28:二度目の旅立ち
激しい痛みと、頭にムカデが這うような幻覚を感じて苦しむ霙。
気が付くと、いつの間にか霙は食堂でラウルやルーナ達に囲まれていた。
「───大丈夫? ミゾレっち」
「へ?」
「霙、ずっと、ボーっと、してる。ルーナ、心配」
よく分からないが、食卓に小さなケーキがあり「いつまでも友達だよ」と書かれていることから霙とのお別れ会だと推測する。
(そう言えば、ライトがお別れ会の準備がどうとか言ってたっけ?)
正直に言うと、霙は心配なのだ。もしかしたら菫や氷雨の仲間や本人が転移魔法でコッチに来ているのではないか? ゼロと話した後からここまでの間、一体どの『霙』が何をしていたのか。こういうことは今までにもあったけど、こんなに不安になったのはこれが初めてかもしれない。
「大丈夫? ……大丈夫だよ。ちょっと寂しいなぁ~って思ってただけ」
ライト。カグツチ。流花。ルーナ。そしてラウル。
ルーナを除く全員が、ようやく『自分たちの知る霙』に戻ったことに安堵していた。
「それじゃあ、続きを…………」
ラウルの一言で霙のお別れ会が再び始まる。
楽しい時間。
素敵な仲間達。自分を信じて、守ってくれたラウル。
思えば『賢者の書』を菫に貰った時、彼女は特別なにかをしろとは言わなかった気がする。
ケーキを食べ、皆と話す。流花とライトは涙し、ルーナは目の部分だけが薄く開いた真っ黒のお面をくれた。
「はい、これ、あげる」
「え、え~っと……お面?」
「ルーナ、作った。流花と、一緒に」
「そ、そっか。大事に使うね」
黒い外套に黒いお面。夜の闇の中であれば誰にも気付かれないかもしれない。
(ルーナなりに私のことを心配してくれたのかな? そう言えば三杉師匠も俺に指輪とか外套とか……ん? なんか自分というか、違和感が……?)
「さて、ラウルは俺に何かくれんのか? 賢者だし、校長だし、ギルマスだしさ。期待してるけど、どうなのさ」
「もちろん用意してあるよ。それも、霙ちゃんにとって一番重要なモノをね」
そう言うと、ラウルの掌から薄ピンクの煙と花吹雪と共に巻かれた紙が出てきた。
「私の世界のアニメでも見たの? すごく胡散臭いマジシャンみたいなことしてさ。ウチの世界のアニメだと、そういうことするキャラって皆からウザがられるんだよ」
ちょっとした演出のつもりなのだろうが、その本質が転移魔法の応用であることが物理的に見えて理解してしまう霙からすると、魔力の無駄のように思えた。
「あれ~? 何だか不評だね。特異の賢者である僕の十八番なんだけどなぁ」
ラウルが巻き紙を食卓に広げる。ラウルが持っていた巻き紙はライデンの町の周辺を描いた地図だった。
「いいかい、北にあるドーナツ状の森に囲まれてるのが神聖魔法王国で……
「いや、北とか南とか分かんないから。悪いけど、もっと分かりやすく言ってくれないかしら?」
口を挟む霙。地図が読めず、方向音痴で運もない霙からするとラウルが何を言っているのか全く分からない。
「…………えーっと」
「つまり、この地図の左にあるのが神聖魔法王国で、真ん中の丸いのがライデンってことであってる?」
「まぁ、あってるよ」
これにはさすがのラウル達も呆れ顔。
その様子を見て、カグツチは一人で食堂を出て行った。
「これから霙ちゃんが目指すのはライデンの右側にある山を越えた先にある港だよ。その港から帝国っていう反神聖魔法王国派の国に行くんだ」
「港? 地図には山とちっちゃい町みたいなのしか描いてないけど?」
「一応言っておくけど、そのちっちゃい町は危険な町だよ。命を軽んじ、自身の身体すらどうとも思わない奴隷と淫行の町とでも言っておこうかな」
「でも、そこ以外に補給はない。港はその先にあるんでしょ?」
「うん。話が早くて助かるよ」
「それじゃあ……皆、ありがとうね」
席を立ち、周りの皆の顔を見渡す。
カグツチだけがいないのが残念だが、食堂の物陰からゴリラ先生こと剛田先生が覗いているのを見つけたから十分だ。
「ミゾレっち」
「みぞ、れ」
流花とルーナの二人に抱きしめられ、エリンと三杉との別れを思い出す霙。
ライトは恥ずかしいのか、顔を赤らめるだけで抱きついてこない。
~ライデン領:出入り口~
「それじゃあ皆、言い残すことは……ない訳ないか」
「ラウル。カグツチにも伝えて欲しいんだけどさ」
「何だい?」
大きなリュック。黒い外套に黒いお面。その外套から見える紫色の武器。
外は既に夜。真っ黒な霙の姿は、今にも闇に消えそうで、その表情は見えない。
「皆もよく聞いて。このライデンは神聖魔法王国の一部なんでしょ? だったら絶対にこの町にも私の探索部隊が来る。だから、私のことを聞かれたら素直に答えていい。もしも何か困ったことがあったら魔道具店の店主の『三杉』って人か、白髪で銀色の目をした長身の『エリン』って人を頼りなさい。二人とも、私の大切な人だから」
先を見据えた言葉。
ラウルや流花達からはお面で霙がどんな表情をしているのか分からない。
「霙……よし、僕が合図したら全力でこっちの方向に走るんだよ」
「??? ラウル? どうしたの? 急に呼び捨てなんて」
「僕は……特異の賢者だからね。僕の全魔力で、出来る限り時を止める」
「えっ……」
かすかに鼻をすする音がした。
ラウルは泣いているのだろうか? でも、私は振り向けない。
「大好きだよ。霙」
背中を押され、時が止まった。
静止した世界。だが、夜の闇の中では本当に時が止まったのかよく分からないけど、霙の目はうっすらと世界に広がっていく術式が見えている。
もう一歩。今度は自分で踏み出す。
後ろのラウルは動けるのだろうか? 他の皆も泣いているのだろうか?
「───ルーナ、ダメじゃないか。お面で前が滲んじゃってるよ」
逃げるように駆け出す少女。何処までも真っ直ぐ進み、振り向かない。お面で視界が狭まって、黒い世界が時間を止めて。
真っ暗な中を一人きり、何も見えず、何もなく。時の流れがあるのかないのか、それすら分からぬ夜の闇。
黒い世界の内側は、塩の香りと湿り気で溢れていた。