2. 満月の水先案内人
船は白波を立てて、港へと徐々に近づいてゆく。港街は港街でも、大きな貨物船や客船、汽船が頻繁に乗り付けるのだろう。人々は慣れた様子で船の先導をこなしている。その様子を、マナたちは船室から眺めていた。
港の端のほうでは、カニかご漁の人々が空籠の整理をしている。ジーンからの事前情報で知ったカニ漁が盛んという情報そのものの光景が、目の前で繰り広げられていて、マナはその現実を香りと共にリアルに記憶した。
港の埠頭にはクラヴ市長、チェンバー=カラムと思われる人物御一行がいた。その中に、クラヴ管轄警察署長と思われる人物もいた。やはり、三人の処遇決定のために集まった人々なのだろうか……。
そんな疑念を抱きながら港へ降り立ったマナたちは、市長や警察署長の対応を静かな態度で見守った。しかし、彼らの態度は、予想していたような横柄な対応ではなかった。丁寧で礼を尽くした態度ではあったが、殊、カミュに対しては、ひどくへつらった態度を彼らはとった。
「船と宿の準備は、整っております。いつでもご出発できる態勢になっておりますし、船頭も用意しております故、何なりとお申し付けください」
「いや、船頭はいらない。それは、こちらで準備している」
「えっ、そのようなお話は聞いておりませんが……」
狼狽える市長を置き去りにして、その長衣をひらめかせて、カミュはどんどん街の方向に歩を進める。
「宿はどこかな? それに出発はまだ先だ。一週間程、滞在させてもらう」
カミュがそう言うと、市長は眉を上げて、驚きの表情を表わした。それに対してカミュは軽く笑い、皮肉な笑みを浮かべた。
「それくらいの金は、渡してあるだろう? あの誓約書の代金は、それも含めての金額のつもりだったんだが……」
その言葉を放つと、特に警察署長と思われる人物は、慌てたようにまわりを見渡した。そして取り繕うように、こう援護射撃する。
「いえいえ、滅相もない! このご恩に報いるには、まだまだ働き足りないくらいですよね、ねぇ、市長!」
「……あ、あぁ、そうだな」
なるほど、要するに金で買われたわけね。三人ともが納得した事実である。と同時に、わかりやすい二人だなと、マナは思った。
カミュはそんな二人のごますりなど気にした素振りもなく、市長の案内のままに、ある宿へと案内された。そこでもう役目は終えたとばかりに、市長たちを帰そうとしたカミュだったが、二人は何を欲しているのか、なおも食い下がった。だが結局は、カミュの刺すような無言の拒絶が伝わったのか、すごすごと帰路につくことになったのだが――。
彼らがそんな態度を示した理由を、夕飯のカニ料理を食した後、カミュは語ってくれた。
「彼らは知りたかったのだろう。ノア国への行き方を」
議題を提示するように、カミュはそう言った。その言葉と共に、三人はカミュへと視線を向ける。そして、ジーンはかねがねずっと抱いていたであろう疑問を、口にした。
「この街は一番コア……、ノアの入り口に近いんだ。そりゃあ、知りたがるだろうし、彼らの態度からして、ノア国と今まで全く接触がなかったとも言いがたそうだ。少なからず、ノアという国が存在していることは知っていたんじゃないのか?」
「……まぁね」
カミュは一言手短かに、そう答えた。
それにしてもこの街は暑い。夕飯を食べて、体温が上がったというのもその理由の一つなのかもしれないが、それにしてもむしむしとした湿気も感じる。全員が羽織っていた上着を一枚脱いで、背もたれにかけていたが、そのインナーからしても、それぞれに個性が表われ出ていた。
カミュはアイロンのきっちりとかけられた、清潔感漂うシャツを着ていた。心なしか、洗剤の成分であろうが、石鹸の香りがするような気がした。
「それでもその情報が、世界を駆け巡らなかった理由は、やはり……」
「ま、君が思っていることは大体当たっているみたいだよ」
あくまでも推測的な言い方をしたのは、ずっとそれに携わってきたわけではない、ということを言いたいのだろう。考えてみればカミュは今の地位について、そう経っていないのだ。それを忘れてしまいそうになるくらい、彼は今の地位が板についているということなのだが。ということは、ある意味、適職と言うことができるのかもしれない。
そしてジーンは、〝だからあいつらは、あの態度か……〟と、呟いた。ということは、こういったことは今回が初めてではないということを、予測することができる。そんな彼らが、なんとかしてノア国への入国の方法を知りたがっている。少なくとも彼らにとって、ノア国という大国は、金の成る木のように思っているのかもしれない。
〝そんな簡単なことがあるか〟と思うジーンは、ますますノアという国の強かさと、怖ろしさ、経済力の高さを感じずにはいられないのだった。小間使いか何かのように使われるこの街は、いつしか相手がその本性を剥き出しにして、喰い尽くすのではないかという不安を感じたりすることはないのだろうか。あくまでもジーンの目は、〝最悪の場合〟を想定して、物事を見つめていた。喰われ、命を落としてから、〝こんなはずではなかった〟と思っても、遅いのだ。
「ところで、一週間この街に滞在する、というのは?」
いち早く夕飯を平らげ、暇そうに且つ、物足りなさそうにしていたレグルスは、簡潔にカミュにそう質問をした。
「あぁ、それね。ちょうど一週間後が、満月だからさ」
「?? だから?」
その疑問は尤もである。何かの願掛けのつもりなのだろうか――。その先の答えを待っていたのだが、カミュの口からははっきりとした答えは出てこなかった。
「まぁ、そのうちわかるさ」
一言だけそう言うと、この話は終わりとばかりに、食後のコーヒーを啜った。
店内は相変わらず人の出入りが激しく、空気は店員同様、ひとところに留まることなく、くるくると動き回っていた。それらをただじっと見つめるように、外の熱い空気は、じわりじわりと満ちてゆく。それは期日までのカウントダウンのようだと、マナは一人そう思っていた。
◆ ◆ ◆
一週間。それは長いようであっという間の時間だった。三人はそれぞれに、思い思いの一週間を過ごしたようだ。ある者はケイロンの居場所を探そうとしてみただろうし、ある者はルナの体調を心配し、世話に専念しただろうし、ある者はカニ料理のレストラン巡りをしただろうし、ある者は街の観光に花を咲かせた。
その間、港の片隅では、ある企業の海底探査機がずっと停留していた。カミュも含めて四人共が、それを目にしていた。その巨大な機械の側面には、〝GPO〟というロゴが描かれていた。〝Grobal pertnership organization〟の略らしく、尤もっぽそうな名称に聞こえるが、単語の意味合いを考えると、ボランティア団体のようにも感じられる。それでもこれが、その企業の社名なのだろう。実体がよくわからない臭、ぷんぷんである。
ひとまず四人共が、〝研究所傘下の企業〟という認識で一致した。
そんな巨大な探査機を尻目に、一週間後のこの日、満月の夜に四人は集まった。ちなみに、シアンとルナはこの街に置いていくことに、ジーンとマナの間で決定したのだった。きっとこの街のどこかにケイロンもいることだし、探し出して合流するとシアンたちも考えているようだ。
かくして集まった四人は、市長が用意した手漕ぎボートのような簡素な船に乗り込んだ。気が付くと、どこからともなく、闇夜に紛れて一人の工作員もボートに乗り込んでくる。彼は、カミュが言っていた〝船頭〟とやらなのだろう。彼は滑るように静かに乗り込むと、三人に向けて一礼した。そして、まわりを確認すると、静かに櫓を水に浸した。
誰にも気づかれずにそっと、出発したかったのだろう。その意図が船頭からも伝わってきたし、だからこそのこの簡素は船というわけなのだろう。
暗い波間を、五人を乗せた船は、滑るように進んでゆく。自分たちが今、どの辺にいるのか、方向感覚を失いそうになる。月の明かりだけが、何もないこの不安定な道の頼りだった。
やがて、小さな孤島が視界にその姿を徐々に見せ始める。島の中心部を守るように、木々は聳えていた。そしてその間から動物たちの声が、島への侵入者を知らせるように、交わし合っている。
しかしカミュは、それらに反応を示すこともなく、島へと上陸した。船頭は一人船に残り、来た道を引き返してゆくのだろう。カミュと挨拶を取り交わすと、静かにまた海へと消えていった。
これで完全に退路は断たれたと、マナは思った。と同時に、覚悟のようなものも固まってくる。ジーンとレグルスは、相変わらず前だけを見ている風だった。鬼が出ても蛇が出ても、彼らはそれでも突き進んでいきそうな気配である。
それにしても先程から、足元をちょろちょろ流れる水の筋が気になり、目がいってしまう。それらは満潮を迎えた海から島の中へと流入し、勾配に沿って島の中心部へと向かっている様子だ。木の枝のように、四方八方から中心部へと向かうその光景は、水が意志を持って己自身で進んでいるかのようだった。
「……なんなんだ、これは……? 島の中心に何かあるのか?」
「不思議だけど、綺麗……」
「……なるほど、だから満月なわけね」
同じものを見て、三者三様の感想を口にする。カミュはそれぞれの反応を確認するかのように見て、何か得心がいった顔をしている。そして、
「ジーン、君はもうあらかた気づいたのかもしれないが、これが案内人になってくれるんだ。ついておいで」
まだよくわかっていない二人は、得意顔のジーンを恨めしそうに見つつも、カミュの後に従った。小さな森の壁は、思ったほど大きくはなかった。意外なほどに、あっさりと抜けてしまったのだが、その先で見たものに、三人共が驚きで言葉を失った。そこには、広大な穴が開いていた。世界の噂や、七不思議では聞いていたが、それを実際に見るのとでは違う。ここに遙か昔、隕石が落ちたのかと思うと、途方もないその歴史の長さを感じてしまうのだ。
しかしその大きな穴、コアに近づいてみると、さらに意外な事実を知る。その穴の奥のほうは、モグラのトンネルのように幾本も枝分かれしているのだった。それはどう見ても、隕石が真っ直ぐ落ちただけの穴ではなかった。何かしらの人為的なものを感じる。
その枝分かれした穴は、さすがのジーンも予想していなかったようで、言葉を失った。そんな中でも相変わらず小川のような水だけは、自分が収まる場所を知っているかのように、枝分かれしたトンネルを進んでゆく。
その様子を一通り見たジーンは、何かひらめいたようで、
「……そうか!」
と、呟いた。そして、カミュに答え合わせをするかのように、自分のひらめきを話した。
「この枝分かれしたトンネルのような穴は、ノア人が国の存在を隠すために造ったもの。侵入する者を撹乱するための、所謂ダミー。しかし、それを見分けることができるのが、今日この日、満月の日のみ。満潮を迎え、島内部に流れ込む水が、正しい道を教えてくれるから……」
「ほぉ。それで?」
カミュは、楽しそうにジーンの話の続きを促した。マナとレグルスは、ただただその話に、瞠るばかりだ。ジーンは、枝分かれする穴の入り口に立ち、一つの道を指し示した。
「この道がノアに通じている道だ。いや、正確に言えば、〝水が流れ落ちていかない道が〟だな」
ジーンが指し示した道だけは、言葉の通り水が流れ落ちていなかった。不思議なくらい、水がそこを避けるように、曲がっていくのだ。何をそんなに嫌がっているのだろうと思えるくらいに。
しかしマナは、そんな擬人化的な考え方に辿り着いたとき、はっとした。
「もしかしてそれって、磁性と関係がある?」
「お! 珍しく、ひらめいた?」
相変わらず余計な一言を放ってくるジーンだが、紅潮した顔のマナは、自分のひらめきの嬉しさのほうが勝った。尚も、マナは続ける。
「ノア国にある磁性、輝石に反応しているから、水はそこを避けるように曲がっていくんじゃ……」
その続きは、カミュが引き取るように言葉を継いだ。
「あぁ。君たちの言う通りだ。ノアへと向かう道は、水が通らない道だ。そして、国の奥深くには、未だ強い磁性を持ったまま眠る隕石、輝石が保存されている」
言いながら、カミュはその道を進んでゆく。土は乾いていて、脚を踏み出すと僅かに土煙が舞った。そして、古い空洞にありがちな、独特の細菌類の臭いがした。それはカビ臭さにも似ていたが、いろんなものが交じり合っているから、やはり、〝細菌類〟と言いたくなる。
そんな中、カミュの声が洞窟内に木霊する。
「それでもあの国は、国内にある隕石だけではエネルギー供給が追い付かなくなってきている。だから、僕みたいな人間がアルテミスに派遣されて、アルテミスの資源さえも、回収しようとしていたんだけどね……」
カミュの言葉は、ノア国の現状をさりげなく教えてくれる。ジーンはその話を聞いていて、どの国もそうだと感じた。国内供給で賄えなくなるほどに巨大化した国は、他国へと手を伸ばす。様々な大義名分を用意するものの、実情はエネルギー資源欲しさなのだ。歴史がそれを、痛いほどに教えてくれる。ジーンは、ノアという国は、ぶくぶくに肥え太った巨人のような国だと思った。だがその足元は、ぐらついている――
皆、それぞれの生活の、それぞれの常識の中で生きているんだと、ジーンは思った。それぞれの常識が、それぞれに正しいと思っているように、ノアの国もそう思っているのだろう。その中から飛び出して、他の生活や常識、価値観、言語、文化――、ノアは、それら様々な自分との違いに触れて、その良さに気づくことがなかった者のようだと、ジーンは思った。きっとそう思えるのは、カイルという生命を受け継ぎながら、ジーンという今の生命を、世界を旅して生きたからこそ、気づけたことなのだと思った。
そう思うと、ノアという大国は、井の中の蛙のように思えた。どうでもいいことはすごく知っているのに、肝心の大事なことには気づけていないのだ。例えば、さりげない気遣いであったり、ジョークの中に感じる優しさであったり。どんなに文化が違えども、言葉が違えども、人の奥底に流れるそういった温かい感情は、万国共通なのだということ。そういうことに、気づけていないのだ。
ただ、知った気になっているだけなのだ。それにさえも、ノアは気づけていないのだ。いや、もしかしたらそれは、まだ自分もそうなのかもしれないが――。
だからこそノアにとって、ノア以外は〝他〟国なのだ。自分たちとは違うものと思っている。だから、奪ってもいいと思っている。だから、何をしてもいいと思っている。
違うのだ。全然違うのだ、その考え方は。
全ては、同じなのに。見えない何かで繋がっているのに。それは人類共通の〝心〟や〝感情〟みたいな言葉で、表すことができることなのかもしれない。
その権化のような存在が、マナなのではないかと、ジーンは思っていた。彼女はその目に見えない〝心〟や〝感情〟を具現化させる力を持つ、存在なのだから――。
そんなことを考えながら、ただひたすらにカミュに導かれるままに、進み続けた。奥に進めば進むほどに、暗い道のりで、明かりをつけなければ一寸先さえ見通せない道だった。カミュが手にするペン型ライトだけが、頼りだった。
やがて、どこかで水の流れる音も聞こえなくなった頃、道の先に光が見えた。それを出口と呼んでいいのか、はたまた新たな入口と呼んでいいのか――。
そんなことを思いながら、ジーンはその境界線を越えた。




