旅立つ二人
一人の少年が二階建ての屋敷を背にして、石畳の中庭で剣の修練を行っている。
彼が自身の身長ほどの両刃の大剣を振るうと、生まれた風が石畳をわずかに削った。
少年の癖の強い金色の髪は普段から動きの邪魔にならぬように頭の上に一つにまとめられている。
まだ幼さの残る顔に収まる紫の瞳は、太陽の光を反射し、宝石のように輝く。
身長は一メルトと半分ほどで、この世界の男としては小柄だが、彼はまだ成長期が来ていない。
少年の名前はアクト・ティフォーヌ。
とある事情により弱冠十四歳にして、騎士の名家と名高いティフォーヌ家の当主であり、十歳で国王から直々に第五騎士団団長に任命され、日々与えられた勤めを果たしている。
その若さ故に妬む者や財産目当てにつけこもうとする者は多い。
だが、アクトは伊達に当主になったわけではない。
彼は武力と知力の両方を兼ね備え、人を見る目もある。
だから彼はとって必要な人間とそうでない人間を見分けることは造作もない。
必要ではない人間は波風を立てないように距離をとり、時には秘密裏に処分した。
今日は月に数回与えられた休日だが、アクトは勤務のある日と変わらず、日の昇る前から鍛錬に費やしている。
アクトの返す刃で下から斜めに切り上げると風が鳴いた。
横へ、縦へ、見えない敵を相手にしているようにアクトは次々に剣を振るう。
だが、アクトの顔には何の表情も浮かばない。
一心に剣を振るうアクトの動きを止めたのは青年の声だった。
「ぼっちゃま、本日は剣のお稽古ですか?」
アクトは剣を振るうのを止め、からかうような声の方へ顔を向けた。
大樹の葉を思わせる艶やかな深緑の髪と深い海のような青い目、アクトよりも頭一つ高い身長に筋力のついた引き締まった体躯。
そしてフリルがたくさん付いているメイド服を着た十八歳くらいの青年がアクトの背後に立っていた。
アクトは青年の姿に慣れているのか何もいわず、手にしていた大剣を背中の鞘にしまった。
「ラグナ、ぼっちゃまはやめてと何度もいっているはずだよ」
「わりぃわりぃ」
アクトにラグナと呼ばれた青年は砕けた口調になり、歯を見せて笑った。
本来ならば主人に対して使用人がそのような口調で話すことは罰に値する。
だが、アクトはラグナの口調を咎めることはない。
むしろ人から距離を置かれるアクトにとって、弟のように接してくれるラグナの存在は大きい。
彼にとってラグナは兄弟のような親友のような気の置けない存在だ。
「それで鍛錬は終わりか?」
「もう少しやるつもりだよ」
「それじゃ久しぶりに俺と手合わせするか?」
「そうだね。頼むよ」
「そうこなくっちゃな」
ラグナはにやりと挑発的に笑った。
アクトは鞘を支えるベルトを外し、離れた場所に背中の大剣と鞘を地面に置いた。
その間にラグナは手足を伸縮させ、体をほぐしていた。
「それじゃ始めよう」
「おうよ!」
アクトの号令にラグナは拳を打ち鳴らす。
先に動いたのはラグナだった。
一歩進んだところでアクトの身長の三倍ほど飛び上がり、スカートをひるがえしながら、アクトへ向かって足を振り下ろす。
スカートの下には短パンを履いていた。
アクトは後ろに飛び、ラグナの踵落としを避ける。
先ほどまでアクトのいた場所にラグナの右踵落としが刺さった。
「さすがだな、アクト」
「君の方こそ」
ラグナは埋まっていた右足首を引き抜き、獅子のような勢いでアクトとの距離を詰め、右拳を突き出す。
アクトは首を反らし、それを避ける。
「それじゃちょっと本気でいくぜ?」
ニヤリとラグナの口元が緩み、残像が残るほど速い拳の連撃が続いた。
アクトは一つ一つの攻撃を冷静に見極め、全ての拳をかわす。
ラグナの最後の拳をアクトは屈むことで避け、風を切る音が後に続く。
そのままアクトは立ち上がり際に拳を突き上げるが、ラグナに読まれていた。
上体を後ろに反らし、鋭いアクトの拳を避けると、重心を移動させすると後方回転をするように地に両手をつき、回し蹴りを放つ。
しなやかで太い足がアクトの鳩尾へと襲いかかる。
アクトはとっさに両腕を交差させ、鉄のように重い蹴りを受け止めようとしたが、完全に受け止めることはできなかった。
「ぐぅっ……!」
蹴りの衝撃に耐えきれず、体重の軽いアクトは後ろに飛ばされる。
ラグナは後方回転し、立ち上がると体勢を崩したアクトとの距離を詰める。
アクトが彼の急接近に気づいた時にはもう遅い。
既に小さな下顎へラグナは左拳を突き出していた。
アクトは来る衝撃に心構えをし、次の行動を練る。
だがラグナの拳は途中で止められた。
一人の老齢のメイド長が中庭に現れ、二人の姿を見つけると足早にやってきた。
二人は体術の鍛錬を止め、構えを解いてメイド長へ視線を移した。
メイド長が近づくにつれてラグナの顔が引きつった。
「げっ!サマンスさん」
目の前にやってきたサマンスと呼んだメイド長に、青ざめた顔でラグナは呟いた。
サマンスは先代からティフォーヌ家に仕えるメイド長だ。
ラグナは彼女に仕事を仕込まれており、今でも仕事でミスをする度にこうして怒られる。
「ラグナ!あなたいったいアクト様になんて失礼なことをしているの!」
サマンサは開口一番にラグナへの怒声を浴びせた。
「ラグナの許可はもらっているよ」
すねたようにラグナは口を尖らせた。
「そういう問題ではないでしょう!だいたいあなたはアクト様を呼び捨てにするは、ため口で話すは、従者としての態度が全くなっていません!」
この家の主人のアクトが許しているとはいえ、主人と従者の上下関係は変わらない。
ラグナのやったことは不敬にもほどがあった。
他の貴族や騎士ならば、着の身着のまま家を追い出されるか、鞭打ちの罰を与えられるほどだ。
「サマンス、全部僕が頼んだことなんだ。ラグナは悪くないよ」
ラグナを庇ったのはアクトだ。
「ですが、ラグナの態度は従者としてよくありません」
「ラグナはちゃんと働いてくれているよ。もちろんサマンス達も働いてくれている。僕のためにいつもありがとう」
アクトは表情を崩し、少しだけ嬉しそうに笑った。
「そんな私たちにはもったいないお言葉でございます!」
サマンスは慌てて頭を下げた。
この国の上流階級の者が使用人にお礼をいうことはまずない。
仮にあったとしてもそれは特別な功績を残した時だけである。
「それでサマンス。僕に何が用事があったんじゃないの?」
いつも冷静に仕事をこなすサマンスが急いでここに来たのだ。
わざわざラグナを呼びに来たとは考えられない。
アクトは表情を引き締める。
「そうでした。先ほど王宮から使者がお見えになって、王宮に参られるようにと言伝をお預かりました」
アクトの表情がわずかに固くなった。
王宮はアクトにとって深い因縁のある場所だ。
「サマンス、ラグナを連れて行ってもいいかな?」
アクトの声がわずかに震えていた。
「もちろん。いいですよ」
それに気づきながらサマンスは気づいていないふりをした。
彼女はアクトが怯える理由を知っている数少ない人物である。
またなぜアクトが執事よりも従者のラグナを信頼しているのかも。
秘密裏にはなっているが耳聡い者は二人はただの主従関係ではないことを知っている。
「ありがとうございます」
少しだけ柔らかい雰囲気になったアクトがサマンスに礼をいう。
アクトは良くも悪くも常識外れの子供だ。
それは先代のせいなのか、それともこの子の運命せいなのか。
サマンスには判断のしようがなかった。
しかし今はするべきことがある。
「ラグナ、王宮の方々に粗相をしないように気をつけて行きなさい」
当然のようにアクトの後をついて行くラグナを引き止める。
彼は言葉の裏に込められた意味に気づかないほど鈍感な男ではない。
「……わかってるよ」
一度だけ振り返ってラグナは再び先に進もうとする。
「そのふざけた格好も着替えなさい!」
屋敷の中でも許しがたいが、従者にメイド服を着させているなどという噂が国中に広まり、アクトの評価が下がることはサマンスにとってはもっと許しがたいことだった。
しぶしぶといったように従者の格好に着替えたラグナを見て、アクトはいった。
「そういえばラグナって従者だったね」
メルト=メートルです。
ラグナの格好はそういう趣味じゃないです。
アクトの趣味でもないです。
ちゃんと理由があります(笑)