第41話 整理、そして開始
昨晩、リリアーナとエリカは、これまで積み重ねてきたすべてを机の上に並べるようにして、長い時間をかけて話し合っていた。
静かな夜だった。窓の外には月明かりが差し込み、揺れるカーテンの影が、まるで別の世界との境界のように見える。その中で語られた内容は、リリアーナにとってはとても現実とは思えないものだった。
――この世界が物語であること。
――そして、その物語を書いたのがエリカであること。
――エリカがこことは異なる世界からやってきたこと。
「最初は、確かに物語通りに進んでいたのよね。」
リリアーナが、ゆっくりと言葉を選ぶようにして口を開く。
「私とアルベルト様の関係も、サラ様の結婚式での出来事も、あなたの話と一致する部分が多かった。」
エリカは頷いた。
「はい。でも最近は…」
「ええ、明らかに外れ始めているわ。」
リリアーナははっきりと言い切る。その瞳は冷静でありながら、どこか鋭く状況を見極めていた。
「エミリア様やレオン様、そしてセドリック様。あなたの物語には存在しなかった人物たちが現れている。」
その名前が挙がるたびに、エリカの胸がわずかにざわつく。
「つまり、物語はすでに書かれた通りの未来ではなくなっている。」
「私の行動のせい、で。」
「“せい”ではないわ。」
リリアーナは即座に否定する。
「物語の展開は、未来は、変えられるということよ。」
その言葉は、静かでありながら確かな力を持っていた。
「あなたの言葉や行動によって、未来は動いている。これは事実でしょう?」
エリカは、ゆっくりと頷く。その実感は、すでに何度も感じていた。
サラの結婚式も、お茶会も、本来の展開とは違っていたのだから。
「ねえ、エリカ。」
「はい。」
「結末はどうなるの?」
その問いは、静かに、しかし確実に核心を突いてきた。
「仮面夫婦になって、それでどうなるの?」
エリカは、言葉を失った。頭の中を必死に探る。記憶を、過去を、あのノートに書いたはずの物語を。
けれど、エリカはこう答えた。
「分かりません。覚えていないんです。というか……」
言葉が詰まる。
「そもそも、完結させていたのかも、分からなくて。」
その瞬間、空気がわずかに揺れた。リリアーナは驚く様子もなく、ただ静かにエリカを見つめている。
やがて、小さく息を吐いた。
「そう。」
そして、ほんの少しだけ考え込むように視線を落とす。数秒の沈黙のあと、再び顔を上げたときには、すでに彼女の中で答えが出ているようだった。
「では、こう考えましょう。」
その声音は、いつものように落ち着いていて、迷いがない。
「あなたが十四歳のときに物語を完結させていなかったとして。」
一歩、エリカに近づく。
「あなたは、この世界や私たちをどうしたいの?」
まっすぐな問いだった。逃げ場はない。エリカは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに顔を上げる。
「ハッピーエンドにしたいです。」
それは迷いのない答えだった。
「誰も不幸にならない未来にしたい。リリアーナ様も、アルベルト様も、みんな。」
言葉にするほど、その想いは強くなる。
「だから、できることがあるなら、全部やりたいです。」
リリアーナは、その言葉を静かに受け止めた。そしてふっと、微笑む。
「じゃあ、そうなるように進めていきましょう。」
あっさりとした言葉だった。けれど、その中には強い決意が込められている。
「何もしない限り、物語通りになってしまうのなら、行動するしかないわ。」
その瞳が、はっきりとした意思を宿す。
「私も登場人物の一人。そして当事者よ」
その言葉に、エリカの胸がじんと熱くなる。この人は、本当に強い。
不安も恐怖もあるはずなのに、それでも前に進むことを選ぶ。
「ありがとうございます。」
思わず、そう口にしていた。リリアーナは少しだけ首を傾げる。
「お礼を言われることではないわ。」
そして、ほんの少しだけ楽しそうに言った。
「むしろ、面白くなってきたじゃない。」
その言葉に、エリカは思わず笑ってしまう。緊張が、少しだけほどけた。
この人となら、大丈夫かもしれない。そう思えた、そのときだった。
「さて。」
リリアーナは、ぱん、と軽く手を打つ。空気が一気に切り替わる。
「まずは目の前の問題から片付けましょう。」
「え?」
「アルベルト様の剣術の件よ。」
エリカは、あっと声を漏らした。完全に頭から抜けていた。
「早速明日、レオン様にお相手をお願いしてきてちょうだい。すぐにでもアルベルト様のお稽古のお役に立ちたいわ。」
「……え。」
一瞬、思考が止まる。いざ会いに行け、となると、あの圧のある男の顔が頭に浮かぶ。
剣も強くて、洞察力も鋭くて、しかも妙に距離が近い。
「分かりました。」
観念したように答えるしかなかった。リリアーナは満足そうに頷く。
その横で、エリカは小さくため息をついた。
ハッピーエンドへの道のりは、思ったより大変かもしれない。
そんな予感を抱きながら。




