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第一章 其の八

 「ここは、孤児院なのですか?」


 レディーファーストと云うことでコロナが先に湯を浴びている間、康介はエルシールと彼女の部屋で話をしていた。

 部屋は、白を基調とした簡素な柄の壁紙で内装されており、仮漆が塗られて木目が映える調度品と、白と茶色の明暗の調を成していた。点されたランプの炎はやや弱く、心持ち部屋が暗く感じられたが、落ち着いた感は寧ろ部屋の主を引き立てていた。


 エルシールの金色の瞳がランプに照らし出され、揺ら々々と輝いていた。

 「ええ、そうよ。私も含め、此処の子供達の大半は親の顔すら知らないわ」


 両親、もしくは少なくても片親がいることが当たり前だと思っていた康介にとって、エルシールが語る内容は衝撃的であった。

 しかし、それで得心がいった。エルシールはカミーユたちのことを姉妹兄弟と云ったが、姉妹兄弟にしては外見が余りにも似ていなかったからだ。エルシールは、「確かに私たちには直接的な血の繋がりを有っていないわ。でもね……」、そこで一度言葉を区切り、珈琲をじっと見つめながら、「でもね私たちは血よりも深い家族の絆があるの」、と云った。


 康介は何と応えれば好いのか分からなかった。康介も注がれた珈琲に視線を落とした。珈琲の面は静かに揺れ、暖かな湯気をほっそりと立ち昇らせていた。


 エルシールが穂を繋ぐ。

 「私たちは両親がいなくても淋しいと思ったことはないわ。ううん、其れは嘘ね。ただ、其の淋しさを埋めてくれる誰かがいるのよ。悲しみは皆で分かち合い、喜びは皆で享受する。そういうところなのよ此処は。時には喧嘩もするし、下の子はまだまだ手も焼けるけどね」、と附け加えた。


 康介は自分のことを思った。両親も兄も居る自分は、彼らが居ることを今まで当たり前のように思っていた。寧ろ自分の気持ちを汲んでくれない彼らのことを疎ましくさえ思っていた。蝸牛のように何時も殻に閉じ篭り、周囲を拒んできていた自分は、何時も世界には自分一人しか居ないのだと思い込んできた。それでも構わないと思っていた。


 しかし、此処は違った。エルシールは一人一人はちっぽけで淋しさを感じることがあっても其れを埋めてくれる誰かが居ると云った。一人が他の皆を、他の皆が一人を支えていた。其れは康介の今までの生き方と正反対であった。少なくても康介の目には、エルシールやカミーユ、そして幼いメイですら伸び伸びと生きているように思われた。両親の顔すら見たことがない彼女たちは、特に幼い子供たちは、きっと心の隅奥で淋しさを感じているに違い。それでも彼女たちは、其れをおくびにも出さず健気に生きているように思われた。


 生きていることを窮屈にすら感じる康介は、揺れる心が痛む気がした。しかし、其の感情が何処から去来するモノなのかを了解し得なかった。いや、本当は分かっていた。きっと康介が心の奥底で何時も感じていた虚無感や寂寥感から起きるモノだと。

 居心地が悪そうに黙り続ける康介に、エルシールは、「御免なさい。こんな話急にされても困るだけね」、と云った。康介は、「いいえ、そんなことはありません」、と云った。


 「ところで……」

 エルシールは急に険しい顔になって話題を転じた。

 「リュックブルセルクに来て、貴方は何か気が附いたことはないかしら?」


 康介は首を傾げながら考えた。思いつくことは殆どなかったが、酒場での乱闘が鮮明に残っている所為か、やけに所謂冒険者風の男たちが多く見受けられたことが頭の片隅に引っかかった。リュックブルセルクに来る途中、コロナが此の街は商業都市としての色合いが強いと云っていたことを思い出した。最初は、用心棒として雇われたのかとも思った。それにしては、豪奢な服を着ながらも見っともなく下腹を突き出した商人と思しき輩よりも、背丈が高く胸板も厚くて厳つい冒険者と思しき輩の方が、多いような気がしてならなかった。


 康介は間違っているかもしれないと思い、云うべきか悩んだ。しかし、エルシールに「すぐに思い留まるところが貴方の悪い癖よ」、と促されて、康介は思いついたことを口にした。エルシールは、「御名答。まさにリュックブルセルクには賞金稼ぎが多く来ているわ」、と他意なく康介を褒めた。


 「先程のジャックと云う男も有名な賞金稼ぎよ」

 エルシールが説明する。

 ジャック=ロイスター。出自、年齢など一切が不明。其の名も本名かどうかも分からないが、エルシール曰く、凄腕の剣士と云うことだけは確からしい。風の噂では、嘗て傭兵で戦地から戦地へと流れていたらしい。


 「どうしてジャックのような賞金稼ぎがリュックブルセルクに集まっているのですか?」

 康介は素朴な疑問を尋ねた。

 エルシールの瞳が微かに揺らいだ。

 「実は、いまこの街では『神隠し』が起こっているのよ」


 エルシールが口にした言葉は、康介を驚かすには十分であった。

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