第十三話 い・き・る
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麻子の家から一時間程で三人は家に到着しました。
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和夫「よし、着いた… 俊 済まんが俺の上着の右ポケットから鍵を出して先に入ってくれないか。」
両手に子供達の荷物を持っていた和夫は そう言いながら俊にポケットを探らせました。
俊「うん… あっ、あった。」
【ガチャ ガチャ… ギー…】
(玄関の鍵を回し扉を開けた)
俊「おじゃましまーす…」
先に中へ入った俊は三年ぶりに帰る家が よそよそしく感じ何処か他人行儀でした。
すると それを見た和夫が笑いながら言いました。
和夫「ははは、俊 今日から また ここが自分の家だ【ただいま】だよ。」
俊「あっ、そっか… ただいま…」
和夫に そう言われると俊は苦笑いしながら部屋に入りました。
俊「出て行った時と、同じだ…」
俊は何も変わっていない自分の部屋を見回しながら荷物を置くと光が入って来た時の様に懐かしさに浸っていました。
光「何か、落ち着くね…」
光も俊に続いて部屋に入ると、この間と同じ様に やはり懐かしさに浸っていました。
そんな、二人を見ながら和夫が威勢よく呼びました。
和夫「よーし! じゃあ 自分達の荷物まとめたら こっちに来て座りなさい。
これから皆で生活する為のルールを話し合おう。」
荷物を片付け終えた二人は和夫の呼び掛け通り居間に来て座り火燵に入りました。
俊「ルール?」
光「何の約束事かな?」
二人は和夫の顔を見て不思議そうに言いました。
実は和夫は子供達と新たな暮らしする上で、俊と光の今までの不規則な生活を改善し 規則正しい生活を取り戻そうと意気込んでいたのです。
和夫「じゃあ説明するぞ。えー…っと これから三人で生活する為に最初のルールとして まず家事の分担をしようと思うんだ。」
和夫は そう言いながら、卓袱台のに置かれていたポットの お湯を急須に注ぎました。
【トボトボトボ…】
(お湯がポットから注がれた)
和夫「ああ光、済まんが 茶箪笥から湯呑をもって来てくれ…」
和夫は光に そう言いながら急須の蓋を閉じました。
光「うん。」
光は一旦 立ち上がると茶箪笥の前に行き湯呑を探し始めました。
光「あの… 湯呑って何処にあるの?」
光は上手く探せないようです… すると和夫が言いました。
和夫「おお、一番左の下だ…」
和夫は そう言うと待ちきれない様子で胡座をしている足を細かく揺すらせました
光「あった! ねえ、お父さん これでいいの?」
光は一番大きな物を手に取って和夫に見せました。
和夫「おお、それだ 早くしてくれよ お茶が渋くなるぞ。」
光は和夫に そう言われ湯呑をもって居間に戻ってきました。
光「はい! ねえ、お父さん ぼくに入れさせてよ。」
光は和夫に そう言いながら湯呑を渡し急須を受取る素振りを見せました。
和夫「えー… 火傷するなよ。」
心配そうに和夫が言いました。
光「大丈夫だよ。」
すると光は急須を手に取り湯呑にゆっくりと注ぎました。
【トボトボトボ…】
(お茶が湯呑に注がれた)
和夫「うん… 中々 注ぎ方が上手だな…」
和夫は光の注ぎ方が慣れている様に見えたのか、感心しました。
すると光は笑いながら答えたのです。
光「へへへ、だって 毎日カップラーメンとか お茶漬けとか ばっかりだったから お湯を入れるのは得意だよ。」
和夫「そうか… どうりで慣れている訳だ…」
和夫は そう言うと光の注いだ お茶を一口飲みました。
俊「家事か…」
俊が不安そうに呟きました…
和夫「どうやら お前達は 家事は何も やった事は なさそうだな。」
思った通りと言った表情で二人を見ました。
俊「まあね…」
光「ぼく家事なんて今まで何もした事無いし… 出来るかな…」
二人は戸惑いながら そう答えました。
俊「ん―… でも ご飯を炊くのは家庭科の授業で少し勉強したけど。
お父さんも料理は出来ないからなあ…」
すると俊の言葉に和夫は笑いながら、答えました。
和夫「ははは 大丈夫だ飯は俺が作る! その代り米は お前達に交代で炊いてもらうぞ、いいな。」
和夫が得意そうに そう言うと光は和夫が冗談で言ってるのかと思い驚いた表情で問い掛けたのです。
光「え!? お父さんご飯作れるの? やった事あんの!?」
しかし…
実は和夫は若い時分に横浜の中華街で料理の仕事していた経験があり、料理の腕前は商売人の域に達する程だったのです。
タクシー運転手の職に就く前には、宮子と一緒に川原の土手に屋台を出していた事もありました。
でも、そんな話は子供達に一切した事は無かったのです。ましてや料理を作っている姿も今までに一度も見せた事はありませんでした。
和夫「心配するな任せておけ! 俺は こう見えても料理には自身がある。
今から お前達には米の炊き方を教えるから まず俺がやる事を よく見て覚えるんだ。」
和夫が そう言うと俊は とても驚き、光は信じられない様子でソワソワしていました。
俊「へ――っ! お父さん料理するんだ 知らなかった。」
光「本当かな… 美味しいのかな…」
すると、和夫は米の炊き方を教える為に まず米を準備し始めました。
和夫「えーっと… まずは米を釜に入れてっと…」
和夫が櫃から米を釜に取り出すと、それを一旦 流し台に置き水を流しました。
【シャー… シャッシャ! シャッシャ!】
(和夫が水を流すとリズムよく米を研ぎ出した)
俊「へえーっ!」
光「すごい…!」
俊と光は その和夫の行動を ただ ひたすら感心して見ていました。
その手際は商売人の域に達しているだけあって 無駄な動きのない完璧なものでした。
二人は、生まれて初めて父が台所に立つ姿を見て驚き感動して見入ってしまいました。
そして、ただ見とれている内に米は、あっと言う間に炊飯器に準備されてしまったのです。
【ポンッ… カチャッ…】
(釜が炊飯器に納められた)
和夫「良しっと… これで完了だ。 どうだ なんとなく解ったか。
後は三十分程 水に浸してから炊飯器のスイッチを入れれば飯が炊けるって訳さ。 ははは 簡単なものだ!」
和夫が笑いながら そう言うと 俊と光は とても驚いた様子で話し出しました。
俊「お父さん すげー 家庭科の授業で教えてもらった やり方と全然違うよ! 何か お店の人みたい!」
光「冗談じゃなかったんだ! すごい すごい! 本当に料理が出来るんだ!」
和夫は二人の あまりの感動の大きさに今度は少し苦笑い しながら答えました。
和夫「おいおい… 米を研いで炊飯器に準備したぐらいで大げさだよ… 実際の料理は こんなものじゃないよ。
今日は 買い物にも行ってないから 料理と言う物は作れんが… 米が炊けたら握り飯を作ってやるからな。」
和夫が そう言うと光が不思議な顔で質問しました。
光「何、握り飯って?」
和夫「えっ 握り飯で解らんのか? おにぎり の事だよ。」
和夫が呆れて そう言うと光は恥ずかしそうに小さく笑いながら答えました。
光「あっ、おにぎり の事か… ははは。」
光が そう言うと俊はとても興味深そうに話し出しました。
俊「おにぎりか… でも お父さんの おにぎりって どんな感じなんだろう。ワクワクするね。」
光「そうだね、ぼくも 楽しみだよ。」
俊の言葉に光もニコニコしながら言いました。
和夫「そうか、そう言ってもらえると作り甲斐があるってもんだな。」
和夫は そう言うと二人の嬉しそうな言葉と表情に少し照れ臭かったのか居間に戻って行きました。
すると、俊と光も後を続いて居間に戻って行きました。
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三人は再び火燵に入りました
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和夫「じゃあ 明日は さっきの方法を真似て 俊が米を炊いてみなさい。」
和夫が再び お茶を飲みながら そう言うと俊は とても元気に答えました。
俊「うん! 俺 やってみるよ。」
楽しそうな顔で返事をした俊に和夫も微笑みながら言いました。
和夫「頼むぞ… さっき家庭科の授業で やった事あると言ってたから お前なら光より要領が解るだろう。」
俊「うん大丈夫! 水加減も学校で教えてもらったからバッチリだよ。 あっ、でも… 光は何をする?」
和夫に期待され やる気 満々の俊は 今度は光の事を気にかけました。
光「じゃあ ぼくは お風呂の掃除をするよ その位なら出来そうだから…」
光が申し訳なさそうに小さな声で そう答えました。
和夫「おお そうか、それは助かるな。じゃあ今度は風呂掃除の方法を教えるからな。」
すると和夫は火燵から出て立ち上がり 二人を風呂場まで連れて行きました。
和夫「ではまず… この洗剤でだな…」
和夫は二人に風呂掃除の仕方を一通り教えました。
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風呂掃除を教わる光と俊…
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和夫「…とこんな感じだ。」
掃除が終わると 和夫は早速 風呂を沸かし始めました。
光「…」
俊「…」
そんな、父親の後ろ姿を見て二人は母親と暮していた時の自分たちの生活が いかに杜撰な物であったかを思い知りました。
家の手伝いなど何も学んだ事のない二人…
和夫が教えてくれる事は二人にとって とても新鮮な時間でした…
そして、この時… 光も俊も自分の父親の存在の大きさを改めて実感するのでした。
風呂の準備を終えた和夫が居間に戻ると また次の行動に移す為 慌ただしく話し出しました。
和夫「よし、それじゃ次は…」
和夫が そう言いながら行動を取ろうとした時…
俊「お父さん、帰ってから ずっと動きっぱなしだから、少し休憩しなよ。」
俊が和夫を気遣ったのです。
和夫「そうか… それも そうだ。 ありがとうな…」
和夫は そんな俊の小さな気遣いに心が温まりました。
それから、三人は火燵に入りながら少し休憩して昔の事を淡々と話していました。
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そして、数分後…
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【カチンッ…】
(炊飯器のスイッチが切れた)
和夫「おっ、米が炊けたようだな… よし、もう少ししてから 作るとしよう。」
和夫が その後 炊き上がった ご飯で子供達に おにぎりを作ると、子供達は再び大騒ぎです。
俊「すげー! 簡単に出来上がったよ!」
俊が そう言って目を白黒させながら感心すると、今度は光も大声で騒ぎ出しました。
光「うん、お母さんのと形が違うね! すごく美味しそうだよ!」
そんな和夫は二人が あまりにも嬉しそうに はしゃぐので この上ない幸せを感じていました。
それは、自分の愛情が二人の息子達に伝わった瞬間でした…
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そして おにぎりは出来上がりました
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和夫「よし 出来上がりだ! じゃあ お前達は先に食べていなさい。俺は風呂に入ってくるから。」
そう言うと、和夫はタイミングよく沸いた風呂に先に入りに行きました。
俊 光「いただきまーす!」
俊 光「うめぇ~!」
二人は お互いの顔を見合せて とても幸せそうな声でそう言いました。
その後、おにぎりを食べながら 二人は静かにテレビを見ていました。
俊「はははは」
光「ははは…」
テレビを見ながら笑う俊と光…
光「あっ!」
暫くして突然、光が ある事を思い出し慌てて自分のカバンの中身を漁ったのです。
光「そうだった… 忘れてたよ… 颯から もらった箱の事!」
そうです… 颯からもらった箱は家に着くまで開けない約束でした。
【ガサゴソ… ガサゴソ…】
(光は自分のカバンを漁った)
光「あった、あった…」
光は箱をカバンから取り出すと期待に胸を膨らませながら ゆっくりと箱の蓋を開きました。
光「ん?、何だろうこれ?」
中に入っていたのは、なにやらガラスの欠片の様な透明で綺麗な石でした。
光は その石を手に取って見ると箱の底の方に何かが書いてある事に気付きました。
光「何だろう… えっと… い… き… ろ… 【い・き・ろ】 あっ!」
何とそこには『生きろ』と書いてあったのです…
光は病院に居た時、颯に自分が入院した事や今の環境を全て話していたのです…
両親の事… 環境の事… 身体の傷の事…
颯は、そんな 境遇の光を気の毒に思っては元気付ける為に いつも言っていた言葉があったのです。
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颯「今のお前は本当に辛い事ばかりだな…
だけどさ… 生きていれば楽しい事が この先に絶対にあるよ!」
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石を持ったまま 颯の言葉を思い出す光…
光「颯…」
そして光は どうしても その石が何かを知りたくて俊に見せてみました。
光「ねえ お兄ちゃん… この石 友達から貰ったんだけど 何だか解る?」
俊「えっ石? どれ…」
俊は光から石を受取り手に持って眺めると不思議そうに首を傾げ考えました。
俊「ん―――… なんだろ こりゃ… 解らねえよ ガラス玉 みたいだけどな。」
そう答えると俊は親指と人差し指で石を持ち居間の蛍光灯に霞ませ片目を閉じて覗き込んでみました。
すると、いつの間にか風呂から上がっていた和夫が俊の手から その石をヒョイと取上げました。
和夫「ほほう… これは水晶の欠片だな。 一体どうしたんだ これ?」
光「水晶!? うん… これ 今日 病院で颯にもらったんだ… この箱の中に入っていたんだ。」
そう言って光は和夫に生きろと書いてある箱を見せました。
和夫「い・き・ろ? 生きろか…」
和夫は、その水晶を光の手のひらに戻すとバスタオルで頭を拭きながら話しを続けました。
和夫「俺もあまり詳しい事は知らんが、水晶は生命のエネルギーを宿す石と言われていて、よく お守りにされる事があるな。
きっと お前が退院したので あの子が お守りとして渡したんだろう… 本当に彼は優しい子だな。」
和夫にそう言われ、光は また少し颯の優しさを思い出してしましました。
その後、光は一人になりたくて自分の部屋に行ったのです。
そして まだ病院で入院している颯の事を考えながら光は部屋の窓を ゆっくり開け空を見上げました。
空は一段と星が輝き…
見ているだけで吸い込まれそうになります…
光「水晶か…」
手に持った水晶を上に向け そっと空を覗けば…
そこには無数の星の輝きが反射して見えました…
そして、光は心の中で誓ったのです…
光『ありがとう… 颯… ぼくは 生きるよ。』
すると、その誓いに夜風が反応したかの様に、光の頬を掠めて通り抜けました。
夜風は冷たさの中に何処となく暖かみを帯びて柔らかく吹き抜けました…
それは、まるで颯の心を現している様で とても不思議な感覚でした…
光が暫く そのまま外を眺めていると居間の火燵でテレビを見ていた俊が言いました。
俊「おい光… 寒いから窓を閉めろよ。お前 また風邪引くぞ。」
光「あっ、ごめん… 明日の天気が少し気になっちゃって。」
光の目には、少し涙が浮かんでいました…
でも 俊には照れ臭そうに そう言って 誤魔化したのです。
でも俊も そんな光の心を察していたのでしょう…
テレビを見たまま小さな声で言いました。
俊「良かったな…」
光「えっ!?」
突然の俊の言葉に驚きながら聞き返す光…
少し驚いた表情の光に今度は はっきりと言いました。
俊「良かったな、いい友達が出来て。お前友達少ないからな!』
すると、俊は軽く微笑んだのです。
光「うん!」
和夫「…」
和夫は そんな二人達の会話を聞きながら久しく見ない光の清清しい笑顔に安心し小さな幸せを感じるのでした。
その後二人は順番に風呂に入りました…
そして皆が風呂から出ると 三人は再び火燵で話しを始めたのでした。
視えなかった空白の時を…
一つ一つの誤解を埋めて…
何時までも三人で仲良く語り続けるのでした。
つづく