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第一章 其の七

 大通りから離れた人通りの少ない歩道に、康介たちの三人の影法師だけが長く延びていた。閑静な住宅街に立ち並ぶ家々の窓からは、柔らかな灯が漏れている。


 靴音を引き摺りながら後ろを歩くコロナが気になり、康介は気附かれないように様子を窺った。とぼとぼと着いて来るコロナの目の腫れはすかっり治まっていたが、余程先の決闘に敗れたのが悔しいのか、頬を少し膨らませ、まるで童女のように拗ねていた。長い深紅の薔薇色の髪と不貞腐れ具合の美妙な調和が愛らしく感じられる。康介はコロナに声をかけようとも思ったが、心中が波立って機嫌斜めな、彼女に触れないほうが好かろうと判断した。


 さらに十分程度、康介たちは黙々と歩いた処に其れは在った。

 「ここよ」、とエルシールが指し示した家屋は、木造の二階建ての建物で、一般的な民家と呼ぶには大きく、一棟の質素な宿舎のように見えた。塀を越して見える二階の窓は規則正しく一定間隔で並んでいる。建てられてから年数が経つのか、建物には雨風が染み込みんだ跡があり、所々藁を燻り返したような色を呈している。一言で云えば、いかにも年代モノで、悪く云えば少々ボロイ印象を受けた。

 この世界の常識に疎い康介であっても、エルシールがこの古びた邸宅に一人で住んでいるとは思えなかった。


 呆気に囚われている康介を余所に、エルシールはポケットから鍵束を取り出すと、其の一つを迷わず玄関に差し込んだ。玄関の扉を開きながら、「さあ、どうぞ。ああ、若しかしたら下の子たちはもう寝ているかも知れないから、あまり音は立てないで」、と康介たちを招き入れた。エルシールが音を立てないように細心の注意を払って扉を引き開けるが、其の甲斐も虚しく、扉は鈍い湿った軋み音を上げた。


 「ねぇ様が帰ってきた」、と弾かれた子供の声とばたばたと騒がしく廊下を走る足音が聞こえてきた。

 「姉妹?」、と康介は首を傾げるが、響いてくる足音は一つや二つではない。少なく見積もっても、五六人は居る勢いだった。

 玄関から伸びた薄暗い廊下をやって来た子供たちは、何と十二人を数えた。


 予想外のことに康介は戸惑った。この子たちはエルシールの姉妹兄弟かと思ったが、如何せん人数が多すぎる。それに、必ずしも似ているとは云い難かった。

 康介が呆けていると、不意に舌足らずな声がした。

 「ターニャお姉ちゃん?」

 「ごめん、メイ。起こしちゃった?」

 廊下に面した部屋から、五六歳ぐらいの幼い少女が出てきた。エルシールからメイと呼ばれた少女は、可愛いらしい花の刺繍があしらわれた桃色の寝具を着て、左手にクマのぬいぐるみを抱きかかえている。眠そうに寝ぼけ眼を右手で擦り、下ろされた髪の毛には寝癖が附いていた。


 メイは康介たちを認めると、

 「其の人たち誰です?」

 と訊ねてきた。康介が返答に窮すると、代わりにエルシールが冗談混じりに答えた。

 「この人たちとは素敵なお姫様と勇敢な騎士さんですよ」

 「冴えないナイトさんですね」

 笑いがどっと沸き起こった。

 子供はいつも正直だ。無垢な子供ほど、時には残酷なことをサラリと云う。頼りないと云われればさもありなんだが、冴えないとまで云われるとは……。出刃包丁でズタズタに断たれたように、康介の自尊心は傷んだ。尤も康介の自信なんて箸にも棒にもかからないものであったが。


 不意に詰まった声が聞こえた。康介が後ろを振り返ると、コロナが口を押さえながら笑いを噛み殺していた。

 「そりゃぁ、康介は冴えない男だけどね」

 「おい、少しは否定しろよ」

 コロナが笑いを堪える度に、深紅の薔薇色の髪が上下する。


 康介は、「失礼な奴め。是なら腹を抱えられて笑われる方がマシだ」、と内心で愚痴りながらも、すっかり元に戻ったコロナに安堵した。

 遣り取りを見ていたエルシールは手を打ちながら、

 「みんな笑わない。二人はお客さんなのだから、厚く持て成してあげて。カミーユ、悪いけれども、今から二人の食事を作ってくれないかしら」


 「はい」、と金砂のような髪を、肩口で短く切り揃えた少女が一歩前に出た。他の子供たちに比べると、幾許か大人びていて、康介たちと年齢が近いように思われた。

 「ようこそ、セレスタ家へ。お二人とも歓迎いたしますわ。私は、カルナミーユ=セレスタと云います。カミーユと呼んでください」

 カルナミーユと名乗った少女は、丁寧な言葉遣いの端端に、コロナにはない淑やかさを醸し出していた。


 深々とお辞儀をするカミーユにつられ、康介もお辞儀をする。

 「ええぇと、俺は藤宮康介。康介と呼んで下さい」

 康介が顔を上げると、カミーユはにっこりと微笑んだ。一輪の百合のようなカミーユの淑やかさに、知らず知らずのうちに康介の顔が緩む。

 「何鼻の下伸ばしてるのよ」

 「鼻の下なんて伸ばしていない」

 コロナに脇腹を小突かれ、康介は慌てて弁明する。ふためく康介に、コロナは「ふ~ん」、と冷たい視線を投げかける。

 突然のパンチにカミーユは何と返したいいのか分からず、「うっ」、とか、「あうぅ」、とか言葉にならない言葉を発している。白い滑らかな頬を朱に染めながら俯き、もぞもぞと手を組み余らしていた。


 「そんなことより、お前も早く挨拶しろよ」

 「はい、はい。そんなに急かさなくたって、ちゃんとするわよ」

 話題を変えようとする康介に、コロナは生返事をした。

 「私はコロナ=バッセル。コロナと呼んでくれたら好いわ」

 康介に続いて、コロナも名乗る。


 挨拶が済むと、エルシールが云った。

 「色々話したいこともあるでしょうけど、其れはまた後々と云うことで。とりあえず二人とも食事が出来るまで、湯でも浴びてさっぱりして。サーニャ、二人を案内してあげて」

 「分かったわ、姉さん」

 サーニャと呼ばれた、小柄な少女が一歩前に出た。

 「初めまして。私のことはサーニャと呼んでくれたら好いわ。姉さん、とりあえず、お二人のうちどちらかには、この家のことを簡単に説明した方が良いのではないでしょうか?」


 エルシールは少し逡巡する。

 「そうね。其れが好いわね。じゃあ、二人のうちどちらか一人先に湯を浴びてもらって、其の間、もう一人にはこの家のことを簡単に説明するわ。食事はそれからということで。食事のときによれよれの格好だと、折角の男前が冴えないでしょうから」

 再びどっと笑いが捲き起こる。


 「其れは酷いですよ、エルシールさんまで」、と突っ込みたくなる康介だった。


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