第16話 物語を読む魔法使い
サラが来訪した数日後。休暇を与えられたエリカはその魔法使いのいる家を訪ねることにした。
物語を書いたのはエリカ本人。だから、なんとなく土地勘があり、彼女の居場所も苦労することなく
みつけることができた。
屋敷を離れ、馬車で半日ほど揺られた先に、その家はあった。
森の奥深く。人の気配が薄れ、音が吸い込まれていくような場所。
「ここ、だよね?」
馬車を降りた先には、思っていたよりずっと質素な屋敷があった。
王宮や公爵家とは比べものにならない小さな屋敷だが、綺麗にメンテナンスをされた外観であるからだろうか、不思議と貧しさは感じない。
庭の草木も、建物の佇まいも、まるで物語の背景として最適化されたみたいに整っている。
私は喉を鳴らし、扉を叩いた。
返事はない。扉を開けてみようと手をかけてみると、鍵はかかっていなかった。
そのまま、きぃと小さく音を立てて扉が開く。
「……失礼します。」
中は、静まり返っていた。埃の匂いはない。本が多い。床から天井まで、ぎっしりと並んだ書棚。
その中央に、ひとりの女性が立っていた。
顔が隠れていて、年齢は分からない。若くも見えるし、年を重ねているようにも見える。
長い髪は淡い色で、ゆるく結われている。派手さはないが、目を離せない。
「来ると思っていたわ。」
先に口を開いたのは、彼女だった。心臓が、強く脈打つ。
「え、あの……」
名乗ろうとした言葉は、途中で止まった。彼女は、私を見ていない。正確には、私の姿を見ていない。
視線は、もっと奥。私の背後。あるいは、私の中。
「あなたは、物語の外から来た。」
淡々とした声。断定。
全身の血が、さっと引いた。
「どうして、それを......」
「理由はひとつじゃないわ。」
彼女は静かに微笑んだ。
「あなたは、この世界を読む側の視線を持っている。登場人物なのに、観測者でもある。」
いきなり事実を全て正確に言われ、逃げ場がない。そんな感覚に、背中が冷える。
「あなたは……」
名前を、聞こうとすると。
「名前は、意味を持たないこともあるわ。」
と遮られた。
「ただ、この世界では私は魔法使いと呼ばれている。それで十分でしょう。」
彼女は歩き、書棚から一冊の本を抜き取った。古い装丁。見覚えのない言語。
そして、この魔法使い。言い回しが魔法使いらしいといえばそうなのだが、私が書いた物語の登場人物の一人と考えると、どこかというか厨二くさいというか。深く考えないでおこう。
「あなたが知りたいのは、三つ。」
本を開きながら、彼女は言う。
「なぜ物語が変わったのか。なぜ、あなたがここに来たのか。そして、なぜ戻れないのか。」
全部、当たっていた。思わず身体か硬直する。
「……答えを、教えてくれるんですか。」
期待と、恐怖が混じった声になった。魔法使いは、首を横に振る。
「いいえ。私は、答えを与えない。与えることができない。」
ページをめくる音だけが、響く。
「私の魔法は、読むこと。書き換えることも、導くこともできない」
彼女は顔を上げ、初めてエリカを人として見た。
「私は、起きた出来事を物語として理解するだけ。こうやって、物語を読んで知ることができるけど、
変えることはできない、読者のようなもの。そこに意味を見出すかどうかは、あなた次第」
冷たい。でも、拒絶ではない。
「じゃあ、私がここに来た理由は?」
「あなた自身が、まだ物語を終わらせていないから。」
その一言が、胸に突き刺さる。
「あなたは他人の物語には介入できる。けれど、自分の結末からは逃げ続けてきた。」
図星だった。
「この世界は、未完の物語を嫌う。だから、あなたを呼んだ。」
魔法使いは、本を閉じた。
「そして、もうひとつ」
間が、落ちる。
「この世界には、あなたと同じように書く側の痕跡を持つ人間がいる。」
心臓が、跳ねる。
「……誰ですか。」
魔法使いは、答えなかった。代わりに、窓の外を見る。
「いずれ、あなたは気づくわ。その人が、どれほど強く、この世界に影響しているか。」
そして、最後に。
「忠告をひとつ。」
視線が、再び私に戻る。
「物語を変えられると思わないこと。変わるのは、物語じゃない。」
息を、呑む。
「変わるのは、選ぶ人間よ。」
それだけ言って、魔法使いは背を向けた。私から話せることは終わりだと、そう告げるように。
エリカは、何も言えなかった。答えはもらえなかった。
この世界には、まだ隠された事実がありそうだ。そして物語もエリカが書いたものだけではないらしい。何から始めれば、すべてがうまくいくだろうか。
謎が解明されたようでまた新たな謎が生まれた。
晴れやかな気分になるような一日にはならなかった。




