第四十六話 仏のカツ丼
宮子との電話を終えた光は早速 俊の事を和夫に話しました。
光「という訳で兄貴は今日 一旦 ケジメを付ける為に帰って来るみたいなんだ。」
卓袱台の前で腕を組みながら黙っていた和夫は光の話を聞くと少しほっとした表情になりました。
和夫「ほう そうか… しかし 流石は三郎君だな あの一族の中では唯一 常識ある男だ。」
和夫が そう言うと光は何やら慌てた様子で笑みを浮かべ立ち上がりました。
光「よし! じゃあ今日の夕食は三人分って事で 俺 早速 買い物に行って来るよ。」
久しぶりに三人で夕食を囲めると思った光は その内容はともかく 心がとても躍っていたのです。
和夫「あっ まてまて! 買い物は俺も一緒に行くから。」
光「え何で? 兄貴その間に 帰って来ちゃうかもよ。
それに もし兄貴が帰った時に親父いなかったら 次また何時戻るか解らないよ。」
和夫「いや大丈夫だ この件がハッキリしなければ俊に 行く場所は無いさ。
先に帰ったなら きっと俺を部屋で待っているだろう。」
光「まあ そうだけど…」
和夫「まあ何だ… 俺が こんな事を言うの変だが…
せっかくだから 今日は俊の好きな物を作ってやろうと思ってな。
もしかして 今日が俊との最後の食事になるような気がしてならんのさ…」
そう言うと和夫は寂しそうな表情になり苦笑いをして光の方を見ました。
光「親父…」
光は和夫の心中を悟ったのか返す言葉も浮かびませんでした。
一瞬 静まり返った部屋は、どこか寂しさを深める様でした。
そして光は ただ黙って唇を噛締めていました。
すると そんな光を見て突然 和夫が軽やかな声で話し出したのです。
和夫「あ そうだ光! お前 俊の一番の好物を知らないか。」
和夫の問いかけに ハッとした光は怯みながら答えます。
光「へ? んん ああ… んーっと… 多分 カツ丼かな。」
和夫「ほお 何だ奴はカツ丼が好物きだったのか。」
和夫は目を白黒させながら 感心する様にそう尋ねました。
光「兄貴は昔から卵と肉が好きなんだよ。
カツ丼なら その両方を兼ね揃えてるから 絶対に喜ぶと思うんだ。」
光は人差し指で頭のてっぺんをカリカリ掻きながら ほのぼのと そう答えました。
和夫「そうか… しかし お前は ちゃんと俊の事を解っているな。
せめて 俺も 親として そうあるべきなのに 何故か奴の嫌いな物しか浮かばんのだよ… はははは」
和夫は そう言って軽く笑うと どこか嬉しそうな表情で手を頭にあてて首をかしげました。
光「え… いや 想像でたまたまそう思ったけだよ 今脳裏にパッとカツ丼が浮かんだんだ。
本当にカツ丼が好きかは知らないよ。」
光は和夫の褒め言葉に 照れながら謙遜すると いそいそと玄関先に行き靴を履きました。
和夫「想像ね… ん~ でも いい所を付いていると思うぞ。
まあ兎に角 さっと準備して 奴の帰りをのんびり待つ事にしようか。」
光「そうだね。」
そう言うと和夫も 玄関先に行き 二人は共に買い物に出掛けて行きました。
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一方その頃 俊は…
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三郎の家を出てから自宅に向っていた俊は和夫との話合を考えると どうしても落着き取り戻せず 家の近くのゲームセンターで友人の小林を誘ってと気晴らしをしていました。
俊「じゃあな小林… 俺もう用事が あるから今日は先に帰るよ。」
小林「おう! またな。」
二時間程 その場所にいた俊は小林と別れ 一足先にゲームセンターを出ました。
俊「あ~ また憂鬱な気分になって来た…」
俊は また再び つまらなそうな表情になると そのまま近くの駐輪場に停めて置いた原付バイクの前までトボトボと歩き 溜め息を一つ吐いてキーを回しました。
【キュッルル、ビーン ビーン ビーン】
(エンジンを始動させた)
しかし ちょうどその時 男の人に後ろから大声で呼びかけられました。
男「オーイ そこのキミー!! ちょっと待ってー!!」
俊は その男の声に気が付くと 不思議そうに後ろを振り向きました。
俊「ん 誰だ? あっー!!」
なんと 遠くから走ってくる その男はパトロール中の警察官だったのです。
警官「キミ 直ぐバイクのエンジンを止めて! 免許証を見せなさい!」
警官は真面目な表情で そう言うと 俊の前に立ち免許証の提示を求めてきました。
俊「はぁ~… 【コリャ めんどくせえのに 引っかかったな~】』
俊はエンジンを止め免許証をその警官に差し出しながら心の中で そう呟いて 不貞腐れた表情になりました。
すると警官は俊の態度を見て呆れながら言いました。
警官「何だ 何だ その顔は… 今 未成年者の犯罪が増えているんだぞ! パトロール中なんだから少しは協力してくれよ。」
俊「は~ぃ…」
その後 警官は事務的に俊の身元やバイクの登録書類などを調査したあと 無線でどこかと連絡を取り始めました。
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そして数分後…
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警官「はい じゃあ このバイクは君の物で間違いないんだね。」
俊「だから さっきから 何度も俺のだって言ってるだろう! 俺 急いでんだよ早く免許証 返してくれよ!」
警官『念の為 今 署で盗難届けが出ている車両か確認しているので もう少し待ちなさい。」
俊「ったく… ンな事する訳ネエだろ!!」
警官「コラ 口の聞き方に少し気を付けなさい!現に この車両名義は君の名前と一致していないから調べているんだぞ。
ハッキリしたら直ぐに免許証は返すから 潔白なら堂々として居れば良いだろう。」
俊「だから そうじゃなくて… 俺は急いでんだよ…。」
警官「そんなに急いで何処へ行くの? 免許証の住所を見ると家は この近くじゃないか。
あれ? それに君… 高校生だよね 学校は何処?」
俊『ゲっ!? やべぇ…』
俊の通う高校はバイクの免許を取る事も乗る事も禁止されていたので 警察官の この質問に動揺してしまいました。
警官「ん なんだ? それとも高校生じゃないのか? ちょっとこの中の荷物を見せて見なさい 」
俊の様子が変わった事を不審に感じた警察官は俊の持ち物を調べようとしました。
俊「な 何すんだよ! 警察官に そんな権利は ねえだろ!!」
俊が抵抗しようとした時 丁度 運よく警察官の無線が入りました。
【ガーッ… ピピピピ…】
(警官の無線が鳴った)
警官「おっと… 署からだ。」
無線で話す警察官を横目に見ながら俊は溜め息を吐いて顔を歪めました。
俊『は~あ~ ツイテねえなあ… こんな事ならバイクの名義 さっさと変えておけばよかったよ。』
警官「ハイ 了解しました!」
【ガー…ピピピ…】
(警官が無線を切った)
警官「う~ん… どうやら盗難車両の届けは出ていない様だ…」
警察官は俊にそう伝えるとバイクの書類を確認しながら免許証の記載事項をメモしはじめました。
俊「ふう… だから最初から叔父さんから譲ってもらったって言ったでしょ…」
警官「疑って申し訳なかったね でもこれは おまわりさんの公務だから気を悪くしないでくれよ。
では免許証はお返しします。 でもまた こう言う調べを受けたくなかったら自分の名義に変更する事を お願いしますよ。
では交通ルールを守って安全運転で走行して下さい ご協力 ありがとうございました。」
そう言いながら警察官は俊に免許証を返しました。
俊「はい どうも…」
免許証を指の間で挟むように受取った俊は その後 苦い面持ちでクルクルと二度程 免許証を回転させると 再び溜め息を吐きながらポケットにしまい、バイクのエンジンかけました。
【キュッルル ビーン ビーン ビーン】
(エンジンを始動させた)
そして俊が行こうとすると 警察官が再び俊に話し出したのです。
警官「あっ それから このバイクの現所有者に後日 確認の電話をさせてもらう事もあるから ご親戚の方には君の方から行き違いの無いよう説明して置く様にね 」
警察官の言葉に驚く俊。
俊「え!? 何 電話もすんの!?」
俊は表情が再び曇りました。
警察官「ん? 何だ 都合でも悪いのか!?」
警察官は俊の様子が変わった事に再び不審を募らせました。
俊「い いや… 別に悪かねぇけど…」
警察官の質問に言葉を濁しながら俯く俊…
すると その様子を見た警察官は何かを思い出し様に言いました。
警察官「あっ そうだ! キミ さっきの件!」
俊「【ヤベっ!!】 おまわりさん ごめんね! 俺急いでッからさ!! じゃーねー!!」
警察官の言葉に勘の良い俊も さっきの事をとっさに思い出したのか 大声で そう言いながら一目散にその場を去りました。
警察官「おいコラー! 待ちなさーい!」
何とか その場をやり過ごした俊は【ホッ】とした表情で家路を急ぎました。
俊「全く 飛んだ無駄足くっちゃったよ。
それにしても 持ち物検査なんて… もしアレが見付ったらマジやばかったよ。 そんな事より 今何時だろ?」
俊は信号待ちで腕時計を見ました。
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時刻は午後六時五十分…
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俊「う~ん… もうこんな時間かよ… さっさと話を終わらせて 三ちゃん家に戻ろうと思ったのに。
こんな事なら、最初から真っ直ぐ家に帰れば良かったよ。」
それから 俊は急いで自宅へと向いました。
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そして とうとう
時刻は午後七時を過ぎた…
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夕食の準備を終えた和夫と光は 今だかつて無いボリューム満点のカツ丼を卓袱台の上に並べ 俊の帰りを今か今かと待っていました。
光「兄貴… 遅いね… お昼頃に 三ちゃん家を出た筈なのに…」
ご馳走を目の前にして卓袱台に上半身を凭れかける光…
そんな光の姿を見ながら冷静に煙草を吸う和夫…
和夫「ふむ… もうすっかり冷めてしまったが まあ そろそろ来る頃だろう。」
その後 無言のままの二人の耳に時計の針が進む音だけが部屋に響きます。
【コチ… コチ… コチ…】
(時計の秒針が鳴る)
光「はぁ… ダメだぁ~ 何だか お腹減っちゃったよ…」
光が細く力の無い声で呟きます。
和夫「うん… 何なら お前 先に食べたらどうだ?」
和夫は仕方の無いと言った表情で 苦笑いしながら光に そう言いました。
光「う~ん… じゃあ… お言葉に甘えて そうしようかな。」
光は暫く考えてから時計を見ました。
和夫「気にするな… 第一 今日の飯は お前が作ったんだから。」
光「はは そう… じゃあ 遠慮せず いただきま~す!」
光は そう言うと とても嬉しそうに箸を取り 食べ始めました。
すると…
当に その時 俊が帰って来たのです。
【ガチャ…】
(玄関扉が開いた)
和夫『!』
俊の帰宅に気付いた和夫は吸っていた煙草を灰皿に揉消し 凛とした姿勢で待ち構えました。
光「ごほっ! ごぉほっ…!」
光は そのタイミングに驚き 一口目をほおばったまま咽返してしましました。
俊『…』
玄関から居間に入ってきた俊は二人の様子に興味を持つ事も無く 無愛想に食卓へドスンと座ると黙って 目の前に用意されたカツ丼を食べ始めました。
光「あ… 兄貴…?」
俊「…」
光が気を使って話しかけても俊はただ黙々と食べています。
和夫『…』
和夫は その様子をジッと見つめながら 腕を組み 正面に黙って座っています。
すると…
沈黙に苦しくなった光が思いきり良く話し出しました。
光「お お帰り! 今日は自家製のカツ丼作ったんだよ。
へへへ… 待ちきれなくて 今先に食べちゃったんだけど… ごめん。」
光の言葉に無関心な俊は依然と表情も変えず食べています。
俊「おお…」
暫くして それだけ言うと つまらなそうに再び無言になりました。
和夫『…』
俊『…』
静まり返る食卓に ひたすら箸の動く音だけが聞こえます。
光「ねえ どう!? 美味い? 俺が作ったんだけど 初めて作ったからさ…」
光は良い雰囲気を取繕うと一生懸命 俊に話しかけました。
俊「ん? ああ… 別に喰えなくはネエな。」
光は 尚も そんな冷たい態度の俊を心配そうに気遣います。
光「もしかして… 兄貴 カツ丼 嫌いだった…?」
俊「あ? 別にぃ…
つか! お前 食ってる時に一々ウルセーんだよ!!」
俊はイライラが募り光を大声で怒鳴りました。
光「あ… ゴメ…」
すると光はガッカリした表情で黙り込んでしまいました。
そして そんな俊の態度を黙って見ていた和夫も冷静に話をしようと構えていましたが ついには怒り出してしまったのです。
和夫「おい お前!! 何だ その態度は!!!」
光「あわわ!!」
和夫の怒鳴り声に驚く光。
俊「あーん?」
しかし俊は その大声に怯む事無く反抗的な視線で下から和夫を見上げました。
和夫「何だ お前は! ここに飯を食いに帰って来てるのか! だいたい こんな時間まで遊び歩いて!!」
俊は尚も怒鳴り続ける和夫を呆れた表情で あざ笑うと小声で言い返しました。
俊「はぁ… また はじまった…」
すると俊の小声にかぶるように光が仲裁をしようと話し出したのです。
光「まあ まあ まあ! 兎に角 ご飯を食べようよ!! 食べてからゆっくり話そうよ!! ねっ!!!」
和夫「いいんだよ 光!!! コイツにゃ今 言わなきゃならん!!!
なあ 俊! お前が どんなに俺の事を気に入らないか知らんが それは それで構わんよ!!
しかしな… これだけは 覚えておけ! 光が今日どんな思いで お前の帰りを待ってたのか!!
今も どれだけ お前を気遣ってるのか! 兄貴の お前には そんな心も解らんのか!!!
お前は今日 ケジメを付けに帰って来たんだろう! なのに何なんだそのガキみたいな態度は!!
どこまで 腐っちまったんだよ お前は!」
すると 次の瞬間…
俊は箸の動きを止め 丼を ゆっくりと卓袱台に置くと 右手を箸を持ったまま真っ直ぐ上にと振り上げました。
【ガチャーンッ!】
(俊が卓袱台を叩いた)
箸を持った手は勢い良く振り下ろされ卓袱台に置いて あった飲み物が一瞬 グラグラっと 倒れそうになると 俊はこの上ない大きな怒鳴り声を発したのです。
俊「ガタガタとウルセーんだよ!! だったら こっちは飯なんか最初から いらねーんだよ!!!
おい ヒカルー! 何だ テメエは俺の機嫌でも取ってこの家を出る事を引止める つもりだったのか!!!?
下らねえ事やってんじゃねーよ! ふざけやがって!!! こんな飯なんかなあ!! こうして仏さんにでも供えて勝手に祈ってろ!!!」
俊は光に そう言うと もう一度 箸を持ったまま右手を大きく振り上げ そのまま丼めがけて箸ごと手を下に振り下ろしたのです。
【ガチャ―ン! グサッ バキッ!!】
(何と箸は丼の中央に差さって割れた)
光「あーっ!!」
光は突然の事に驚き 放心状態になってしまいました。
そして その状況を見ていた和夫が再び俊を怒鳴りました。
和夫「キサマー! 何て事するんだ!!」
和夫の言葉に更に怒りが込上げた俊は 鬼をも思わせる形相で立ち上がると目に涙を浮かべて怒鳴り返したのです。
俊「人の気も知れねえのはテメエらなんだ!! 俺は ずっと皆の事を考えて来たんだ!!
もう俺は!! 俺の人生を自分の為に生きるんだよ!!」
そう言うと 俊はそのままバイクのカギを持って玄関先に走って行きました。
和夫「おい俊! ちょっと待てー!! 話はしないのか!!」」
大声で引き止める和夫の言葉が俊の背中を貫きます。
俊『くそッ…』
【ガチャ バタン!!】
(玄関扉が勢い良く閉まる音)
和夫「おいっ…」
しかし 俊は そのままの勢いで外に飛び出して行きました…
やるせない表情で俯く和夫…
光「…」
再び静まり返った食卓…
暫くして 光は俊の 食べ残したカツ丼から ゆっくりと折れた箸を引き抜くと 黙って その箸を卓袱台の上に置きました。
和夫「光… 済まなかったな… 折角 作ったのにな…」
光の行動を見て 和夫が そう言うと光は一つ溜め息を吐いて 俊の残したカツ丼を自分の前に置いて食べ始めました。
そして 数口ほど食べると小さな声でポツリと言ったのです
光「残り物は仏様も食べないからね…」
その光の意外な一言に和夫の表情は少し晴れやかになりました。
和夫「光…」
そしてその後は お互い俊の事には一切触れませんでした…
考えている事や 気持ちは同じだったからです…
網戸越しの窓からは 夏の涼しい風が穏やかに吹き込み…
鈴虫の音が静かに響いていました…
そして俊は この日を最後に もう二度と 二人の前には帰って来る事はありませんでした。
つづく