第1話 現実は、台本通りになんてならない
――私は、妻として失格なのだろうか。
そんな考えが頭をよぎるようになったのは、いつからだったか。
毎朝六時に起き、窓を開け、執務用のドレスに袖を通す。
朝食の席では、その日の政務を確認し、必要があればその場で指示を出す。
公爵夫人として、それは正しい在り方だ。
少なくとも、リリアーナ自身はそう信じて疑わなかった。
「本日の会議は第三会議室で。貴族院側の要求は、昨日まとめた案の第二条で対応可能です」
そう告げると、夫――アルベルトは静かにうなずいた。
「分かった」
それだけ。
簡潔で、無駄のない会話。
政務において、私たちは誰よりも息の合ったパートナーだと思う。
けれど。
紅茶の湯気の向こうにある彼の横顔を見つめながら、胸の奥がわずかに冷える。
(……今日も、何も話せなかった)
私は彼を支えたい。
妻として、隣に立ちたい。
それなのに、言葉にしようとすると、なぜか仕事の話ばかりが口をついて出てしまう。
食事を終え、アルベルトが席を立つ。
もっと夫婦らしい会話をしなければ。もっと楽しくなるような、アルベルトを笑顔にできるような話をしなければ。
引き留めたい気持ちは確かにあった。
けれど、実際に口から出たのは――
「本日も、お体にお気をつけて」
あまりにも無難で、あまりにも遠い一言。妻でなくとも言える言葉だ。
彼は一瞬だけ立ち止まり、振り返る。
「……ああ」
それだけ言って、扉は静かに閉まった。
残された私は、完璧に整えられた朝食の席を見下ろし、そっと息を吐く。
――私は、彼の妻なのに。
どうして、こんなにも距離を感じてしまうのだろう。
答えが見つからないまま、時間は過ぎていく。
このまま婚姻関係を結んだだけの夫婦として生きていくのだろうか。
そんなある日、メイド長から告げられた。
「奥様。本日より、専属のメイドが一名付くことになりました」
現れたのは、見知らぬ少女だった。
「初めまして。エリカと申します。本日よりよろしくお願いいたします。」
屈託のない笑顔。
どこか、この屋敷には似つかわしくない軽やかさ。
――この出会いが、
私と夫の関係を、そして「物語そのもの」を変えてしまうことになるなど。
今の私には、まだ知る由もなかった。




