第三十八話 留守番電話
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場面は病院…
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病院に着いた宮子と麻子は 先に来ていた三郎から待合室で作業現場での状況を聞かされていました。
三郎の話によると 仁は高さ三メートル程の足場でバランスを崩し背中から仰向けに落ち 受身を取ろうと右手を付いてしまった為
全体重が小指と薬指にのしかかり 二本の指は手の甲側にヘシ折れ指の骨が間接から外へ突き抜けてしまったのでした。
話を聞いた二人は命に別状が無かった事に一先ずの安心をしましたが その状況の痛々しさに思わず顔を顰めていました。
宮子「うわっ… 痛そう…」
麻子「で 仁 兄ちゃんは…」
三郎「まだ手術中だよ… あんな状況じゃ時間がかかるだろうな それに病院側は暫くは入院になると言ってたし…」
三郎は眉間に皺を寄せて 溜め息をつきながらそう言いました。
麻子「そう… 何とか指が元に戻ると良いんだけど…」
麻子は三郎の言葉に とても不安な表情で言いました。
三郎「歯がゆいけど 今は手術が無事に終わるのを待つしかねえ…」
宮子「兄貴 気の毒に…」
そして 三人は待合室から手術室前の廊下に移動すると そのまま仁の手術が終わるのを静かに待ちました…
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そして一時間が経過した…
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ようやく手術中を示す電灯が消え 手術室から執刀医が現れました。
三郎「先生! 兄貴は!?」
三郎の問いかけに 難しい表情で静かに執刀医は答えました。
執刀医「外に飛び出た骨は元通りに処置しましたが…
残念な事に指を動かす神経と筋の損傷が酷く 完全に元には戻せませんでした…
気の毒ですが 今後リハビリを続けたとしても二本の指の動きには後遺症が残ると思います…」
三郎はこの執刀医の説明に動揺し戸惑いました。
三郎「先生… どういう事ですか…
手が使えなくなるって言いたいんですか…
じゃあ… 仕事に支障が出るって事じゃないですか…」
執刀医「はい残念ながら… 完全に動かせる様になる事は厳しいかと…」
執刀医は三郎の問いかけに 小さな声でそう言うと顔を下に背けました。
三郎「嘘だろ… 先生… 嘘だろ!!
兄貴はね 手に職を持って今日まで兄弟と家族を支えて来たんだよ!
ねえ… 先生… ちゃんと何とかしてくださいよ…
ねえ! 先生! あんた医者でしょ!!
医者なら治してくださいよ… ねえ… 先生!! 直して下さいよ!!」
三郎は取り乱しながら 大声で執刀医に縋るよう訴えました…
執刀医「…」
三郎が執刀医の手を掴み小刻みに身体を揺すりながら必死に訴える姿を見て麻子と宮子は見ていられなくなり 三郎の身体を二人で引き離そうとしました。
麻子「ちょっと お兄ちゃん! 止めなって!!」
宮子「兄貴 落ち着いてよ! 先生の せいじゃないでしょ!!」
麻子と宮子は取り乱す三郎を宥め様と必死に止めました。
二人が三郎を抱えて執刀医から遠ざけ 申し訳なさそうに頭を下げると三郎は膝から崩れる様にその場に座ってしましました。
三郎「くそおー!!」
三郎の声が廊下の隅にまで反響して静かに消えました…
執刀医「失礼します…」
執刀医は深々と三人に頭を下げると 無言のまま医務室に消えていきました。
辺りは静まり返りました…
その後 俯いたまま床に座ってしまった三郎を宮子が廊下の待合席に座らせると手術室の扉がゆっくりと開き看護士に付き添われながら仁がベッドに寝たまま出てきました。
麻子「あっ 仁 兄ちゃん!」
仁は不安そうに駆け寄ってきた麻子を見て 軽く微笑みながら答えました。
仁「おお… 麻子… ははは このザマだ、ドジふんだよ全く…
お? 宮子… お前も来てくれたのか…」
仁は 麻子の隣で体裁が悪そうに佇んでいた宮子に気付き普通に声を掛けたのです。
宮子「兄貴… こんな時に言うのも変だけど… 色々迷惑掛けてごめん…」
宮子が目に涙を浮かべ申し訳なさそうに仁に言うと 仁は微笑みながら言いました。
仁「ははは… なんだよ お前 泣いてるのかよ… らしくねえな…
苦労して少しは人情が宿ったか ははは。
ほれ見てみろ宮子… 俺こんな手になっちまったんだぞ…
今度は俺が お前に迷惑かける番だな 覚悟して置けよ はははは 」
仁は そう言うと 包帯巻の右手を上げて宮子に見せました。
宮子「うん…」
宮子は そんな前向きで優しい仁の言葉に 今まで自分の行って来た身勝手な行動を心の中で償い反省しました。
そして二人の蟠りが消えかけたのも束の間…
待合席で落込んでいた三郎が仁の直ぐ側に駆け寄って話しだしました。
三郎「兄貴… 医者が… 医者がよ…」
三郎が執刀医から聞いた事実を言いかけた その時…
仁は目を閉じて 三郎の声に被る様に言いました。
仁「もう言うな! 解ってるよ…
なあに 指は今日で二本程 つぶれちまったけど… まだ三本あるじゃねえか!
何とかすっから大丈夫だ! 心配すんな!!
まあ… リハビリってやつに専念して一刻も早く復帰すっから。」
父親が他界し 今日まで兄弟と家族を背負って来た 仁は 流石と言うべく 決してうろたえずに事実を真に受止めていました。
そして仁は兄弟達に自分の生き様を伝えたかったのです。
ある物を失った今 自分が出来る事…
それは絶望に嘆き落胆する事でなく…
事実を受止め乗り越えていく気力だと…
そんな前向きな仁の言葉に三人は心を打たれる想いでした。
その後 三人は仁が病室に入るまで付き添い 落ち着いた頃 それぞれが病院を後にして帰宅しました。
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自宅に到着した三郎と宮子…
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宮子が玄関を開け中に入ると 留守番電話の用件ランプが点滅している事に気が付きました。
宮子「あっ そうだった! 多分 俊からだ。」
少し遅れて 三郎が家の中に入って来ると 留守電の用件を再生して聞いている宮子の姿が目に入りました。
三郎「ん? 誰だ?」
再生された声を三郎も一緒に聞き入りました。
【ピーッ… 用件は三件です… 用件一件目…】
留守電の声「…あっ もしもしー? あれ… おーい! 俊だけど… あれ? 【ガチャガチャ…】」
三郎「おお 俊か… 確か今日が合格発表だったよな。」
宮子「うん… 受検どうだったのかな…」
【ピーッ… 用件二件目…】
留守電の声「宮ちゃん… あたしだよ… 何だい… 留守かい…【ガチャガチャ…】」
三郎「お袋か… 俺が連絡した後で掛けて来たんだろ。」
宮子「うんそう見たいね… でも 病院からも麻子が連絡したから その前だね。」
【ピーッ… 用件三件目…】
留守電の声「もしもしー 三ちゃーん 光だけど… 兄貴から頼まれて電話したんだ。
留守ならメッセージ入れておきまーす。 えーっと… お蔭様で兄貴は受検に合格しましたー…
詳しい事は後で本人から 連絡するそうでーす…
それから… えっと… かあさ… んー… いや… 何でも有りませーん。
では そう言う事で… 【ガチャガチャ… ツーツー】」
三郎「んっ!? 光だよな… 合格したって言ってたな!? ええ!!」
宮子「光だ… 久しぶりに声を聞いた… 随分声変わったんだね…
あっそんな事より 今 俊 合格したって言ってたよね よかったー…」
三郎「おう! コリャお祝いの宴だぞ! がははは 」
そして俊の合格を知った二人は早速この事を麻子に電話で伝えると お祝いの宴を計画し始めるのでした。
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一方 その頃 真部家では…
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俊は三郎の家に何度か友達の家から電話を借りて連絡をしていたのですが 依然と留守であった為
一度 家に帰宅し自宅に居た光に合格した事を伝えて貰う様に言うと 再び遊びに出かけて行きました。
その後 和夫が睡眠から目を覚まし 卓袱台に置かれた入学案内と光の話で合格した事を知りました。
和夫「いやー 本当に良くやった! 感無量だ!!
しかし 後が無い者は土壇場の底力が眠ってるもんだな。はははは 」
俊の合格を知った和夫は満面の笑みでとてもご機嫌です。
光「そうかな… 兄貴も結構 頑張って受検勉強してたよ。」
そんな光は俊が勉強している姿を何時も見ていたので 合格すると思っていました。
和夫「ほう? いつ勉強してんだ!? コリャ初耳だね。
俺には毎日遊び歩いている様にしか見えなかったがな。」
実は俊は和夫が家に居る時は 和夫に気を遣って友達の家で勉強していたのでした。
その行動が どうやら和夫には遊んでいる様に感じていたのです。
光「多分 皆の前だと気が散るから陰で努力してたんだよ。ははは 」
光も本当の事は和夫に言いませんでした。
和夫「そうか… まあ 何れにせよ これで一つ肩の荷が降りたさ。
よし 今日は お祝いだな! どうだ食事は外でしないか。」
この和夫の提案に光の目が皿のようになりました。
光「えー本当!? やったー!! 俺 レストランが良いなあ!」
光はとても嬉しそうにはしゃぎました。
和夫「おいおい… お前の お祝いじゃないんだぞ… 全く…」
その姿を見て和夫は呆れ笑いをしながら言いました。
光「へへへ だってさ 家は ほとんど外食しないから 嬉しくて。」
そうなのです 真部家では こう言ったイベントが無い限り まず外で食事をする事はあまりありませんでした。
和夫「お前は 嫌な事いうねえ… たまには連れて行ってるだろうに…
まあ しかし 肝心の主役が帰って来ないと 何処に行くかも決めれんなあ。」
和夫が居間の掛け時計を見ながら言うと、光も同じ様に時計を見上げて答えました。
光「早く帰ってこないかな 兄貴…」
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時刻は夕方の六時を過ぎた頃…
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突然 電話が鳴りました
【リリリ… リリリ…】
(電話が鳴った)
光「ん? 電話だ 兄貴かな。」
光が電話を取りに行こうとした時 午前中の無言電話の事を思い出した和夫が慌てながら電話口に行きました。
和夫「いや お前はいい! 俺が出る。」
【ガチャ…】
(和夫が受話器を取った)
和夫「…」
和夫は相手の様子を伺いながら無言で受話口を手で押さえました。
その様子を見ていた光が不思議に思い和夫に話しかけます。
光「親父? 何で黙ってるの? 何か有ったの?」
和夫「いいから 少し黙ってろ…! 大事な問題なんだ!」
光は小声で強く言う和夫の様子を見て 自分も以前に体験している悪戯電話の事が脳裏を過ぎったのです。
光『まさか… 親父も あの時の電話と同じの受けてたのかな…』
光は心の中で そう思うと宮子の事を思い出し とても不安になるのでした。
するとその時…
【ガチャガチャ…】
(玄関の扉が開いた)
俊「ただいまー! あー腹減ったー!!」
和夫「…!」
光「…!!」
玄関先で受話口を手で押さえながら佇む和夫…
その直ぐ後ろで不安そうに様子を伺う光…
帰るなり そんな光景を目の当りにした俊は 何かとても嫌な予感がしたのでした。
俊「え… 何? どしたの…!?」
無言のまま顔を見合わせる光と和夫…
すると その時 電話口の相手が話しかけてきたのです。
電話口「もしもし… あれ… もしもーし!」
和夫『な…!!』
和夫は驚きました 聞き覚えのある その声は なんと宮子だったのです。
和夫は迷いました…
このまま電話を切るべきか 俊や光に代わるべきかを…
電話口「あれ? 何でだろ?? もしもーし!」
和夫『…』
すると… 全く反応しない状況に宮子は不思議に思いながらも電話を切ってしましました。
【ガチャ… ツー… ツー… ツー…】
(電話が切れた)
その後 受話器を静かに置く和夫の姿を見て 俊と光は電話口の相手が誰であったのかを悟りました。
無言のまま居間に戻る和夫…
和夫『こんな日に… 偶然にしては出来すぎだ…』
和夫は心の中で そう思うと俊と光の顔をじっと見つめ 言ったのです…
和夫「宮子だった…」
光「!」
光はその言葉に絶望的な表情になりました。
俊「…」
そして俊は無言のまま俯いてしまったのです…
和夫「お前達… 正直に言ってくれ… 何時から母親と連絡を取ってたんだ…」
和夫が そう言うと俊と光は暫く沈黙を続けた後で、三郎との同居の話を打ち明けたのでした。
しかし この話を聞いても和夫は二人を叱る事はしませんでした。
むしろそれは、宮子が三郎と同居を始めた企みが経済の為でなく別に有ると感じたからなのでした。
そして和夫の嫌な妄想が脳裏を掠め 心の中で思うのでした…
和夫『奴は息子達に何を… 何故 今頃になって…』
つづく