第35話 ヒメはドキドキを確かめるのか
いつもの部屋のいつものタタミの上。夏から秋に変わる時期の麗らかな午後、俺は本を読みながらゴロゴロしていた。これぞ読書の秋。この部屋には秋要素が皆無だが、外が秋なので秋で良いのだ。
「……眠くなってきたな」
睡眠の秋。秋という季節は、どんな言葉とも大体合うのでは無かろうか。芸術の秋、運動の秋、勉強の秋、食欲の秋、緊張の秋。
……緊張の秋?
俺は本をテーブルの上に置き、仰向けになる。眠いせいか、思考がまとまらない。北京の秋だのロシアの山だの、この世界に無い地名が頭をよぎる。ホームシックにでもかかっているのだろうか。でも外国なんて行ったこと無いので、むしろどこか遠くへ歩いてみたい、知らない町に行ってみたいという気分なのかも知れない。
旅行の秋。でもこの前、南の島に行ったばかりだな。その前は劫火の王がいた北国にも行ったし、結構旅行してるわ。町の中を歩いたりはしていないが、勇者が紛れているかも知れない町を歩くのは危険……いや、俺は魔族じゃ無いから大丈夫だったわ。ちょっと遠いかも知れないが、一度くらい人間たちの生活を見に行っても良いだろう。
「よし、知らない町に行こう」
「な、なんでじゃ!?」
ぽつりと呟いた言葉に、部屋の入口からツッコミが入った。視線をそちらに動かすと、逆さまになったヒメが廊下から顔を出しているのが見えた。このまま仰向けの姿勢でいれば、部屋に入って来たヒメのスカートの中が見え……いや、そこまで短いスカートはこの世界に無かったわ。バカなことを考えてないで、寝よう。
俺は目を閉じた。
「あ、悪魔殿……?」
「……」
いやいやいやいや。
俺は目を開け、身体を起こす。女の子を無視して寝るなんて、雑魚のやることだったわ!! 腑抜けてる場合じゃ無い、緊張しよう! 緊張の秋、異世界の秋!!
「秋だな!」
「そ、そうじゃな……」
ヒメはたじろいだ様子で、廊下からこちらを見ていた。怯えるな、俺は不審者じゃない。仮に不審者だとしても、不審者という名の悪魔だ。最低じゃねぇか。
「で、どうしたんだ?」
「う、うむ……」
ヒメは俺の顔色を伺うような表情をしたまま、一向に部屋の中へと入ろうとしない。もしかして、ヒメにとって俺は完全に危険人物となってしまったのか? 俺は無害だと言いたいが、そんなことを言う奴は大抵有害なのでどうしよう。
「あの……悪魔殿」
ようやくヒメが部屋の中に入って来た。ただし、俺とは結構距離を取っている。なんか、気まずいんすけど。
「ちょっと、気になることがあるのじゃ」
「何だ?」
「その……この前、聖獣に襲われた時……」
「ああ」
南の島にてウサギの姿をした聖獣の襲撃を受けた俺とヒメ、あとその他3名。勇者の魂が取り付いていたであろうその聖獣たちの攻撃は激しく、俺はヒメを守る為に全身を使った。具体的には覆い被さりました。13歳の少女に。
「……ごめん」
「な、何を謝っておるのじゃ!?」
ヒメが困惑してあたふたと両手を動かす。はい可愛い。
「緊急時とはいえ、男が覆い被さるのは流石に怖かったんだろう?」
あの時は色々と大変だったから気にならなかったが、今になって怖くなったという感じだろう。俺のデリカシーが無いせいで、少女を傷付けてしまったわけか……
「い、いや! 怖かったわけじゃ無い、のじゃが……」
「違うのか?」
つまり俺、無罪!
「その……学校の友達にじゃな、あの時のことを話したら……」
「うん」
「お、男の人にそんなことされたら、凄いドキドキしたんじゃないか、と言われてのう……」
「ああ」
「だけどあの時は色々と大変だったからなのか、ドキドキしてなくて……そのことが今になって、怖くなってきたのじゃ」
なんだろう、俺の予想と似ているようでかなり違う気もする。一言でいえば、わからん。
「だから、確かめたいのじゃ」
「確かめるって、何を?」
「あ、悪魔殿が覆い被さってきたら、ドキドキするのかどうかを、じゃ!」
「なるほど」
そういうことなら、答えは一つ。
「お断りします」
「な、なんでじゃ!?」
ヒメが不服の声をあげた。だって、当たり前じゃん。
「あの時は仕方なくやったが、男が女の子にあんなことをすべきでは無いんだ」
「それは分かるのじゃが、だからこそ気持ちをハッキリさせたいのじゃ!」
「でもなぁ……」
「……ダメ、なのか?」
少し涙声で、ヒメが呟いた。
「やります」
俺はしゃんと正座して、そう答えた。ヒメが笑ってくれるなら、俺は悪魔にでもなる。そういう心持ちが、長期化する異世界生活においては非常に重要なのだ。どんなに強力な疑似人体があろうとも、精神的に弱気になっていては十全なポテンシャルを発揮することは出来ないし、今ヒメのお願いを断ったら王妃やメイド2人に「最低のヘタレ野郎」と呼ばれてしまうだろう。やだ。
「そ、そうか、じゃ、じゃあ……」
ヒメは俺の方に歩み寄り、靴を脱いでタタミに上がった。そして両脚をタタミに付け、頭をこちらに向けてダンゴムシのように丸まった。
「あの時と同じことをやって欲しい……のじゃ」
「……ああ」
俺は四つん這いで、ゆっくりとヒメに近寄る。少女に迫る怪物のような気分になってくるが、怪物になったら社会的に死ぬ。まぁ、そもそも襲う気にならないから心配は無いのだが。
ちらりと、ヒメが顔を上げた。しばしの間、お互いの目が合う。
「……」
「……」
何も言えることが無く、そのまま動きを止める俺。しばらくして、ヒメは再び顔を伏せた。
俺は改めて手足を動かし、ヒメに接近する。あと少しで、腕が身体に触れ――
「……やっぱりダメじゃっ!!」
「ふべぇ!?」
勢い良く振り上げられたヒメの手が、俺の顔にクリーンヒットした。そのまま俺はタタミの外まで転がり、ヒメは身を起こしてオロオロしていた。
「す、すまないのじゃ悪魔殿! 大丈夫か!?」
「俺は大丈夫だ。それより、そっちの手の方が心配だ」
「こっちも大丈夫じゃ。これくらい、痛くも痒くも無いのじゃ」
ダンゴムシ体勢の少女が放ったとは思えない打撃だったのだが、流石は魔王の娘といったところか。
「マリアから時々、素手での戦い方を教わっているからのう。手を何かにぶつけるのには慣れているのじゃ」
ゴリラが少女をゴリラの道に引きずり込もうとしている!? いやでも次期魔王なら戦闘訓練もやっておくべきなのか。
「ゴリラにはなるなよ」
「何を言っておるのじゃ?」
「……マリアみたいな乱暴者にはなるなってことだ」
「自分の身を守るくらいのことしか教わっておらぬのじゃが、そうじゃな、確かに腕力が強すぎるのも可愛くないからのう」
「他にも学ぶことは多いはずだ。ゴリラの道を歩む必要は無い」
「うむ。ゴリラの道というのがよく分からないのじゃが、悪魔殿の言う通り他の勉強も重要じゃな」
微笑むヒメ。俺は立ち上がりながら服のホコリをはたき、タタミに戻る。
「それで、どうだった」
「…………ドキドキした」
ヒメは顔を伏せて、ポツリと呟いた。耳が赤くなっている。可愛いのだが、ちょっち気まずい。
「何と言うか……異性を意識する年頃なんだろう。年上の男がさっきのようなことをしてきたら、相手が誰でも緊張するだろう」
緊張の秋。
「な……! そ、そんなこと無いのじゃ! 悪魔殿だけなのじゃ!」
「うーん」
「なら、城にいる他の男でも試してみるのじゃ!!」
「他の男って、誰かいたかな……」
「スミマセン、用事って何ですか?」
テレフォンで呼び出した伝令の人、通称ぞんざいさんが部屋に入って来た。
「忙しい中、すまん。そこにヒメが丸まっているじゃろう?」
「はい。あと何ですかその喋り方」
感染したんだよ。
「ちょっと、覆い被さってみてくれ」
「……何でですか? そういう悪魔さんの悪趣味ですか?」
「違う。確認したいことがあるって、ヒメが言っているんだ」
「何が何だか分からないんですけど、仕方ありませんね。それでは失礼して……」
ぞんざいさんがタタミに上がる。
「あまり怖がらせないように、ゆっくりと頼む」
「分かりました。それでは王女様、行きますよ」
俺と同様、四つん這いでヒメの頭に近寄るぞんざいさん。顔を上げたヒメと、目が合う。
「……寄るな」
「ぐぼはぁ!!」
ヒメの拳がぞんざいさんの頬を強く叩きつけた。憐れにも、ぞんざいさんは勢い良くタタミの外に転がって行った。
「やっぱり悪魔殿じゃ無いとダメじゃ!! そもそも、近寄らせたくないのじゃ!!」
「なるほどな。俺以外で近寄らせてもいい大人の男っているか?」
「父上くらいじゃな」
「そうなると確かめようがないな……」
どうやら、ヒメにとって俺は思った以上に特別らしい。子どもによくある勘違いや恋愛への憧れだと考えていたが、それよりも重篤な何かなのだろう。
ならば俺は、ヒメの感情にもっと真剣に向き合うべきだ。曖昧なままでは、彼女の心に傷を残してしまうかも知れないから。
「あの……それで私は……」
ぞんざいさんが腰をさすりながら立ち上がる。
「ああ、もう帰っていい」
「何しに呼んだんですか!? 王女様に殴らせるためですか!?」
「いや、本当にごめん」
「ごめんなさいなのじゃ」
「……魔王様に、給料の増額をお願いしてくれませんか」
「考えとく」
「よっしゃあ!」
ぞんざいさんは靴を履き、嬉しそうに部屋を出て行った。ヒメに殴られた手当分だとすると……パン1枚分くらい?
「ところで悪魔殿、そちらはどうなんじゃ?」
「そちらって?」
「ドキドキしたのか?」
「……あんまり」
「それは、私に魅力が無い……ということか……」
「いや、正直に言って、魅力が無いわけじゃない」
落ち込みそうになったヒメを、本音でフォローする。誤魔化しは無しだ、無し!
「それじゃあ、どうしてドキドキしないのじゃ?」
「……子どもだからじゃないかな」
「……悪魔殿は小さい女の子が好き」
「それは間違った情報です。訂正してください」
もっと自分の好みの女性について公言しておいた方が良いのか、俺! それはそれで恥ずかしいぞ!!
「……やっぱりおっぱい、おっぱいなのか!?」
「…………ええまぁ、うん」
少女に性的嗜好を正直に話したくない!! 誤魔化したい! でも魔王の娘からは逃げられない!!
「むむむ……私だって、少しはあるのじゃが……」
そう言って、ヒメは自分の胸の辺りを両手で触った。そりゃ、あるよ。女子だし。
「だったら、これならどうじゃ」
ヒメは仰向けに寝転がり、両手を広げた。
「さっきは丸まってたから悪魔殿はドキドキしなかったのじゃ。顔と胸が見える相手なら、ドキドキするはずじゃ」
「オイオイオイ、いくらなんでも13歳の女の子を押し倒すような姿勢は取れないぞ」
「やるのじゃ」
「えー」
「……13歳の女の子じゃなくて、私が相手なんだよ?」
少しすねたような表情で横を向き、ヒメが言った。13歳の女の子とヒメって同じ意味……いや、断じて、同じ意味なんかじゃ無かった。ヒメは、ヒメ。ヒメなのだ。他の誰とも違うのだ。
だから、こちらは社会的な体裁など取り繕わず、ヒメの思いに応えなければならない。ヒメにとって俺が唯一の俺であるように、俺にとってもヒメが唯一のヒメであることを示す。他人にやらないことをやることが、親愛の証なのだ。
俺は慎重に、タタミを這う。視線を下げて進んでいたため、最初に見えたのはヒメの両足だった。次に、脚、次にスカート。相手の姿が見えると、どうも進みが遅くなってしまう。ヒメの方は今、どんな気持ちなのだろうか。
俺は、顔を少し上げる。小さな胸を上下させ、潤んだ目でこちらを見ているヒメと、目が合ってしまう。
「……」
「……」
「……やっぱりダメ!」
「スマン!! 無理!!」
ほぼ同時に、左右別々の方向へ転がる俺とヒメ。またしてもタタミの外に出たため、服にホコリが付きまくる。でも同じ方向に転がって変なことになるより百倍くらいマシだわ!!
「ド、ドキドキするのじゃ……」
「あ、ああ……」
「あ悪魔殿も、ドドドキドキ、したか?」
「ああ……」
「おっぱいだからか?」
「おっぱいじゃなくて……」
恥ずかしいから言いたくないけど。
「ヒメだからだろうな……」
「……そうか」
ヒメは、嬉しそうに笑った。
「だがなんかもう、疲れた。もういいだろう」
「そうじゃな。私も満足したのじゃ」
「それじゃあ、俺は昼寝をする。夕飯になったら起こしてくれ」
俺は服のホコリを払い落としてから、タタミの上に寝転がった。
「だったら、私もお昼寝するのじゃ」
「……まぁ、良いか」
俺とヒメはテーブルの脚を挟んで、それぞれ昼寝を始める。胸の心拍数が収まるまでは、寝付けそうに無いが。
「……昔聞いた母上の言葉が、少しだけ分かったのじゃ」
「王妃の言葉?」
「母上が父上と結婚した理由についての、言葉じゃ」
「……どんな言葉だ?」
「自分を一人の女性として見て、真剣に接してくれたから、結婚したくなった。母上はそう言っておったのじゃ」
「……そうか」
王妃は人間の村で迫害されていた、可哀想な少女。だが、その認識だけでは個人として尊重しているとは言えない。魔王は多くのものを王妃に与えただろうが、それ以上に王妃の言葉を、王妃の思いを受け止めたのだろう。そうでもなきゃ、聡明な王妃があの金髪クソバカ超ムカつくふざけ魔王と結婚するはずは無い。
「それと、悪魔殿のおかげもあったと、言っておったのじゃ」
「なんで俺?」
「悪魔殿が持って来た本から母上は沢山のことを学んで、色々なことが出来るようになったのじゃ。父上を助けられる、一緒にいても恥ずかしくない人になれたのは、悪魔殿のおかげだって。だから母上は、悪魔殿にとても感謝しておるのじゃ」
「そう思って貰えるなら……光栄だな」
シンデレラが王子様と結ばれたのは、同じ場所で対等に踊ることが出来たから。そのためにはカボチャの馬車やら綺麗なドレスやらガラスの靴やらが必要だったわけだが、王妃にとっては知識と技術こそ、それらの道具だったわけだ。そんで、俺が魔女なわけか。あっちに比べると、ずいぶん怠けているけどな。
とは言え、知識や技術は真夜中を過ぎても失われない。ガラスの靴のように割れることも無い。学び続ける限り、王妃は魔王と対等以上の関係でいられる。もしかしたら魔王より上の存在になってるかも知れないけどな!
「あの2人も、当然のように結ばれたわけじゃ無いんだな……」
「そうじゃのう……でも、それはお互いをちゃんと見つめた結果だと思うのじゃ」
「そうだな……」
落ち着いてきたため、全身の力が眠気によって抜けていく。
「悪魔殿……もう少し、近くに行っても……良いか?」
「恥ずかしいから、だめ」
「……分かったのじゃ」
その声は、何故か嬉しそうに、聞こえた。
……というか、もう寝よう。
勇者カウンター、残り9434人。




