第一章 其の四
康介たちは街を貫く大通りに来た。
土垢の附いた野道が舗装された石畳へと姿を変え、両脇には声を張り客寄せをしている店々がひしめき合い軒を突き出している。店からは明るい談笑が絶えず、活気に満ちていた。
「康介、少し待っていて」、とコロナは云い残し、行き交う人に身振り手振りを交えながら何処かへの道筋を尋ねていた。聞き出したいことを聞き出せたのか、「こっちよ、ついて来て」、とコロナは康介の手を引きながら進み出した。
吐く息に酒気を帯びた赤鼻の輩たちが徒党を組みながら歩いている。康介は肩をぶつけぬように細心の注意を払いながら、人波を縫って歩く。コロナは慣れたもので、逆行する流れをかき分ける魚のように軽やかに歩いていた。行き交う人々に埋もれて見失いそうになるコロナの背を、康介は追いかけた。
やがて、コロナは大通りから一本、裏道に入った。表の喧騒とは打って変わり、薄暗く陰湿としていた。
「おい、何処行くんだよ」
不安になった康介はコロナに尋ねた。
生返事を返すばかりで、コロナは康介を歯牙にもかけなかった。
仕方なく、康介は黙ったままコロナに従う。黴臭い細道を下り、右に切ると、一軒の店に行き当たった。古びた木片によれた文字らしきものが書かれていたが、康介には判然できなかった。
コロナは店に入り、康介も後に続く。
軋む戸に店の主が気づき、康介たちに視線を投げて遣した。店の主人は、半ば白髪の頭に、丸眼鏡が似合わない険しい表情の六十台に見えた。康介たち子供には興が無いと云った表情で、手元の本へとすぐさま視線を落とした。
「随分客に無愛想ね、この店は」
「オ、オイ!」
ぶっきら棒に言い放つコロナに、康介は内心冷や冷やする。いくら客への対応が気に喰わないと云えども、態と聞こえるように罵ることは、小心者の康介には出来なかった。
主人は柳眉を寄せながら、
「何のようだ?」
「売りに来たのよ」
「何をだ?」
「今彼が持っている上着よ」
そう云って、コロナが康介が小脇に抱えていたパーカーを指す。
康介は此処が如何なる店なのかおぼろげに見当がついた。
「おい、ここって……」
「質屋よ。表の看板に書いてあったでしょ」
当然の如く答えるコロナだが、康介は此処の世界の文字を勿論読める筈がない。
しかし、問題は其処でなく、どうして本人の意思を無視されたままパーカーを売らなければならないのかと云う点だ。コロナは大袈裟な溜息を吐きながら、反撥する康介の肩に腕を回した。そして、秘密の作戦会議をするかのように主人に背を向けて声を低くしながら話し始めた。
「一つ訊くけど、康介はお金持っている」
当然お金を持っていない。そもそもこの世界の通貨の仕組みすら把握していない。康介は首を横に振る。
「そして、私もすっからかん」
何故かコロナは胸を張りながら誇示した。もっとしな垂れるべき筈だが。
「だけれども、私たちお腹がすくよね。そこで、どこかの酒場で夕食をとろうと思うの」
其の為には、適当な手段を用いて資金を調達しなければならない。だから、何かしら持ち物を売ってお金を得ようとする考えには納得できる。康介は首肯した。
「そこで、康介の上着を売ろうというわけ」
何故、其処でパーカーを売ると云う結論に飛躍するのか?其の論理の根拠を示して欲しいと、康介は声を荒げて(ただし、声を低くして)、抗議した。
「ふーん、そう云うか?」
朗らかな笑みを湛えていたコロナが一転して、「本当に理由が分からないの?」、とばかりに、蔑むように冷淡な表情をする。ポツリ呟く。
「代金よ」
「何の?」
「貴方、昨日見たでしょ。私の体を」
「……」
コロナの視線が痛かった。コロナの朱が差した金色の瞳は、矢の如く康介を鋭く射抜き、砂漠の毒々しい蠍の如く心を突き刺す。益々冷たさをます表情に、康介は心臓を凍えた手できゅっと鷲掴みされたような心持ちがした。返す言葉が見つからない。
本当は見ていないのだから、勿論見ていないと言い張っても良かった。しかし、今更正直に話すことは躊躇われた。いくら康介でも、既に打ち明ける期を逸していると思った。それに、コロナの体から放つ凄烈までな負の覇気が康介に有無を云わせなかった。
康介は、「分かったよ売ればいいんだろ、売れば」、と半ば自暴自棄になりながらパーカーをコロナに押し付けた。
「有難う。康介ならきっと分かってくれると思っていたわ」
コロナが今までに見せたことのない、気持ち悪いほど爽やかな笑顔を見せた。
現金な奴めと、康介は肩を落とした。この世界で右も左も分からない康介が頼れるのはコロナしかいないのは事実であるが、こんな破天荒なじゃじゃ馬娘と今しばらく仲良くやっていかなければならないのかと思うと、鉛を背負わされるぐらい気が重い。コロナ自身を悪い子だと思わないが、この先を思うと些か不安になった。
――それにしても、
コロナを一瞥して、康介は
――アイツ、つるぺったんだし、見るべきところなんてあるのか?滅茶苦茶幼児体型じゃないか?喩えアレを見たところで料金が発生するのというのには納得できない。
と内心で毒づく。康介を余所に、コロナは値段の交渉に余念がなかった。
話が纏まるまで、康介は店の中を物色することにした。
天井からは二三つランプが吊り下げられており、薄暗い光が店内を照らし出していた。壁一面には康介の背丈を優に越える棚が設けられており、売られてきたであろう商品が肩を寄せ合いながら無造作に陳列されている。自分のパーカーも此処に並べられるのかと思うと、少し遣る瀬無さを感じてしまう。
商品を見ていると、康介は其の中の一つに目が留まった。
康介が中腰になった段に置かれ、薄暗いランプに照らされ鈍い銀光沢を放つ、一対の腕輪だ。其々の腕輪には、鮮やかで緻密な翡翠色に輝く玉がはめ込まれている。
康介は其の一つを手に取った。豪奢な装飾の割には、思いのほか軽い。内側を覗いてみると、文字らしき記号は刻まれていた。
「何見ているの?」
黄色い声に康介が振り返ると、納得行く値段で売れたのか、大層ご満悦そうなコロナがいた。
「其れは契約の腕輪だ。お前さんも持っておるじゃろ」
店主が皺枯れた声でそう云った。康介は何を云われているのか分からなかった。
「いや、持っていませんけど」
腕輪を見るなり、コロナは顰め面をしながら、康介の手を引いて足早に店を去ろうとする。
「早く行きましょ」
「おい、待てよ。俺はこっちの世界の事情をあまり知らないから、少しでも色々な話を聞いときたいんだ」
康介はコロナの手を振り解く。
店主は色が抜けきった白い眉根を吊り上げ、珍品を値踏みするような視線で康介を見る。
「そこのお嬢さんは、ウルギスト族の娘じゃろ。お主と契約しとるんじゃないのか?」
「康介とは契約していないわ。そもそも知り合ったのは昨日よ。彼とは、成り行きで一緒に行動しているだけ。ウルギストかどうかは肯定もしないけれども、否定もしないわ」
「ふむ。ウルギスト族は赤髪、金色の瞳を持つ美男美女揃いと聞く。てっきりわしは、そこのお嬢さんはウルギスト族の娘だと思ったが。まあ、わしは他人の事情に首は突っ込む積りはないがな」
そう云うと、店主は再び本に目を落とした。
用は済んだでしょとばかりに、コロナは康介を促した。康介に知られたら都合の悪いことがあるのか、コロナは幼さの残る顔には似合わない渋い表情を作っていた。康介としてはコロナが隠そうとしていることも気になったのだが、流石にコロナに直接訊くことは気が引けた。代わりに、主人に、銀色の腕輪の持ち主について質問を投げかけた。
「一つ訊いて好いですか?あの腕輪の持ち主はどんな人だったんですか?」
「此方は商売としてやっているのだから一々細かいことまで覚えとらんよ……、と云いたいところだが、あの青年については良く印象に残っている。お前さんのように澄んだ瞳の持ち主だった。『大切な契約の腕輪を売って好いのか』、とわしが尋ねたら、『ええ、構わないんです、寧ろ大切な人だった物を手元に置いている方が胸が詰まるんです』、と云っておったよ」
其れきり、店主は元のように静かに本の世界に戻った。
康介は話にどこか儚い詩のようなものを覚えながら店を後にした。