第四十三話 落ちぶれる者の心
―――――――――
今朝の光が帰って来る
少し前の事…
―――――――――
午前十一時を過ぎた頃です、ようやく俊がトイレに起きて来ました。
俊「ふぁ~眠ぃ… 小便 小便っと…」
俊は自分の部屋から出てくると 和夫が寝ている居間の前を通り過ぎました。
和夫「う~ん… Zzz」
和夫は 半睡状態で腕を組んだまま横になっていました。
俊「ん…?」
俊は その状況を横目に見ながら何気なく卓袱台の上に目を向けました。
すると…
そこに 自分の使っている灰皿が置いてある事に気付いたのです。
俊「何だ! 俺が眠ってる間に勝手に持って行きやがって!
おい親父! 言いたい事があるなら言えば良いだろう!!」
その灰皿を見るなり顔色が急変した俊は突然 寝ている和夫に向って 急に激しい口調で怒鳴り付けたのです。
和夫「ん…!?」
この大声で 半睡状態だった和夫は目が覚め 朦朧としながら ゆっくり起き上がりました。
しかし和夫は 俊が とても興奮していた為に怒る事も無く眠たそうな声で ただ普通に返答しただけでした。
和夫「おお… 起きたか… どうしたんだ血相変えて… ふぁ~」
寝ぼけ眼で頭を掻きながら大欠伸をする和夫。
俊「何だよ これ!」
俊は疲れきった和夫の事を労う様子も無く依然と激しく興奮しています。
しかし和夫は それでも尚 穏やかな口調で返答し続けたのです。
和夫「ああこれか… さっきゴミ集積場から拾って来たんだ…
今日は日曜日でゴミの回収日じゃないんだぞ… こんな物を朝から目立つ所に捨てるな…
近所の人が見てるかも知れんだろ… 見っとも無い…」
和夫が呆れ口調でそう答えると 俊の顔付きが益々急変し更に激しく興奮したのです。
俊「何がゴミ集積場だ! 作り話もいい加減にしろ!! 勝手に人の部屋入ってかき回したくせ しやがって!!」
和夫はお互いが目を覚ましたら 灰皿を何故 外に捨てたのかを当り障りなく聞くつもりだけでしたが こんな容で闇雲に起こされ 更には激しく興奮している俊の様子に ただ翻弄されるばかりでした。
しかし お互いが興奮しては話にならないと感じたのでしょう… 少しづつ宥めながらも経緯を伺おうとして説明し始めたのです。
和夫「作り話だと? まあ… 何を勘違いしてるのか知らんが俺が部屋に入ったのは お前が帰って来ているのか確認しただけだ。
この灰皿は その時ベット下から足元に飛び出していたんで 蹴飛ばしてしまわない様に上げて置いた。
それに 第一 あんなに酷く散らかっている部屋で 俺が何を かき回すって言うんだよ…」
俊「じゃあ何で 上に上げた灰皿が ここに置いてあるんだよ! 言ってる事が おかしいだろうが!!」
お互いの話に 辻褄が合わないせいか 次第に俊は和夫の説明に一層の怒りが膨張し始めたのです。
和夫「ったく 解らんやつだな… だから さっきゴミ集積場から拾って来たと言っただろうが!!
お前こそ自分で これを捨てて置いて忘れてしまったのか? 全く寝ぼけるのもいい加減にしろ!」
俊「ふん! 俺は そんなデタラメ信じねえからな! 寝ぼけてるのは親父の方だろ!!
引っかき回した事を認めたく無いもんだからってよ! つまんねえ言い訳なんかすんな!!」
こうして 口論が続き辻褄の合わない話はお互いの誤解を益々深みに沈めて行きました。
そして 和夫は終に乱暴な俊の言葉使いに我慢が出来ず 怒鳴りつけてしまったのです。
和夫「もう いい加減にしろ!!
だいたい 何だ お前のその態度は!! それが親に向って話す口の聞き方か!!」
すると 俊は和夫の言葉に まるで鬼の形相で睨み付けたのです。
俊「…!」
しかし 和夫も興奮していたせいか 俊のその目つきに腹立たしさを感じたのでしょう。
抑え切れない感情は暴言となって飛び出しました。
和夫「何だよ その目は! 女の腐ったの みたいに陰でコソコソと くだらん真似ばかりしおって!!」
しかし 和夫の暴言に俊は一瞬の怯みも見せる事無く 怒り現に言い返したのです。
俊「何が親だよ! 何時も小言ばかり言って 俺たちの事なんか何も考えてねぇ癖によ!!
都合の良い時だけ親父面すんじゃネエよ!!
それに 俺はコソコソなんかしてねえぞ! 誰にも迷惑も掛けてねえ!!」
そして 俊の言葉が和夫の心を揺すりました…
和夫「何だとっ…!」
和夫は この言葉に意表を突かれたのか 反論の言葉も見付からず 黙ってしまったのです。
すると俊は更に和夫を追い込む捨て台詞を吐き 部屋に戻りました。
俊「ふざけんな!!」
【バタンッ!!】
(俊が自分の部屋の襖を閉めた)
その後 俊は慌しく着替えると 居間に無言で座る和夫の前を怒り現な態度で足早に横切り そのまま勢い良く家を出て行ってしまいました。
【ガタン!】
(玄関扉が激しく閉まった)
しかし 和夫は その様子を ただじっと見ている事しか出来ませんでした。
和夫「俊…」
和夫は俊が出て行った後 溜め息とやるせない気持ちで 暫く落込んでいました。
和夫「はあ…」
【俺たちの事なんか何も解ってねぇ癖に…】
【都合の良い時だけ親父面すんじゃネエよ…】
俊の言葉が胸の奥に何時までも響きました…
そして 溜め息を一つ吐いた和夫は卓袱台の上に置かれた俊の灰皿を じっと見つめながら自分の胸元に入れてあった煙草を一本取出し静かに火を点けたのです。
【シュッ…】
(口に咥えた煙草にライターの火が灯った)
和夫『スー… フー…』
和夫の口から吸い込んだ煙は 半開きの口元から真っ直ぐ吐き出ると一本の煙線が 電気傘の真下でモヤモヤと広がりました。
そして その煙は玄関先に吸い寄せられる様に流れて行きました。
【ガチャ!】
(玄関扉が開いた)
光「ただいまー! オヤジー!? 起きてるのー!?」
そうです その時に 光が帰って来たのです…
――――――
場面は元に戻ります
――――――
光は和夫から自分が留守中に起こった俊との口論を聞くと もう少し早く帰宅すればと良かったと後悔しました。
光「そうだったんだ… それで怒って行っちゃたのか…
何だか ゴメン… 俺 結局は また余計な事したね。」
経緯の解った光は自分のした事が申し訳なく感じました。
和夫「いや別に いいさ… 煙草を隠れて吸ってたのは事実だしな。」
そう言うと 和夫は卓袱台の上に置かれた灰皿を人差し指で軽く弾きました。
光は その何気ない和夫のしぐさを見て 少しばかり気の毒に感じたのか 俊の言葉を否定しました。
光「【誰にも迷惑を掛けていない】か… 兄貴本気で そう思ってるのかな…」
和夫「ははは… そんなのは ただの綺麗事だよ。
今は奴に何を正しても きっと無駄な講釈になるだろう…
奴は自分が悪いとは思って無い…
完全にグレてしまったな… 情け無い…
まあ この先 未成年者が外で堂々と煙草を吸って 校則も守らずバイクを乗り回していたら 学校に知れるのは時間の問題だ…
その時が来れば 無論 学校は退学させられるだろう…
だから 俺も些か覚悟はしているよ。」
和夫は光の言葉に苦笑いをすると 肝を据えた己の覚悟をポツリと溢したのです…
しかし きっと これは和夫の本音だったのでしょう。
光も その言葉を黙って受け入れると 自分の気持ちを小さく話してみました…
光「退学か… 一体 何の為に あんなに苦労して受験してたんだろうね…」
和夫「全くだな…」
それから お互いは 言葉が見付からず暫く沈黙してしまいました…
―――――――――
一方その頃 俊は…
―――――――――
俊「…って言う訳なんだよ。 マジでムカつくだろ!!」
和夫との口喧嘩の後 家を飛び出した俊は バイクに乗って三郎の家に来ていました。
三郎は仕事の為 家には宮子しか居らず 俊は今朝の経緯を宮子に愚痴を零していたのです。
宮子「そうか… でも それは仕方ないよ だって あんたが煙草なんか吸ってから…」
俊から愚痴を聞かされた宮子も 息子が煙草を吸っていた事実に呆れ 親として普通の意見を言いました。
俊「何だよ お袋だって若い頃から吸ってたんだろ。 俺 知ってんだぞ…」
どうやら俊は宮子の若い頃の事を佐藤家の親戚から聞いていた様で 宮子の言葉にしょぼくれた態度で そう答えたのです。
宮子「あん!? まっ 全く… そんな事 誰から聞いたんだよ…
まっ… そりゃ あたしもね… 若い時は色々とあったよ…
けどさ… そうじゃなくて ただ あたしはね 普通に あんたの親として心配してるだけだよ…」
宮子が そう言うと俊は 急に体裁が悪くなり 俯いて誤りました。
俊「あっ… うん… つか悪りぃ… つい余計な事 言っちゃって…」
俊には 宮子の気持ちは 十分解っていました。
宮子も所詮グレた者…
落ちぶれた者の心は 共感する者にしか解らない…
宮子は そんな素直になれない俊の心を不良の先輩として ちゃんと見透かしていたのかも知れません。
宮子「いいよ… まあ… 吸うなとか 未成年とか あんまりクドクドと解りきってる事を並べたか無いんだけどさ…
警察の厄介になって せっかくの高校が退学に… な~あんて事だけは あまりにも馬鹿臭い話だろうに… 」
宮子の最もな言葉が俊の心に伝わりました…
でも俊は そんな事 解っていました。 そして和夫も宮子と同じ事を心配している事だって 本当は解っていました…
素直になれない自分が そこに いる…
そして その素直じゃない自分を 少し離れた後ろの方から 自分自身が見ている…
そんな気がしました…
俊「解ってるよ…」
俊が考え込みながら照れ臭そうに そう答えると 宮子は その心中を察したのか 突然 陽気に振舞いだしました。
宮子「ははは 解ってんなら良し! じゃあ もうこの話はヤメ~。
さ~てと! もうお昼過ぎだ 何か食べようよ。」
宮子は空気を重くしない様に 軽く そう言って振舞ったのでした。
そして昼食の支度をしようと台所に行き 冷蔵庫を開けて 台所から俊に声を掛けました。
宮子「ねえシュ~ン あんた 何が食いたーい? また肉か~?」
俊「えっ… ああ 別に何でも良いよ…」
その後 宮子は何やら独り言をブツブツと言っては 食材を手に取り一つ一つ確認していました。
俊は そんな宮子の後姿を暫く眺めながら 何かを思い詰めていました。
そして 突然 大声で一つの提案を促したのです。
俊「あのさ お袋!!」
急な俊の大声に宮子は驚き 手に持っていた肉のパックを落としそうになりました。
宮子「わあっ! 何よ急に!?」
驚く宮子に尚も自然に話す俊。
俊「俺 暫く ここに居させてくれないかな!」
宮子「えーっ!?」
俊「なあ… 良いだろ。」
宮子「んー… だっつたって あんた学校は どうすんのよ…」
困った宮子は真っ先に学校の事を気に掛けました。
すると…
俊「ちゃんと ここから通うよ! ねえ… だから良いよね。」
俊は 全く問題ないと言った表情で 清清しく そう答えたのです。
宮子「うん… まあ そりゃ あたしは 別に構わないけど…
一応 未だ あんたは未成年者だし 今は親父が保護者だから 連絡もせずに ここに居る事を知ったら 色々と厄介な事になるよ…」
この まさかの展開に ふと和夫の被害妄想の性癖を思い出した宮子は 嬉しい様な 困った様な とても複雑な心境でした。
俊「別に そんな事 黙ってりゃバレないじゃん。 親父はどうせ俺の事なんか探さねえよ…」
大人の事情など お構いなし といった俊は 依然と簡単に物事を考えていたのです。
宮子「はあ… あんたさ… こう言う事はバレなきゃ良いって問題じゃないんだよね…
それに あの親父は そんな優男じゃないんだから…
いざとなれば 警察に捜索願いだって出し兼ねないよ… 困ったなあ…」
俊「チェッ… はぁあ~ 一々 面倒 臭せえなあ~ 家の親父は…」
俊は宮子の言葉に 半分不貞腐れると その場にゴロンと仰向けで寝転がりました。
宮子「う~ん… よし解った! じゃあ 今日は 親父との事が気がかりだろうから 取合えず一日だけ泊まって行きな。
それ以上の話は夕方に三ちゃんが仕事から帰って来たら ちゃんと自分から話すんだよ。」
実は宮子も 俊に和夫との気不味さを抱えさせたまま帰宅させる事を気の毒に感じており
【せめて 今日一日は俊に逃げ場所を作ってあげたい…】そう考えていたのです。
俊「マジ!? やったー! サンキューお袋!!
じゃあ俺 早速 友達の家に遊びに行って来るからさ~ 夕方また来るね。」
そんな宮子の気遣い等 知る由も無く 俊は 勢い良く起き上がり大きく両手を上げ満面の笑みで喜び 直ぐ様 バイクに乗って友達の家に出掛けていきました。
しかし そんな俊の喜ぶ様子を見ても宮子は不思議と胸騒ぎがしていました。
宮子「はあ… 今日一日とは言ったけど… あの様子だと 俊は暫く帰らないだろうね…
それに 制服や学校の物だって 何も持って来て無いのに 一体どうすんだろ あいつ…
ふむ…まあ兎に角 厄介な事になる前に光には俊がここにいる事を伝えておいた方が良さそうだね…
後でコッソリ電話しておこう。」
それから 宮子は夕食の買出しの為に出掛けて行きました。
果たして… 俊は このまま真部家を出て行ってしまうのでしょうか…
それとも 再び厄介な揉め事が始ってしまうのでしょうか…
つづく