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現実は、台本通りになんてならない〜中学時代に書いた黒歴史物語の世界に来てしまった話〜  作者: 瑠美


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第28話 来訪者

 朝の柔らかな光が大きな窓から差し込み、机の上に積み上げられた書類の山を照らしていた。

その中央でペンを走らせているのは、リリアーナである。


彼女は一枚の書類に素早く目を通すと、迷いなく次の書類へと手を伸ばし、確認と指示を書き込みながら次々と処理を進めていく。その動きは驚くほど滑らかで、まるで長年鍛えられた職人のように無駄がない。


「こちらの取引記録ですが、三日前の帳簿と一致していますので問題ありません。ただし、この部分の計算は一桁ずれていますね。正しくは二百三十四です。」


そう言われて書類を受け取ったメイドは、慌てて帳簿を確認し、すぐに目を丸くした。


「ほ、本当です……!どうしてすぐ分かるんですか?」


リリアーナは少しだけ首をかしげる。


「先月の仕入れ数と照らし合わせれば自然に見えてきますよ。数字は嘘をつきませんから。」


その言葉は淡々としていたが、周囲のメイドや執事たちは思わず顔を見合わせてしまう。

リリアーナの仕事の速さは、もはや屋敷の中の名物の一つだった。


書類をめくり、数字を読み取り、計算を頭の中で組み立てる。その一連の流れがあまりにも素早く、横から見ていると手の動きに残像が残るほどで、若いメイドたちの間では「風車のようだ」と密かに噂されているくらいである。


少し離れた場所からその様子を眺めていたアルベルトも、思わず苦笑していた。

「……相変わらず見事だな。」

隣に立つ執事が静かに頷く。

「お嬢様は数字に関しては特にお強いですから。旦那様が不在のときも、屋敷の会計管理はほとんどお一人で処理されていました。」

アルベルトは思わず声が漏れる。

「やっぱり敵わないな。」


その頃、当の本人はそんな視線に気づくこともなく、最後の書類に印を押していた。


「……これで一通り終わりましたね」

ペンを置き、ふう、と小さく息を吐く。集中している時間はあっという間だった。

「シゴデキ」と言われる彼女でも、以前なら、ここまで仕事に没頭することはできなかったかもしれない。頭のどこかで不安や悩みが渦巻き、心が落ち着かない時間も多かった。


けれど今は違う。


アルベルトと会話ができるようになったこと。サラと出会ったこと。そして、エリカ。

悩みがなくなったわけではない。それでも、悩んだときに相談できる人がいるというだけで、人の心は驚くほど軽くなる。


だからこそ今は、仕事の時間には仕事に集中できる。その結果として、彼女の処理能力は以前にも増して研ぎ澄まされていた。


「少し休憩にしましょう。」

リリアーナは椅子から立ち上がり、小さなサロンへと向かう。


彼女の休憩時間の過ごし方はだいたい読書と決まっていた。本棚から一冊取り出し、ソファに腰掛けて静かにページをめくると、すぐに物語の世界へ意識が引き込まれていく。


この時間が好きだった。

静かで、穏やかで、心が落ち着く。


ふと本から顔を上げると、窓の外では庭の木々が風に揺れていた。その光景をぼんやり眺めながら、ふと思い出す。


子どもの頃のことだ。


母はとにかくたくさんの物語を知っていた。

遠い国の王子と姫。空を飛ぶ竜。魔法使い。まだ見ぬ世界の話。

幼い頃のリリアーナは、母が語るその物語の時間が大好きだった。

そして母は、本を読むことが何より好きな人だった。


好きすぎて、屋敷の敷地の奥に読書専用の小さな家まで建ててしまったほどだ。

その家にこもり、丸一日ずっと本を読み続けることも珍しくなかった。


「もうすぐ、お母さまの誕生日ね。」


ぽつりと呟く。最近は忙しく、あまり帰省できていない。少し考えてから、ふと微笑んだ。

(そうだわ)

久しぶりに帰ろう。どうせなら一週間ほど滞在するのもいいかもしれない。

(アルベルト様もお誘いしたら、どうかしら)

母ならきっと喜ぶだろう。


そう思い、今夜の夕食のときに話してみようと考えていた、そのときだった。


コンコン、と控えめなノックが響いた。

「お嬢様、よろしいでしょうか。」

「ええ、どうぞ。」

入ってきたメイドが、少し困ったような表情をしている。

「来訪者がいらしております。」

「来訪?」

「アルベルト様に御用とのことですが、現在お仕事中で……」

リリアーナはすぐに状況を理解した。

「では、私が応接いたします。」

そう言って立ち上がり、応接室へ向かう。


扉を開けた瞬間、そこに座っていた人物を見て、リリアーナはわずかに驚いた。

「……エミリア様。」


淡いピンクのドレスに身を包んだ、可憐な令嬢。結婚式のブーケトスで花束を受け取った、あの女性だった。エミリアは立ち上がり、優雅に一礼する。


「突然の訪問、申し訳ありません。」

「いえ、とんでもありません。本日はどのようなご用件でしょう?」

リリアーナが微笑みながら尋ねると、エミリアは少し恥ずかしそうに笑った。

「実は……結婚式の日のお礼をお伝えしたくて参りましたの。」

「お礼、ですか?」

「はい。サラ様とアレクシス様の屋敷で迷ってしまったとき、アルベルト様が案内してくださいましたでしょう?」


その話はリリアーナにとって初耳だった。

「まあ……そのようなことが。」

「とても助かりましたの。ですから、どうしてもお礼をお伝えしたくて。」

わざわざ屋敷まで来るほどのことだろうか、と内心で少し驚きながらも、リリアーナは穏やかに頷く。

「お気持ちだけで十分だと思いますわ。」


しかしエミリアは、そこで言葉を続けた。

「もしよろしければ、お礼として……」

柔らかな微笑みを浮かべたまま、少し身を乗り出す。

「今度、私の屋敷でお茶会を開きますの。ぜひアルベルト様にもお越しいただけたらと。」


リリアーナは一瞬だけ考え、やんわりと答えた。

「お気持ちは嬉しいのですが、アルベルト様はお忙しく……」

「少しのお時間でも構いません。」

エミリアは微笑んだまま言う。

「どうしてもお礼をしたいのです。」


声は柔らかいのに、その言葉は不思議と強かった。

リリアーナは少し困ったように微笑む。

「……では、一度アルベルト様にお伝えいたしますね。」

「ありがとうございます!」


満足そうに微笑んだエミリアは、丁寧に挨拶をして屋敷を後にした。




扉が閉まり、応接室に静けさが戻る。

リリアーナはゆっくり息を吐いた。胸の奥に、ほんのわずかな違和感が残っている。

お礼としてアルベルト様を誘うのは理解できるが、ほとんどの場合、妻である自分自身も招かれるものと思っていた。エミリアは、リリアーナも一緒にとは一言も言わなかった。


「まさかね......。」


既婚者になにか仕掛けるようなことはないだろうと自分に言い聞かせるも、リリアーナは一度生まれた不安をぬぐいきることができずにいた。


それはまだ形にならない、小さな不安のような感覚だった。

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