夏と蝉
私のお姉ちゃんは本当に趣味が悪い。
彼女は土からでてくる途中の蝉の前でわざと倒れている。
一生懸命掘った土のトンネルの中に、いきなり現れるのだ。
蝉が彼女を心配し助け起こすとひまわりのような笑顔でお礼を言う。
そして蝉にこう告げる。
「あなたたちは地上に出たら7日間しか生きられない
あんなに長い時間外の世界に焦がれてきたのに…
でもあなたは優しいわ。お礼に永遠の命を差し上げましょう。でもお礼と言っても簡単にあげることはできないの」
そうすると、大概の蝉は混乱し、懇願するようにこう言う。
「何をすればいい、なんでもする」
すると彼女はもったいぶってこう言う。
「必死に鳴くのよ。空に向かってとにかく声を届けるの。8日目まで声を届けることができたら、あなたに永遠の命を上げましょう」
「7日しか生きられないんじゃなかったのか」
「平均よ。1日分超えるなんて簡単なことよ、そうでしょう?」
「私の力で特別に、8日間、めいっぱいの声を空に届けることができたら、空から永遠の命を授かるようにしてあげる」
外に出た蝉は昼間必死で鳴き続け夜になると死んだように眠る。
永遠の命が欲しい一心で毎日繰り返し、その力を使い果たし、皆7日目で命を落とした。
「本当は余計なことしなくても1ヶ月は生きないのだけれど、個体差があるのよね」
あるとき一緒にジュースを飲みながらお姉ちゃんは言った。
「きっかり一週間、キリがいいでしょう。その方がホラ、抜けでる魂も、きれい」
彼女は小さなガラス玉のようにキラキラ浮遊する魂を集め、籠の中に集めていた。
いつか私にもそれを見せてくれた。あなただけに、と言って。
夏も終わりに近づくころ、その大きなかごはいっぱいになり、一つあふれだすとそれに引っ張られるようにみんな天の川へ昇って行って空の星となる。
「お姉ちゃんの嘘つき」
「嘘じゃないわ、だってほら、彼らはみんな永遠の命となったのだもの」
そう言って空を指差す お盆の頃の星空はキラキラとしていた。
私はそういうお姉ちゃんが大嫌いだ。
彼らが欲しかったのは星になってまたたく永遠ではない。
たとえ限りがあっても地上で過ごす「生」だったろうに。
わかっててやってるからタチが悪い。
でもそうやって死まで導いてその先へ受け渡すのが彼女の仕事だから半分は仕方ないのだが。
夏は生命力に溢れているようで多くのものの命を奪ってもいる。だからお姉ちゃんは忙しい。すこしでも仕事を効率化したいのだ。
と、それがお姉ちゃんの夏の日常だったのだけれど。
たった一度だけ、変わったことがあったということを、ある時レモネードを飲みながら聞かされた。
その蝉は最初から何か悟りきったような眼をしていたらしい。
とても地上になんか行きたくない、といったふうに、のろのろとしかし着実に機械のようにトンネルを掘った。
お姉ちゃんが倒れているのを横目でチラと見て言った。
「貴様何の真似だ、下手な演技を」
お姉ちゃんはいぶかしげにむくりと起き上がって言った。
「あなたは楽しそうじゃないわね、みんなこの道を期待と不安が入り混じったような目をキラキラさせて通るのに」
その蝉はしかめっつらをして言った。
「私は実は二周目だ」
「二周目」
お姉ちゃんはその言葉をうまく飲み込めずオウム返しに呟いた。
「なんの因果か、前世の記憶が残ってしまった
私の前世は何のことはない、おまえさんにだまされて7日目に死んだ。他の蝉たちと一緒だ。
あまりにあっけなかった。
お前さんは表情一つ変えず私の魂を捕まえ籠の中に入れた。
だがその年の盆の夜、他の魂とはぐれ空へは行けず再び土の中へもぐり、目覚めたらまた蝉だった」
「あら、じゃぁ、私に対して怒ってる?」
蝉は質問には答えず続けた。
「7年間。不毛な時間を耐え抜いた。外に出るために育っていく身体、だが外に出てからはあまりにもあっけないことを知ってしまっている。なんのための時間かまったくわからない。前世のように外の世界への希望があればこそ7年という長い歳月が耐えられるというのに。退屈と絶望。その長い時間はお前さんへの怒りすら忘れさせるに十分だったよ」
「そう それでずいぶんと悟りきった目をしているのね」
「地下に眠ったままいっそ死ねたらどんなによかったか。しかしこの身体、生命の営みがそれを許してはくれない。私は地上に出ねばならんのだ」
そう言って、蝉はふっとため息を吐き目を閉じた。
お姉ちゃんは慰めるでもなく困るでもなく、その様子を見ていた。
次に目を開けた時、蝉はお姉ちゃんを正面から見据えた。
「おまえは私たちを死に導くことができるのだろう、頼みがある、地上に出ると同時に殺してくれ。、もうあんな、喉から血が出たように泣き叫ぶのはごめんなのだ、かといってむなしい世界をひと時でも長く生き延びてしまうなど耐えられない」
お姉ちゃんはその時初めて目を丸くして、半歩後ずさった。
「とんでもない。私は死に導くことができるけど死を操ることはできないわ。あなたのその体の『寿命』が尽きないかぎりあなたを死においやることはできないわ」
あわててそう言ったあとで、一息ついて、お姉ちゃんは少し考えた。
蝉はしかめっ面でうつろな瞳を向けて黙っている。
外は夜とはいえ、夏のこと、土のトンネルの中は蒸し暑くてともすれば気が狂いそうだった。
お姉ちゃんはふとあることを思い出した。
「そうだ、昔人間の子どもが読んでる絵本を覗いてみたことがあるわ。空に向かってどこまでも飛んで行った鳥がそのまま星になった。体は焼けるようになるでしょうけど7日間よりは短いでしょう。私を通さずに星になれるわよ。保障はできないけれど」
「おおそうか、おまえさんまともにアドバイスしてくれるのだな。よしそれでやってみよう。うまくいけば7日を待たず星になる、失敗してもただ生きるよりは早く死に向かうだろう。そうしたらおまえさんがまた回収に来るんだろう。」
「ええ。1度目と同じようにするわ」
うむ、と2週目の蝉は頷いた。
蝉は長いトンネルを抜けまだ真っ暗な外へ出て、木に登り、羽化を始めた。
いつもは見送りなんてしないお姉ちゃんも、今回はその様子を見守った。
ゆっくり慎重に背中の割れ目から抜け出る。美しい白い身体が無事抜けきると、そのままじっとして羽が固まるのを待った
蝉もお姉ちゃんも何も言わなかった。
ただ空けてゆく空をじっとみつめていた。
そうしてしばらく時がたった。
「では行こう」
と蝉が言った。
お姉ちゃんがうとうとしかけていた目をこすってみると、ほとんど固く茶色くなった身体に包まれた蝉がいた。
「そう」
お姉ちゃんは蝉を上から下まで眺めた。
幼虫のときより白い時よりも今の茶色い姿が精悍でいいわ、とお姉ちゃんはひそかに思った。
「気をつけて」
お姉ちゃんがそう言うと、蝉は一瞬激しい羽音をたて、真っ青に晴れ渡った空にひとり飛び立っていった。
お姉ちゃんは何も言わずに見送った。
ただ太陽がまぶしかった。
気がつけばあたりには蝉の合唱が――永遠の命を求める叫び声に囲まれていた。
そのうち蝉の姿がどんどん小さくなって、気が遠くなりそうなくらい――
だいぶ時間がたって、
小さな点が じゅっ と燃え尽きたように見えた。
お姉ちゃんはいつもの仕事に戻った。
「でもあの後思ったのよね、それぞれの寿命ぐらいは尊重しようかしらって」
「当然でしょ」
「なぜそう思ったのかは自分でもわからないのよ」
お姉ちゃんはほとんど氷だけになったレモネードをストローでかき混ぜながらそんなことを言った。
私はただ白いワンピースの裾をなびかせ縁側で足をぶらぶらさせる。
そうすると、風が吹く。風鈴がちりんちりんと鳴った。
ここは誰もいない家。
またそろそろ、魂が還る時期がくる。
私とお姉ちゃんはそれぞれの場所へ出かけてゆく。
立ちあがってくるり、と白いワンピースを翻す。
もう一度だけ、風鈴がチリんと鳴った。