第四十話 煙草の煙と吸殻と… ‐前編‐
一旦 仕事を保留にして家に戻った和夫は 部屋に入るなり先に帰らせた光を居間の座卓前に呼び この件に関する全ての事を話す様に強く促しました。
和夫「さあ光 お前が知ってる事は 今から洗い浚い話してもらうぞ! いいな!!」
和夫の今までに無い威圧に恐ろしさを感じた光は これ以上誤魔化す事も出来ず仕方なく俊から聞いた一切合切の経緯を正直に説明し始めました。
光「という訳なんだ… 俺は ここまでの事しか知らないよ…」
和夫「ふむ… 解った じゃあ さっき俊の乗ってた赤いバイクは お前も今日 知ったと言う事なんだな。」
光「うん… 昼過ぎ頃に兄貴が帰って来て 初めて見たんだ。」
光は更に厳しく睨む和夫と目を合わす事が出来ず 申し訳なさそうに答えるだけでした。
和夫「全く… お前も調子に乗りおって。 どうかしてるんじゃないか無免許で!
例え公道ではない空地の中だったとは言え 万が一 怪我や事故でも起こしたらどうするつもりなんだ!
それに今年からは受験生なんだぞ もう少し先の事を考えて行動したらどうなんだ!!」
光「ごめん… なさい…」
和夫の最もな説教に 光は俯いて謝る事しか出来ませんでした。
和夫「まあ何事も無かったから良い物の… もう二度と同じ事をするんじゃないぞ!」
和夫は苦い顔でそう言うと眉間に皺を寄せながら煙草の煙をモヤモヤと吐き出しました。
和夫「…んで 他に知ってる事は!? 本当にそれだけだな!」
和夫が険しい表情のまま そう言うと光は とてもモジモジしながら質問に答えました。
光「んっと… えっと… あと兄貴がバイクの改造部品を買って来てた…
空き地に行く前に一緒に部品を玄関先で取付けていたんだ…」
和夫「はぁ改造!? どう言う事だそれは もっと解り易く説明しなさい!」
和夫は光の言葉に驚き 少し声を荒げて興奮気味に聞き返しました。
光「んと… 兄貴がバイクを家に持って来た時に一緒に新しいマフラーを持ってたんだ。
俺はバイク雑誌とかで見た事あるんだけど持ってたのは多分レース用のスポーツマフラーだと思う。
それを取付けると見た目もカッコ良くなるしエンジンの性能も少し上がってスピードが出る様になるんだよ、だから俺 つい舞い上がっちゃって…
兄貴に【少しだけ乗せて】って わがまま言ったんだ…
そしたら 乗せてやる代わりに 取付けるのを手伝えって言われて… それで…」
光はとても話し難そうに説明しました。
和夫「なにぃ! レース用だと!? お前達は一体何をやってるんだ… そんな くだらん物を玄関先で交換してたのか!
全く兄弟揃って 本当に馬鹿だな お前達は!
もし ご近所の方達が見たら暴走族だと勘違いされてしまうではないか!!」
光は【バイクを格好良くする為のドレスアップ】と説明したかったのですが そんな物には全く興味の無い和夫には とても解って貰えず むしろ暴走行為が目的の違法改造だと誤解されてしまいました。
また それと同時に 和夫は俊が友達と悪い事をしている物だと決め付け被害妄想を また一段と増してしまったのです。
光「あのさ… あのっ 何て説明すれば良いのかな… そんな 暴走族とか 多分 全然違うんだよ!
ほっ ほら よく女の人がメイクをしたりアクセサリーを身に付けたりするのと同じ事で… きっと兄貴も…」
光は何とか大声で弁解しようと必死に話しました。
ところが…
和夫「このバカモノが!!! 良いか光 俺は暴走族の話をしてる訳では無いんだぞ!!」
そんな和夫は 被害妄想が頂点に達して 光の必死の釈明に聞く耳を持たず ただ頭から怒鳴りつけました。
光「はいっ…」
光は怒りに満ちた和夫の形相と大声に驚き 黙り込んでしまいました。
和夫「例えお前達に その気がなくとも世間には そう言う風に見られてしまうって事を俺は お前達の親として案じて言っているんだ!
そんな事も解らんのか!!」
和夫は確かに 息子達の意見も聞かずに被害妄想を起こして気が立っていました。
しかし 和夫の言っている事も決して間違いでは無いと光は思いました。
そして それは和夫が本当に自分達の事を心配して怒っているのだと言う事も解っていました…
ただ…
光は和夫と俊の隙間を少しでも良いから埋めて置きたかっただけなのでした。
光「上手く話せないな… 話がねじれちゃったよ困ったな…」
光が心の中でそう思いながら 暫く俯いて沈黙をしていると 和夫は興奮も冷め遣らぬ内に次の疑問を光に問いかけました。
和夫「それで あんなにウルサイ排気音だったのか… 全く下らん!
ん?! しかし、不思議だな… バイクの部品と言ったって結構 高価だと思うが…
アルバイトもしていない奴が一体どうやって 買えたのだろうか…?」
和夫の この疑問は光も自分で感じており その時に俊に聞いていた事を思い出したのです。
光「そうなんだ 確かに俺も気になって その事は兄貴に聞いてみたんだ。
本当かは解らないけど… 【お金貯めてたの?】って聞いたら
兄貴 少し困った感じで不自然だったけど 【まぁな…】って答えてたよ。」
和夫「【金を貯めた】ねぇ…
まあ俊に限っては それは まんざら嘘では無かろうが その金の出所が気になるな…
悪い事をして得た物で無ければ良いが…」
和夫は依然、俊の行動に疑いを感じ要らぬ被害妄想を頭で悩ませました。
光「うん… 兄貴は多分 入学の時の お祝金とか お年玉を貯めて買ったんじゃないかな。
それに 今年の お年玉は結構 高額で俺も沢山 親戚の人から貰ったしね…
悪い事して得たなんて無いよ。」
光は 自分の脳裏に見えた想像を和夫に伝え 俊の事をフォローし軌道修正を計りましたが 和夫は更に意外な所に焦点を合わせて質問して来たのです。
和夫「ちょっと待て光… 確か俊が高校に通う前 入学祝で頂いた金は俊の机やら学校の制服やらで全て使ってしまったって言ってただろう。」
和夫の眉がピクリと釣りあがりました。
光「えっ!? そうなんだ? 全部使ったの!!
俺には 誰から いくら貰ったとか全然教えてくれないから そこまでの事は知らないけど…」
光は 和夫に驚きながら言いました。
和夫「まあ 金の管理は本人に任せてあるので間違いないと思うんだが…」
和夫はそう言うと 少し不満そうな面持ちで再び煙草に火を点けました。
光「もしかすると… それとは別に 何か お小遣い貰ったのかもね。」
光は 被害妄想を これ以上 膨らまさせ無い様に煙草を吸いながら目を細めて考え込む和夫に宥めながら言いました。
和夫「しかし… 高校に行ってからというもの俊は毎日遊んでばかりだな…
そこに来てバイクの免許を俺や学校にも内緒で取ってしまった様だし…
これじゃ 何の為に高校に入ったのか… 全く呆れて物が言えん…
その上 佐藤家の馬鹿連中と来たら簡単にバイクや金をホイホイと与えてしまって…
きっと このままでは 奴の行動は悪い方へとエスカレートして行くであろうな…
何も手の打てない自分の無力さが苛立つ…
こっちは何年間も贅沢をせずに皆で必死に暮して来たと言うのに…
あいつ等は金に物を言わせその努力を簡単にぶち壊し そして人の弱い心を金で摘んでいく…
くそっ… 馬鹿共め!本当に腹が立つ連中だ!」
しかし 落込んで愚痴を零し始めた和夫に光は落ち着いて答えました。
光「でもさ… バイクは母さん達が買ってあげた訳では無じゃん…
お金も 多分 自分の お小遣いと お年玉を使ったんだと思うから心配ないよ…
もし仮に別の理由があったとしても そんなに悪い方へ決め付けないで兄貴を信じてあげようよ。」
和夫「ふっ… 信じる?」
和夫は光の慰めに対して目を閉じながら鼻から息を抜く様に呆れ笑いをしました。
光「そうだよ… 特別にお小遣いを貰ったって話だって それは俺らの勝手な推測だからね…」
しかし和夫は今回の件は余程 納得が行かなかったのか 何時に無く興奮し怒り現にイライラし始めたのです。
そんな 何時もと少し様子の違う和夫を見ていると 光は ふと遠い昔の記憶が蘇っていたのです。
光『親父… あの時と同じ顔してる…』
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そう あれは数年前…
光がまだ小学二年生の時でした…
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学校から帰ると酷く家具が散乱した薄暗い家の中…
和夫は目を細め苦い顔で煙草を吹かし真っ暗な居間で静かに座っていた…
それは… とても とても悲しい毎日でした…
涙を流しながら破れてしまった教科書を片付けた…
涙を流しながら切れてしまった大切な絵本をテープで直した あの日…
辛く悲しい毎日だった時の事を光は つい和夫の表情から思い出していたのです。
そして 光は そんな悲しい過去をかき消したい一心で再び和夫を宥め様と話し始めました…
光「兄貴は別に悪い事してる訳じゃないじゃん…
そりゃ確かに親父に相談しないで何でも勝手に決めちゃってる所あるけど…
それだって最近 何か親父がイライラしてるし 色んな相談とか話し難かっただけなんだよ…
親父だって悪い所あるんじゃないかな… 黙って見て見ぬ振りしてたんだし…
だからさ… この機会にバイクの事も免許の事もちゃんと話した方が良いんじゃないかな…
バイクのマフラー買った お金の事だって きちんと聞いた方が良いと思うよ。」
光は 俊の行動を庇う様に 当たり障りの無く そう言いました。
所が 何時は光が そう促せば それなりの納まりが付いていた和夫でしたが やはり今日に限ってはどうにも気持ちの整理が付かないのです。
ついには、激しい口調になり 宥める光にまでも当たり散してしまったのです。
和夫「何ぃ! 【俺も悪い】だと! お前… 本心でそう思ってるのか!!
良いか光 これだけは良く覚えておけ!!
現に奴は高校に行っても まともに勉強もせず毎日毎晩 ただ遊び歩いてばかりではないか!
お前だって それを見てて全部 知ってたんだろうが!
俺が見て見ぬ振りだとぉ!? ふざけるな!!
お前こそ 見て見ぬ振りで事実を俺に黙ってたではないか!! このバカモノが!!
俺はな もう その場しのぎの誤魔化しはウンザリなんだよ!
こんな事は言いたくなかったけどな!
だいたい こうなったのも、お前達が俺の知らない所でコソコソ宮子の事を隠した事が ソモソモ 始まりなんだよ!!
黙って奴らと連絡取り合ってるくせしやがって!!
俺を騙しておいて何が きちんと話そうだ! 俺を馬鹿にするのもいい加減にしろ!!」
光「そんな…」
光は この和夫の言葉で…
心を折られました…
そして この時 初めて 光は今まで父として尊敬していた和夫の弱さを見た様な気がしました…
悲しかった…
自分の本心を隠し 俊に やらせたい放題やらせていたのは 全て和夫だった筈…
気付けば、二人は行き違い…
全てを他人のせいに置き換えて逆上していたのです…
それは正しく光にとって父親の本当の素顔が見えた瞬間でした…
そして光は 両手を強く握り締め 声を震わせて言うのでした。
光「これ以上… 俺は何も話す事ないよ…」
光は、小さな声でそう和夫に言うと そのまま自分の部屋にそっと入ってしまいました。
【バタン…】
(光が部屋の襖を静かに閉めた)
光『…』
部屋の中からは溜め交じりに鼻をすする音が微かに聞こえていました。
和夫『…』
居間に一人残された和夫は 不満 そうな顔をしながらも光の言葉には何も返答しませんでした。
そして三本目の煙草に火を点けると あの時と同じ顔で煙をボンヤリと吐き出していました。
それから暫くして和夫は 大きな溜め息を一つ吐いて何も言わず静かに仕事に出掛けて行きました。
【ガチャ…】
(和夫が玄関扉を閉めた)
静まり返った居間の卓袱台には和夫が何時になく多めに吸って行った煙草の吸殻と部屋の明かりが少し霞むほどの残り香が漂っていました…
そして部屋から出てきた光は寂しい気持ちになりながら一人で食事を済ませ 一刻も早く この事を兄と話し合おうと帰らぬ俊を居間で待ち続けました。
俊の為に作っておいた夕食は すっかり冷めてしまいテレビの ついた部屋で何故か光は その冷めた夕食をただジッと見つめているだけでした。
そんな中…
テレビの内容は はまるで身に入らず 色々な事が頭の中を掠めて行きました…
宮子の事…
和夫の事…
俊の事…
進学の事…
これからどうして良いのか頭の中は真っ白になり…
沢山の不安が募り それはとても寂しい気持ちでした…
そして 気付けば 光はテレビを付けたまま 居間で寝てしまったのです。
光『スー… スー…』
うつ伏せで眠る その横顔は…
寂しくて流れ出た涙が頬を伝っって乾いた跡を残していました…
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時刻は深夜零時を過ぎ…
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俊は未だに帰って来ません…
果たして俊は何処へ…
つづく