第三章 『“パウ”レボリューション』②
十六歳となった敦也は、今日も家から歩いて二十分ほどの距離にある中学校へと向かう。いや、正確には中学校の跡地だ。一年半前のあの日以来、それは取り壊され、畑になっていた。その畑で、彼は、休息日である日曜以外の週六日、朝の九時から夕方六時まで働いているのである。
硬いグラウンドに土を入れ、種を蒔き、丹精込めて苗を育て、収穫までを行う。敦也にとってそれは、学校で学ぶ授業よりも楽しく感じられていた。将来の夢などなかった彼にしてみれば、働くということそのものが職種を問わず新鮮だったのである。
学校の正門があった辺りにまできた時、突然、敦也は後ろから声をかけられた。
「上条敦也君だね?」
「え?」
振り返ったその瞬間、「あ、パウ人だ!」敦也はそう思った。
パウ人とは、“パウ”の民のことである。人ではないのでパウ“人”は変だが、日本人は皆そう呼んでいるのだ。
「上条敦也君で、間違いないな?」
再度尋ねてくるパウ人に、敦也は、
「は、……はい」
と、訝しく思いながら頷いた。彼らが進んで人間にコンタクトを取ってくることなど滅多にないからである。
「ちょっと、ついてきてくれるか?」
敦也の名を確認したパウ人は、先に立って歩き始めた。
パウ人の頼みを日本人が拒否することはできない。敦也は彼のあとに従った。
「どこに連れて行かれるのだろう?」不安と恐怖を胸に抱きつつ、敦也は前を歩くパウ人の背を見つめた。
地球人とほとんど区別がつかないパウ人。その顔は、特に日本人に酷似している。「俺たちに似ていたから、あいつらは日本人だけを残したんじゃないか?」一時期はそんな噂まで出たほどである。
しかし、パウ人と日本人の見分け方は簡単だ。最初に侵略したのが米国であったからか、彼らはアメリカンカジュアル(アメカジ)を好んで着用しているのである。ジーンズやチノパンを身につけ、スニーカーを履き、上からスタジアムジャンパーを羽織る。それが彼らの中での流行ファッションなのである。日本人にもアメカジ好きは多くいたが、パウ人がそれを着ることを知ってからは、皆、避けるようになった。そのため、今では、アメカジを着ていればパウ人、と分かるのである。また、彼らは、バンダナを頭ではなく腕や太股に巻くのがおしゃれだと思ってもいる。
パウ人の左腕に巻かれた赤いバンダナに敦也が目をやった時、
「ここだ。入ってくれ」
と、彼は一軒の大きな日本家屋を指さした。
正門跡地から五十メートルほど離れたそこは、敦也の父、隆士の選挙応援を熱心にしてくれていた地元有力者の家であった。だが、現在は誰も住んでいない。“パウ”の支配に反旗を翻し、抹消されてしまったのである。
戸惑いながらも、敦也は家に足を踏み入れた。
パウ人は、勝手知ったる我が家のように玄関から続く廊下を進んで行く。
そして、居間へと着くと、
「まぁ、適当に座ってくれ」
そう言って敦也を促した。
「……はい」
敦也は、座敷テーブルを挟み、パウ人の向かいに腰を下ろした。
「早速だが……」
そう前置きしてパウ人は続けた。
「山田優子という少女を、覚えているか?」
「や、山田!」
いきなり出てきたその名に、敦也は身震いした。
「覚えているんだな?」
パウ人が問う。
敦也は身を乗り出した。
「えぇ、もちろんです。貴方は、山田の今をご存知なのですか?」
「知っているも何も、彼女は、我々のリーダーだ」
「リーダー? それって、山田が地球を征服したってことですか? そんな馬鹿な……」
敦也の頭はこんがらかった。そんな彼に、パウ人は首を横にふって答えた。
「いや、違う。そうじゃない。どうやら、君には初めから話す必要がありそうだ。……そうだな、先ず、現在の“パウ”に存在する三つの勢力について伝えておこう」
「三つの勢力?」
「あぁ、そうだ。ひとつは、“パウ”の持つ武力を用いて新たな星を侵略し、そこに移住することを考えている民、約一億だ。今、地球上で君たちを支配下においているのはこの勢力で、私たちは、彼らのことを“侵攻派”と呼んでいる。二つ目は、高度な文明を持つ星となった“パウ”を大事にし、その技術力は自分の星の発展のためだけに使い、他の星に干渉すべきではないとする約一億の勢力。いわゆる“保守派”だ。そして、三つ目は、“侵攻派”の地球侵略を阻止しようする約一千万。それが、山田をリーダーとする私たち“反侵攻派”だ」
「地球侵略を阻止、ってことは、山田を含めた貴方たち一千万人は、俺たち地球人の……味方?」
「理解が早くて助かる。そのとおりだ。私は、“反侵攻派”のスパイ。山田から特命を受け、“侵攻派”に紛れて地球に潜り込んだ。君に、これを渡すために」
そう言うとパウ人は、文庫本ほどの大きさの機械を座敷テーブルの上に置いた。
敦也が聞いた。
「これは?」
「ムコル。“パウ”からの映像と音声を地球に伝える機械だ。まぁ、テレビ電話のようなものだと思ってもらえればいい」
「……テレビ電話」
敦也はそれを手に取った。前面に搭載されているのは、液晶のような画面。側面には、幾つかのスイッチがついている。まるで携帯ゲーム機だ。
敦也がスイッチのひとつを押そうとすると、それを慌ててパウ人がとめた。
「あ、ちょっと待ってくれ。今はまだ操作してはいけない。いいか? 今夜七時だ。今夜七時に左上のスイッチを一回だけ押すんだ。そうすれば、“パウ”にいる山田と連絡がつく」
「分かりました。……それで、今、山田は何をしているんですか?」
尋ねる敦也に、パウ人は真剣な眼差しと重い口調で答えた。
「彼女は、向こうで革命の準備をしている」
「革命?」
「そう。“パウ”レボリューションだ」
パウ人が頷いたその時、辺りにサイレンの音が鳴り響いた。労働開始五分前の合図、予鈴である。次の本鈴までに理由なく労働場所にいなかった者は、即刻、抹消処分されてしまう。
「ま、拙い!」
反射的に、敦也はその場に立ち上がった。
そこにパウ人が早口で告げる。
「あぁ、急いで行ったほうがいい。だが、忘れるなよ、今夜七時にムコルを見ることを」
「はい。……あの、ありがとうございました」
ムコルを引き掴むと、敦也は頭を下げた。
「礼は本当に地球を守れた時に、山田に言ってやってくれ。彼女は、小学五年生の時からずっと君のことを……。いや、止めておこう。これも、直接彼女と話をしたほうがいい内容だろうからな。あ、そうだ。私の名は、テル。また会うこともあるだろう」
「はい、テルさん。じゃあ、俺はこれで失礼します」
「あぁ、またな」
軽く手を上げるテルに見送られ、敦也は中学校跡地に向かうため居間をあとにした。
この日、敦也は、ほとんど身の入らない労働を淡々とこなした。
午後六時の終業時刻を迎えると、彼は猛ダッシュで帰宅し、すぐさま自室に籠もった。
そして、実に五年半ぶりとなる山田との再会の時を待ったのだった。