
和夫「え…!? じゃあ お前 日曜日に帰って来たんじゃなかったのか!?」
光「そうだよ…」
光は不貞腐れた表情になって返事をしました。
すると 次の瞬間 和夫の表情は不満な顔に一変し 弱々しい声で言いました。
和夫「嘘を吐くな… だって次の日の朝 お前は部屋に居なかっただろう…」
光「はあ… だからさ…」
説明した状況に理解してくれない和夫に些か溜息混じりで言い返そうとする光…
しかし 和夫は光の話を聞こうとせずに そのままの勢いで話し続けるのです。
和夫「第一 日曜日 俺はメモと夕食代を置いて仕事に行ったんだぞ! お前は帰ってなかっただろう! それに お前はその後も…」
すると光は 一方的に話を続けている和夫の声に かぶる様に大声で言ったのです。
光「ねえ! 聞いてよ 親父!!」
和夫「お…」
光の大声に和夫は驚き黙ってしましました…
光「いいから 聞いてよ…」
和夫「あ… すまん…」
和夫が謝ると 少しの沈黙の後 光は冷静になって再び話し始めました。
光「あまりにも辛くて… 恐ろしくて… 家にいるのが嫌で… とても怖くて…
どうしようもないから 親父が寝た後 家を出て公衆電話から兄貴に電話して事情を話したんだ…
兄貴… 驚いてた… 状況を中々信じてもらえなかったけど 兄貴は三ちゃん家の最寄駅まで迎えに来てくれるって言ったから…
俺 その日の内に電車で また三ちゃんの家に戻ったんだ。」
和夫「えっ!?」
和夫は光の話を聞いてとても驚いた様子です。
光「その時 俺… 正直もう親父と暮らす事が嫌になったよ…
でも… でもさ お袋が言ってたんだ…
酔ってる時の 親父は記憶が全くないんだって…
だから俺は親父が可哀想に思ったんだ…
俺の知ってる親父は とても 優しくて強い人だよ…
でも どんなに強い人でも こんなに悲しみに心が折れてしまう事があるんだって思ったら可哀想で…
どんなに優しい人でも 怒りに満ちて暴走してしまう時もあるんだって思ったら 辛くて…
だから 俺… せめて俺だけでも この事は無かった事にしてあげたかったんだよ…」
和夫「おまえ…」
光「でもね… もしまた同じ事が起これば 何時かキチンと話をしなければイケない時期は必ず来ると思ってた!
だから騒いで暴れている状況を記憶の無い親父に教えてあげる為には如何すれば良いか考えたんだ…」
そう言うと光は自分の部屋に行きラジカセを持って来ました。
和夫「それは…」
光「うん… 四五分間のテープだけど 親父の様子を昨日これに録音しておいた…」
光は そう言うとラジカセを卓袱台の上に置いた。
和夫「これに 録ったのか…?」
光「…」
光は和夫の問い掛けに小さく頷きました。
和夫「解った… じゃあ聞かせてみてくれ…」
和夫が そう言うと 光は両手で頭を抱え込むようにしながら俯いて答えました。
光「嫌だよ こんなテープ! 俺は聞きたくない… 自分で聞いてよ…」
光は そう言うと俯いたまま自分の部屋に行き襖を閉めました。
【スー… カタン…】
(部屋の襖が静かに閉った)
和夫「…」
和夫は部屋に入って行った光を横目に とても済まなそうな表情で見ていました。
その後 眉間に皺を寄せ無言のまま卓袱台に置かれたラジカセの再生ボタンを ゆっくりと人差し指で押し 恐る恐るスピーカーに耳を傾けました。
【ザー…】
(ラジカセからテープノイズが流れ始めた…)
【コノヤロ―!! ぶっ殺すぞ!!… …】
(和夫の騒ぐ声が聞こえて来た)
和夫「!」
和夫は自分の暴れている音や怒鳴り騒いでいる録音テープを聞き驚くと その後 事態をようやく理解したのか悲しい表情に変わりなりながら目を閉じました…
そして そのスピーカーから聞こえる自分の暴れ狂う声や音はテープ時間の一杯まで ずっと騒ぎ喚いているのも解ったのです…
和夫「はぁ…」
事実を知ったショックで言葉の出ない和夫…
【カチャ…】
(ラジカセが止まった)
テープが終わり再生ボタンが自動で戻ると 和夫は腕を組んだ状態で俯き 目も閉じたまま全く動かなくなってしましました。
部屋は そのまま沈黙が走りました。
和夫「光…」
襖の向こうから和夫が細々く声をかけた。
光「うん…」
光も部屋から か細く返事をした…
和夫「ラジカセ… もう良いよ…」
和夫が そう言うと光は自分の部屋の襖をゆっくり開けて出てきました。
光「…」
ラジカセを手に取り そのまま何も言わずに部屋に戻ろうとした光に和夫が小さな声で言いました。
和夫「済まなかった…」
自分の真実を知った和夫は小さく寂しく光に謝った…
光「いいよ… 悪いのは お酒だから…」
光は和夫を不憫に思いそう言いながらラジカセを自分のベット脇にしまうと 特にそれ以上の言葉をかける事なく再び居間の卓袱台前に座りました。
その後 二人の間には 長い沈黙が流れました…
光「…」
和夫「…」
果たして 和夫は事実を受け止める事が出来たのでしょうか…
つづく