第九話 友情の欠片
マリノア大学病院に着いた二人は、直ぐに救急外来の受付に走りました。
紹介状のある患者は緊急を要すると判断され、光は直ぐにレントゲン室へと連れて行かれました。
その間、和夫が待合室の椅子に座っていると、顔見知りの看護士が、和夫に気付き声を掛けてきたのです。
看護士「あれ、ナベさん!?」
和夫「ああ! これは婦長さん、今日は夜勤だったんですか ご苦労様です。」
その看護士は 看護婦長でした。
婦長「どうされたの こんな時間に。」
婦長は和夫を見て とても驚いた様子でした。
和夫「いや、実は息子が急に食中りを起こしてしまって…」
和夫は苦い表情で そうに答えました。
婦長「それは、お気の毒に… あれ? でもナベさんって息子さんいらっしゃったのね、驚いたわ。独身かと思っていたから。」
そうです 和夫はいつも自分の仕事着を職場で洗濯していたので その姿を見ていた婦長はすっかり独身だと思っていたのです。
和夫「いやいや、お恥ずかしい話ですが… 数年前から女房と別居中でしてね、息子とも ずっと一緒に暮していなかったもので…」
婦長「あら、ごめんなさい… 私 余計な事を聞いちゃったわね、気を悪くなさらないでね。」
婦長は そう言うと 申し訳なさそうに頭を下げた。
和夫「いえいえ、こちらこそ… ついペラペラと余計な事を話してしまって済みませんでした。」
和夫は体裁が悪そうに頭を掻きながら言いました。
婦長「いいえ お気になさらずに… では お大事に。」
和夫「ありがとうございます。」
そう言うと婦長は軽く微笑んで業務に戻って行きました。
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その後、光がレントゲン室から出てきた…
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【ギ―ッ… ガタンッ…】(レントゲン室の大きな鉄の扉が閉まった)
光は そのまま看護士の指示で待合室の簡易ベッドに寝かされると担当の医師が抗生剤の点滴を持って現れました。
医師「いいか、少し痛いけど すぐに楽になるから我慢してね。」
【チクッ…】(点滴の針が光の手の甲に刺された)
光「いてて…」
顔を歪め針の痛みを我慢する光。
そして点滴の薬が流れ始めると今までの苦しみと痛みが嘘の様になくなり、吐き気けも静まったのです。
光「はぁ…」
少し落ち着いた光に、医師が話しかけました。
医師「よく頑張ったね、もう大丈夫だよ。あとは体力が回復するまで入院して少し安静にしてようね。」
光は、ベッドに寝たまま軽く頷き、痛みとの長い格闘に疲れてしまったのか、そのまま直ぐに眠ってしまいました。
その後、医師は和夫を診察室に呼ぶとレントゲンを見せながら、病状の説明をはじめました。
医師「レントゲン写真を見る限りでは内臓の方は問題ありません。
おそらく一般的な食中りと風邪が合併したのでしょう。
ただ、お父さん… この子は かなり栄養が偏った食事をされていた様ですね、体力が回復するまでは入院をさせて様子を見ましょう。
一週間も すれば体力も回復して元気になりますよ。
それから、色んなご事情もあるかと思いますが…
育ち盛りの年令です もう少しきちんとした食事を取らせて あげて下さいね。」
医師からそう言われると、和夫は恥ずかしそうに答えました。
和夫「いや… 本当に お恥ずかしい限りです。 先生ありがとうございました。」
和夫は医師に深く頭を下げると、その日は光を病院に残し安心して家路に向いました。
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そして夜が明けた
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看護士「光君、起きて下さい。体温と血圧を測りますよ。」
看護士の呼びかけに光が目を覚ますと、ベッドは小児病棟の大部屋に移動していました。
部屋には、同世代の子供達が沢山いて、朝から少し賑やかでした。
寝ぼけ眼でボンヤリしていると 光に同い年位の男の子が突然 声をかけて来ました。
男の子「おはよう! お前 何年生?」
光よりも小柄で元気な その男の子は この部屋の中心的な存在の様でした。
光「おっ、おはよう… ぼくは 五年生だよ。」
光が そう答えると、その子は 光のベットに【ポンッ】と飛び乗り ニコニコ笑って言いました。
男の子「ふ~ん、なら俺と同じだな 名前は?」
光「ヒカル… 真部 光 君は?」
光は その子の勢いに押されながら答えました。
男の子「俺は、新稲 颯よろしくなヒカル!」
そう言うと颯は光の肩を軽く【パンッ】と叩いてベットから降りました。
光「よっ、よろしく… ハヤテ君…」
颯の勢いに押されたまま 光が苦笑いをしながら そう返答すると…
颯「はァ、ハヤテ君!? 俺達 同級生だぞ、君付はやめろよ。」
颯は光の顔を不思議そうに見ながら そう言いました。
光「えっ? あっ、ぼく あんまり同級生の友達でも呼び捨てしないんだ… 慣れて無いから…」
光がそう言って 恥ずかしそうに俯くと颯は何かを感じ取ったかの様に 光の顔を下から覗き込んで言いました。
颯「へ~ お前 案外いい奴なんだな、でも俺の事は呼び捨てでいいんだよ。
男にハヤテく〜ん、だなんて言われたら気持ち悪りいし。あははは」
颯は そう言って笑い出しました。
光「…」
光は部屋中に聞こえる颯の笑い声に、ますます恥ずかしくなり黙り込んでしましました。
でも颯は そんな光の様子を見ても何の躊躇いもなく平然と話しかけてくるのです。
颯「なヒカル! この部屋で解らない事があったら俺に何でも聞きてくれ。
俺は この部屋に一番長く いるからさ。」
光「うん… ありがとう。」
光は この勢いは苦手でしたが、なんとなく颯の心は今までの友達に無い感覚を得ていました。
それは まるで澄んだ青空を燦々(さんさん)と照らす太陽の様な感覚でした。
そして それは以前に何処かで会っていた様な不思議な感覚だったのです。
そう感じた光は 瞬間的に颯とは 今までも ずっと友達でいたような気がしたのです。
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暫くして朝食の時間になりました
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光にとって、まともな食事を摂るのは 二日振りの事でした。
普通、病院の食事と言うのは あまり美味しい物ではありませんが、今の光にとってこの食事は生涯忘れる事の出来ない位 美味しいご馳走でした。
そして、朝食を食べ終わる頃、和夫がベッドにやって来ました。
光「あっ、お父さん。」
光が和夫に気付いて声をかけました。
和夫「おはよう 光、どうだ気分は。少し落ち着いたか。」
光の声に気付いた和夫が側に来て そう尋ねると光は元気よく答えました。
光「うん大丈夫! もう痛みも全然無いし 食欲もあるよ。」
和夫「そうか、それは良かったな。着替えを用意して来たんだ。」
そう言うと和夫は光の着替えをベット脇の棚に片付けはじめました。
光「ありがとう。 あっ、そうだ! お父さんは ちゃんと眠ったの?」
和夫の身体を気遣う光。
和夫「え? ああ… 俺は大丈夫だよ。」
和夫は一旦 家に帰りましたが、ほとんど睡眠はとってませんでした。
光「ごめんなさい… ぼくが 変な物食べたから こんな事になっちゃって…」
光は和夫の様子を見て、直ぐに睡眠を取ってないと分かり申し訳なさそうに謝りました。
すると和夫は苦い表情をしながら優しく答えました。
和夫「何 言ってんだよ… お前は自分の身体を早く治す事を考えてれば良いから 余計な心配するな。」
光「うん…」
光は和夫の優しい言葉に感謝しながら、笑みを浮かべ素直に頷きました。
その後、和夫は光が食べた食器を片付けるようと お盆を手に持って食べ残しがないかを確認した時、何かを思い出したかのように話し出しました。
和夫「ああ、そうだった… 担当医の先生がキチンと食事を摂って 一週間も安静にしてれば退院が出来るって言ってたぞ。」
すると、何故か光の表情が少し曇り出したのです。
光「一週間か… 残念だな…」
光が突然 変な事を言ったので不思議に思った和夫が心配そうに尋ねました。
和夫「ん、何だ!? お前 退院したくないの?」
すると光は照れ臭そうに答えました。
光「だって… 病院に居れば、ちゃんと ご飯が食べられるから…」
この言葉に和夫の動きが止まりました…
和夫「…」
そして、暫くして和夫は言葉を濁す様に、少し慌てた口調で話し出しました。
和夫「ば、バカだなぁ お前は… 何言ってるんだよ。
これからは、お父さんが居るから、そんな心配はいらないだろ。 ははは 参ったなあ…」
和夫は周囲を気にしながら頭に手を当て 笑って誤魔化しましたが、和夫にとって光のこの何気ない一言は心を貫かれる思いでした。
そして この一言は余りにも深く光の辛さを心を現してると反省したのです。
和夫「じゃあ光、 俺は仕事があるんで また後で来るからな。」
和夫はそう言うと、足早に病室を出て行きました。
光「うん… 頑張ってね。」
光は そう言ってベットの上から病室を出て行く和夫を見送りました。
その後、光は活発な颯のお陰で病室の子供達ともすっかり馴染んで、皆で楽しく遊んだり、勉強したりして過ごしていました。
光は今まで一日がこんなにも楽しいと感じた事がありませんでした。
友達と思いっきり笑っている その姿は本来の小学生の様に生き生きと輝いていました。
そして、楽しい時間は あっという間に過ぎて行ってのです。
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小児病棟が就寝時間になる頃
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看護士が病室を見回りに来ました。
看護士「じゃあ みんな、今日は もう就寝時間ですから 早めに寝て下さいね 電気を消しますよ。」
【パチッ…】(病室の電気が消えた)
部屋の電気が消えた後、光はのベッドの薄暗いスタンドライトの明かりを灯しました。
すると、隣のベッドの颯がカーテンを少し開け 光に話しかけて来たのです。
颯「なあ光… お前 直ぐに退院しちゃうんだってな…」
颯は朝の和夫と光の会話を少し聞いていた様でした。
光「えっ!? ああ、うん… 一週間位だって先生が言ってたみたい。
でも、何でそんな事 聞くの?」
光は颯の言葉に少し戸惑いながら小さめの声で答えました。
颯「えっ!? いや… べ、別に何でもねえよ! おやすみ!!」」
颯は光に そう聞かれると 何故か急に慌てながらカーテンを閉めて寝てしまいました。
おそらく 自分と同い年の光が早く退院してしまう事が颯にとって寂しかったのです。
颯の そんな姿を見た光は 何故か彼が少し可哀相に感じてしまいました。
そして、光はカーテン越しに颯に声を掛けたのです。
光「ねえ颯… ぼくは 今日 君と出会って友達になったんだよ。
まだ君の事は何も解らないけど… でもね…
何か君とは前からずっと友達だった様な、そんな気がするんだよ。
ぼくは、一週間したら退院しちゃうかもしれない…
だけど… 退院したって君とはこれから先もずっと友達だと思ってるよ。
だから 元気出してね。」
そう言った後、何故か カーテンの向こうで颯が泣いている姿が光の脳裏に映りました。
光『颯…』
そして 光は今日一日の感謝の気持ちを颯に伝えたのです。
光「それと、今日は色々ありがとう また明日も たくさん話そうね じゃあ おやすみ…」
それ以上の言葉は要らないと感じた光は、自分のベットに入り、学校の友達や皆の事を思い出しながら眠りに付きました。
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そして入院から四日目の午後の事…
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三郎「おう光、大丈夫か! ほら お見舞いのマンガ本持って来たぞ。 がははは!」
驚いた事に、病室の前には三郎が立っていたのです。
すると その後ろから…
麻子「もう光… 何でお姉ちゃんの家に来なかったの、意地張ってバカなんだから!」
なんと、和夫から状況を聞いて三郎と麻子が見舞いに来てくれたのです。
光「三ちゃん、それに麻子お姉ちゃん… 心配 掛けて本当にごめんなさい。」
申し訳なさで少し涙目になりながらも、光は二人の見舞いを とても嬉しく感じていました。
三郎「元気そうで良かった、退院したら遊園地に連れて行ってやるからな。がははは!」
そう言うと三郎はニコニコしながら光の頭をグリグリと撫で回しました。
麻子「ねえ光… 退院したら暫くお姉ちゃんの家から学校に通いなさいね。
本当になんにも気にする事 無いんだよ。」
麻子が光を見て 心配そうに そう言うと 光は下唇を噛みしめながら答えました。
光「ありがとう お姉ちゃん… でも その事は お父さんと お兄ちゃんと話してから考えるよ。
それに お母さんだって… あっ、そうだ! ねえ三ちゃん お母さんとは連絡は付いたの!?」
三郎「あ…」
すると今まで笑っていた三郎が急に黙ってしまいました。
そして麻子が三郎と顔を見合せながら 浮かない顔で話し始めたのです。
麻子「それがね光… お母さんは 今も家に帰ってないらしくて…
昨日 お姉ちゃんの所に電話があったのよ… そしたら自分の用件だけ言って切ろうとしたから、とにかく光がここの病院に入院したの事だけは伝えたんだけどね。」
すると 黙っていた三郎が再び光の頭を撫でながら言いました。
三郎「光、大丈夫だ! 心配するな! お前は早く身体を治せばいい、解ったな。」
そう言ってニコッと笑った三郎の顔を見ても、宮子の話には光もあまり元気が出ませんでした。
光「うん…」
麻子に母の事を聞かされ 自分が入院しても何の変化も無いという状況に 光はやり切れない不満を感じていました。
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それから 三郎と麻子は一時間ほど
世間話をして帰りました
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その後、光は いつもの様に颯や病室の友達と遊んで過ごしていました。
しかし、宮子の事を考えると、何故か心の片隅に切なさが残り元気に振る舞う事が出来ませんでした。
それから 夕方になり 病棟は夕食の時間になりました。
光は 病室の廊下に準備された配膳を いつもの様に颯と一緒に取りに行き 足元に気を付けながらベッドに戻ろうとした時、病室の入り口の前に誰かが立っている事に気付いたのです。
光「ん?」
颯「何??」
謎の人「…」
光は その足元から 何気なく上を見上げて見ると…
【ド――――――ン!!】
そこには光が予想もしていなかった人物が立っていたのでした!!
光「おっ、お母さん!!」
何と そこには 怒りの表情で腕を組み 宮子が佇んでいたのです。
宮子「入院なんかしやがって… このバカが!
おい、光! あんた随分とあたしに見っとも無い思いをさせてくれたね!!
覚悟は出来てんだろうね!!」
突然、光の前に姿を現した宮子…
怒りの表情で佇む宮子の【覚悟】とは…
一体 何を意味しているのだろうか…
颯「こえーなー…」
つづく