我た死のモ盧
彰人 1
大阪の天保山にある海遊館に僕と佳代子は訪れた。そこに彼女と一緒に向かったのは、ある事情、それも二人の関係についての肝要な決断を下すための場だと考えたからである。公共の場であれば彼女も激しく反論するには難儀であろうし、決定的なある一言を聞き取りさえすれば、僕にはそれで十分だった。そしてほとばしる緊張とにじみでる冷汗のなか、五月十二日の今日を迎えた次第である。僕ちは水の回廊をしとやかに進み、左右の透き通る硝子の奥にひそむ様々な彩りの魚たちを見渡した。彼らの縦横無尽に駆け巡る様は、水槽での出来るうる限りの自由を示していて、その光景に僕は少なからず憧れを抱いた。佳代子は何故、とつぜん水族館に誘ったのと快活な微笑を浮かべて言ったが、僕は表情なく、ただ黙して海水魚に見入ってるふりをした。
何か特別な日だから、それか記念日だからここに呼んだのかとしとやかな声で尋ねてきた。
いや、と僕はラッコの流麗な泳ぎを見ながら言う。
じゃあなにかしら、と怪訝な表情を浮かべながら彼女は解けない知恵の輪を解こうとしている。
今日で会うのが最後だから、と言うとふいに佳代子は慄然として空虚な様子になった。
「別れるということ?私のどこが悪かったの?」と佳代子は涙ぐみながら、それでもこらえるようにして言う。
僕は束縛が酷いと言い、実際に彼女にされた体験を証言した。
「僕が会社に行っても、一時間に三回も電話をかけてくるだろう、呼び出しに応じなければ、わざわざ職場に来て怒鳴り散らし、浮気をされたと妄想にふけって泣き叫ぶ。それが月に何度もあるから、羞恥心のあまり辞職も免れないと考えてる。クビにされないのは全くもって奇跡としか言いようがないよ。
休日はきみに四六時中、監視され趣味をしようと試みても、凝視されて集中もなにもない。外出をする際にはトイレでもお構い無くついてくる。どこ行くにもなにをしようにも、まるで背後霊のようにつきまとうじゃないか?それに僕が寝てるときに携帯の着信履歴やメールを見ていることも知っている。もう限界なんだ」
佳代子はひきつって歪んだ顔をいかにも狂気的に表現しながら、僕をまじまじと見る。
すると、途端に両手をうちならして、あなたが嫌だと感じてることを全てやめればいいのね、と蜘蛛の糸が解けたような落ち着きを見せた。
向こうの方では単純明快ではないかと思っているようである。が、僕はもう一緒にいること自体苦痛になっている、終わりにしようと懸命に別れ話を持ちかけた。
「好きな人がいるのね?そうなんでしょう?ねえ、そうなのよね?」と佳代子は病的な興奮に駆られながら叫ぶようにして尋ねる。
そうではないが一人になりたい、距離を置くのではなく全くの一人に、と僕は彼女に哀願した。
彼女は数分ほど呆然と立ち尽くし、やがて力なく床に座り込んだ。
しばらくして彼女はこの上なく重い腰をあげ、分かったわ、と機械的に意思の挟む余地なしに答えた。
僕はそれを聞くと深く謝罪し、彼女が憤怒でなく悲哀の感情を表出してるのを見届け、我を忘れ襲いかかってこないことに安堵してその場を後にした。




