第二話 愛情と不安
――――――――――――
ちょうど一週間前の
土曜日の出来事でした
――――――――――――
光がいつものように学校から帰宅すると、何やら家の中で激しい物音がしていたのです。
【ガチャーン! バリーン!】(家の中で何かが割れた)
宮子「てめー、ふざけやがって! コノヤロー!」
玄関先で その物音を聞いた光は驚きながらも早く確認しなければと思い大急ぎで玄関扉を開けました。
【ガチャツ】(玄関扉を開けた)
光「ただいまー!」
一抹の恐ろしさを抑え、光は玄関先から大声で言いました。
しかし…
次の瞬間、光は自分の目を疑うような光景を目の当りにしてしまったのです。
【ガターン! ゴロゴロ…】(和夫と宮子が包丁を奪い合いながら暴れている)
何と和夫と宮子が縺れ合いで血まみれになって転がり回っていました。
宮子「光!助けてー!」
必死に助けを呼ぶ宮子。
和夫「危ないから来るなー!」
光が巻き込まれない様に大声で危険を促す和夫。
そして、和夫は一瞬の隙を突いて宮子から強引に包丁を奪い取ると、なんと、その包丁を勢い良く窓から庭に放り投げたのです。
【ハア… ハア… ハア…】(和夫の息が激しく上がる)
次の瞬間!
宮子「光!テメー何で助けないんだよ!」
宮子は感情に流され怒り狂っていました。
光「ぼっ、ぼくは助け…」
光は解っていました。
『お父さんはそんなことする人じゃない…』
心の中でそう思っていました。
光は怖くて宮子を助けなかったんじゃ有りません、和夫の手が血塗れになっている事に一早く気が付いていたのです。
和夫は光の事を気に掛け、何とかその場をやり過ごそうとしていただけだったのです。
包丁を持ち出したのは、宮子の方でした。
光が帰ってきたので、宮子は自演して和夫に殺されそうな振舞いをしていたのです。
和夫は何事もなかったかの様に、その場に座り、血のついた手に白いタオルを巻いていました。
割れた食器… 倒れた箪笥… 引き出しが飛び出た勉強机… バラバラになった教科書…
部屋はまるで大地震の直後の様に酷く散乱していました。
宮子「ふざけんな!!」
【バタンッ!】(玄関扉が勢い良く閉まった)
宮子は全てをそのままの状態にし、何も言わず何処かへ飛び出して行きました。
嵐が過ぎ去った部屋で光は、和夫の手を気にしながら、ゆっくり散らばった家財の上を歩き、自分の机の引き出しを直し、教科書をまとめました。
引き出しから弾き飛ばされ破れてしまった自分の大事な絵本を、涙を浮かべながら片付け、悔しくて、やり切れない思いでその場に佇みました。
そんな光の様子を後ろから見ていた和夫が静かに口を開きました。
和夫「すまなかったな…」
小さな声で言いました。
光「ううん。 大丈夫 テ、テープで直るよ。」
光は慌てて涙を拭き、和夫の方を見ると、精一杯に笑って見せたのです。
そして、光は再び散らばった家財の上を歩き、和夫の側に行くと心配そうに手を見て言いました。
光「血、大丈夫…」
すると、和夫は側に来た光の頭を軽く撫でながら優しい表情で言いました。
和夫「ああ… 心配無いよ、少し切れただけだ。」
和夫はそう言うと握っていたタオルを外し傷口を光に見せました。
傷口を見て安心した光は 今度は窓から庭の方を覗き込んで言いました。
光「お父さん… 包丁…」
そう言って庭へ出ようとした光に和夫は声をかけました。
和夫「いや、あのままでいい… 危ないから。」
そう言って、和夫は煙草に火を点け庭の方を見ながら静かに吸い込みました。
薄暗い部屋は和夫の吐き出す煙草の煙が漂い、白く霞んで見えました。
光は和夫の言葉で庭に出るのを止めると、今度は散乱した自分の机の前に行き、そこから破れた絵本を手に取りました。
そのまま暫く破れてしまった表紙を見つめ、唇を噛締めながら その場を離れ 隣の部屋のソファーの前に行きました。
破れた表紙を時折パラパラと捲りながら、そこに座って静かにその絵本を読み始めました。
光「…」
和夫「…」
―――――――――――――――――――――
それから暫く、沈黙は続きました…
―――――――――――――――――――――
一時間位が過ぎる頃…
【ガチャッ…】(静かに玄関扉が開いた)
俊「ただいまー… おーい光…」
俊が学校から帰って来ました。
俊は暗い部屋の電気を点けると酷く散乱した状況を目の当りにしました。
俊「なんだよ、またかよ…」
得に慌てる様子でもなく そう一言だけ呟くとランドセルを玄関先に置いて再び外へ飛び出して行きました。
【ガタンッ…】(玄関扉が閉まった)
俊が出て行った後、和夫はずっと光を後ろから見ていました、しかし和夫は何も語らず黙って薄暗い部屋でただ煙草を吸っているだけです。
二人は その後も全く会話は無く、沈黙は続きました。
―――――――――――――――――――――
それから何時間たった事でしょう…
―――――――――――――――――――――
【ガチャッ…】(再び重たくゆっくりと玄関扉が開いた)
光がふと玄関先を見ると そこには宮子が寂しげに立っていました。
宮子「おい光… 何やってんだよ、行くぞ。」
宮子はどこか思い詰めた表情で光を玄関先から呼びました。
光「あっ、うん…」
何も語らない父に後ろ髪を引かれながらも、光は今は宮子と一緒に行くしかないと思い その場を離れました。
しかし
ソファーに座っていた光が和夫を気にしながら玄関に向かって行こうとしたその時でした。
【ガタゴトッ…】(和夫が立ち上がった)
今まで沈黙をしていた和夫は急に光に飛び掛りました。
和夫「待ってくれ!」
和夫は両手で力一杯に光の首元を抑えました。
光「うわー!お父さん、や・め・て…!」
光は、とっさの事で驚きと恐怖に体が動きませんでした。
その状況を玄関先から見ていた宮子は和夫が血迷ったのかと思い大声を出しました
宮子『てめー!何やってんだ!コノヤロー!』
【ガタガタガタ…】(宮子が部屋に入ってきた)
和夫が光の首を絞めているように見えた宮子は、怒りが頂点に達しました。
土足のままで部屋に入ってくると、物凄い勢いで和夫に体当たをしたのです。
【ドタドタ、ドンッ!】(宮子が和夫に激しくぶつかった)
和夫はよろめき、倒れかかりました。
その瞬間、玄関の隅で様子を見ていた俊が光に向って叫びました。
俊「おい光!何やってんだ早くしろ!」
光は、驚きと、不安で訳が解らず、ソファーからジャンプして一目散に玄関へ走りました。
光「お、お兄ちゃん!!」
【ガタゴトッ… ガタン!】(宮子と和夫が尚も縺れ合う)
光は俊の後ろに隠れると、縺れ合いは直ぐに収まり疲れきった宮子がようやく玄関先にやって来ました。
宮子「おい光! てめーがもたもたやってっから、こんな目にあうんだぞ!」
宮子は息を上げながら怒鳴り散らし、手の平を上に振り上げました。
【パシンッ!】(宮子が光の頭を叩いた)
光「…」
宮子に叩かれる事など、慣ていた光は、これと言ってその事に落ち込む様子も無く、ただ黙って下を向いていました。
その後、三人でトボトボと駅まで歩いてる間も、光は考え事をしたまま何もしゃべりませんでした。
光『お父さんは、ぼくを殺そうとしたのかな…、本当は、ぼくを行かせたくなかったんじゃないかな…』
心の中でそう思いながら、和夫の事を考えると、光はとても寂しく、そして切なくなってしまいました。
―――――――――――――――――――――
そして電車とバスを乗り次ぎ
片道、一時間三十分を経て
三人は宮子の実家に到着しました
―――――――――――――――――――――
宮子は実家に着くと この日の出来事を親兄弟に大げさに報告しました。
そして 兄弟達は宮子の話に同情し実家に泊まる事を認めたのです。
月曜には子供達の学校がある為、日曜の夕方には一度 家に帰る様にと約束をさせられましたが、
宮子が この日 もう和夫との離婚を前提に親兄弟の所へ相談に来ていた事は全員理解をしていたのです。
それは、夕食も食べずに飛び出した寒い寒い、冬の夜の出来事でした。
つづく




