第40話 作者と登場人物
エリカの告白を聞いたあと、リリアーナはしばらく何も言わず、その場に立ったまま考え込んでいた。
視線はわずかに下がり、指先を軽く組んだまま微動だにしない。まるで頭の中で膨大な情報を整理しているかのように、その沈黙は長く、重く続いた。
(怒ってる? それとも困ってる?)
エリカは声をかけることもできず、ただ様子を見守るしかなかった。
やがてふっと、空気が変わる。
リリアーナが顔を上げた瞬間、その表情は先ほどまでとはまるで別人のように切り替わっていた。
迷いも戸惑いも消え、代わりに現れたのは、鋭く、理知的な光。
「とはいえ。」
はっきりとした声で、そう切り出す。
「分からないことだらけだわ。」
エリカは思わず背筋を伸ばす。
「あなたが作者だとして、それがこの世界にどう影響しているのかも、何がこれから起こるのかも、現時点では何一つ断言できない。」
淡々と現状を整理しながらも、その瞳はどこか楽しげだった。
「本当に、噂で聞いたことがある程度の話なの。」
一歩、エリカに近づく。
「だからここからは、私の興味の話になるわ。」
その言い方に、エリカは少しだけ目を瞬かせる。リリアーナはわずかに口元を緩めた。
「まず、あなたが分かっていることをすべて教えて。」
その声音には、研究者のような純粋な好奇心が混じっていた。
エリカは少し考えてから、口を開く。
「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なにかしら。」
「ほかに、物語の作者の存在を知っている人がいる可能性ってありますか?」
リリアーナは一瞬だけ目を細める。記憶を辿るように視線を横へ流し、やがてゆっくりと口を開いた。
「そういえば。」
その声は、思い出を掬い上げるように静かだった。
「いつだったかしら、大学時代に図書館で勉強していたときのこと。本棚の向こう側で、誰かが話しているのが聞こえたの。二人組だったと思うけれど、姿は見えなかったわ。」
エリカは息を呑んで耳を傾ける。
「内容まではっきり覚えているのだけれど。この世界を作っている人物がいるらしいって話をしていたの。」
その言葉に、空気がわずかに揺れる。リリアーナは続ける。
「この世界を『物語』として綴っているらしいとも言っていたわね。そして……」
ほんの少しだけ、口元に苦笑が浮かぶ。
「もしその人に会えたら、自分の人生が素晴らしいものになるように書いてもらいたいって。」
エリカは思わず目を見開いた。
(まあ、そりゃ誰でも思うよね)
リリアーナは肩をすくめる。
「半分は冗談のような口調だったけれど、妙に印象に残っているの。」
エリカはゆっくりと頷いた。
「そうなんですね。」
そして、気持ちを切り替えるように姿勢を正す。
「それで、私が書いていた物語なんですが、まず――」
一呼吸おいて、はっきりと言う。
「リリアーナ様と、アルベルト様を主人公にしていました。」
「……私たち?」
リリアーナの目が見開かれる。
「どうりであなたの助言や普段の行動が、妙に的確だったわけだわ。」
そして次の瞬間。ぐっと身を乗り出してくる。
「それで?」
その勢いに、エリカが一瞬たじろぐ。
「私とアルベルト様は、これからどうなっていくの?」
その問いは、静かでありながらも、逃げ場のない重さを持っていた。
エリカは、そっと視線を逸らす。
「その、ですね.......。」
嫌な予感しかしない。
「大変申し上げにくいのですが……。」
リリアーナの表情が、わずかに引きつる。
「いかんせん、当時の私は十四歳で……思春期真っ只中だったもので.......。」
「と言うと?」
低い声。逃げ場はない。エリカは観念したように言った。
「リリアーナ様とアルベルト様は……。」
一瞬、間を置く。
「お互いの気持ちを素直に伝えられず、すれ違いを重ね、最終的に――」
言い切る。
「仮面夫婦として過ごしていく、という展開でした。」
沈黙。
完全なる沈黙。空気が凍るとは、このことだった。
リリアーナの表情が、ゆっくりと崩れ、同時に彼女は額を手でおさえていた。
「なんてことを。」
かすれた声で呟く。
「本当に、本当に申し訳ございません!!」
エリカが勢いよく頭を下げた。
「当時の私はどうかしていたんです!なんかこう、すれ違いとか切なさとかに美学を感じる年頃で……!」
「分かるけれども!!」
リリアーナが即座に返す。だがすぐに、はっと我に返る。
「いえ、今はそこではなくて。」
近くの椅子に腰を下ろし、小さく息を吐く。
「まずいわね……。」
その一言には、明確な危機感が滲んでいた。
「それ、書き換えることはできないの?」
エリカはゆっくりと首を振る。
「……それが、分からないんです。だから私は、直接物語を変えるというよりは、行動や選択で、少しでも流れを変えられないかと思って、いろいろ意見を出させていただいていました。」
その言葉に、なるほど、とつぶやいた後、リリアーナはしばらく黙り込む。
そしてゆっくりと顔を上げた。
「書き換えられないなら、その方法でいくしかないわよね。」
リリアーナは続ける。
「物語がどうであれ、未来はまだ決まっていない。少なくとも、私はそう思いたいわ。」
その声は、静かで、強かった。
「仮面夫婦になる未来なんていやよ。絶対に回避したい。だからエリカ。あなたの知っている展開が来たら教えてちょうだい。一緒に物語を変えるのよ。」
物語を作ったエリカを責めることなく、そう言ったリリアーナの逞しさというか、器の大きさというか。エリカは頭が上がらない気持ちになる。
「もちろんです、リリアーナ様。私は今後、リリアーナ様へお知らせするとともに、物語を修正する方法を探したいと思っています。」
「どうやって?」
「まだ全く分かりません。私が書いた展開ではないことも増えてきていて、まだ謎だらけなんです。」
リリアーナは少し考え込むと、少し楽し気な表情を浮かべまっすぐエリカを見た。
「一緒に探しましょうか。なんだか謎解きのようで面白くなってきたわ。」
リリアーナとエリカ。二人はこの日からただの「公爵夫人と専属メイド」ではなくなった。




