7:条件
~大亀討伐まで残り6日~
霙の朝は早い。太陽が昇り始めたころには霙は身支度を整えて『練習』を始めるために動き出す。
「──ふぁああ……よし!」
今日は王都の外壁部分まで行き、菫から教わった『氷系魔法』の練習である。
大きなあくびをしている中性的な美少女が手に持っているのは水の入ったバケツ。賢者の嫁である菫曰く、最初は水を空中に固定させる練習から始めると良いと言われたから持ってきたわけなのだが……
「――わかんねえし、固まんねえし、なんだこれ?」
霙が菫から教わったイメージは水に風を送り、少しずつ冷たくなっていく様子。
段々と冷たく。段々と固く。
目を開けば『氷』があるはずだったのだが……
「完全にゼリーじゃねえかよ、はぁ~よし、もう一回」
ゴーストタウンに行ったあの日、菫たちを助けると約束したにもかかわらず忘れて帰ろうとした霙。正直に言うと、あの時菫が引き留めてくれなかったら絶対にゴーストタウンに戻りはしなかっただろう。
「あんた、ウチの人と同じで見えてるんでしょ?」
霙は楽しそうなことが起きそうだと思った。口の端を歪めて笑顔を作る。
「へ~分かるんだ」
「私もあの人も『魔力』が見えてるからね。一応言っておくけど、この場で理由を聞こうなんて思わないことね、知りたければ後で誰もいないところで一人で読むことね」
そう言って菫は霙に透明な本を投げつける。否、透明だが霙と菫には見える。
『魔力』と『魔法』は根本は同じもの。透明にする魔法がかけられていようと霙と菫には見えるのだ。
「さあ、霙ちゃんには色々と説明しないとね」
エリンさんには賢者の生前の話を聞いた程度にしか話していなかったが、本当は違う。
まず何をどう助けるのかについて、あの場所は二つの術式の核である。一つは王都全体に施された防御魔法、これによって王都は戦争と魔獣の攻撃によって負けることは無くなった。
そして、もう一つの術式があの霧である。
「この霧はね、王都やここに魔獣を近付かせなくするだけじゃなくて王都の防御魔法の核である賢者の墓を視覚的に隠す役割もあるの。それだけじゃなくって、この霧はね私達を霊体の状態でも活動できるようにしてくれるの」
「それで、私は何をすればいいんですか?」
「その術式に霙の魔力を分けてほしいの」
言われてみれば当然のことだった。
魔法はタダで使えるわけではない。魔力を消費して魔法を使うのだからこの術式も当然、魔力を消費している。
菫曰く、昔は賢者の墓に多くの参拝者が来たらしく、術式はそんな人々から少しだけ魔力を奪っていたらしいのだが、年々賢者の墓に来るものは減っていき、しまいには『ゴーストタウン』などと呼ばれるようになってしまったという何とも可哀想な話である。
「はいはい、分かりましたよ」
(そういえばエリンさんが昔はもっと霧が大きかったって言ってたっけ?)
そうして、霙は賢者の墓に自分の持っている莫大な魔力を分けた。
はぁ、つくづくあのモノクロ天使は性格が悪い。
私がズルとかが嫌いなのを知っていてやってるとしか思えない。異世界なのに私達の感覚的な部分で魔力を効率よく使うとか、増やすとか、あっちの世界だったらまだしも異世界という未知の中で、自分の本能は知っていたとかいうのはどう考えてもアイツラの嫌がらせだ。
霙は自身の魔力の多さに対して、人のことをあれこれできる二柱の超越存在に対して憤った。
「これでいいですか?」
「うん、本当にありがとうね霙」
散々『ちゃん』付けだった人に急に呼び捨てで言われると、なんだか恥ずかしい。
「お礼に私にできることなら何でもするよ」
「『え?今なんでもって……』」
「出来ることならね」
またしても前の世界のネタを持ち込んでしまった。
(そこは『いや、なんでもとは言ってない』でしょうよ!!)
まぁ、おふざけは置いておいて霙は急に真面目な顔になる。
「じゃあ、二つほど頼みたいんだけどさ」
霙が菫に頼んだこと。
一つ目は氷系魔法を教えてもらうこと。
もう一つは、賢者の嫁という立場を使って『霙の存在』を保証してもらうこと。
国王に霙の存在を認知させ、『大亀狩り』の参加資格とあの魔獣の素材を手に入れる権利を得る。賢者の嫁の推薦があれば、簡単なことだろう。
「――分かった。全力を尽くすよ」
こうして霙は氷系魔法の練習法を教わり、練習しているのだが……
「何でゼリーなんだよ(プニプニ……)あ、さっきよりは固いかも」
正直、出来すぎている気もする。
普通は賢者の嫁などという人に会うことが出来るはずがないのだが、ゼロとワンが言っていた『楽しませろ』 つまりは私の準備が出来るまでは助けようとでも言うのだろうか?
「霙ちゃーん!」
どこからか聞き覚えのある声が聞こえる。
王都の出入口を見てみると銀の目をした白衣の天使がこちらに向かって手を振りながら歩いてくる。
そして、その手にはバスケットを持っていた。
「これ朝ごはん。霙ちゃん食べずに出て言ったでしょ」
霙は額の汗をタオルで拭き、エリンさんと朝ごはんを食べることにした。
「ありがとうエリンさん。ちょっと行き詰ってたんだ」
霙は食べながら、エリンの持っている魔道具『ナイフ』の一つ、氷魔法を放つことのできるナイフを見せてもらった。
「ん~やっぱり見たままを表現した方が良い気がするんだよね~」
霙がナイフに魔力を込め、グニグニとした水を氷に変えた。
霙はサンドイッチを口に押し込みナイフを眺めながら頬杖を突き、唸っている。
「――ねぇ霙ちゃん」
「ああごめん、今返すね」
そう言ってエリンにナイフを返すがエリンの表情は優れない。
「……霙ちゃんもさ、『異世界流しに』遭ったんでしょ。それってどうしてなの?」
霙にはなぜ今その話が出るのかわからない。
「理由ですか?」
「そう、ドクターと初めて会ったときはお互い凶暴でね、今みたいに落ち着いてなかったの」
いちいち間を置くあたりエリンには何か感じるところがあるのだろうと霙は推測する。
「つまり?」
「貴方もこの世界に流されるだけの『罪』があるってこと。この世界の人なら『異世界流し』に遭った人がみんな魔法以外の不思議な力を持っていて、その力でもって人々を苦しめたりする『罪人』だってことを知ってる。それでもあの村のドクターが皆に慕われてるのは、『罪人』が罪を償う努力をしたから……貴方にはそれがあるの?」
「…………」
言葉に詰まる霙。
当然だ、霙にとって『異世界流し』など自分が羽を伸ばしてもいい場所に神様が送ってくれた程度にしか感じてない。
(罪の意識? え、あの事かな? ……でもあれって私が悪いの?)
霙の中で様々な思考が飛び交う。霙は頭を押さえながら懸命に言葉を発する。
「ちょっと……待って……今、苦しいから」
エリンも霙の異常な様子を見て察する。
霙の見に何が起きているかは分からないが、頭と胸を押さえて苦しんでいる彼女を見ていると『異世界流し』の事など関係なしに気になってしまう。
彼女の過去を
「はぁ……はぁ……分かった。話すけど、一つだけ条件がある」
「条件?」
「この世界の戦闘について、貴様が知っている限りを妾に教えてもらおうか?」
言葉遣いが変わった霙。
しかし、本来の日本語としては間違ってる。『妾:わらわ』というのは元々は奴隷を指す言葉で、今となっては自分をへりくだって言う言葉であり、高圧的な態度とは真逆の存在。
要するに自分の方が下の人間ですよ という表現。勿論、霙はそのことを知っている。
「分かった」
エリンはどうしても『神無月 霙』という生き物を知りたかった。
人より優れた回復力、戦闘力……乙女に聞くのはどうかと思うが、見た目にまったく合わない体重。
ドクターは話が通じたからこそ、村のみんなと仲良くなった。エリンは霙とも仲良くなりたかった。
大昔は『異世界流し』に遭ったものは何人たりとも生かすことなどなかったが、今は社会に溶け込んで必死に働いている『流人』もいるのだ。
エリンはドクターと初めて会った時の事を思い出しながら霙の話を聞いていた。