第五十三話 言えない事実
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酒乱から一夜が明けた…
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激しく暴れ狂った和夫は 精根 疲れ果て 居間に畳の上で そのまま うつ伏せに倒れ込んで寝てしまいました。
和夫が静まった時… 既に時刻は午前七時を過ぎていました…
それは実に 十二時間以上にも及ぶ気の狂う様な時間でした…
激しく発する大声に光は 今朝まで一睡もする事が出来ず 眼の下にクマが出来 挙句 極度の精神威圧で意識も朦朧としていたのです。
光『…』
とは言っても… 学校を休む訳にも行かず 光はフラフラとしながら制服の袖に腕を通し朝食も食べずに出掛けて行きました。
光「ああ… 辛い…」
ぎこちなく自転車を走らせる姿は まるで酒に酔っている様に見える程 フラフラと危なっかしく…
側を通り過ぎる自動車は時折 光にクラクションを浴びせていました。
それでも 光は何とか学校に辿り付き眠気を押し殺しながら目を開け様としましたが 人の身体は正直です…
もう起きている事など出来る筈もなく 朝の会が始まる頃には そのまま机に凭れかかる様に眠ってしてしまいました…
それから間もなく 担任が教室に現れました…
担任は教室の生徒が席に着く事を確認すると いつもの様に日直に号令を掛けさせ 出席の点呼を取り始めました。
そして 順番が来て光の名前が呼ばれました。
担任「真部 光!」
光の担任は刈谷と言い生徒達の事を何時も親身になって気に掛けてくれる 優しい人気のある先生でした。
光「スー… zzz」
刈谷「マナベ!! 居るのか!!」
光「スー…」
クラスメート「先生! 光は爆睡中で~す!」
刈谷「あ~!?」
【アハハハハ!!】
(教室に笑い声が巻き起こった)
クラスメートの一人がそう担任に言いクラス中が笑いの渦になると顔を乗り出して様子を見た担任は 何時にない光の姿を心配したのか そのまま起こす事もなく点呼を続けました。
刈谷「多分 深夜番組でも見過ぎたんだろ… 全くしょうがない奴だ。 もう少し寝かして置いてやるか。」
【アハハハハ!!】
(刈谷の言葉に再び教室中が笑いに包まれた)
それから出席の点呼が終わり 授業が始まる前に刈谷は光の側に来て更に様子を伺いました…
担任『光がこんな居眠りをするなんて… 昨日は何かあったのかもな…』
心の中でそう思った担任は ふと光の顔を覗き込みました…
刈谷「ん!? 随分と窶れている様だ…」
そのまま寝かしておく訳にも行かず 仕方なく刈谷は光の肩を数回軽く叩き 起きる様に促しました。
刈谷「おい光… 教室で寝るな。 具合が悪いなら一旦 保健室に行って休んでなさい。」
光「ァ… 先生… おはようございます…」
刈谷「如何したんだよ… ったく… お前らしくもない…
とりあえず 話は後で聞くから ちゃんと保健室で睡眠とっておけよ。」
光「はい… スミマセン…」
その後 フラフラと保健室に行った光は保健室の扉を開けると養護の先生に多くを語る事なく看護用のベットになだれ落ちる様に崩れました。
養護の先生「あら真部君? どうしたの。」
光「センセ… 少しネムら… ムニャムニャ…」
【ガー… ガー… zzz】
(光は直ぐに眠ってしまった)
養護の先生「あらら…」
それから六時間が経過し… 学校の授業はすっかり終わってしまい放課後になる頃 たっぷりと睡眠を取った光は ようやく目が覚めて気付きました。
光「ん… アレ!?」
光は自分の腕時計を確認した。
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時刻は午後三時を過ぎた所…
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光「ヤバい… 結局 学校に来た意味ないじゃん… あ~あ…」
光はボサボサ頭を掻きながら小声でブツブツと呟くと その声に気が付いたのか仕切りのカーテンを少し開けて養護の先生が穏やかに話しかけて来ました。
養護の先生は女性で年も若く 生徒達に近い年齢であった為か心に多くの悩みを抱えた生徒から親われていました。
光も この先生の事は信頼していましたが今回の身の上の事はとても話す勇気は有りませんでした。
養護の先生「やっと お目覚めかな。 どう身体の調子は?」
どうやら養護の先生は光が寝不足でここに来た事を既に お見通しの様子でした。
光「あ… もう大丈夫です…」
光が申し訳なさそうに そう答えると養護の先生は軽く微笑んで言いました。
養護の先生「そう 良かったね。」
光「あ… はい… 心配かけてスミマセンでした…」
養護の先生「あっ そうだ。 真部君が起きたら職員室に来るように刈谷先生が言ってたよ。」
光「あ… はい。 じゃ失礼します…」
養護の先生「お大事に。」
光は 養護の先生に自分の事を見透かされている様な気がして体裁が悪くなり 目も合わさずに頭を下げると 恥ずかしそうに いそいそと保健室を出て行きました。
光「ふう…」
保健室を後にした光は浮かない顔をしたまま 一旦 教室に置き去りにした自分の荷物を取りに戻ると もうクラスメートの姿は一人もなく静まり返っていました。
光「あは… もう みんな 居ない… 急がないと…」
そして すぐ様 職員室で待つ刈谷の元に急ぎました。
【コンコン…】
(光が職員室の戸を叩いた)
光「失礼しま~す…」
そう言いながら職員室の戸を開けて中を そっと覗くと 中にいた先生方が一斉に光に注目しました。
先生「ん? 何だ真部か 何の用だ… それに何時まで学校に居るんだ放課後は用がないなら早く帰れよ。」
一番手前に座っていた社会科の中西が光に声を掛けました。
光「ああ スミマセン… ちょっと刈谷先生に呼ばれてまして…」
社会科の中西が苦手だった光は 申し訳なさそうに 恐る恐る答えました。
中西「ああ… 刈谷先生にね。 刈谷せんせ~! 真部が来てますが~」
光の言葉を聞いて中西は大声で刈谷を呼びました。
刈谷「ああ… 中西先生 済みません。 今行きます!」
中西に呼ばれ奥の席から現れると刈谷は光に誰も居なくなった教室で話をしようと言いながら職員室を出ました。
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場面は教室…
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刈谷「光… 昨日は何か有ったのか?」
そう言いながら 刈谷は窓側の二つの机を向い合せ光に椅子へ座る様 合図しました。
光「今日はスミマセンでした… 昨夜 中々眠れなくて 少し寝不足で…」
光は ゆっくりと椅子に腰かけ俯きながら下唇を噛みしめて そう謝りました。
刈谷「嘘付け… 少しの寝不足で六時間も保健室で寝る奴が居るかよ… 昨夜は全く寝て無いんだろ。」
刈谷は光の返答に呆れた笑みを浮かべながら そう答えると 光は何も言えなくなり黙ってしまいました。
光「…」
そのまま沈黙が続きました…
その後 座っていた刈谷が両手で自分膝を【ポンッ】と叩き ゆっくりと立ち上がりながら言いました。
刈谷「何があったのか 話してくれよ…」
刈谷が渋い顔になり 穏やかに話しかけました。
しかし 光は依然と言葉を濁し本当の事は答えませんでした。
光「スミマセン… 深夜放送を朝まで見てました… 本当に何もありません…」
刈谷「テレビねえ… 今までそんな事なかったじゃないか… お前らしくないよな…」
刈谷には光が苦し紛れの嘘を吐いている事は直ぐに解りました。
光「はい… これからは気を付けますので…」
刈谷「光… 俺は反省しろと言ってるんじゃないんだぞ…」
この時 刈谷は感じました。 本当の事を話そうとしない光には 何か余程の事情があるのではないかと…
光「でも本当なんです。 心配かけてすみませんでした…」
自分の問い掛けに 尚も謝る言葉しか発しない光を見て 刈谷は 段々気の毒に思えて来ました。
刈谷「解った… でもな光… 俺にも力になれる事は きっと有るから気が向いたら遠慮せずに話してくれよ。
俺は お前の味方だ… それだけは覚えて置いてくれ。」
刈谷の優しい言葉が今にもボロボロに崩れ落ちそうな光の心を包みました…
光「…」
光は目から涙が零れ落ちそうでした…
そして光の様子を悟った刈谷は 腕を組みながら 夕陽の差す窓側に行き ゆっくりとカーテンを閉ると小さな声で穏やかに言いました。
刈谷「じゃあ 今日は もう帰りなさい。」
刈谷の言葉に三秒程 沈黙した後 光は ゆっくりと席を立ち上がり 深々と頭を下げ言いました。
光「先生 ありがとう… さようなら…」
そして光は教室から出て行きました。
刈谷「気を付けて帰れよ…」
光「はい…」
それから 光は沈んだ気持ちのまま自転車に乗り家に向かいました。
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時刻は夕方の五時を過ぎた頃…
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学校を出た帰宅途中の光は駅前の繁華街を走り抜け様としていました…
夕方になった繁華街…
何時もなら美味しそうな匂いのする食べ物屋さんや流行りの洋服が並ぶアパレルの店先を元気良く通り過ぎて帰る楽しい道の筈なのに…
今日は その華やかさと賑わいが 何処か光の寂しい心の嘲笑っているかの様に感じました。
光「くっ…」
光は泣いていました…
何時かは和夫がまた酒で暴走する事を解っていたのに… 覚悟を決めて向かい合おうとした筈なのに…
考えれば考える程 不憫で そして悔しくて…
思えば思う程 自分が無力な存在だと解り涙が出てくるのです…
ネオンの光色と信号機の赤色は自分の目に浮かぶ涙に滲んで 中々上手く走る事が出来ません…
頭の中には あの日の事が…
貧乏でも一生懸命だった父…
俊と三人で楽しく暮らした日々…
沢山 沢山 知らない事を教えてくれた父…
あの時の優しい父こそ 光は目標だったから…
光「くそー!!」
頭の中に廻るイライラと悲しみの葛藤で気が狂いそうになった光は 激しく自転車のペダルをこぎました。
光「くそー!!」
光の目じりから涙が風に流れて飛び散る…
光「ああーーー!!」
そして 我を忘れ そのまま激しく自転車を走らせた光は 気付けばもう家の側まで帰って来ていました。
光「…」
自転車をゆっくりと降り 家の前まで押して近付くと窓からは台所で明るく電気が点いているのが解りました。
光「あ…」
何時もより温かく見える その窓越しの明りには 時折プカプカと人の影が映りました。
何と和夫が夕食の準備をしていたのです…
光「…」
酒乱でも記憶のない父…
きっともう和夫は昨夜から今朝の出来事など覚えてはいない…
そう感じた 光は 一旦 自分の苛立ちと悲しみを落ち着かせ様と深呼吸しました。
光「ふう… はあー ふう…」
一呼吸… そしてまた一呼吸… 光は 不器用に心を落ち着かせました。
しかし 落ち着こうとすればするほど 気持ちとは裏腹に中々心は落ち着かないのです…
光「ん~…」
光は 気を揉みながら うろうろと玄関先を歩き始めました。
すると次の瞬間!
【ガチャ…】
(玄関扉を開けた)
光「あわわ…」
突然の事にうろたえる光。
和夫「おお… お帰り。 物音がしたから何だと思ったら お前か… 何やってんだ そんな所で。」
何と外の気配に気付いた和夫が玄関先に出て来たのです。
光「た 只今… いや あの… ちょっと自転車のタイヤに空気を入れようかと思って…」
光は動揺しながら苦し紛れに そう言って誤魔化しました。
和夫「ああ そうか… じゃあ 終わったら食事の支度手伝ってくれ。」
どうやら和夫は正気の様子です。
光「ああ… もう終わったから 直ぐ手伝うよ…」
和夫「帰って早々 済まんな。」
そして 平然を装いながら光は家の中に入りました。
その後 着替えを済ませた光は食事の支度を手伝い始めると 和夫が困惑した表情で話しかけたのです。
和夫「なあ光…」
光「ん… 何?」
和夫に話しかけられ依然と平静を装いながら顔をチラッと見る光。
和夫「お前… 何処か身体の調子 悪いのか?」
光「え? な 何で?? 別に健康だけど…」
和夫「そうか… さっき担任の刈谷先生から電話が来てな 今日は一日中 保健室で寝てたって言ってたもんでな…」
光「!!」
光の顔が凍りつきました…
そうなのです。
事情を知る術のない刈谷は今日の事を気に掛け光が帰った後 様子を伺おうと和夫に電話をしていたのでした…
すると和夫は光の顔色が変化した事に気付き尚も聞き返します。
和夫「何だ 顔色がおかしいな… 何かあったんなら話しなさい。」
光「あ… あわ…」
言葉を失った光…
自分の酒乱の事など知る由もない和夫に 果たして光は本当の事をどう伝えるのでしょうか。
つづく