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『幸運』の定義

作者: 夜行達界

時は現代、夕暮れに差し掛かろうかという時間。

沈もうとする太陽に照らされ、海は黒々とした底の見えない紫に変貌していた。渦巻く闇のようなそれは、覗き込もうとも見えるものではない。

しかし、海に大きく突き出た崖の上に、見透かすかのようにじっと見つめる青年がいた。

年の頃はおそらく二十歳前後。艶やかな黒髪を後ろでまとめており、整った顔立ちは一見女性にも見え、間違い無く美青年の部類の上位に入るだろう。

純白の羽帯と淡い蒼をした袴を履いた彼は、銀のロザリオをペンダントのように提げていて、よく見ると肩や背中など所々金で十字架の刺繍がしてあった。

何処か遠い目をした青年は、崖にぶつかっては砕ける波を見続けている。

ザパンザバンと繰り返し続ける行為を、ただ空虚に見つめていた。


−−チリン


「どうしました?」

青年は驚いたように振り向いた。

そこには白髪の混じった老人が一人微笑んでいる。

老人は黒を基準にした法衣の上に、紫色の薄い肩掛けを羽織っていた。

手には錬鉄で打ち上げられた錫杖を携えていて、杖の上部には取り付けられた小さな鈴が透明に鳴った。

どう見ても仏教徒の住職にしか見えない老人は微笑みを貼付け続けていた。

「あなたは・・・・・・」

端正な顔に似合った、男性にしては高い声は少なからず動揺しているように聞こえる。

対して老人は低い、しかし柔らかい声で、

「これは珍しい。これほど強い力を持った方は久しぶりです」

とても楽しそうに言った。

青年は答える。

「貴方には私が見えるんですね・・・・・・」

この世の者たる老人に、この世ならざる青年は言った。

一際大きな波が崖壁を襲う。さらに大きな音が紫に蠢く空に響いた。


−−チリン


「ええ、この力を使って迷える子羊を救うのが僕の使命ですので」

どこまでもにこやかに言う老人は、どちらかというとキリスト教徒が言いそうな台詞と共に笑った。

初老の仏僧は続ける。

「もし宜しければあなたのお名前をお教え頂けたら、と思うのですが」

至極当然の質問を投げ掛ける。だが、何故か青年は多少困ったような表情を作った。

まるで伝えても良いことか迷って、戸惑っているような。

「・・・・・・信じていただけますか?」

「ええ。どんなことであろうとも。それも僕の役目ですので」

なにか不思議な力でもあるのだろうか。

にこやかに笑う老人の言葉は、人を信じ込ませる力があった。

「・・・・・・分かりました」

青年は何かを決意したように息を吸い、さらに一拍置いてから、


「私の名前は天草四郎と言います」


一瞬の間。


老人は、真摯に見据えてくる目の前の青年にほんの少し驚いたような顔をし、

「そうですか、分かりました」

すぐにもとの微笑みに戻った。

「・・・・・・あまり驚かれないのですね」

彼本人がどれだけの間、現世でさまよっていたかは分からないが、霊体であることを自覚していた四郎は様々な場所を放浪していた。

それは以前江戸が在った場所であったり、山奥にある小さな村落であったり。

そして寺子屋のような場所で自分のことを説明している場面にも立ち会った。

僅かしか聞いていないが、彼らを信用するなら自分のことを日本中で学ぶらしい。

それならばもっと驚いてもいいのでは?

不思議そうに問う四郎に老人は大きく腕を広げて悠々と答える。

「何言ってるんですか。僕は今とっても驚いています」

到底そうは思えない口調で、笑顔を絶やさない老人は笑った。

老人は訝しげな視線に気付いたのか少し付け加える。

「まあ他にも凄い人には会ってますから。源義経に西郷隆盛。そういえば宗教繋がりで、ジャンヌ=ダルクにも会いましたね。知ってますか? 西郷隆盛って本名じゃないんですよ」

歴史上の偉人、天草四郎は訳が分からないといった顔で目の前の男性を見つめた。

一体この人は何を言っているのだろうか?どんなに考えても彼には分かることは無い。

「まあ、慣れている、ということですよ。それより本題はそちらではありません」

老人は強引に話をまとめ、方向性を変える。

四郎は話を逸らされたことに気付かず思考を切り替え、身を乗り出した。

滑舌の良くなった老人は前フリを止め、演説を始めた。

「それでは、あなたが現世に留まっている理由、お聞かせ願えますか」

青年はほんの少し悩んだようだったが、すぐに向き直る。

「ええ、ぜひ。罪深い私の懺悔に付き合って下さりますか?」

「もちろんです。僕は仏教徒ですけどね」

自嘲したような笑みに、割れんばかりの笑みを向ける。

二人だけの講演会の幕が、ゆっくりと上がっていく。


−−チリン


「まず、これを見てください」

彼は夕日に染まって、淡い橙色に色づけられた羽帯の袖を捲くりあげた。

色白い腕の二の腕の辺りに不思議な形をしたアザがあった。

見方によっては十字架にもドクロにも、悪魔にも天使の羽根にも見える奇妙なアザ。

「ほう・・・・・・これがかの有名な」

「ええ。『聖痕』ステグマです」

老人はああは言ったものの、正直半信半疑だった。

だが、これを見たからには信じざるをえないだろう。

命を授けられたときに、神に選ばれた者のみが手にすることが出来るという聖印。

これを手にした者は驚異的な幸運を身に纏うらしい。

「その通りです。私には生まれたときからずっと『幸運』が後をついて回りました」

嬉しい誤算は日常茶飯事。何をやってもうまくいき、決して失敗することが無い。

例え失敗したとしても、それが新たな効果を及ぼし、その結果、失敗を穴埋めしてもお釣りがくるほどになる。

何もしなくても人の輪の中心に立てるほどの人望が彼にはあった。

それだけでは無い。

例え刀で切りかかられても、何故か青年には届かない。

地盤が緩んだ山から岩が降り注いだとしても、石ころ一つ当たらない。

戦の最中、数人から火縄銃で狙われても傷一つ負わない。

神によって護られているとしか思えないほどの『幸運』。

「それは、いいことではないのですか?」

「これだけは、なったことのある人間にしか分からないでしょうね」

四郎の顔は笑っている。

だが、その顔にあるのは喜びの類いではない。

「私が意見を言えば、確実にその通りになる。たった一本しかない当たりくじを必ず引くことが出来る」

四郎の顔は笑っている。

だが、その表情は笑っておらず、自虐に満ち溢れていた。

「それは、“確実にはずれを引かせてしまう”と同義ではありませんか?」

「・・・・・・!」

「意見を言えば、確実に通る。でも、それは必死に考えてきた人を絶望へたたき落とした。何もしなくても人の輪の中心に立てるほどの人望がある。でも、それは他の誰かを輪の外へ弾き出した」

歌うように。

四郎は紡ぐ。憂いと嘲笑に彩られた唄は続く。

「刀で切りかかられても、私には届かない。地盤が緩んだ山から岩が降り注いだとしても、石ころ一つ当たらない。戦の最中、火縄銃で狙われても傷一つ負わない」

だが、それは自然に起きた現象では無かった。

熱心なキリシタンが、隣の家のおじさんが、寺子屋の先生が、知恵袋のおじいさんが、いつも一緒に遊んだ女の子が。

時に楯になって、時に壁になって、時に鎧になって災いから防いでくる。

そして、最期の言葉は皆同じ。

「貴方に怪我が無くて良かった」

「貴方をお護りできて幸せでした」

そう言って、泣きじゃくる四郎に向かって弱々しく微笑んで、力尽きてしまう。

何度目かの『幸運』に会ってから、四郎は幼心に気付いてしまった。


−−自分は『幸運』を神様から貰った人間だ。

−−けれど、自分の『幸運』は、他人に『不幸』を撒き散らすんだ−−


そんな人生が、本当に『幸運』だと言えるだろうか。

「・・・・・・・・・・・・」

「その後も私は『幸運』に遭いながら毎日を過ごしました。そんなある日、幕府から一つのお触れが出ました」

「キリスト教を信仰することを禁ずる、ですね」

「ええ、その通りです」

乾いた笑みを浮かべ、四郎は頷いた。

ここから先は、思い出したくも無い。

これでやっと『幸運』から解放される。

自分に『幸運』を授けた神への信仰を断ち切ることが出来る。

そう思ったのに。

時代を読めない人間たちは、勝手に自分を中心に幕府と闘うことを撰んでいた。

知らぬ間に反乱軍の首領に祭り上げられ、いつのまにか戻れない所まで進んでしまった。

宗教という名の妄執に取り付かれた大人たちは、青年の為に命を賭けて戦った。例えそれが自己満足だとしても。

けれど結果は。

「あとは貴方も知っていると思います。惨敗でした。私を含め、老若男女を問わず、皆殺しにされましたよ」


−−チリン


そこで唄が止まった。

憂いと嘲笑に染め上げられた表情を向け、哀しく笑う。

「これが私の留まる理由です」

「・・・・・・そうですか」

「はい。あなたに話したせいか、少しすっきりしました。ありがとうございます」

そう言って四郎は深々と頭を下げた。

だが、下げられた老人が悲しげな顔をしているのは何故だろうか。

「では、お願いしてもよろしいでしょうか?」

なにを? と老人は聞かなかった。聞かれるのが分かっていたかのように、錫杖を頭上に掲げる。

老人は無言。あれだけ何を聞かされようともあった微笑みすら失くなっている。

ぼんやりと夕闇に浮かび上がる錫杖を頭上に構え、言う。

「すみません」

もはや、彼はもとには戻らない。そしてその遺恨を晴らすことも出来ない。救うには、消し去るしかない。

だから老人は言い、四郎も言ったのだ。

「いえ、本当に有難うございました」


−−−−−−−−−チリン



草木も眠る丑三つ時。波の音はもはや聞こえず、海面は凪ぎを漕いでいる。

静かだった。波音一つしない海に、大きく突き出た崖がある。

突然、そこが蒼く光り始めた。光は蒼い粒子となって辺りを照らしだす。人が一人、へたりこんでいるのが見て取れた。

他に人影らしきものは無い。

蒼い燐はかすかな風と共にゆっくりと渦を巻くように舞い上がり、慰めるように老人の周りを舞い踊る。

輝きが増していく中、老人はゆっくりと動き出した。

落ちていた錫杖を拾いあげ、蒼い燐に気付かないかのように立ち上がる。

溜まっていた物を吐き出すように重く、深々と息を吐くと辺りを一度見渡す。

哀れむかのような視線が光にかけられたが、それも一瞬。

老人はその場から立ち去った。



老人が立ち去った後も、燐はいまだ瞬き続けている。しかし、時と共に輝きは薄れ、巻き起こる風もなお微かなものになっていく。

光が完全に消えゆく瞬間、一瞬だけ、輝きが何時よりも強くなった。

最期に起きる風が、墓標の如く突き立てられた錫杖を揺らした。


−−チリン


それが合図だったかのように、一切の光と音が消える。

そして、紫と黒が混ざったような闇に取り残されたのは、小さな鈴の付いた一本の錫杖。



終。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



ええ、そうですよ。きっと元ネタ知ってる人がいますとも、絶対。

けど、怒んないでください(泣)

はじめまして、夜行達界と申します。


今回初投稿ですね。気合入れたんですが、どうも……

感想、誤字脱字、さらに突っ込み。最初にくれた方、私はきっとあなたを忘れません。(何を言ってる

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― 新着の感想 ―
[良い点] 世界観が素敵ですね。 [一言] 老人は消えるのが悲しかったのでしょうか?
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