遅刻の一ノ瀬明と出港する船
俺は今めちゃくちゃ寝不足で港に立っている。何故かというと昨日夜の十一時ごろ、もうそろそろ寝ようかと思っていた時間だった。その時に突然俺の携帯が振動を始めた。普段誰からも連絡が来るはずもないのでいよいよバグったかと肝を冷やしたがそんな事はない。ただの着信だった。だが繰り返そう。俺には普段誰からも連絡が来ない。辛うじて来るのは通販サイトからの通知メールのみだ。だったら誰だ?悪戯か?悪戯電話すら来たことねえよ。んで仕方なしに画面を確認してみるとそこには『一ノ瀬明名探偵』。自分で書いちゃうのかよ。当然出なかったさ。無視してマナーモードに設定して枕の下に入れて寝ようとしたさ。だがくどい。何度も切ってはかけ、切ってはかけを繰り返しやがる。スパムか。仕方なしに出てみてもどうでも良い話ばかり。お前は近所のばあちゃんか。それだけならまだしもそのどうでも良い会話が朝の四時ほどまで続きやがった。何の虐めだ。俺の睡眠が侵食されている。
そして現時刻は午前五時。つまり朝方。つまり電話が終わってから一時間後。つまり寝てない。拷問か。電話が終わる瞬間に一ノ瀬が「今日の朝五時に港に集合だ!」と言った瞬間には殺意を覚えたぜ。
「……あの女ぁ」
来ない。繰り返すが現時刻は五時だ。一ノ瀬からの指定時間も五時だ。つまりあの女は平気で遅刻しやがる女、という事だ。ふざけんな俺は寝てねえんだよ。
とは言ってもこの港は人が全くいねえな。時間帯のせいでもあるんだろうけどそもそもこの港は使用する理由がほとんどねえんだよな。
この港は『飛鳥港』。この島設立の際にこの島を巣立つ者達を見送るに相応しい港にしようと、そう名付けたらしい。パンフに書いてた。なかなか子供の事を考えてる大人たちのようだった。
しかし巣立つ者達のために作っただけあって、何かしらのイベントでもない限り帰郷しないここの学生たちは当然滅多なことでは使わない。だから基本的には業者が運搬などで使うわけだがそれらの用途はこの港の真反対に位置する『羽鳥港』という島への入口用港が使われることが多い。ちなみにこっちは鳥が羽の使い方をしっかりと理解する、という意味が込められているらしい。これもパンフ情報だ。
まあ結論何が言いたいかというなら暇だ。
誰もいないし船も少し離れた所に小さな船が浮かんでいるだけ。猫か鳥くらいしかいねえ。寝ても良いだろうか?良いよな?誰もいないし。
「あ~よっこら」
我ながらじじくせえがとりあえず多分釣り人用のだろう低いベンチに腰掛けて携帯を取り出し、SNSアプリを開く。
「へ~また面白いことやってら」
にしても来ない。携帯の時計を見てみると五時二十分を回っている。
「俺も参加させてもらえねえかな~。……無理か。怒られそう」
にしても来ない。何だか猫がえさを求めるような顔で寄って来た。
「……え、こんなんもやってるのか。仕事の幅増えたな~。この人たちも大変だなぁ」
にしても来ない。猫が増えてきた。
「あ~これは俺参加できない立場でよかった~。ま、やっても給料とかくれねえだろうし別にいっか」
……にしても来ない。時計を見るともう三十分を超えようとしていた。もういい寝てしまおう。いや待てこれ寝ていいのか?これ寝ちゃったら死なない?大丈夫なの俺?
「おーい助手?君は一体……何もしているんだ?」
ようやく来やがった。だがその声は何だか戸惑ったようなような感じだ。だがそれも当然だろうよ。だって俺今猫まみれだもん。昔から妙に動物に好かれる体質だったがこれ程までだったとは……
「君は……そういう趣味があったんだな。……大丈夫!私はそれでも君を受け入れる自信があるぞ!」
全然大丈夫じゃねえよ。発言がアウトじゃねえか。てか猫に囲まれる趣味ってなんだよ。
んなこたあどうでも良いわ。本題に入ろうぜ。
「遅ぇよ。何してやがった」
「寝坊した」
言い切りやがった。しかもドヤ顔で。腹立つわあ。
いやまあ仕方ねえか。つい一時間半前まで俺と夜通し電話してたわけだしな。寝坊も仕方ねえな。……俺だけ惨めじゃね?
「まあいいよ。んでこの後どうすりゃいいんだ?俺着替えとかなんも持って来てねえけど」
ていうか制服で来てしまった。学生の鑑だな俺。いや一ノ瀬も制服であるセーラー服で来ているな。こいつの体格だったらなんとなくコスプレ感が出ていてなんか怪しい。俺通報されたりしないかね?
「む?確かに君は手ぶらだな。まあ着替え程度問題ではないと思うがまあ私への愛情と忠誠心だけあれば及第点だ!」
何言ってんのこいつ。頭大丈夫?いや大丈夫じゃないですね。だって自称名探偵だもん。
つーかお前も大した荷物持ってねえじゃねえか。何入ってんの?それ。
「女子の荷物の中身など聞くものではないぞ?助手よ」
そう言ってクスクス笑うこいつが本当に腹立たしい。これは睡眠不足だけが理由ではないはずだ。こいつが九割悪いんだ。あれ?睡眠不足もこいつのせいだから十割じゃん。誰かこいつを極刑に処してくれ。ドヤ顔禁止、とかでもこいつにとってはきっと大ダメージだろうから。
「……この後はどうすんだって。船で行くんだろ?どの船だよ」
「む?まだ来ていないのか?……お、アレだアレ。おーい」
そう言って一ノ瀬はぴょんぴょん飛んで海の方向に両手を振り出した。見れば先ほどの小さな船がこちらに向かってゆっくりと近付いてきていた。
どうでも良いが、その手の行動をすると自分が更に子供っぽく見える事、自覚してるのだろうかこいつは。いやしてねえんだろうなあ。なんだか妹を見ている気分だ。妹いねえけど。
「あれで行くぞ助手。今言うのもなんだが問題ないか?」
今言うんじゃねえよ昨日の段階で言えよ。断ってたから。今更ここまで来て帰るっていうも逆に面倒だ。それに目的地は金持ちの家らしいからな。旨いもんが食える可能性があるだけ行く意味はあるってもんだ。
「そうか。まあただの旅行とは行かんし行ってくれたら困るのだが君がいてくれるだけで心強い。頼りにしてるぞ。助手よ」
そう言って一ノ瀬は笑顔を浮かべる。だからお前ずっとその顔でいろよ。
「君はそういうのがタイプなのか?」
一般論だ。何でもかんでも俺の個人意見にすんじゃねえよ。
「そうか。ではこのままでいこうか」
それもどうかと思うが。
「では行こうか」
言って一ノ瀬は港に近寄ってきた船に歩み寄った。それ操縦士からしたら迷惑だぞ。
だが相当操縦技術に自信があるのかそれでも船の挙動が変化することはなかった。何事もないかのように舫い縄を投じた。これ誰が結び付けるの?俺?ええ……
「やあおはようさん。君たちかな?今日のお客様は」
俺が四苦八苦して縄を港に固定すると梯子を降ろして一人の男が出てきた。
少し太った男だった。無精髭を生やし、少し清潔感に欠けるような気もするが船乗りのイメージ的には俺は満足だ。意識高い系のエリートっぽいのが出てきてたら俺は一瞬で嫌いになっていただろう。あおいう連中は不思議と友達が多いから困る。俺には何で友達が出来ないのだろうか?目付きと性格ですねありがとうございます。
「うむ。私たちで間違いありません。今日はどうぞよろしくお願いします」
何こいつ、まともに言葉話せたの?いつもみたいな話し方しか出来ないかと思ってたわ。
一ノ瀬は船長?と二言三言会話を交わすと俺に向き直った。
「では行こうか助手よ」
「へいへい」
にしてもだ。全然どうでも良いが船に乗る時のこの梯子、橋?ってどうしてこうも安定性を求めないのだろうか?ガタガタ揺れて正直怖えよ。船乗りの皆さんは度胸で溢れているようだ。俺には無理だ。如何せん俺の場合は俺の前を歩いている一ノ瀬が一歩二歩進むたびにちっさくジャンプしやがる。待って。マジで止めて。
クソほども長く感じた時間も割と早く終わり、甲板に俺たちは降り立った。ちなみに甲板と書いてカンパンと読むが船乗りの人たちの間では甲板と書いてコウハンと読むのが一般的らしい。どうでも良いな。
さて俺たちの船旅を暗示しているかのように空は濃い雲で覆われている、という事もなく快晴だ。そして汽笛を鳴らして出向する船もどうやら快調らしい。
だが船で何かしらの事件が起こる可能性はどうだろうか?多分ないだろうな。乗組員の数は少ないようだしわざわざこのタイミングで行う事でもあるまい。とはいえ恐らくこの船の執着地点では何かが起こるのだろうな。どうせハチャメチャな事を一ノ瀬がやらかして強制送還とかな。だったら嬉しいものだ。早く帰りたい。
「動いた動いたぞ~」
はしゃぐ一ノ瀬を今すぐ海に投げてしまいたい。そんなことしてると転ぶか船酔いするぞ。この船は小型漁船とかではないが客船にしては小型だろう。あまり知られていないが船という物は小さければ小さい程揺れが激しく大きければそれだけ揺れが小さくなるのだ。漫画で読んだ。
漫画でしか知識を吸収できない自分を嘆きながら走り回る一ノ瀬を眺めつつ物思いに耽る。
この旅で俺には一体何のメリットがあるのだろうか?学校が公欠扱いになる部分しかねえ。明け方まで電話で睡眠を妨害され、更には指定した時間に自分にで遅刻するときた。今現在はデメリット、というか悪影響しかないわ。俺は普通に休みたい。漫画が読みたい。あんな女に付き合う程俺は暇じゃない。俺にはまだ手を付けていない漫画が残っているんだ。早く読みたい。
「いたっ」
あ、転んだ。馬鹿め。
「んん~助手~」
はいはい。
甲板に倒れこんだ一ノ瀬に歩み寄ってから脇に手を入れて起き上がらせる。こうすると一ノ瀬がどれだけ小柄かわかる。本当に同い年かこいつ。さては天才幼女とかで特別編入とかか。何それすげえ。幼女って言えちゃう辺りで一ノ瀬の小柄レベルがすげえ。俺通報されないかな?
「脇に手を入れるというのは女子に対してはかなりギリギリだぞ助手よ」
そこら辺の女子同じようにはみてないからな。
「む?ではどう見ているのだ?」
「あ~妹?もう走るなよ」
「~~~~~~~~~~!」
荒ぶる一ノ瀬を片手で押さえつつ船外に目をやってみる。港はとうに後ろに流れ、小さくなっていた。沖に出たせいか風を少しある。一ノ瀬の体がこれで飛んだりしたら写メ取ってSNSに流してみよう。俺大炎上の予感。
「ほれ。もっかい行ってこい」
言うと一ノ瀬は顔を輝かせ、またどこかへと走っていった。走るなって。
ちなみにどうでも良いが友達がいない者というのは総じて独り言か考え事をする機会が多くなるものだと俺は思っている。事実俺がそうだ。
この旅に一ノ瀬は何かしらの目的があると言っていたがさてそれは何だろうか?旧友と会うとかか?それなら俺はいらんだろう。当てつけか。それとも本当に何かの事件?やめてくれ。ちょっとしたお悩み相談とかそんな物だろう。ただの高校生に大それた事件が降りかかるなんて漫画だけだぜ。
はてどうなる事やら。
ブリッジ部分の後半に上って内部を覗いている一ノ瀬を見上げつつ頭にちらつく疑問を振り払おうとする。
だがそうする必要もなく俺の思考は停止することになる。
「白、か」
自分で呟いていて何に対してだろうかと考え視線の先の物を見て気付く。
一ノ瀬明のスカートが風で捲れ、パンツが丸見えだった。
白だった。
初めて見た。