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ボーイミーツ"   "

 

 少年は暴行を受けていた。

 ゴミ箱に叩き付けられて薄汚れる学生服。年端は十六、七の、同じように学生服を着た四人が少年を見下ろし、その中で一番体格のいい、リーダー格と思しき男が苦々しい表情を浮かべる。

殴られた少年は、その男達に比べると随分線が細い。背も高い方とは言えず、中途半端な長さに伸びた髪も相まって、遠目では少女とも見紛うほどにひ弱で華奢だ。彼は、どこか困ったような表情で笑いかけている。その様子は殴られたことよりも、服が汚れてしまったことのほうを気にしているようにも見える。

 その態度が気に入らなかったのだろう、男は倒れる少年の胸倉をつかみ再び殴りかかろうと腕を振り上げた。

 その時


「こぉらぁぁぁぁ! 何してるオマエラァ!」

劈く怒号が路地裏を埋めた。取り巻きの一人が尻餅をつき、それを皮切りに男達が逃げ始める。リーダー格の男も回りにせっつかれ、舌打ちと恨み言を残し、立ち去った。


 少年は何が起こったかわからずに呆けていた。まだ耳に叫び声が残っている。「発声源」のすぐ隣にいた彼には、未だ理解が追いついていなかった。

「大丈夫か? まったく低俗なことをするものだな」

彼の手元で、それは声を発していた。低く、落ち着いた男性の声。しかしそれはほとんど人の姿をしていない。表情のない、白い顔。それを少年は見下ろしていた。


 それは白い仮面だった。それが何でできているのか、少年にはわからないが、白磁のように白くひんやりと冷たい。それに表情はなく、飾り気もなく、ただただ顔を隠す仮面、といった印象を与える。

「ん、驚かせたか?」

声が発せられるとともに、仮面が震える。確かにこの仮面がしゃべっている。かといって、マイクなどがついている様子はない。

「まぁ細かい説明は置いておくか。端的に、自己紹介をするなら」

仮面は、どこか得意げな声で語る。

「俺は、所謂魔法使いだ」








「ただいまー。ごめん、シャワー使うね」

「また汚してきたの? もう」

母親の声を尻目に、そそくさと衣服を脱ぎ捨て、浴場にて身体を流す。少年の、細く白い体躯の表面をぬるめの湯が流れていく。打ち付けられた皮膚がまだ熱を持ち、ひりひりと痛む。

 少年は今一度、状況を整理していた。自身を助けたのは仮面であり、挙句自称魔法使いだ。何故助けたのだろう、その代わりに自分に何かを要求するつもりなのか、悪魔ならそうだろう。それともあの仮面は天からの遣いか何かだろうか。しかし天使にも見えない。そもそも魔法使いを名乗っている。だが彼の知る魔法使いというものは少なくとも二足歩行であり、イマイチ、ピンと来ない。そういえば、喋る仮面が出るテレビゲームのCMを昔見た気がするけど、あれは魔法使いだったのだろうか。

正直なところ、いくら思案をめぐらせようと、何がわかるわけでもない。何を考えようとも彼にとっては突拍子もない話だ。喋る仮面も、魔法使いも、彼にとってはフィクションの中にしかいないようなもので、未だにまるで実感を持てないでいる。もしかしたら自分は頭をぶつけておかしくなったんじゃないか。もしくはこれは、気を失って見ている夢ではないか。それならそろそろ目が覚めて、真っ白な病室の天井でも眺めてもいいんじゃないか、など、どれだけ考えようとも無駄に空回りするだけでなにひとつ進展を見せるはずもない。

しかし考えるだけ考えて、現状自分には理解できないということが理解でき、少年の頭は大分冷静さを取り戻せていた。

「よし」

最後に頭を水で流し、頬をパンと叩き、仮面の話を聞き入れるための気合を入れた。



「ええとまず、だな、焚書って知ってるか」

気合を入れてきたがこの仮面、もしかしてものすごく説明下手なんじゃなかろうか。少年の頭に不安がよぎった。

 少年は自室で一人、机の上に置いた仮面の話を聞いている。家族に見られたらどんな顔をされるかわかったもんじゃないので、背後にだけは神経をやりつつ、かつ仮面を隠せるような位置取りを意識する。

「焚書って、要は本を焼いて始末するアレ、だよね」

「ああ。ならばその目的は?」

「主に、邪魔な思想を排斥するだの、不都合なデータを消すだの、プロパガンダのためじゃないの?」

「おお、よく勉強している」

パチパチパチと、手のない仮面は手拍子がわりに言ってみせる。

「だが、その最大の目的は別にあった。それが俺らのような魔法使いの捜索だ」

仮面の話し声が、軽口から落ち着いた低いものに変わる。まだ何処かに自信を漂わせる、笑みを含むような口調だ。

「魔法使いってのは元々は人間なんだ。それが――まぁ、色々やり方はあるんだが、人間やめちゃって魔法使いになる。魔法というものはどんな、というのはちょっと口では説明できないが、まぁとにかくだな」

重要な場所をぼかされている。少年は多少不満をもったが、一旦抑えた。得意げに解説している仮面の機嫌を、今損ねることもないだろう。ひとまず清聴することにした。

「魔法使いになれると不老不死になる。と言っても、全身じゃない。脳だけだ」

「脳だけ?」

「残りは年老いて死んじまう。まぁそれでも殺されるか老衰以外では死なないんだけどな。残った脳は、仕方がないから器だけ作る。その昔はそれが本だったんだろ。いわゆる魔道書とやらは、体外はソレだ。この魔法使いの脳ってのは不老不死だからな、焼かれようが叩かれようがビクともしないし汚れすらつかない」

なるほど。少年は思わずつぶやいていた。長いことゴミ溜めにあった仮面が汚れ一つないことにやっと合点がいった。

 つまるところ、この仮面は自称のとおり、魔法使いなのだろう。ただし、既に肉体を持たず、脳だけになった存在なのだ。

「まぁ本は読まれると魔法の知識を盗られっちまうからそのうち廃れたんだ。今の定番がこの形なんだよ。特に防御に優れて」

「ねぇ」

少年が仮面の話を遮る。

「どうして僕に」

「そこにいたからだ」

仮面が遮り返す。

「捨てられて流れて、下手をしたらあのゴミの中からどこに行くか分かったもんじゃない。ほとんど動けやしないからな。そこに君がいたから声をかけた。まぁ見ていられなかったというのもあるが」

「同情?」

「まぁ」

仮面は少しの間、押し黙った。少年の反応は、感謝、とは程遠い。怒りか呆れに近いものを、その口調が孕んでいた。

「力をかせるぞ?」

仕切り直す意味を込めてか、仮面は小さく咳払いをし、再び会話を続ける。

「俺も、基本はさっき教えた魔道書と作りは変わらない。つまりお前に『魔法』を使わせることができる」

「魔法――」

「大概のことは望み通りにできる。魔法を貸してその手助けをしてやる。あのいじめっ子どもに復讐するなり、一生動かなくていいほどに金を稼ぐなりな」

「じゃぁ」

少年は何かを言いかけて、細く消え入りそうな声でひねり出したその返答を、聞こえないような細い声でつぶやいた。

「何?」

「――いいや、特にないよ」

そして結局、伝える前に口の中で飲み込んだ。

 仮面も

「そうか」

とだけ答えたきり、会話は途絶えた。





それから一週間ほど、二人の間に目立った出来事は無かった。仮面はただ少年の生活を見守るだけで、少年も特に仮面のことを――肌身離さず持ち歩きはしたが――深く意識することはなかった。時たま自室や、学校の休み時間に人気のない場所でほんのたわいない会話を楽しむ程度で、少年としては退屈と孤独を紛らわせるいい相棒だった。

ただ一つ、少年が仮面に願ったことがあった。それは、決してあの時のように、彼らに蹴られ、殴られる少年を助けないことだった。


仮面がただその様を傍観するのももう六回目になる。少年は今日もまた、殴られながら困ったような表情を浮かべ続ける。目立たない場所を痛めつけ今日も彼らは殴り飽きてか、もしくは少年の困ったような顔を見飽きてか、帰っていくのだった。

「大丈夫か?」

いつもの路地から、彼らの姿が見えなくなるのを確認した後、仮面は放り投げられたカバンの中から少年に話しかける。

「学校のある日は毎日だな。お前はあいつらになにか恨みを買うようなことでもやったのか?」

「いいや、何も。多分僕が弱っちくて、女々しくて、なよなよしてるっていうだけのことだよ」

カバンを乱雑に持ち上げ、ふぅ、とため息一つで困ったような表情を仕舞い、日も落ちかけて薄暗くなった裏路地の壁にもたれかかり、仮面のとなりで何も見えない遠く先を眺めた。

「友達なんだ、小学校の頃から一緒だった」

「あの図体のでかいやつがか? リーダーっぽい」

「うん。家が近くってさ、昔から一緒によく遊んでたんだ」

夕明かりが沈み、街灯が灯る。照らされた少年の表情と、その声はどこか楽しそうでまた、どこか憂いを帯びている。

「中学まではそんなだったんだけどさ。あの図体で目立つからさ、女みたいな奴と一緒にいるって冷やかされたりして。結局僕が爪弾きにされて虐められてる」

「なんだ、それじゃ理不尽じゃないか。お前だけ割を食ってる」

「うん。でもいいんだ」

その時、彼の表情はとびきり生き生きとしたものだった。

「僕が役に立ってるんだよ。僕を殴っていれば、冷やかされることもないんだ。僕をいじめていれば大丈夫なんだから」

仮面は彼の晴れ晴れとした表情を見、しばらく何かを考え、しかる後になにか彼の中での結論を得たらしいが

「そうか」

ただ一言発しただけで、会話はそこで終わってしまった。





 翌日も、少年は同じように暴行を受けていた。相変わらず困ったような表情を浮かべる少年を、よく見るとリーダー格の男以外はもはや興味も失せて、いい加減うんざりした様子で眺めている。しかしそれは少年を、ではなく、リーダー格の男を、である。

 この男は、取り巻きを引き連れて何日も少年をいたぶっている。だが少年はただただ困ったような表情を浮かべ続ける。堪えている様子も見受けられない。舐められているんじゃないか?

 そんな空気の中、せきを切ったのはしびれを切らした取り巻きだった。

「おーいぃ? お前なんでこんなオカマ一人泣かせらんねーの?」

「アァ!?」

取り巻きの一人が、ニヤケ顔で男の肩を叩く。リーダー格の男の威嚇も意に介さず、他の取り巻き二人も、それに呼応するようにニヤケ顔を見せる。

「何、こんなんに苦労しちゃうの?」

取り巻きの一人が、少年の頭を蹴り上げる。思い切りアスファルトに叩きつけられた頭が、少年に眩暈と鈍い痛みを与える。

「うっ……」

思わず少年の表情が、初めて歪む。

「ほぉら、簡単じゃん」

二発、三発と少年の身に足蹴が、殴打が飛ぶ。痛みや吐き気が、少年の表情を曇らせる。手加減のない暴力に、少年はその困ったポーカーフェイスを保てなくなっていた。

「お前ら!」

「こんなのに手こずってたの? 弱っぇぇぇなぁ!」

隠し持っていたのであろう、鈍色の鉄パイプが、リーダー格だった男の腹に打ち付けられ、その図体がうずくまる。オラ、と、その背に向かって残りの二人もそれを振り下ろす。

 その時、少年はやっと間違いに気がついた。男に手加減されていることにはずっと気がついていたのだ。男のためには、痛がって見せるのが正しかったんだ。自分のせいで男は序列の上から蹴落とされてしまう。少年は痛みから身をよじり、男のもとへにじり寄ろうとするが、本物の『暴力』は彼の自由を思いのほか重く縛り、

「やめて……やめてよ」

悲痛な声を上げるだけで精一杯だった。

「ア? 黙ってろよ!」

顔面を再び蹴飛ばされて、跪いた身体がそれに引っ張られ仰向けになる。その時、カランと乾いた音が確かに聞こえた。少年の足元に白磁のように抜ける白が飛び込んできた。

 仮面は少年のお願いを忠実に守っているのだろうか、沈黙したままだ。少年の頭には、仮面の言葉がよぎる。魔法がどんなものかはわからないが、何か願いを叶えられるというのなら、今だ。説明を受けずとも使い方ならだいたい想像がついた。少年は痛む半身を起、仮面へと手を伸ばした。

「なんだこれ、マスク?」

しかし無情にも少年の手は行き場をなくした。

「へぇ? オッシャレー」

ニヤニヤと笑いながら、取り巻きの一人は取り上げた仮面をちらつかせ、少年を見下ろした。少年の顔にはもはや余裕などかけらもなく、焦りと落胆に青ざめた。

「だ、ダメだよ! それは、返して!」

「ほーん? 値打ちもんなのか? これ」

ニィ、と笑ったそいつは、少年をからかうようにそれを被り、

「ほれ、似合う? 似合うんじゃね?」

と煽ってみせた。


「あ、え?」

 その瞬間、仮面が眩い輝きに包まれた。仮面の内側に向けて浴びせかけられたであろう光は、収まりきらずに周囲を染めた。

「ああ、やっとか。黙って見ているのも中々ホネだな」

その声は、少年にはよく聞き覚えのあるものだった。取り巻きのモノではない、低く落ち着いた声。光が収まったとき『仮面の男』がそこにはいた。


「何今の、お前何ふ」

言い終わるより早く、仮面の男の右脚は袈裟懸けに鋭く、振り下ろされた。蹴られた取り巻きは頭からアスファルトに、きれいに着地を決め、動かなくなった。

「は? おい、何やってんだよ、ふざけてんのか!?」

仮面の男に向かい、今度は鉄パイプが力いっぱい振り下ろされる。しかし、振り下ろされたその鈍色はパリンと高い音を立て、ガラス細工のごとく粉々に砕け散った。

「――は? へ、ぇ?」

「黙ってろよ、ウルサイな」

振り上げられる膝が見えた。次の瞬間には、顎に見事な一発が決まり、これまた見事に、取り巻きは地面へと小さな放物線を描き落下していた。

「ぁ……」

少年にはやっと何が起きたのかが理解できた。そういえば仮面は、この<=( ´∀`)である事は防御に向いていると言っていた。これは彼の攻勢防御だ。彼の魔法を盗み取ろうとする者を、彼は逆に奪うことができる。これ以上の防御もないだろう。

「ふむ。少しはすっとするもんだな、気分はどうだいじめっ子」

二人のし終えた仮面の男は、うずくまり見上げるリーダー格だった男の前に立ち、彼を見下ろした。

「惨めだなお前は」

男にはまだこの仮面が何者なのか、それどころか何が起こっているのか飲み込めていなかった。ただ振り上げられた足を見て、因果応報という言葉を感じ取った。



「やめてよ!」

路地を、一際大きな叫び声が、そして再び溢れんばかりの光が埋める。少年は男の前に立ち、大きく両手を広げ、仮面をキッと睨みつけていた。足を振り上げたまま、仮面の男がゆっくりと崩れ落ちる。その口元はニヤリと、悪戯する子供のような笑みを浮かべていた。

「約束通り、願いのための力は貸してやったぞ。あとはうまくやれよ」

カラン、と小さな音を立てて、仮面は外れ、アスファルトの上を転がった。

 少年はふぅ、と安堵の息を吐くとすかさず男の方を振り向き、顔を寄せた。

「大丈夫?」

「お、おう」

男はバツの悪そうに目を背ける。

「アレについては後で説明するよ」

アレとは仮面のことだろう。ああ、と相槌をうち、男は仮面から視線を外す。そして、初めて少年に視線を向けた。

「ゴメンね、僕がうまく殴られていればこんなことにならなかったよね」

「いや――俺の方こそ」

「や、僕がもっと逞しかったらよかったんだよ」

「いや、そんな」

いや、あの、えっとの堂々巡りを幾度か繰り返し、しばらくの間、二人は言葉を選びあぐねた。

不意に少年の顔に笑顔が浮かぶ。たったこれだけのやり取りが、彼には今、楽しく、そしてうれしくて仕方がなかった。男にもそれが伝わったのか、表情が緩む。


「久々に話せたね」

「あー、そうだな」

男もホッとしたような表情をやっと見せた。ちょっと前にはこうやって話せていた。やっとそこまで戻ってきた安堵は、二人ともに訪れていた。



「あの仮面の話は後でするとして、聞いて欲しいことがあるんだ」

少年の両頬は熱を持っていた。彼はこの時、少しだけ顔を蹴り上げられたことを感謝した。この熱も紅潮も、その腫れて熱を持った傷のせいにできる。

「あの――」

あの時、彼が仮面に言いかけた――恋愛成就というささやかで大胆な願いは、今確かに歩を進めた。

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