無機物萌えBL
「も……ダメ……」
悲鳴をあげるブラウザをよそにタッチパネルは黙々と命じられた作業をこなしていた。主人の指示に従い、つぅ、とポインタを滑らせていくだけの簡単なお仕事。リンクのある場所を通過するたびにピッピッとURLが表示された。
「ダメも何も、これがお仕事だろ。ほら、ご主人様が見たがってるんだよ」
ぐ、とポインタを押しこむとブラウザは若干の抵抗を見せながらも、少しずつ受け取ったデータを映し出していく。相当疲れがたまっているのだろう。その所作は非常に緩慢である。彼らの“主人”を苛立たせるには十分すぎた。
流れ込んでくる大量のデータを受け切れていないブラウザに、追い打ちをかけるかのようにスクロールバーが引き下げられる。ブラウザの中が真っ白になった。
「うぁ……ッ!? な……やめ……ッ」
「それは出来ない相談だな」
ぐりぐりともてあそぶかのようにスクロールバーをいじりだす。ガクガクと震えだすブラウザにも一切容赦をしない。
「うぅ、無理だってばぁ……」
「無理とか言いつつ、全部入ったじゃないか」
ポインタでブラウザをあらためるようになでまわした。ようやく表示されたページはいつもと何ら変わりない。
「はぁ……もう、許して」
タッチパネルが黙って目指している先に、ブラウザは青ざめた。主人のお気に入りだ。万全、とは言い難い状況のブラウザにとっては決して喜ばしいものではなかった。焦らすようにサイト名を確認していくポインタに、小さな悲鳴を上げる。
「あ……そこは……」
「悪いな。命令なんだ」
選び出したサイト名にブラウザは愕然とした。このところ主人が特に気に入っている動画サイトだ。
「無理……無理無理! だってそれ、でか――ッ」
「駄々こねんなよ。いつもやってただろ? 2つや3つ、余裕じゃないか」
「今は無理だって!」
悲痛な叫びもむなしくクリックされる。
ブラウザが望むと望まざるに関わらず、データが押し込まれていく。壊れる。そんな思いがブラウザの脳裏をよぎった。
必死で読み込むものの、疲弊しきったブラウザには全て取り込めなかった。画像が表示されてない、簡素な白いページが表示される。動画も一切読みこめていなかった。
「おいおい、何やってんだよ」
「だから! 無理だって何度も……ッ」
「無理でも誠意を見せるべきだろ? これがお前の仕事。ダメだっていうんならお別れになるだけだ」
放たれた冷たい宣告にブラウザはおずおずと応じる。確かに他に代わりはいくらでもいるのだ。新たな子を誘う役目を担わされたのは自分なのだからよく覚えている。
更新ボタンをクリックされ、うめきそうになりながらもサイトの情報を読み込んでいく。文章とは異なり動画の情報は膨大だ。何度も読み込まされるのは苦痛でしかなかった。
「はぁ……ちゃんと、入っただろ……?」
「ああ、できてるよ。いい子だ」
休む間もなく再生ボタンが押された。
「ひっ……ぐ……ッ」
「ほら、止まってるぞ。動画なんだから動かないと意味ないだろ。ちゃんとやれよ? ご主人様のお楽しみなんだからな」
止めること自体は簡単だろう。そっぽを向けばよいだけの話だ。しかし、ブラウザにその権利はない。拒んだその時点で見切られるのだから。ブラウザは、自身の中で動く動画を静かに受け止めることしかできないのだ。
嫌だなんだと初心なことを言っても、大量のアドオンを入れられ調教され尽くした身である。メモリを食いつぶしてもまだ足りないとばかりに、追加アドオンのおねだりさえしてみせることだってあるのだ。しかしこのところ連日遊ばれ続け、多種多様のサイトを表示し続けられたブラウザの中には、さすがに大量のキャッシュがたまっていた。
「う……あ……」
努力とは裏腹に動きは鈍くなっていた。
しかしタッチパネルはさらにタブを開くように命じる。
「無理! これ以上はマジ無理!」
「動画が見れないんだから仕方ないだろ」
容赦なく開かれていくサイトは、どれも膨大な情報量を誇るサイトばかりだった。次々と流れ込んでくる情報にブラウザはうめいた。
「もう、やだぁッ!」
ポインタを振り払うかのようにブラウザはその身を縮こめた。タッチパネルは主人の指先に従い、タスクバーに隠れてしまったブラウザを容赦なくひっぱりあげる。
「ひっ……」
「何してるんだよ。これがお前の仕事だって言ったよな」
青くなったブラウザのタイトルバーをつかみ、ぐりぐりと動かす。
「や、動かさないで……ッ」
「動かないと面白くないんだっつの」
「でも、ずっといじられてて限界だしッ……それに、あんなにいっぱい……うぐ」
タッチパネルは命じられるがままにぐいとブラウザを押し広げた。最大化させられたブラウザからはとぎれとぎれの音声が放たれ、一瞬白くなった画面の上に動画が表示されていく。
「ひ……ぅあっ」
「限界だの何だのと、情けないことを。まだまだ動けるじゃないか」
「――ッあ」
パッ、とブラウザが白く染まる。
「ブラウザ? おい、大丈夫か?」
「はぁ……も、俺……ッ」
その言葉を最後にブラウザはぷつりとその動作を停止した。
クラッシュレポータ
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
動作に問題が発生し、不正終了してしまいました。
ブラウザが限界を超えたとの表示がデスクトップ上に現れる。主の苛立ちがタッチパネルには十分すぎるほどに伝わっていた。ブラウザほど過酷な仕事ではないにせよ、指示を伝えるという立場上、もっとも近い――いや、ほとんど一体といって過言ではないほど、主人に付きっきりの仕事なのだ。
デスクトップ上で安らかに寝息を立てるブラウザの上にポインタを乗せる。タッチパネルはせっつかれるままにクリックをした。
一度……二度。
本来ならそのまま無理やり再起動させるところだ。しかし、タッチパネルはわざとクリックの間を空けた。
――こんな仕事、誰が好き好んで。
タッチパネルの声は誰に届くこともない。ダブルクリックを封じられた主人は、舌打ちをしながらスタートボタンへ行くよう指示を出す。命じられるままに終了の手順を踏むタッチパネルは、たまにはいいだろ、とない舌を突き出していた。