第五十話 酒乱の記憶… ‐前編‐
和夫「お前か! 家の中に入ってくるのに そうやって毎日 全ての部屋の電気を点けて高い電気代を俺に払わせやがるのは!!」
なんと和夫は酷く酒に酔い意識と感情のコントロールが出来ていない状態でした。
光「な 何言ってんだよ! 真っ暗じゃ家の中に入って来れねえだろ… 酔っ払ってんのかよ。」
光は和夫の言葉に一瞬 翻りながらも 落ち着こうと冷静に話をしました。
和夫「なーにー… ふざけんじゃねえ!! 電気なんか点けなくたって 俺はこうして部屋にジッとして我慢して居るんだ!!」
【ガタンッ!】
(和夫が卓袱台を足で蹴った)
光「あっ!【親父が物に当たるなんて…】」
光は驚き心の中で そう思いました…
和夫は物を粗末にする事を何よりも嫌う節約家です。
そんな和夫が今 物を自分の感情で破壊しようとしたのです。
そして和夫は酒に酔った勢いのまま暴言が益々酷くなって行きました。
和夫「ヒ・カ・ル… 何だ… 貴様! その態度は! 親を馬鹿にしやがって…」
和夫は尚も光に言いがかりを付けると怒り現に騒ぎ続けました…
すると その時です…
光「あ… 頭が…」
何と光の頭に中に宮子の泣く姿が映し出されたのです。
そして また…
再び あの時の言葉が脳裏を掠めて行きました…
光『また だ…』
――――――――
回想…
――――――――
宮子「じゃあ! あんたはどうなの… あんたは全然 悪くないって言うの!!
ふざけんじゃねえよ… バカにしやがって…
いつかね… いつか あんたの本性を知ったら! 皆だって私の気持ちが解るんだよ!!
あーあーあー! どうせ あたしゃ今は悪者だよね!!
こんな 話し合いなんか… 最初から来なけりゃ良かったよ!! バカ野郎!!!」
―――――――――
光『また お袋の言葉だ… 何で… 何でだろう…
もしかして これが あの日 お袋が本当に言いたかった事だったのか…』
そうでした…
和夫が激しく怒鳴る時 度々 光の脳裏を掠めていった あの日の宮子の言葉…
宮子が怒りながらに訴えた【あんたの本性】と言う本当の意味とは…
当に この状況の事だったのです…
和夫は酒の規定量を超えてしまった時 己の精神的な弱さが酒に負け辺り構わず暴言を吐いて暴れてしまう性癖があったのです。
そう… 和夫は極度の酒乱でした…
そして宮子は その一番の被害者だったのです…
光「ああ…」
光は悲しみに震えました…
光『俺は… 今まで親父の事を何も知らなかったんだ…』
本性の事実を知った光は不安で おかしくなりそうでした…
そして光は ただ漠然と無言で その場に佇み荒れ狂った和夫の様子を見ている事しか出来ませんでした。
和夫「は~ん… 何だ! 何か言いたい事でもあんのか? えー… ヒ・カ・ル!! ハッキリ言ったらどうなんだよ!! この野郎!!! あー!!!」
今まで和夫は二人の息子を育る為 必死に生活をして来た…
しかし…
自分にとって一番の希望であった 長男の俊が居なくなり…
そして…
今度は光までもが自分の元から離れてしまう様に感じていた…
そんな和夫の精神状態と心中はもう既にボロボロだった…
光『親父…』
光は週末になると宮子の元に行き…
日曜日の夜に寂しくつまらなそうな顔をして帰ってくる…
そんな日々を幾度となく繰り返している間に…
何時しか和夫は また あの頃の孤独感を味わっていたのです…
和夫「何だ! その目つきは!! あー! テメエ!!」
そして被害妄想は光が家に居なかった この一週間で ついに限界を超えてしまった…
不安と孤独感で眠る事が出来ず 全く身心を休める事が出来なかった和夫は仕事の事も身に入らず 光が三郎の家に行った次の日から ずっと会社を欠勤していたのです…
また この状況は さらに悪循環を生むもので…
仕事に行かないと言う事は和夫に大量の酒を飲む時間を作ってしまったのです…
そして 朝から晩まで酒に溺れていた和夫の精神状態は ついに禁断の領域に達してしまったのでした。
光「だめだ! 兎に角 酔いを覚まさせないと!」
暫く放心状態だった 光は とっさに そう思い 和夫に急いで水を汲んで持って来ました。
光「親父! 飲みすぎなんだよ!! この水を飲んで少し落ち着いてくれよ!!」
光が そう言いながら 縋る思いで和夫の前に水の入った湯呑を差し出しました。
所が…
和夫「うるせー!! オレは! 酔ってなんかいねえ!!!」
【ガタンッ! ゴロ…ゴロ…】
(湯呑が手で弾かれ床に転がった)
光「あっ! 何やってんだよ!!」
湯呑が転がり零れ出した水は卓袱台の上に散乱しました。
そして光は その散乱した水と湯呑を片付けながら感情の余り和夫を怒鳴ってしまいました。
光「いい加減にしてくれよ!! 大体 何なんだよ! 自分が今日 帰って来いって言ったんだぞ!
こんな事なら帰ってくるんじゃ無かったよ!!!」
光の言葉に部屋の音が一瞬なくなりました…
すると…
和夫は朦朧とした口調で激しく言い返したのです。
和夫「何だと!! このクソガキが! だったら今すぐ出て行け!!
このヤロー… ふざけやがって…
お前なんぞに! 俺は介抱される覚えはねえんだよ!! くそったれが!!!」
光「くっ…!」
【ガチャーン!!】
(光が手に取った湯呑を流しに向けて投げた)
和夫の言葉に腹の立った光は自分の部屋に荷物を放り投げ感情を剥き出しにしながら部屋に入ってしまいました。
光「あー 解ったよ!!」
【バタンッ!!】
(光が自分の部屋の襖を勢いよく閉めた)
和夫「…」
それを見て和夫は勢いに圧倒されたのか 一瞬 無言になりました…
光「はあ…」
光もそのまま黙ってベットにうつ伏せに倒れ込みました…
すると次の瞬間!
和夫の居る部屋から物凄い音がしたのです!!
【ガッターン!! ガタッ! バキ!!】
(和夫が何かを蹴り倒した)
光「うわあっ!!」
あまりの大きな音に一瞬 肩を竦めて驚く光。
和夫「てめー!!! ぶっ殺すぞ!!! ヒカルー!!」
和夫は光の態度に怒り狂い 部屋中の家具を寝転がりながら蹴飛ばしていました。
光『ヤバい… このままじゃ家の中が壊れる… それに俺も怪我する!』
光は和夫の行動に身の危険を感じ 慌てて自分の部屋の襖が開かない様に 学校の教材だった竹刀を支え棒の代わりにして鴨居と襖の敷居の間に入れました。
【ガターン!! ガターン!!】
(和夫は尚も部屋中を蹴って暴れ続けた)
光『うわあッ… 椅子で押さえないと襖が外れそうだ…』
光は そう思いながら襖の前に椅子を置いて押えました。
和夫「ふざけやがって!! コノ野郎!! どいつもこいつも 俺を馬鹿にしやがって!!!」
和夫は益々激しく騒ぎ続けました…
光『とりあえず これで襖は開かないな… とにかく このままだと危ないから親父が落ち着くのを待つしかない…』
そして光は自分の布団に包まり 頭から潜り込むと 人差し指で両耳を閉じて ほとぼりが覚めるのをジッと待ち続けました。
光「う~ん…」
しかし どんなに自分の耳を塞いでも 和夫の激しい怒鳴り声は微かな衝撃音となり 途切れながら聞こえて来ました…
和夫「ざ…!! け…! の ヤロウ!!!」
そして… 耳を塞いだ事で自分自信の心音が鼓動となって激しく聞こえて来ました…
【ドッ… ドッ… ドッ… …】
(光の鼓動が塞いだ耳に広がり響く)
脳裏には何故か暗闇で鳴き続ける宮子の姿がずっと浮かぶのです…
光『あー!! 何だよもう!! 頭が割れそうだ!!!』
恐怖と悲しみ…
不安と苛立ち…
光の心は和夫の凄まじい怒鳴り声と自分の脳裏に悲しく映る宮子の姿に悉く折られていったのです…
光『神様…』
自分の心の中で嘆き続ける光…
それでも 和夫の暴走は治まる事なく続いたのでした…
光『あー…』
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そして それから酷く長い間
和夫の暴走は続いたのです…
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騒ぎ疲れた和夫が ようやくその場に倒れ込み眠った時、時刻は午後十時を回っていました…
和夫「くかー… くかー… ZZZ」
隣の部屋の沈黙を雰囲気的に感じた光は和夫が眠った事を何となく悟りました。
光「う~ん…」
嵐の過ぎ去った後の様な その沈黙は恐ろしさと不安で光の心を一層 沈ませる様でした…
光「はあ…」
光は両耳を強く抑えていた指をゆっくりと外してみました。
すると 光の両耳は感覚がなくなるほど痺れているのが解りました。
光「いてて…」
光は両耳を手の平で 小さく摩りながら 顰めた顔でポツリと呟きました。
光「はあ… お袋の言ってた通り本当に気が狂いそうだった…」
光は そう言って 頭を抱えると 何故か急に悲しくて涙が出て来たのです…
光「…」
光は ふと宮子の事を思い出していました。
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回想…
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宮子「本性を出したあいつと一緒にいたら どんな楽天家でも きっと気が狂うだろうね。はははは」
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光「お袋…」
宮子も きっと この和夫の性癖と闘いながら自分達を必死で育てて来たんではないかと感じたのです…
だから 宮子は和夫と別れた後も自分達の事を ずっとずっと心配していたのではないかと…
光は 今 初めて母親の芯の強さを感じ 今日まで親父の言葉だけを信じて続けて来た自分の考えを責めました。
そして 途方もない諦めが心を襲いました…
和夫の行動は確かに酒に酔った上での事だったかも知れません…
でもこれは ずっと信頼し尊敬してきた父親の威厳を失った瞬間でもあったのです…
光「くそっ…」
光は悔しさで顔を真っ赤にしながら 静かに襖の敷居に掛けた竹刀の支えを外し椅子を除けました。
そして居間と自分の部屋を仕切る襖をそっと開けたのです。
【スー…】
(光が襖をあけた)
光「…」
真っ暗な居間には蹲る様に横たわった和夫の姿が ぼんやり見えました…
山盛りになった煙草の吸い殻…
ゴロリと横たわる一升瓶…
酒の匂いが漂い充満する部屋の空気…
自分が一番尊敬してきた者の姿は…
自分が今までに見た事もない最も情けない姿をした敗北者に見えました…
和夫「くかー… くかー…」
そんな酔い潰れた和夫は自分の直ぐ側に佇む光の存在になど全く気付くも事なく 依然と臭い酒の息を部屋中に吐き出しながら熟睡をしているのです。
光「こんなの俺の親父じゃない…」
光はそんな和夫の姿を見て 下唇をギュッと噛みしめました。
そして悔しい表情のまま開けた襖を 再び ゆっくり閉めると静かに自分の部屋に戻りました。
【カタン…】
(光が自分の部屋の椅子に座った)
光「…」
光の目は まだ目に涙を浮かばせていました。
そして ゆっくりと大きなスポーツバックの中に自分の荷物を入れ始め溜息を一つ吐いたのです…
光「はぁ… 俺この先どうなるのかな…」
そう言って 何気なく見上げた夜空の向こうには 今の気持ちとは裏腹に綺麗に輝く月が雲に霞んで見えました。
光「月か…」
【リーン… リーン…】
(微かに聞こえる寂しげな鈴虫の声)
光は その月の美しさに自分の切ない心を奪われていました…
光「何でだろう… 今日は何時もよりずっと綺麗だ… 」
そして 小さな声で独り言を呟き始めたのです…
光「お月様… 俺は これからどうなるんですか…」
すると…
月は光の言葉に困惑したかの様に 雲に すっかり隠れてしまったのです。
【リーン… リーン…】
そして鈴虫の声が何故か光の寂しさを一層 増した…
光「あーあ…」
雲に隠れた月を見て軽く苦い顔をした光は もう一度冷静になって考えて見ました。
光「【出て行け!】か… でも今日は家を出た方が良さそうだ…」
光は悩みましたが この状況を一度 俊に相談しようと思いました。
【スー…】
(再び光が襖をあけた)
光『…』
光は和夫に気付かれない様 荷物を入れたスポーツバックを片手に静かに玄関先に向かいました。
【ガチャ…】
(光が玄関扉を開けた)
そして ゆっくりと扉を閉めると足取りも ままならないまま 一番近くの公衆電話に向かいました。
光「はあ… もうこんな時間… 兄貴 まだ寝て無ければ良いんだけど…」
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そして公衆電話に着いた
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【リリリリ… リリリリ…】
(三郎家の電話の呼び出し音が鳴った)
光「う~ん… 頼む出てくれ…」
光は目を閉じて祈るように受話器を両手で持ち耳に押えました。
【ガチャ…】
(電話が繋がった)
俊「もしもしー…」
なんと 運が良い事に電話口には俊が出たのです。
【プー…】
(公衆電話の通話音が鳴った)
光「あ! もしもし兄貴!」
電話口に俊が出た事に少し安心した光は声が大きくなりました。
俊「おお光… ん? どうした 今【プー】って鳴ったけど公衆電話か?」
俊は光からの電話の通話音を聞いて公衆電話からの掛けて来たのだと直ぐに気が付きました。
光「あっ… うん… 実はさ 帰ったら親父が凄い酔って暴れてて…」
俊「えっ!?」
光の言葉に戸惑う俊…
光「俺が帰ってからずっと騒いで暴れてたんだけど… ついさっき 疲れて眠ってしまったんだ…
また起きるとヤバそうだったから 今外から電話してるんだよ…」
俊「えーっ… 親父が酔って暴れてるって… 何だか少し大袈裟な感じだな…」
俊は光の説明を少し疑いました。
光「本当なんだよ… 俺も あんなに酔ってる姿は初めて見た… それに怖かった…」
俊「怖かった? そりゃマジでヤバそうだな… でも原因は何…」
光の深刻そうな声で どうやら大袈裟ではなさそうだと感じた俊は こうなった原因について聞いたのです。
光「それが俺にも解らないんだ…
あんまり怒鳴ってくるから 途中で俺もムカついちゃって… つい言い返しちゃったんだ…
そしたら 【出て行け!】って言われて… さらに激しくなって【ぶっ殺すぞ!】って怒鳴られて…
また凄い暴れ出して…」
俊「マジかよ… そんなに暴れてて お前は怪我とか大丈夫だったのか?」
光「うん… 酷く暴れてはいたけど 暴力は振われなかったよ…
それに 怖いから俺 部屋に逃げて戸を閉めてたから…」
俊「そりゃ気の毒だったな…
親父も酔っ払い過ぎてて感情のコントロールが出来なかったんだろうな… でも何か思いつめてたんだろうな。 」
光「多分… 俺が頻繁に三ちゃんの家に行って母さんや兄貴と会ってる事や今までの行動が気に入らないんだと思う… その位の事しか心当たりがないし…」
俊「でも それは親父も了解の上だっただろうし… それに一週間後に帰るって約束だってお前は こうして守ってるのに 何で そうなるんだろ…」
光「寂しかったんだよ… 今まで強がりだったんだよ きっと…」
俊「はあ… プライド高いからね親父は… まあ んな事言ってもな… これからどうするんだ?」
光「俺 今から戻っても良いかな…」
俊「う~ん… 明日も早えしな… もう こんな時間じゃ そっちまで迎えに行くのは大変だよ…」
光「俺 近くの駅まで電車で行くよ! 終電まだ間に合うから!」
俊「ふう… じゃあ駅までは迎えに行ってやるしかなさそうだな…」
光「ごめん…」
俊「仕方ねえ…」
光「そっちに着いたら お袋と三ちゃんには ちゃんと俺から説明するからさ…」
俊「ああ… 三ちゃんはもう寝てるよ。それに お袋は今 風呂入ってる。
これから来ても遅くなるから お袋にも今日は そんなに詳しく話さない方が良いぞ…」
光「そうだよね 解った…」
俊「まあ 兎に角… 駅まで行ってやるから 終電乗り遅れない様に さっさと来いよ。」
光「あっ うん…」
俊「じゃあ駅に着いたら また電話くれ。 お袋が風呂出たら簡単には話しておくから。」
光「ありがとう… じゃあ また後でね。」
こうして 光は一旦 三郎の家に戻る事になりました。
和夫の本性を目の当たりにしてしまった光…
そしてこの出来事に半信半疑な俊…
果たして この話を聞いた宮子の心中はどう揺れ動いてしまうのでしょうか…
そして酔いが覚めた和夫は 今日起こった事を覚えているのでしょうか…
つづく