第13話 幼馴染登場
その日の朝、屋敷の空気はわずかに浮き足立っていた。
使用人たちは皆、表向きはいつも通りの動きをしている。けれど、誰もが知っている。今日は、サラ・エヴァンズがやって来る。
私は玄関ホールの準備を確認しながら、何度も奥の階段に視線を向けた。リリアーナは、まだ姿を見せていない。昨夜、あれほど話したのだ。会話をしてほしい、想像で決めつけないでほしいと、確かに伝えたはずだ。だから大丈夫と信じたい。
(嫌な予感がする)
その直感は、どうしてかいつも当たる。
ほどなくして、馬車の音が聞こえた。屋敷の正門前に止まる音。その瞬間、空気が一段階、明るくなる。
「来たわね」
誰かが小さく呟く。
扉が開いた。
最初に目に入ったのは、淡い色のドレスの裾だった。柔らかなレースが揺れ、朝の光を受けてきらめく。
そして次の瞬間――
(ああ、これは)
思わず、息を呑んだ。
サラは、想像以上だった。
透き通るような白い肌。大きな瞳は宝石のように澄んで輝き、光を受けるたびに表情が変わる。少しだけ幼さを残した顔立ちなのに、微笑むと不思議な品がある。絵本のお姫様が、現実に飛び出してきたような。艶のある髪はゆるく結われ、数本の後れ毛が血色の良い頬にかかっている。それがまた、計算ではなく自然なのが恐ろしい。
(そりゃ、目を奪われるわ)
私は一瞬で理解した。この人は、無自覚に人の視線を集めるタイプだ。周りもサラに完全に視線を奪われていた。
「アル!」
サラは玄関に立つなり、ぱっと表情を明るくさせた。そして、いきなり、アルベルトに向かって駆け寄り、
「久しぶり!」
ぱんっ、と軽快な音。
ハイタッチ。
屋敷が、静まり返った。
次の瞬間。
「おお! 元気そうだな!」
アルベルトは、まったく躊躇なくそれを受け止め、満面の笑みを浮かべた。
あ、やばいかも。私は反射的に、階段の方を見た。
リリアーナは、ちょうど玄関を見下ろす位置に立っていた。その顔が、はっきりと凍りついている。目を見開き、口を閉ざし、理解が追いつかないという表情。というより顔に書いてある。公爵夫人として、こんな距離感を見ることになるとは思っていなかっただろう。しかも、アルベルトは気づいていない。気づかず、ノリノリだ。
「相変わらず勢いがあるな」
「でしょ? アルが相変わらず堅そうな顔してるからさ!」
二人の距離は近い。
声のトーンも、完全に昔からの仲。さらに追い打ちをかけるように、サラの後ろに控えていた執事が一歩前に出た。
「アルベルト様、お久しぶりでございます」
「おお、君も元気そうだな」
アルベルトは、その執事とも親しげに言葉を交わす。肩の力が抜けた笑顔。完全に、内輪。
私は再び階段を見る。リリアーナは、早くも輪の外だった。視線をどう置いていいか分からず、手元の扇子をぎゅっと握りしめている。
(ちょっと、ぷんすかしてる)
本人は隠しているつもりだろうが、分かりやすい。ほんのわずか、口元が尖っている。普段のシゴデキが嘘のように、表情が読み取れる。
昨日のアドバイスはどこへ行ったのか。会話をしよう、話せば分かる。その決意は、玄関の光景を見た瞬間、すべて吹き飛んでしまったようだった。
そこへ、サラがふと視線を上げた。
「あ」
まるで今気づいたかのように。
「あの方が……?」
そして、にこっと微笑み、自然な足取りで階段の方へ向かう。
「はじめまして。サラ・エヴァンズです」
その声音は、柔らかく、屈託がない。
「ご結婚、おめでとうございます」
リリアーナは、少し遅れて頭を下げた。
「…ありがとうございます」
ぎこちない。それでもサラは気にした様子もなく、ぱっと表情を明るくした。
「すっごく綺麗! ね、アル!」
そして、アルベルトの方を振り返り、
「綺麗な女性をゲットしたじゃん!」
肩を小突くような仕草。これは、リリアーナにはどう見えるか。
仲良し。距離が近い。冗談を言い合う関係。この二人の間柄を知らなければ、いちゃついているようにも見えてしまう。
リリアーナの指先が、ぴくりと動いた。私は慌てて介入しようと一歩踏み出した、その瞬間――
「エリカ、少しいいかしら?」
先輩メイドの声。
「すみません、執事長がお呼びです」
別方向から、執事。……最悪だ。振り返った一瞬の間に、場の空気は完全にサラのペースになっていた。
サラは悪くない。本当に、何も悪気がない。ただ、無邪気で、明るくて、距離が近いだけ。
でも。
それが一番、厄介だった。
私は呼び止められながら、玄関の光景をもう一度見た。輪の中心で笑うサラとアルベルト。少し離れた場所で、静かに立つリリアーナ。
このままでは、物語がまた同じ方向へ進んでしまう。私は、歯を食いしばった。
(まだ、間に合う)
そう信じたい。
急いで先輩メイドや執事からの指示を済ませ、リリアーナを助けたいと頭をフルに働かせるのであった。




