第二十九話 婆ちゃんの柿
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それから二十分後…
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光「ただいまー! 買って来たよー!」
リンゴを買ってきた光に早速 和夫が指示を出しました。
和夫「おお 帰ってきたか。 よし! では早速 一つ持って来なさい。」
光は買ってきたリンゴを台所に立つ和夫にニコニコしながら渡しました。
光「はい。」
和夫「では… 俺のやる事を良く見て覚えるんだぞ。」
和夫がリンゴを手にすると流しの右隅に掛けてある包丁を手にしました。
光「あ…」
それを見て光は リンゴを買いに行かされた意味がなんとなく解って来ました。
光「そっか… 俺 皮とか剥いた事 無かったから 包丁の練習の為だったんだ…」
そして 皮をむき始めた和夫を見て光と俊は絶句してしまいました。
なんと皮の厚さは物凄く薄く その上 剥いた皮の幅は5ミリにも達していないほど細かったのです。
そのまま剥き続けるリンゴの皮は 不思議と一度も切れる事無く 凄い長さになって まな板の上にクルクルと重なって行き あっと言う間に剥き終わったのです。
それは 実に時間にして一分も経たない程の早業でした。
和夫「…とまあ こんな具合だな。」
光は その包丁捌きを ただ 唖然と見ているだけで 和夫が全部を剥き終わった時は 驚きと感動の余り自然に拍手をしてしましました。
【パチパチパチパチ…】
(光と俊が拍手をした)
俊「ヘ――! 流石 元 料理人だけの事は あるよ! 凄い!」
料理に関心の無い俊でさえ この華麗な包丁捌きには驚かされました。
光「は――! スゲ―――!! 何で!? どうやったら こんなに早く上手に出来るの!? ねえコツは?」
光は剥き終わった皮を手で摘んで まな板から上に引上げると それを見て目を白黒させながら言うのでした。
和夫「ははは 上手く剥くコツか… そんなものは無いさ。 全ては経験だ… 解るか。」
和夫は何でも簡単に考える光に 何事も根気良く継続して行く経験こそが技術を養う事だと教えました。
光「はぁ… 経験か… うん解った! 俺も やってみるよ!!」
光は和夫の言いたい事を少しは理解した様でした。
和夫「最初は細くしなくていいから まず出来るだけ落ち着いて丁寧に剥く事だ。」
俊「おいおい… お前大丈夫かよ… 指切るなよ。」
学校の家庭科の授業以来 ほとんど包丁なんか持った事も無い光に俊が心配そうに言いました。
光「大丈夫だよ… じゃ早速!」
光は見よう見真似で和夫の剥いた通りにやってみました。
しかし 果物の皮を生まれて初めて剥いた光の手捌きは どうにも おぼつかず指を切りそうな程で 見ている方が恐ろしくなります。
光「ああ まただ… ヤッパ上手く剥けないな。 凄い難しい… それに怖い…」
和夫「う~ん コリャまだ危ないな… まず包丁の握り方が違うよ。 おい ちょっと一回止めてくれ。」
光の危なっかしい包丁の握り方に気を揉んでしまった和夫は 一旦 皮剥きを止めさせると 包丁の握り方から指導し直しました。
和夫「良いか こういう感じで親指と人差し指で確りと柄を挟み込むんだ。
まあ落ち着いてやれば 必ず結果は付いてくるよ 焦る事は無いさ 今日 始めたばかりなんだ下手なのは当り前さ。」
光「うん…」
それから光は暫くリンゴの皮を剥きに熱中し続けました…
その間 和夫は俊と一緒に夕食の支度を手際よく終わらせてしまいました。
俊「全く… 光も衝動的な奴だな… 練習は毎日なんだから これじゃ逆に親父に負担掛けてんじゃねえか…
これで三日坊主だったら 承知しねえぞ ったく…」
俊は小さな声で愚痴を溢しながらも 光の事が気になって様子を見ていました。
和夫「さあ 取合えず夕食にしよう。 光も今日は その辺にして また明日練習しなさい。」
光「はーい… 緊張で手が痺れちゃったよ…」
光は簡単な考えで和夫から料理を教わろうとした訳ではありません。
ただ光は包丁一つの事でも これほどまでに難しいとは予想もしていなかっただけなのです。
そして 光の料理に対する意欲は また一段と増し この日から毎日少しづつ練習を重ねて行くのでした。
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それから数ヶ月後の事…
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【ピーンポーン】
(玄関の呼出し音が鳴った)
郵便屋さん「真部さーん! 小包でーす!」
残暑も過ぎて少し涼しい風が吹くようになった秋の終わり頃 和夫の田舎から大きな小包みが届きました。
和夫「はーい。ふゎ~…」
和夫は ちょうどタイミングよく明け番の睡眠から起きた所でした。
郵便屋さん「山形県からの小包です… じゃあ ここにハンコを お願いします。」
和夫「あっ… はいはい… ご苦労様でした。」
和夫は寝ぼけながら その大きな小包を受取り ヨロヨロとしながらリビングの隅まで持って来て下に置きました。
そして 中を明けて みると そこには箱一杯に沢山の柿が詰まっていました。
和夫「お袋も今年は随分と大量に送って来たな… あっ そうだ! これは いい練習になるな。 ははは 」
和夫は何かを思い付いた様でした。
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それから程なくして
光が家に帰宅しました
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光「ただいまー!」
何時も通り帰宅した光に和夫は届いた小包の事を言いました。
和夫「お帰り 田舎から今日 沢山の柿が届いたぞ。 お前 柿 好きだっただろ。」
光「えっ本当! 山形の婆ちゃんから!? やったー! でも まだシブくて食べれ無いよね。」
光は和夫と一緒に暮らす様になってから毎年 山形の祖母から柿が届く事を楽しみにしていました。
しかし 柿は届いてから食べ頃になるまで シブが抜けるのを毎年少し待たなければならなかったのです。
和夫「いや 中に手紙が入っててな 毎年お前が楽しみに待ってるって言ったら 今年は時期を見て送ってくれたんだ。
下の方のは もう食べ頃だと書いてあったぞ。」
和夫が そう言うと光はとても嬉しそうに箱に飛び付き柿を出し始めました。
光「本当! じゃあ 早速 食べてみようよ!! どれにしようかな… ははは。」
和夫「あーあー まあ沢山あるんだから そう慌てるなって… 俊が帰って来てから皆で味見してみよう。」
光「あっ そうだね… 兄貴の事忘れてた… へへへ 早く帰ってこないかなー」
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それから数分後…
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【ガチャ…】
(玄関が開いた)
俊が帰ってきました。
俊「ただいま…」
何故か彼は少し元気が無い様子でした。
和夫「お帰り… 何だ暗い顔して… 何かあったか?」
俊「はあ…」
俊が落込みながら溜め息交じりの返事をすると 光が小さい声で和夫に言いました。
光「親父… ひょっとして兄貴 ※ア・テストの模擬試験の結果が悪かったんじゃないかな…」
※アチーブメントテスト. 通称「ア・テスト」の略称で呼ばれ当時 神奈川県は中学校二年生の三学期頃に実施される高校進学の考査があったのです。
和夫「そうか もうア・テストの模擬試験の時期か… 早いもんだな…」
和夫が少し険しい顔で俊に聞きました。
俊「親父… 俺 商業への進学は難しいかも知んねえよ…」
実は和夫は以前から俊には手に職を付けた仕事をさせてやろうと考えていました。
和夫の実家は酒屋と理容店を隣接して経営しており理容店は和夫の義理の姉が酒屋の仕事の傍ら一人で営んでいました。
田舎の人口は少ないですが その反面 理髪店も割と少なく一日に数名の村人が利用していました。
本業と考えてみれば少ない稼ぎですが酒屋の経営の副業として考えれば集客や相乗効果にもなり十分に収入に繋がっていたのです。
また人の髪を整える仕事は一生無くなる事はありません。 だから手に職を持った人間は食うに困らないと和夫は何時も姉の仕事を羨ましく思っていたのです。
そんな事がキッカケで 勉強が余り得意な方では無かった俊には高校を理容師にさせる為に商業で検討させていたのです。
商業は進学校ではない為 俊の学力でも合格圏内ではあったのですが ア・テストの考査はかなり影響してしまうので 俊はかなりのプレッシャーを感じていたのです。
和夫「まあ 過ぎた事をガタガタ言っても始まらんよ… まだ模擬テストの段階だろダメだと決まった訳じゃない。
本番まで少し時間があるから大丈夫だよ。それに三年の成績だって検討されるし前向きに頑張ればいいじゃないか。」
和夫は落込む俊に労いの言葉を掛けると ダンボール箱から柿を一つ取って俊に投げ渡しました。
和夫「ほれ!」
俊「おっ…」
俊は和夫に投げられた柿を慌てて受取りました。
和夫「模擬テストの残念会だ。田舎から送って来たから食べろ。」
俊「婆ちゃんの柿か…」
そして 少し笑みを浮かべながら その柿を今度は光に投げて言いました。
俊「光 ほら! 上手く剥いてくれよ。」
光は その柿を落としそうになりながら慌てて受取ると苦笑いしながら答えました。
光「ああ そうだった… 皮を剥くのは俺の役目だったよね。へへへ 」
俊「剥けたら呼んでくれ 俺 少し休憩する…」
そう言うと 俊は自分の部屋に行きア・テスト模擬の結果を見ながらベットで寝転がってしまいました。
光「うん…」
光は早速 手と柿を流しで洗うと包丁を取り出して その柿を剥こうと構えました。
所が…
光が いざ柿を剥こうとした時 何故か考え始めてしまったのです。
光「えーっと… リンゴの様にはいかないよね…
ん~ 落ち着いて剥けばいいんだろうケド…
えっと… どうやろうかな…」
躊躇して中々始めない光に後ろから和夫がアドバイスをしました。
和夫「おい光。 柿はリンゴよりも難しいから手を切らない様に慎重に剥くんだぞ。」
光「えっ… 柿の皮って難しいの? 」
そうです 和夫の言う通り柿は実がツルツルと すべるので皮を剥くのが難しいのです。
そして 光は和夫のアドバイスを気にしながらリンゴを剥いていた時の様に恐る恐る始めてみました。
すると…
光は 今までの特訓の成果があったのか 初めての割りにとても上手に皮を剥く事が出来たのです。
和夫「ほぉ… 柿を初めて剥く割には中々上手だ… 包丁にも大分慣れたんだな。
よし この調子で毎日一つ剥いて練習を続けると良い。」
光は この数ヶ月 必死で包丁の練習をしてきました。
玉ねぎの微塵切りや きゅうりの薄切り等 気付けば もはや、包丁の使い方はある程度こなせる様にまで成長していたのです。
光「ねえ親父 俺 包丁にも結構慣れたし 練習は このままキチンと続けるから そろそろ料理らしい事を教えてよ。」
和夫「ん… おお そうだな… もう十分だな… よし じゃあ今日辺りから違う事を教えようか。」
光「本当! やるやる!!」
光は和夫の言葉でつい包丁を持っている事を忘れ はしゃいでしまいました。
すると 次の瞬間…
【ツル…】
(光の手元から柿が落ちた)
光「イテ! あっ! イテテ… やっちゃったよ…」
光は 他所見をしたせいで 手が滑って人差し指と親指の間を包丁で切ってしまいました。
和夫「危ない! 包丁を使っている時に他所見する奴がいるか! 集中力を欠くから手を切るんだ… 」
光「はい… 済みません…」
光は切ってしまった手を押さえながら 居間に行き救急箱の中にある絆創膏を取り出しオロオロと困りながら傷口を気にしていました。
俊「…」
それを隣の部屋から見ていた俊が見るに見かねて 光の側に行くと絆創膏を光の手からヒョイっと取って言いました。
俊「ドジ! ほら 貼ってやるよ。」
光「あっ…悪い ありがとう…」
和夫「はあ… その手では もう柿は握れないな… 仕方ない続きは俺が剥こう。」
和夫は そう言うと光が途中まで剥いた柿を剥いて皿に盛りました。
和夫「ほら じゃあ 取り合えず皆で食べて見ようよ。」
三人は剥いた柿を味見をしてみました。
俊 光「!!」
柿を口に入れた瞬間 奥の深い甘みが三人の口一杯に広がりました。
俊 光「ウメぇ――!!」
子供達が思わず声を揃えて言うと和夫も嬉しかったのでしょう 感無量といった顔付きで微笑んでいました。
和夫「ん~ やっぱり良いもんだよな 故郷の味は。ははは 」
地元の味に懐かしさを感じて食べる和夫が料理の話なんかすっかり忘れて しんみり柿を味わっていると 光が申し訳なさそうに言いました。
光「あのう… 親父… 料理の事なんだけど…」
和夫「ん? あっ… そうだったな えー… じゃあ今日から【鍋振り】を教えようかな。」
光「鍋振り??」
俊「おお! 何だか いよいよ本格的な感じだね。」
和夫は中華料理が専門です 中華は鍋振りが出来なければ作れません。
光「鍋って!? 親父が何時も使っている あの大きな鉄の中華鍋の事?」
和夫「ああ そうだ。」
和夫は軽く微笑んで言いいました。
そんな和夫の様子を不安そうに伺っている光…
果して 光は鉄の重い大きな中華鍋を上手く使いこなす事が出来るのでしょうか…
そして 期待と不安に胸を膨らませる光に和夫が言いました。
和夫「よし じゃあ早速 始めるから 箪笥からタオルを一枚 持って来なさい。」
光「は? 何でタオル!?」
突然 関係の無い事を言った和夫の言葉に光は戸惑ってしまいました。
俊「タオル? もう汗かいたのか?」
和夫「…」
和夫の目的は一体…
つづく




