第一章 『新星発見』①
第一章 『新星発見』
八月がくるたびに、敦也は思い出す。山田という少女がいたことを。「山田」としか呼んだことはなかったが、下の名前だって忘れてはいない。“優しい子”と書いて、優子だ。
山田優子。それが少女のフルネームだった。
小学校の卒業アルバム、学級写真の左上。撮影の日に休んだ子たちが載る四角形の枠に、山田は写っていた。だからといって、別にこの日に彼女が欠席したわけではない。それよりもっと前、五年生の夏休みに、既に彼女は行方不明になっていたのだ。
そして、最後に山田と言葉を交わした相手。それは他でもない敦也だった。
時は、今から四年前に遡る。
小学五年生。六月。
「……ねぇ、敦也君も星、……好き?」
そんな山田の質問に、つい敦也は、
「う、うん。好きだ」
と、嘘をついてしまった。
会話の流れを止めぬようにと、便宜的に吐いた嘘。それが、全ての始まりだった。
次の日から山田は変わった。いや、正確には、“敦也に対してだけ”変わった。
人との関わりを持つことがなかった彼女が、片時も離れることなく、敦也のあとをついて歩くようになったのである。右手に本を抱えて、左手では彼のシャツの裾を掴み、学校にいる間中、ずっと。
トイレの中にまでついてこようとするのにはさすがに閉口したが、それでも敦也は、山田を邪険にはしなかった。
無表情な山田が敦也にだけ見せる笑顔。その笑みに、いつしか彼は、かけがえのない価値を見出していたのである。
「こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。この三つの星を線で繋いだのが、夏の大三角形なの。それでね、ベガとデネブを軸にして、アルタイルの反対側にあるのが、こぐま座のポラリス。今の北極星よ。北極星は、数千年をかけていろんな星にバトンタッチしていくんだけど、紀元前一万二千年頃は、ベガが北極星だったの。遠い未来になるけれど、西暦一万年頃はデネブ、一万四千年頃には、再びベガに北極星が回ってくるの」
息をするのも忘れるかのように、楽しそうに語り続ける山田。そんな彼女の話を聞くうちに敦也も、何となく星が好きになったような気がしていた。
本当に好きになったのは星ではなく、星を好きな彼女であることには気づきもせずに……。
そう。敦也は、よれよれになったシャツの裾と引き換えに、たくさんの星の知識と淡い恋心を手に入れていたのである。
七月に入ってすぐのころ、たった一度だけ、山田が自分の夢を話したことがある。
「新しい星を見つけるとね、見つけた人がその星に名前をつけることができるの。私の夢は、新しい星を発見すること。そしてね、その星に“ATSUYA”って名前をつけるの」
そう告げる山田の言葉に、敦也が、胸に抱く彼女への想いをより一層深くしたことは言うまでもなかった。
……しかし。
少しの時が流れて夏休み。八月十八日。予想だにせぬ出来事が、二人の身に降りかかる。
夜の帳も下りた午後八時。突然、山田が敦也の家を訪ねてきた。
随分と走ったのだろうか、玄関で応対する敦也に息を切らしながら彼女は言った。
「夜なのにごめんなさい。あの、私、見つけたの。まだ誰も知らない新しい星。それで、敦也君に最初に見てもらおうと思って」
「どこに行けばいいんだ?」
「河原。ここから十分ぐらいの所」
「分かった」
返事をすると敦也は、リビングに向かって声を張った。
「母さん。俺、山田を家まで送ってくるから」
「はーい。気をつけてね」
母親の声を背に受けながら、
「行くぞ」
と、敦也は山田と一緒に家を飛び出した。
河原には、天体望遠鏡が置かれていた。これを覗いていて新星を発見し、矢も盾もたまらずに敦也の家へと走ったというわけだ。
「見て、敦也君。お月さまのすぐ近くに、星があるの」
山田に促され、敦也は望遠鏡を覗き込んだ。
そこには、確かに月があった。満月から少しだけ欠けた月だ。
しかし、新星はどこにも見当たらなかった。
「見えないぞ」
「え? 嘘、そんな……」
敦也が手を放した望遠鏡を山田が覗き込んだ。やはり見えるのは月だけだ。新星などない。
「ちょ、ちょっと待ってね。……探す。私、探すから」
慌てて山田が望遠鏡を操作し始めた。
「何かの見間違いだろ? でも、まぁ気にするなって」
僅かばかりの残念さを隠しながら、敦也は河原にごろりと仰向けになった。夜空には、地方都市特有の淡くぼやけたような星々が無数に散らばっていた。
まるで吸い込まれてしまいそうな天然のイルミネーション。
「山田と一緒にこの星空を見られるんだから、別に新星なんて見つからなくても……」そんなことを考えつつ、敦也は望遠鏡の方へと目をやった。
「……あれ?」
思わず彼は声を洩らした。そこにいるはずの山田が、いなかったのである。
「おい、山田」
どこにともなく呼びかけながら立ち上がる。
だが、山田からの返事はなかった。望遠鏡がそのままであることから、彼女が帰ったわけでないのは明白だった。
「まさか、川に……」嫌な予感を胸に押し込み、敦也はもう一度彼女の名を呼んだ。
「山田」
……返事はない。敦也は川べりへと駆けた。
月明かりに照らされてはいるものの、それでも川は暗かった。水音はなく静かで、目を凝らしてみても黒い水面に淡く黄金色の月影がちらつくだけだ。
「山田!」
今度は有らん限りの声で叫んでみるが、結果は同じだった。
押し込んだはずの嫌な予感が、胸を突き破るかのように心臓を圧迫し始めた。敦也は、近くの民家へと、助けを求めるために走り出した。
一時間後。敦也、敦也の母親、山田の両親。各々が不安そうに見守る中で、警察の捜索が始まった。
誘拐と事故。双方の可能性を踏まえ、警察は、周辺捜査と川の探索を同時に行った。
しかし、日が昇っても山田が発見されることはなかった。
敦也が山田から目を離した時間は、僅か数秒だった。「その場から忽然と消えた」としか説明のつかない不可解な出来事に頭を悩ませながらも、警察は、その後も懸命な捜索を続けた。
だが、今日を以て山田の生存及び所在は確認できていない。
『救世主、山田』へのご訪問、ありがとうございます。直井 倖之進です。
本当はプロローグの後書きで添える予定でしたが、失念していたため、ここで。
現在、私、Seesaaさんにてブログも掲載しております。そちらでは、小説の更新情報や日々の生活などを綴っております。直井 倖之進で検索していただきますと出てくると思いますので、よろしければ足を運んでみてください。
なお、次回更新は2月7日で、昼ごろを予定しています。少し時間をずらすことで、その時間帯の方々にも気づいていただこうと考える姑息な作戦です。(まったく気づいてもらえなかったりして……)
それでは、今回はこの辺で。失礼いたします。