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Mana 第三部~神の禁じ手~  作者: 福島真琴
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3. 地底の頂上

 そこで待っていたものは、アルテミスのどの街よりも発展した、大都市だった。その近代的なメタリックの建物は、見渡す限り続いていた。そして空には、太陽を模した光球が輝いている。

「あの光からは、太陽に似た可視光線、紫外線、赤外線がちゃんと放出されているんだ」

 横からカミュが、解説するように教えてくれる。三人はもう一度、その光に顔を向けた。その感覚は、アルテミスで空を仰いだときの感覚に似ていた。なぜなら、空独特のぬけるような青さまで、ちゃんと表現されていたからだ。聞けば、プロジェクションマッピングで再現しているようなのだが、それにしては立体的で、質感もうまく表現されている。しかもその〝再現〟というのも、アルテミスの〝再現〟のように感じられるから何とも奇妙だ。

「まるで、地表の世界みたいだな……」

 ジーンの呟きに、カミュは〝そりゃあ……〟と、言葉を洩らした。

「ノア人の元々の祖先は、アルテミス人だもの。アルテミスに似た空を再現するのだって、かつての故郷を思い出してのことだったんじゃないのかな……」

「そう……、だったのか……」

 ノア人の古くの祖先は、アルテミス人だという事実に、ジーンは純粋に驚きを示した。ではなぜ彼らの祖先は、こんな暗い洞穴に住みつこうと思ったのだろうか。わざわざ苦労してまで、太陽の光を再現して――

 そのことに関して、カミュに疑問をぶつけてみようと思ったそのとき、大通りからやってきた一台の黒い高級車が、四人の目の前で静かに停止した。そして運転席側の窓が、すーっと下りてゆく。

「お迎えに上がりました、カミュ様。こちらの皆様が、ご来賓の方々ですね」

「あぁ、そうだ。案内してもらえるかな?」

「かしこまりました」

 執事というものは、こういうもののことを言うのか……

 三人共が、田舎から出てきた世間知らずのように、カミュと運転手の会話をぼーっと棒立ちで見つめてしまっていた。その流れに流されて、つい聞き逃してしまうところだった。

「来賓って……、一体オレたちはどこに招かれているんだ?」

 レグルスが胡散臭いものを見る目で、高級車とカミュを見比べた。それに対し、事もなげにカミュは答える。

「もちろん、政府ですよ」

「……マジで言ってんのか? じゃあオレたちは一体、誰に会いに行くんだ?」

「それは、本人に直接会って、確かめてください」

 それに関しては、固く口止めされているのだろう。決して、口を割ろうとはしなかった。ますますもって、〝これは大物である可能性が高いな〟と、ジーンは密かに検討をつけた。


 窓の外、流れゆく景色に三人共が釘付けになっていた。

 ノア国への入国審査を受け持つ検問を抜けると、近代的な建物が並ぶ都市を、この高級車は駆け抜けた。光球の光を照り返すビル群、それらにも様々な形があって、個性が滲み出ていた。かと言って、花の街、フローリアのような芸術性は感じられなかった。そちらよりも、機能性のほうをとったのだろう。曲線よりも、直線を使った建造物が多いように感じられた。

 そんなビル群の地区が過ぎ、郷愁誘う田舎情緒溢れる田園風景が広がっていた。その中に馴染むように、ちらほらと酪農の風景も交じり合う。そののどかな風景は、ノアもアルテミスも、そう変わらなかった。だが一つだけ違うものがあった。

「あの街路灯みたいな光は、何ですか?」

 マナが質問したように田畑の辻、辻には、青い光や赤い光がぼんやりと、農作物たちを照らしていた。その光景は、自然の中にあると奇妙に映り込む。

「あぁ、あの青と赤の光は育成促進光だよ。もちろん、肥料や水やりの管理も全部デジタル管理されているんだ。収穫もね」

「じゃあ、かなりの人員削減になるんじゃ……」

「まぁね。収穫もほとんどがAIロボットが担っているし、人がやることと言ったら、それらの管理くらいなものかな」

「……」

 三人は、アルテミスとの大きな違いに言葉を失った。全ての分野において、発展の規模の違いをひしひしと感じ取っていたからだ。たしかに空の再現や、太陽の光を模した光球を造り出したりと、アルテミスへの郷愁や模倣は感じるものの、それでも技術革新の面では断然、ノアのほうが上だと感じさせられる。きっと酪農の分野も、デジタル化が進んでいるのだろう。動物という生き物をデジタル管理するというのは、違和感を感じることではあるが、あの研究所を設立する国なのだ、やらないとは言い切れない。

 やがて景色はまた、都市部の光景へと徐々に移ってゆく。市から市へと移動する過程を見ているようだった。整然と建てられた住宅地や、賑わいを見せる商業施設。その風景が今度は、白を基調とした研究施設や薬品の大量生産型工場、鉄鋼、化学施設と続いてゆく。巨大すぎるその全貌に、レグルスやマナだけでなく、ジーンでさえも食い入るように見つめた。

 一体、彼らはどこへ向かおうとしているのだろう――

 不意に、マナの心にはそんな疑問が浮かんだ。そして先程から、あるイメージが自分の中から離れてくれないのだ。様々な音、光、車の動き、人が起こす風の流れ。それら様々な情報が、自分の五感全てを満たしてゆく。それらばかりが覆い尽くしてゆく。自分は耳を塞ぎたいのに、目を閉じたいのに、感覚全てを遮断したいのに、それらすべての雑音はひっきりなしに五感全てに入り込んでくる。交差点のど真ん中に立ち尽くす自分は、感覚器そのもののような自分は、塞いでいるのに全てを拾い取ってしまう――

「マナ?」

 不意にジーンの手が、マナの肩に触れる。その瞬間、マナは目が覚めたように現実感を呼び起こした。

「大丈夫?」

 彼は心配そうに、マナを覗き込んだ。その顔を見て、少しほっとしている自分がいた。

「うん、少し疲れたのかも。でも、大丈夫」

 そう答えると、ジーンは肩に置いていた手でマナの手を握った。そうしてしばらくしてから、ジーンはこう言った。

「どこかに行ってしまいそうな気がして……」

 それはぽつりと落とされたような、そんな呟きだった。


 やがて車は、一際高いビルの前で停車した。入り口で待機していたであろう職員たちが、一斉に礼をする。その中でも案内役と思われる男性が、車のドアを開ける。

 そんな歓迎を受けるなど、露ほども思っていなかった三人は、居心地悪そうに車から降りた。

「一体、ここは何なんだ?」

 たまらずジーンは、小声でカミュに囁いた。

「ここは、政務官邸ビルです」

「へぇー……」

 カミュの同じく小声の答えに、ジーンは敢えて揺らぎのない声を出した。しかしそんな平静を装っていても、内心は敵の懐に飛び込んでいくような胸中だった。煌びやかに見える内装や丁寧な応対も、そんな気持ちで見れば、伏魔殿のようにしか感じられないというもの。

 ジーンはそんな胸中の切片すら見せることなく、案内役の男性に付き従った。入り口での、儀礼のような歓迎を通り抜けると、屋内は静かなものだった。エレベーターの到着を知らせる音さえ、あたりに響き渡る。その音を聞いているのは、受付に座っている二人の女性職員のみ。吹き抜けの設計も、音の響きに影響を与えているのかもしれないが。

 エレベーターに乗り込み、男性は四八階のボタンを押した。ボタンは、五十まであった。五十階建てビルか……と、そのときになってやっと実感が湧いてくる。車から降りたとき、下から見上げたことは見上げたのだが、見上げるだけではそれがどれだけ高いのか、いまいちわからない。ボタンの数を発見したときもそうだが、実際にその階に着いたときになってやっと、それがどんな高さなのかを身を持って知るのだった。

 最初に目に入ったのは、窓の外の光景だった。ノアという国を一望できる展望台のような、パノラマ光景だった。その光景を、見下ろすことができるのだ。三六〇度全て。

 そして、部屋の中央には黒いソファと、モダンなデザインのガラステーブルが置かれていた。一体この階は、何のために造られたのだろうと思ってしまう。

 だがその疑問に答えるように、案内役の男性はこう言った。

「この階は来賓の方々のために造られた展望スペース兼、休憩室です。各種、ドリンクも用意しておりますので、そちらのバーテンにお申し付けください。もちろん、アルコールも用意しております」

 案内役の男性がそう説明した先には、簡易的なキッチンが備え付けられていた。そこに、バーテンと思われる男性が、にこやかに佇んでいる。見張りみたいだなと、ジーンは密かにそう思った。

「それではお時間まで、お寛ぎください」

 男性はそう言うと、一礼してこの場を後にしようとした。咄嗟にジーンは、言葉で引き留める。と同時に、三人共が抱く疑問をその男性にぶつけた。

「時間までって、俺たちは誰に引き合わされるんだ!?」

 語気も強く、そう質問した。すると男性は、〝そんなことも聞いていなかったのですか?〟という表情と、カミュに〝なぜ言わないでいたのですか?〟という、咎めるような視線を送った。だがカミュはカミュで、〝それが何か?〟といった体である。

 呆れた顔の男性は、三人に向き直りこう言った。

「あなた方は、統主との会食に招かれたのです。ですので、お時間になりましたら、正装に着替えて頂きます。そちらの場所は、再度私がご案内致しますので」

「……統主とは?」

 ジーンはその質問に対して男性の口から出てくる答えを、半ばわかってしまっていた。それでも、聞かずにはいられなかった。残りの一パーセントでもいいから、別の答えを欲していたのかもしれない。だが答えは、運命の斧のように下された。

「この国の統主です。このノアという国を統べる主、レナート統主のことです」

 〝マジかよ……〟と、レグルスはレグルスの色を失うことなく、彼らしい言葉で呟いた。

「生来の王……、レナート」

 どこからともなく呟かれたその声は、意外にもマナのものだった。

「どこかの言葉で聞いたことがある。そんな意味合いを」

 〝なんとなく、思い出しちゃっただけ〟と、マナは語尾をそう濁したが、この国の統主とやらはその意味合いを知っていて、その名を名乗っているのかもしれない。まぁ単純に、元々の名であるかもしれないが。

「お判り頂けましたでしょうか? それでは私はこれにて、失礼致します」

 男性はそう退去の挨拶を言うと、次の仕事が待っているのか、せかせかといなくなった。あとに残されたのは、三人の来賓と一人の高官、そして一人のバーテンだった。

 皆一様に、様々なことを考えているのか、しばらく沈黙が続いた。バーテンが氷を準備する音や、シンクを流れる水の音だけが際立つ。

「さて、僕も報告書をまとめる仕事が残っているものでね。悪いけれど、失礼させてもらうよ」

 誰と引き合わされるのか、それを最後まで口を割らなかったことに関しては、一切悪びれることなく、さっさとカミュも引き上げた。それに関して、問い詰めようと思えば問い詰めることはできたのだろうが、彼は明らかに誰かからそのことを口にすることを、止められていた感がある。だからこそ、誰もそのことには深く突っ込まなかったのだろう。

 しかしジーンはその代わりのように、カミュが降りたであろう階数を、エレベーターの前に立ち、心の中でメモした。

   レグルスは深いため息を吐き、どっかとソファに座り込んだ。マナはドリンクメニューに興味を示し、早速レモネードを注文した。

 皆が皆、こんな状況下でも、それぞれの〝らしさ〟にもう戻っている。ある意味マイペースというのか、怖いもの知らずというのか……。ただ単に、いまいち現実味を感じていないだけなのかもしれないが。

 その中でジーンも、その〝らしさ〟にもうすでに戻っているのかもしれない。つかつかとバーテンのところまで行くと、出し抜けにこう言った。

「世界の珍しい酒が飲みたい」

 バーテンはグラスを磨いていた手を止め、

「と言いますと、一級品のお酒のことでございましょうか?」

 と、質問し返してきた。

「それはノア国だもの、取り揃えていますでしょうよ。俺が望む酒はそういうのじゃない。どぶろくとかそういうの。もちろんノア国だもの、ありますよね?」

 〝ノア国だもの〟を二回口にして、相手を煽るような言い方をする。ソファに座っているマナだったが、その瞬間、妙に背筋がピンと伸びてしまった。マナの中の嫌な予感センサーが、敏感に働いたからだ。見るとジーンは、カウンターに肩肘を載せて、挑発的な態度をとっている。

 マナは手にしていたレモネードを、ガラスの繊細なテーブルに、だん! と置いた。そしてジーンの下に向かうために、立ち上がる。

「それはもちろん、ございます」

 バーテンは冷笑を浮かべながらも、ジーンに張り合った。ジーンの瞳が心なしか、きらりと光る。

「さすがノア国だ! 技術も最先端を走るなら、酒の世界も最先端か! まるで、世界の頂上にいるみたいだ!」

 ジーンのその褒めちぎりようは、聞こえによっては最高の皮肉に聞こえる。なぜならここは、地底の世界なのだから。その雰囲気を感じ取ったのか、バーテンはひきつった笑いを浮かべた。

 さらにジーンは、畳み掛ける。

「なら、ベリョータはありますか? どんぐり酒」

「もちろん、ございます」

「ふーん。なら、栗焼酎」

「ございます」

 そんな押し問答をしている間にも、マナは大股でジーンのほうに近づいてゆく。その心境は、いたずら小僧をとっちめる鬼子母神の心境である。

「なら、アブサンは?」

「……アブサンですか?」

 初めてバーテンは、眉をしかめた。それはナンセンスだといった風合いである。ジーンはまるで、子供同士の張り合いに勝ったときのような、見栄っ張りの優越感顔である。しかし、その首根っこを掴む鬼の手が、すぐそこに迫っていた。

「残念ながら、アブサンはございません。それにそのお酒は、中毒性の強いお酒で、製造中止になった歴史を辿っております。お客様には、お勧め致しません」

「ほぉー」

「ちょっと、ジーンッ!!」

 しかしマナが近づく直前、ジーンはその気配を察していたようで、くるりと反転すると、今度はカウンターに背を預けるようにしてマナに向き直った。

「だって、マナも飲んでみたいと思わない? 製造禁止になった幻の酒」

「そんなのどうでもいいよ! それよりも、何めちゃくちゃなこと言ってるの!? 暇だからって、バーテンを馬鹿にして遊ぶのは、止めて頂戴!」

「別に馬鹿にしてないって。ここは、世界最先端なんだよ! それに最近では、その中毒性の成分を抜く技術も確立したらしいし。だからこそ、ここで飲めるかなって思っただけのことであって……」

 あたりは途端に二人の言い合いで、華やかで小洒落た雰囲気が、一気に雑然とした庶民臭い臭いへと変化した。その中で煩そうに顔をしかめているのが、レグルスであったのだが……。

「なんでもいいから、人を困らせるのはやめなさい!」

「困らせてないって! プロなら、取り揃えているかなって思っただけだって!」

「何が〝プロなら〟よ! そもそもこんな簡易的なキッチンで、そんな珍しいお酒、置いてるわけないでしょ!」

 どうやらマナのこの、天然爆弾発言が決め手になったようだ。バーテンはつかつかと電話のあるところまで歩いてゆくと、おもむろに受話器を取った。

「急な注文を失礼致します。アブサンを至急、お取り寄せ願えますか? はい、はい。お客様がご所望で。はい……」

 かちゃ。

 通話を終え、受話器を置くその音が妙に大きく、この空間に響き渡った。あたりはしんとしていた。そんな中でバーテンだけが、ピンと背筋を伸ばして立っていた。

 そしてこの沈黙を切り裂く歓声が、ジーンの口からいけしゃあしゃあと出てきた。

「貴重なお酒の注文、誠にありがとうございます。私、一秒たりとも待ってはいられませんので、その品物、この身で受け取りに行きたいのですが、場所はどこですかな?」

 普段、〝わたくし〟の〝わ〟さえ出てこない人が、妙に紳士ぶったときこそ要注意である。それを身をもって知っているマナは、ジーンのこの態度にまたもや危険センサーが働いた。だがそれは、バーテンも同じだったようだ。

「お客様は、こちらでお時間まで寛いで頂くために、この間にご招待されたのです。ご足労頂く必要は、一切ありません。業者の者に、お任せください」

「いやいやいや。ご迷惑をかけてしまいましたし、ここはどうか私めに、その償いをさせてくださいまし」

 このやり取りが、しばらく続いた。バーテンもバーテンで、ここは責任重大である。しかし、ジーンもジーンで決して折れようとはしなかった。この状況を変えたのは意外にも、レグルスだった。煩そうに聞いていた彼が放った助言が、場を動かす決め手になった。

「だったらこのビルの商品搬入口で、待ったらどうだ? そこだったら監視カメラもついているだろうし、こいつがそこで待っているなら、あんたたちも安心だろう?」

 この意見に反対する者はいなかった。バーテンも上層部やら、受付やら、商品搬入部やらに電話をかけまくり、やっと了承を得た。ジーンは嬉々として、エレベーターに向かう。それでもマナだけは、怪しい者を見る目つきを崩してはいなかった。

 絶対に何かある。絶対に何か。

 するとその視線に気づいたジーンは、マナに目元だけ僅かにほほ笑みかけた。その瞬間、マナは確信した。だけどそれに気づいたのは、ジーンがエレベーターに乗り込んだあとだった。〝しまった〟と思っても、後の祭りだということを、マナは痛いほど感じ取るのだった。

 エレベーターに乗り込み、扉が閉まった瞬間、ジーンは笑みを消した。そして、階数のボタンを二つ押した。そのうちで実際に降りた階は、商品搬入口とは全く関係ない、カミュが降りた階だった。

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