◇倉田家の日常風景その一
※句読点の修正など行いました。
「これは由々しき事態だぞ和葉」
賢治は自室の扉を荒々しく開けたかと思うと、掃除中の和葉の両肩をがしりと掴んだ。
「は?」
外面は真面目でしっかり者(しかし実際はただの残念な人)の兄の切羽詰まった様子に、掃除機のスイッチを止めた和葉は賢治の手を払いのけつつ、一応「何?」と聞いた。
「今度の授業参観に着ていくスーツが決まらないんだ、今あるものは前に着たことのあるものばかりで…こんな事じゃ和葉がクラスで笑い者にされてしまう!」
本人はいたって真面目に言っているのかもしれないが、正直なところ和葉にとってはどうでもいい。いくら海外に単身赴任中の父に代わって毎回授業参観などに来るとはいえ、クラスメイトがいちいち彼の服装を覚えているわけはないし、授業参観の度にスーツを新調していたらクローゼットの中がスーツで溢れてしまうじゃないか。ちょっとイケメンだからって調子に乗りすぎだろう。とは思うものの、言うのはめんどくさいので、勝手知ったる彼の部屋に入り、濃紺に白の細いストライプのスーツを手に取った。
「はい賢兄さん、これ」
「これ、去年の三者面談のときの?」
「賢兄さんはこういうちょっとお堅いぐらいのが似合うの、大丈夫だよかっこいいんだから…黙ってれば」
無駄にいい記憶力を発揮しつつスーツを受け取った賢治は、つづいた和葉の言葉に少しつり気味の目を輝かせ、小柄な和葉の体に抱き着いた。
「和葉が褒めてくれるなんて久しぶりじゃないか、お兄ちゃんは嬉しいよ!」
「嬉しいのは分かったけど、いちいち抱き着いてこないで、セクハラはあき兄に訴えるよ」
「あああ彰君には言わないで、でもハグくらいは許してよ和葉!」
倉田家の稼ぎ頭であり、幼いころから優秀な次兄の弱点の一つは長兄の彰で、彼を尊敬している賢治は彼にだけは逆らえない。和葉は少々暴走しがちなシスコンの賢治を止める貴重なストッパーとして彰を度々呼んで、お灸を据えてもらっている。
「じゃあ許してあげるから、二階の掃除の続きやってくれる?」
「よろこんで!」
居酒屋の店員よろしくはきはきと答えた賢治は和葉から掃除機を受け取り、今日の仕事が一つ減った和葉は、先日発売されたばかりの漫画を読むために軽快に階段を下って行った。
この二人のやり取りを見ていた四男の裕介は、
(賢兄さんっていつか悪い女の人に騙されそうだな…。)
とか思っていた。