プロローグ
むかし、あるところに幸せな家族がいた。山の中腹に家を構える夫婦とその夫婦の息子が一人の核家族。
夫は家のすぐ近くの畑で作物を育て、妻は家事をしながら息子のお守りをしていた。その時代では別に珍しくも無いし、決して裕福とは言えないけどそこには素朴な幸せがあった。
━━━━あの日までは━━━━
その日もいつものように夫は畑で仕事をして、妻は洗濯物を干す。息子は妻の目の届く範囲で遊んでいた。三人はいつもと変わらない日になると決して疑っていなかった。
昼頃、夫は遠くの方からなにやら大きな音がなっている事に気がついた。石と石がぶつかるような音だった。しかし深く考えず、『遠くで何かあっているのかな』程度にしか考えていなかった。それから数分後、次第に大きくなる音を不思議に思い畑仕事の手を止めて辺りを見回してみた。すると、大きな岩がいくつも転がっていた。落石だ。しかもすぐ近くまで来ていた。そして、その軌道の先には落石を目の前にしてどうすればいいのかわからず泣きながら座り込んでいる息子の姿が見えた。
息子を助けようと夫は走った。しかし距離がまだある。間に合わない、そう思って夫は諦めていた。だが妻は諦めずに走った。
妻は間一髪のところで息子に届き、息子を突き飛ばした。
妻が突き飛ばしたお陰で息子は落石が当たらず、軽傷ですんだ。しかし、息子を突き飛ばした妻の方はその時に頭を強く打った。頭から血が流れる。すぐに駆け寄ってきた夫が止血して村医者を呼んだ。
数時間後に妻は意識を取り戻した。目を覚ました妻の視界にまず飛び込んできたモノは愛する家族の泣き顔だ。夫も息子も目尻に涙をいっぱいに溜めている。申し訳ない気持ちにもなったが、家族がこんなに心配してくれる事が少し嬉しくて頬が少し緩んだ。目を覚ました妻に最初に気がついた息子が泣きながら「おかあさん」と言って抱きついてくる。妻はそんな息子を安心させようと頭を撫でようとした。しかし、体の右半分が全然動かない。けがをしているので体が思うように動かないのかと思った妻はその時は全く気にしなかった。
事故から数日経ったけど、妻の体は思うように動かない。夫は再び村医者を呼んだ。数時間後、村医者は深刻な顔で口を堅く閉じていた。重い空気が流れる。やがて、村医者はこう宣告した、
「半身不随です」
と。
曰く、事故の時に脳出血を起こしていたのが原因である、そして現在の医療ではどうしようもない、と。
夫は自分を責めた。自分があの時諦めずに走っていればこんなことにならなかったのではないか。そもそも、もっと警戒していれば音を聞いていた時点で危険を避けられたのでは無いだろうか。考えれば考えるほど悪いのが自分のように思える。自己嫌悪を何度も何度も繰り返している内に、だんだんと精神が病んでいった。
そしていつしか、夫の精神は完全に壊れてしまった。
息子は体が壊れてしまった母親と、心が壊れてしまった父親を救えるのは自分一人だと幼いながらに決心した。決心したその日から息子は父親の畑を引き継ぎ、仕事に勤しんだ。
そうして、体が壊れた妻と、精神が壊れた夫と、将来の様々な可能性を失った息子の三人家族の生活が始まった。