僕とクソゲーと沢城くん
あなたは人を殺したいと思ったことがありますか? 僕はあります。あります、というか、四六時中思っています。理由は、十四年間生きてきて一度も良いことがなかったからです。ひどい理由だと自覚しています。自分が不幸せだから人を殺したいだなんて。けれども、どうしようもない。学校に踏みつけられて、ネットに踏みつけられて、僕はもう、人間をゴキブリ以下の醜悪な生物としか認知できなくなっているのです。醜悪な生物を一匹でも多く殺して、自分の人生を終わらせることだけが、僕に残された最後の選択なのです。今日の昼前、ポチっていた肉切り包丁が届きました。こいつを持って駅前の人ごみに紛れ、手当たり次第に切りつける予定で、今は外出の準備をしている段階です。
半年ぶりの外出で、伸びきった前髪が整わない。くせ毛だから、デフォルメされたイカの足みたいに毛がはねて、貧相な顔面が一層と滑稽になってしまう。これから、僕は人を殺すのだ。それも、おそらく、手際が良ければ、複数人。死刑になるのは怖くない。けれども、人生の最後で笑いものになるのは耐えられない。十四歳であれば少年法が適用される、などという倫理は令和の時代において機能しない。人類のほとんどがスマホを持参している時代、大量殺人が行われている現場でも平然と動画を撮るサイコ野郎で溢れかえっている時代、肉切り包丁を振り回す姿は十中八九、ネットに晒される。そうして、ブサメンがその対象となれば、「いかにもやりそうな顔をしているわ」みたいな嘲笑を浴びせられることになるのだ。そんな屈辱はごめんだ。「こんなにも格好いい少年が殺人を犯すなんて・・・・・・」みたいなコメントまでは望めなくても、おもちゃにされない程度には身だしなみを整える必要がある。これだけは絶対に譲れない。
前髪のカールと向き合い続ける。幼児のころに見たコマーシャルのカールおじさんを思い出すほどに。そうして、いい加減、うんざりして、直毛は諦め、母親のカールアイロンを拝借し、カールを内側に向けることで妥協した。なるほど、外側にカールしていたときよりも顔がシャープに見える。客観的に見れば、元は悪くないのだ、僕は。少しやせて、眼鏡を外せば、板垣李光人に似ていなくもないのだ、僕は。これならネットのおもちゃにされることはないだろう。むしろ、イケメン殺人鬼としてカルト的な人気をはくすことになるかもしれない。テッド・バンディみたいに。
ちょろちょろと生えている汚らしい髭を毛抜きで根絶やしにして、首から上の状態は万全となった。人心地ついて、スマホを見てみる。とうに正午を過ぎていた。二時間以上も鏡の前で悪戦苦闘していたのだ。これ以上は悠長にしていられないと、僕は一か月ものあいだ着続けていたパジャマを脱いで、ぶるっと寒気を感じながら、クローゼットをあさった。出てくる出てくる、しまむらとGUのイカしたトップスとボトムス。それらを取っ替え引っ替え着用してみて、どうしたってファッションリーダーからかけ離れていく惨状に、僕は叫んだ。
「ババア! 俺はもうガキじゃねぇぞ! 股にモンスターをぶら下げている一端の男だ! こんな得体のしれないキャラクターがプリントされたパーカーと、短パンのなりそこないを身に着けていたら、老けた小学生にしか見えねぇじゃねぇか!」
叫んで、腹を決めた。これからは自分が着る服は自分で買おう、と。まあ、数時間後には人を殺しているわけだから、これからなんて無いのだけれど・・・・・・そんな感じで外出を先延ばしにしていたら、インターホンのチャイムが鳴った。宗教の勧誘かな、と思って、僕は息をひそめた。すると、玄関ドアの向こう側から、宮野真守みたいなイケボが聞こえてきた。
「はるちゃん、俺、俺! 沢城だよ! はるちゃん、居留守でしょ!」
その声に聞き覚えがあるのは、僕がアニメやゲームを嗜むからではない。幼稚園児の時代から嫌というほど聞いてきた、最近は声変わりして響きが変わったけれど、それでもひどく馴染んでしまう、竹馬のフレンド、故のノスタルジー。いや、前言撤回、フレンドは前言撤回、単なる腐れ縁だ、こんなノスタルジー。インド人もびっくりのスクールカーストで、頂点に君臨し続けている沢城なんて、僕にとっては天竜人も同然、憎悪の対象でしかないのだ。同じ年に同じ街で生まれ、けれども沢城は僕より20CM以上も背が高いし、脚は40CM以上も長いし、顔の大きさは僕の半分以下。これで隣人を愛しろって? 無茶を言うんじゃないよ、神! 隣人を愛してほしいなら、もうちょっと人間の個体差を少なくしろよ! そんなに人間の苦しむ様を見たいのか!?
「はるちゃん! はるちゃん!」
馴れ馴れしいあだ名呼び連発に、堪忍袋の緒がキリキリ鳴った。キレる寸前というわけだ。図らずとも、僕の右手は肉切り包丁を握りしめている。なるほど、殺人は無差別である必要はないのだ。昨今の無敵の人ムーブに惑わされて本質を見失っていた。顔見知りでもよいのだ、殺す相手なんて。それが驕り高ぶったイケメンであるならば、むしろ好都合、スカッとするってもんだ。
「僕の肉切り包丁が火をふくぜ」
ニヒルなワードを呟いたら、惨劇の機運が高まった。さしずめ僕はバッドガイ、もう殺すしかないね。というわけで、玄関へと足を運ぶ。ドアを開いてすぐ、はらわたに強烈な斬撃をお見舞いしてやるぞ。へへへ、沢城の綺麗な顔がどんなふうに歪むか楽しみだぜ。
ドアを、開いた。忘却の彼方にあった直射日光に目が眩む。肌がヒリヒリする。僕は吸血鬼か、と心中でセルフツッコミをしている間に目が慣れて、沢城の笑顔がはち切れそうで、肉切り包丁は自ずと背面に隠れた。
「遊ぼう、はるちゃん」
少年の無垢を感じた。イケメンはこうまで汚れなく育つのかと、はらわたが煮えくり返る。踏みつけられたことがないのだ、こいつは。軽んじられたことがないのだ、こいつは。孤独に追いやられたことがないのだ、こいつは。だから、14歳にもなって、無垢に笑えるのだ、こいつは。肉切り包丁を隠す手が、震えた。
「今日、学校は?」その短い言葉を口にするだけで、3回噛んだ。「まだ午後2時だよ」
「開校記念日で休みじゃん」
隠し包丁鬼の爪がいよいよ放たれそうになった。知るかい、開校記念日なんざ! いずれ爆破する予定の学校の記念日なんか、知るかい! 記憶の隅にすら留めたくないわ、ろくでもない記念日なんて! そういうところだぞ沢城、誰もがお前のように学校に関心を持っているわけではないのだ。まあ、言ったところで馬の耳に念仏か。学校というコミュニティに愛されている人間に、僕のような弾かれた人間の思考なんて理解できるわけがないのだから。それこそ、ニュータイプにでも進化しない限りは。つまり、相互理解は絶対に不可能というわけだ。
「面白いゲームを見つけたから、一緒にやろう」僕の殺意を微塵も察知していないのであろう、無防備な声を出す。「はるちゃん、ゲーム好きでしょ」
偏見が出た。不登校の引きこもりは十中八九ゲーマーだろう、という悍ましい偏見が。偏見にこそ本心が露骨に表れるもの。僕を見下しているのだ、沢城は。ろくでもないパリピ連中と海に川に山にと遊び歩き、カラオケだバーベキューだテーマパークだと浮かれ騒ぎ、引きこもりはゲームとネットしかやることないだろ? と徹底的に嘲笑してくるスタイル。ネットの友達? それって唯のデータじゃん、リアルの友達でなくちゃ意味ないじゃん、と徹底的に侮辱してくるスタイル。けれども、お生憎様、僕にはネットの友達だっていないぜ、ちくしょうめぃ! と、このように、令和の時代になってさえ昭和平成の時代から変わらず、リア充は非リア充の心を破壊していくのだ。
手のひらが出血するんじゃないかっていうくらい、肉切り包丁を握る力が強まった。おめぇらぁ人間じゃぁねぇ・・・・・・たたっ切ってやらぁ! という怒声が喉まで上がってくる。しかし、そのカタルシスが発射されることはなかった。悲しいかな、所詮は僕もゲーマーなのだ。廃人ではないけれども、断じて廃人ではないけれども、毎日8時間以上のゲームプレイを自らに課している時点で、どうしたってゲーマーの定義に当てはまるのだ、僕は。ゲーマーという名の十字架を背負わされている以上、面白いゲーム、というパワーワードを看過はできない。リア充の言うところの面白いゲームがどれほどのものか、しっかりと吟味して、こき下ろして、それから切り殺してやろうという思惑で、僕は沢城を室内に通した。
「久しぶりに来たよ、はるちゃん家」
二週間前にも来ただろ、というツッコミを放ったら負けだと思い、僕は、「煎茶と番茶どっちがいい」と事務的な言に徹した。
「煎茶で」
無遠慮を即答であった。さすがはイケメン、日頃からちやほやされているだけのことはある。与えられることに慣れきっているのだ。群がる女どもがお前をこんな恥知らずに仕立て上げたのだろうな、沢城よ。悔しいです! いや、悔しくない、断じて悔しくなんかない。むしろ同情するよ、沢城。謙虚という人類最大の美徳を奪われてしまうイケメンの人生に同情を禁じ得ないよ、沢城。僕はつくづく非イケメンに生まれて良かったと思う。迷わず番茶をセレクトできる人格形成を誇らしく思う。与えられることのない人生に、乾杯。悔しいです!
「煎茶、切らしているんだ」
憤りが、そのまま言葉になっていた。京都人に倣った、お帰りになられはれムーブだ。こんな気概がまだ残っていたのかと驚くとともに、僕は少しだけ自分を好きになれた。
「それじゃあ、番茶で」
「番茶も切らしてはるんです」
柔軟な思考に基づいていた。面白いゲームは諦めて沢城を追い返すことに素早くシフトしたストレッチ。こういうフットワークの軽さが僕にはあるのです。
「水でもいいよ」
何の気負いもない声だった。それは僕のなかに芽生えつつあった京都人の血潮を跡形もなく消し去った。どうしようもねぇ、どうしようもねぇだ。自分が邪険にされるなど、想像だにしないのだ、イケメンは。求められて当たり前という狂った価値観を社会からのギフトとして享受する存在は、京都人よりも露骨な拒否さえ感知しないのだ。これを低俗な人類は幸福と呼ぶ。これを高尚な人類は不幸と呼ぶ。そうして、大半の人類がそうであるように、僕は低俗だった。妬みが殺意を一層と強めた。
倦怠期の妻みたいな足取りでキッチンへ行き、肉切り包丁を流しに置いて、コップに水道水を注ぎ、小便でも混ぜてやろうかと思いつつも自重して、僕は自室に向かった。
沢城は色の褪めたクッションに座り、長い脚を窮屈そうに曲げていた。臭い部屋にフローラルの香は際立って、沢城の匂いを強く意識させられた。
「柏木と女三宮の倅かよ!」
思わずツッコンでしまって、僕は居たたまれなくなり、きょとんした沢城の顔に笑みが広がっていくほど、増々しんどくなった。
「誰が薫だよ!」
びっくりするほど捻りのない言葉が返ってきて、やっぱりイケメンはつまらねぇなぁ、と僕はため息を吐きつつ惨めで小さな優越を見出して、それでようやく、ローテーブルにコップを置いてせんべい布団に尻を預けられた。
「小学生のころはよく一緒にこの部屋でゲームをしたよね。スマブラとか。はるちゃんのスティーブは今でもトラウマだよ」
スティーブが持ちキャラだったという黒歴史を掘り起こされたくはなかった。人格を疑われてしまうから。僕は大きめに咳払いをした。
イカ臭いティッシュの詰まったゴミ箱が最も主張の強いオブジェクト、そんな有様の部屋に美麗な中坊が座しているミスマッチは、もはや馴染みの光景と化していた。動物園も同然の公立中学校に通い始めてすぐ疎遠になっていた沢城は、僕が学び舎という名のプリズンをブレイクした中二の二学期から僕の家を訪ねてくるようになったのだ。目的は分からない。分かりたくもない。何も分からないまま不意の訪問を受け入れ続け、その度、毒にも薬にもならないお喋りを聞かされて、面白いゲームという新しい試みさえ退屈であったならば、今日もまた不毛を体現することになるだろう。
「PS5、使わせてね」
言われて、僕は頷いた。起動して、沢城は自身のPSNアカウントでログインし、ゲームソフトのダウンロードを済ませた。
「面白いゲームっていうのは、これのことなんだ」
既にホーム画面からゲームソフトのタイトル画面に移行していた。でかでかと、STREAMFIBER2の文字がモニターで自己主張をしている。
「ストリームファイバー2」覚えたての文字で戯れる幼児みたいに、僕は言った。「これ、インディーズだよね?」
「インディーズだね」
「カプコンの許可は取ってあるのかな?」
「天下のカプコンだもの。許可どころかアポも取れないよ」
そんなことを話しているうちに、モニターの表示が変わった。どう見てもトランプタワーにしか見えない建造物、その真ん前で大勢のギャラリーに囲まれた白人と黒人がファイティングポーズで向かい合っている。黒人の右ストレートが白人の顔面をとらえた。時代に配慮した演出だった。
ぞくぞくした。令和の時代に見る90年代前半をオマージュしたグラフィックはエキサイティングだった。レトロブームなどという、インフルエンサーだかインフルエンザだか知らねぇ奴らが群がるろくでなしムーブメントとは訳が違う。僕のそれは、ゲーマーがミーンから奮い立つ純度100パーセントの高ぶりだった。
「ヤらしてくれぇ!」
インパラに襲い掛かるチーターよりも素早い動作で、僕は沢城が持つコントローラーを奪い取った。そうして、文明の利器に触れたショックが、ビーストと化していた僕を薄汚いホモサピエンスへと立ち戻らせる。冷静な眼で伺った、沢城はしたり顔で、こんなにも綺麗な男の手玉に取られたという屈辱は、カノッサをも易々と上回った。これならば金玉を取られたほうがまだマシだったと、僕は天を仰ぎ、ジーザス! と心中で叫んだ。
「勘違いしないでよね」ジーザスが救いにならないことを悟り、僅かでも傷口を小さくしたいという人間の哀れを地で行って、僕は弁に頼った。「こんな、いかにも懐古厨をターゲットにしたようなゲーム、本気でヤりたい訳じゃないんだからね。沢城くんが勧めてくれたから、気を使って飛びついてあげただけなんだからね」
単語を口にするだけで噛む僕が、今回ばかりは声優なみの滑舌を見せた。アスカ・ラングレーが自然体なのかもしれない、という直感に、平凡な雄の域を出ない僕は、僕は男だゲンドウだ、の心意気で男性ホルモンを滾らせた。もともと男性ホルモンは濃いほうで、太ももの裏側にも毛が生えているくらいだから、男の自覚を取り戻すのに時間はかからず、むしろ滾り過ぎてギンギンになった体を持て余す。そんな男100パーセントの状態で視認したせいか、沢城の顔はザクロを大量に食らったのかと疑いたくなるほどに女っぽく見えた。沢城は、憂いていた。それは分かっても、なぜ憂いているのかは分からない。懐古厨をターゲットにしたようなゲーム、とディスられたのが悲しかったのだろうか? 本気でヤりたい訳じゃないんだからね、とアスカムーブを決められたのが悲しかったのだろうか? 推測して、推測して、しかし何にも、分からないままだった。
「ヤりますかねぇ」
喧嘩したカップルが何事もなかったかのようにセックスを始めるわざとらしさで、僕は×ボタンを押し、メニュー画面を開いた。それしか、出来なかった。
メニュー画面は、NPC相手の勝ち抜きシングルモードと対人戦モード、あとはオプションモードがあるだけの簡素な作り。
「僕、コントローラー、一つしか持ってないけれど・・・・・・」
ボソッと言うと、沢城はセックス明けの彼女みたいに、「コントローラー、持ってくればよかった!」とはしゃいだ。そんな感じで場が和む、ノン気の僕たちだった。
「シングルモード、交代でプレイする?」
「俺は見ているから、はるちゃん一人で楽しんで」
じゃあ楽しむさ、の精神で、ヤバいゲームの臭いをビンビンに感じ取っている心身は食らいつくようにシングルモードをスタートさせた。
これ以上ないってくらいシンプルなキャラクターセレクト画面だった。バストアップで表示される8体のキャラクター。小気味よいBGMとSEがセレクト欲をそそる。
「綺麗な玄関じゃない」良いものは良いと言える懐の深さが僕にはあった。「ごちゃごちゃした汚い玄関が乱立する昨今のゲーム市場に一石を投じるOMOTENASIじゃない」
モニターの暗がりに映る沢城のしたり顔さえ気にならなくなっていた。ゲーマーのサガが一切の雑念を排していたのだ。最強のキャラを選び取りたい、という雑念を超越した邪念だけが僕を突き動かしていた。そんなパッションのうちに、1体のキャラクターでカーソルが止まる。
「どうして直ぐに気が付かなかったんだ」
思わず呟いてしまった。逆立った金髪の、一目で米兵と分かる面魂をしたファイター。名はゲイルという。鳥肌が、立った。どうして直ぐに気が付かなかったんだ、と心中で繰り返す。中学生の朝礼にスタローンが混じっているようなものじゃないか。圧倒的な強者のオーラにたじろぎつつも、圧倒的な暴力を手にしたい欲求に背中を押されて、僕は震える指で×ボタンを押した。
「さすがははるちゃん、ナイスセレクト。ゲイルは断トツの最強キャラだよ」
イヤミか貴様ッッ! などと怒鳴ったりはしなかった。イヤミも批判も甘んじて受ける、という覚悟があったからだ。最強キャラを使うとはそういうことさ。そんな侍魂で暗転する画面を見つめていたら、味わい深いドット絵によるムービーシーンが始まった。ファイトという名の一方的な殺戮ショーにすぐさま興じられると思っていた僕は猛り狂う暴力の衝動を抑えつつ、腐っても最近のゲームだからキャラごとのオープニングくらいはあるよね、という令和の価値観で静観した。ゲイルは、真っ赤なファッションに身を包んだ人相の悪い男の胸ぐらをつかんでいた。ゲイルがニヒルなセリフを吐くと、人相の悪い男もニヒルなセリフで応じた。汚いBLでも始まったのか? と不安になっていたら、いかにもなアメリカ女が二人駆けてきて、僕は胸をなでおろした。どうやらこのアメリカ女どもはゲイルの妻と娘らしい。僕はゲイルに激しい怒りを覚えたが、最強キャラなら知らなかったことにしてやろう、という寛大な心でPS5を破壊せずに済ませた。いかにもアメリカ女が吐きそうなセリフがあって、ゲイルがニヒルなセリフで応じると、場面はいかにもアメリカな室内に移り、家族三人のいかにもなアメリカンビューティーを見せつけられた後、スタッフロールが流れ始めた。
「オープニングやない、エンディングや、これ!」僕は思わず叫んでいた。「まだ誰も殺戮していないっちゅうに、全部終わっとる!」
言霊の勢いそのまま振り返ると、この日最高の笑顔がそこにはあった。沢城は穏やかなリズムで拍手をしていた。
「おめでとう。おめでとう」
先ほどのアスカムーブに対する意趣返しだろうか、と思いつつも、僕らは令和の中学生だぞ、という客観的な事実に照らし合わせて、他意はないのだと理解する。
「説明してくれ」僕は努めて冷静な声を出した。「これは観るゲームなのか? YouTubeなんかに転がっている法的にヤバそうなブツの類なのか?」
「カプコンの許可なしでこのゲームデザインだから法的に危ないのは間違いないだろうけれど、これはきちんとプレイできるゲームだから、観る類ではないよ」
「プレイしとらんやないけぃ!」冷静でいられなくなった。「キャラを選んだだけで、ソニックブームはおろかパンチ一発打っとらんわい!」
「驚きだよね。俺も初見では唖然としたよ。公式のXによると、ゲイルは強すぎるから戦うまでもなく勝利が確定してしまうのでエンディングまでフリーパスの設定にしてあるみたい」
「フリーパスよりゲイルの弱体化! ちょくちょくキャラ調整しているカプコンを見習えよ、オマージュするなら!」
怒髪天を衝くとはこのことか。重たいくせ毛が逆立つ錯覚があった。ゲイルやガイルみたいに。それくらい僕は憤っていた。公式のXを燃やしてやろうと思い、スマホを起動する。しかし、公式にフォローされているアカウント以外はリプライできない設定になっていて、問い合わせ先のメールアドレスなんかも記されていなくて、怒りは行き場を失った。そうして時間の経過とともに衝動が弱まって、6秒ルールの正しさが実証され、全てを拒否すれば悲劇を回避できるのだな、と感心できるだけの平静を取り戻し、僕はスマホという名の刃をポケットという名の鞘に収められた。
スタッフロールもといエンドロールが終わって、トランプタワーの真ん前ではっちゃけるオープニングに戻った。×ボタンを三回押し、再びキャラクターセレクト画面に移行する。出鼻をくじかれたくらいで投げ出したりはしない。既にクソゲーという確信があっても、むしろクソゲーという確信があるからこそ、そこに光明を見出したいというマゾヒズムを掻き立てられ、僕は再びキャラクターを吟味するのだった。
ゲイルに次ぐ実力者を僕の目は追い求めた。それは途方もない作業だった。なにせバストアップと名前と国籍しか情報がないのだ。これでは職務経歴書も面接も無しで人事採用するようなものだ。ゲイルのような明らかな強者でもない限り、勘で選ぶしかない。正しく困難である。
熟考・・・・・・果てに、僕はダルサンというキャラクターに目を付けた。インド人だというその男は、バストアップだけで全身ガリガリだと分かる風貌をしていた。チワワより弱そうだ、という第一印象の裏に底知れないものを感じる。古い不良漫画にありがちな、弱そうな奴が実は強かった、みたいな空気感。ごくり、と無意識に喉が鳴り、その音の消え去らないうちに、僕は×ボタンを押していた。しかし、決定の反応はなかった。おかしいな、と思いもう一度×ボタンを押してみる。反応なし。さっきは×ボタンでゲイルを選べたのにな、と三度×ボタンを押すも無反応で、他のボタンも押してみるも変わりはなかった。
「どないしてん、これ?」僕は沢城に問うた。「選べへんねん、ダルサン」
「公式のXによるとダルサンはインドの人権団体から、インド人はこんな火を噴いたり手足を伸ばしたり空に浮いたりする化け物じゃねぇ、って訴えられて、それで使用禁止になったらしい。ゲイルの次に強いキャラだったのに、残念だよね」
「ダルシムは許されるのに!」明治安田生命のコマーシャルを見たときくらいに切ない気持ちだった。「どうしてダルサンだけ!」
「法務部のパワーの差だろうね」
「それを言っちゃあお仕舞いよ」
実際、お仕舞いだった。僕はダルサンという存在を忘却の彼方に投げ捨てて、次なる猛者を求めた。
カーソルを無作為に動かす。鉛筆を転がすみたいに。僕は考えるのをやめていた。思考停止しなければ生きていけない世界だと思い知ったからだ。ドット絵丸出しながらも、最新CGよりよっぽど、ストリームファイバー2はリアルだった。これもまた無作為に、カーソルはザンギュラビッチという名のロシア男子で止まった。バストアップだけで全身バキバキだと分かる風貌をしている。一見したところでは、こいつが最も戦闘力が高そうなのだが、いかんせん、僕のゲーマーの勘が言っている。こいつは弱い、と。リアルファイトであったならば、狂った筋肉を有するザンギュラビッチが最強だろう。しかし、これはゲーム、ファンタジーだ。ファンタジーバトルにおいて、筋肉量と強さは比例しない。とは言ったものの、最新CGよりもリアルなストリームファイバー2である。リアルを重んじる趣旨で筋肉量をそのまま強さに反映している可能性も否定できない。
「どっちだ・・・・・・」
福本伸行漫画の風が吹いた。間違いなく、0か100かの選択。度が過ぎる極端。しかし、それがいい。それがいいのだ。
「はるちゃんが、笑っている・・・・・・」
沢城が驚くのも無理はない。僕自身、驚いているのだから。笑ったのなんて、中学生になってから初めてかもしれない。自分の求めていたものがスリルだったのだと知り、耳はおろか目にさえドリルを突っ込む心意気で、僕は×ボタンを押した。入力が、受け付けられる。画面上部の世界地図で飛行機が飛ぶ。ロシアからジャパンへのフライト後、画面は禍々しいVSの文字を挟んで二体のバストアップが向かい合う硬派な絵面に移行した。対戦相手はリュオウという名のイケメンだ。イケメンなら手加減する必要もあるまい、と僕は指を鳴らした。そんな尋常じゃないモチベーションのうちに画面が暗転して、ファイト開始! と思いきや、画面に映ったのは相も変わらずバストアップで向かい合う二体で、さっきと違うのはVSの文字が無いこととザンギュラビッチの顔がボコボコになっていることで、僕は訳も分からぬまま、画面下部に表示される、「昇天拳を破らぬ限り、お前に勝ち目はない!!」の字幕を唖然と見詰めた。その後、ボコボコ顔のザンギュラビッチの真横に数字がデカデカと表示されて、それは9から8になり7になり、カウントダウンなのだと知れた。テレビショッピング的な、見る者の考える余地を奪うスピーディーでカウントダウンは進み、焦らされた僕は案の定、何の考えも無しにオプションボタンを押した。威勢のいい掛け声とともにザンギュラビッチの目に光が宿り、画面は暗転、再びVSの文字をはさんでザンギュラビッチとリュオウのバストアップが向かい合う。ザンギュラビッチの傷はすっかり癒えていて、綺麗な顔に戻っている。白昼夢を見たのだ、と思いながら、僕はイケメンを八つ裂きにすべく指を鳴らした。そうして今度こそファイト開始! と思いきや、またもやファイトのファの字も無いうちにボコボコ顔のザンギュラビッチ及び、「昇天拳を破らぬ限り、お前に勝ち目はない!!」の字幕が映し出された。リュオウはスタンド使いなのか? キング・クリムゾンなのか? などと狼狽えているうちにカウントダウンが始まって、例によって例のごとくテレビショッピング方式で、僕はオプションボタンを押した。そんな悪夢がループと化して、ザンギュラビッチのボコボコ顔が親の顔より見た状態になって、ようやく、僕は沢城にヘルプを求められた。
「これ、これ、どないなってんの?」沢城が滲んで見えて、涙目になっていたことに今更気が付いた。「結果だけが残る現代社会を風刺しとるん、これ?」
「ザンギュラビッチは、弱すぎるんだよ。どう足掻いたって、誰にも勝てない」言葉を選ぶ重々しい口調で、しかしチョイスされた言葉は極めてストレートだった。「戦うまでもなく敗北が確定する、っていうのは運営からユーザーへの配慮なんだろうね」
「配慮するなら調整をくれ!」安達祐実の生霊が宿っていた。「ゲイルと同じ轍!」
なるほど、確かにストリームファイバー2は現代社会を風刺していた。ザンギュラビッチの負け確は、弱者切り捨ての現代社会そのものだからだ。僕は過去最大級の憤りを覚え、同時に、過去最大級の哀れみをも抱いた。リアル社会の弱者たちに対してではない、唯々、バーチャル世界のザンギュラビッチに対してのみ、僕の心は痛んだ。
とてもじゃないが、このままゲームを続けられるコンディションではなかった。ブレイクタイムは必要不可欠だ。それが分かるだけの分別があるから、僕は立ち上がり、「お茶をいれてくるね」と口にした。
「切らしているんじゃないの?」
その嫌味の無い清々しさが癇に障って、お前のことが嫌いだから嘘をついたんだよ! と憤りの捌け口にしてやろうかと思ったけれど、モニターに向かってしか怒鳴ったことのない僕が人間相手に怒鳴ることなんて出来るはずもなく、「勘違いだったよ」と三回噛みながら言って、そそくさと部屋を出た。
息がつまる六畳の自室からこじんまりとしたキッチンに来て、それで気が和らいだりしないのは平常通りだった。シングルマザーと一人息子が住まう安アパート、そんなアメリカとジャパンのテンプレートから僕が漏れることはない。近い壁、低い天井、気が狂いそうで、しかし外へ出ればガチで気が狂う八方塞がり。居場所も行き場所もない、14歳のリアル。資本主義が悪かったのか、民主主義が悪かったのか、企業も官僚も政治家も有権者も全員が地獄へ落ちるべきなのか、あるいは既に地獄に落ちているのか、真実の片鱗さえ掴めない14歳のリアル。回りっ放しの換気扇の音を聞いていると、余計に気が病んでくる。母親はいつもガス台上の換気扇を回しっ放しにしていて、そのくせ、キッチンでタバコを吸うことはなく、いつもトイレで吸っている。そういう日常に染み付いた悪癖も、僕の心を酷く蝕む。僕は換気扇を止めた。備え付けのキャビネットから茶葉の入った袋を取り出す。国産の、それなりに上等な茶葉だ。母親の薄給で買えるわけがない、祖父母が送ってくれた物だ。そいつを急須に少々入れて、電気ポットで湯を注いで、弱い鼻が湯気にぐずついた。自分の分だけを持っていくほど嫌な奴にはなれないので、沢城の分も湯呑に用意して、僕は自室に戻った。
いい加減、長い脚が窮屈そうに見えた。僕はローテーブルに湯呑を置くついでに散乱する本やらティッシュやらをどかした。
「ありがとう、はるちゃん」
そう言って伸ばした長い脚はえげつないまでの曲線美で、そんなものを見せつけられたとあっては、やはり沢城を憎むしかないのだった。
「はるちゃん、午前中は何をしてた?」
人を切り殺す用の肉切り包丁が届くのを待っていました、と言ってやろうかと思ったけれど、そんなセンチメンタルを聞かせたところでリア充には何も響かないだろうと思い直し、「寝てた」と答えた。
「いいよね、寝るの。寝てる時が一番気持ちがいいよね」
お前は女と寝るから気持ちがいいんだろ、と言ってやろうかと思ったけれど、そんな度胸は当然なかった。人を殺すと腹を決めているくせに小心者で、むしろ小心者だから人を殺すと腹を決められたのか、何にしたって小心者に変わりはなく、僕は一時の沈黙すらを恐れ、「君は、どうしてたんだい」と永沢くんみたいな声が出て、自らにドン引きした。
「テニス部の奴らと池袋に行ってた」
ろくでもないパリピ連中とブクロですか、ははは、そいつは午前中という脳が最大のパフォーマンスを発揮する時間帯をドブに捨てましたね! といった具合に心中で嘲笑し、感情のバランスをとろうとしたけれど、ムラムラムラムラ湧いてくる悔しさと妬ましさと心細さとを持て余し、「男だけでとか」と思わず漏れ出て、血の気が引いた。
「女子テニス部の子も一緒だったよ」
引いた血の気を返せ! と掴みかかってやりたいくらい爽やかな笑顔と声音だった。この野郎、言うに事を欠いて女連れでブクロだと? 不潔、不潔よ! 新手のウイルスよりたちが悪い、イケメンに群がる女どもという名のばい菌。消毒が必要だ。もちろん、世紀末式の消毒だ。湯呑を持つ手が力む。僕に花山薫の握力があったならば、とっくに粉砕しているほどだ。何ゆえ、男と女は連れ立ってブクロに行くのであろう? そこに何があるというのであろう? おそらく、何もないのであろう。しかし、その確信を僕が得ることは永遠にないのだ。女のいない男たち、by村上春樹。村上先生、呼びました!? それ、僕のことですよね!? 悲しいです!
「美味しいお茶だね」
悲哀をも逆撫でするイケボで、僕はいよいよ頭の血管が切れる寸前までいった。沢城を殺して、ぼくも死ぬ!! の精神で対象をねめつけるも、その笑顔の陰った一瞬が氷みたいに冷たくて、わざわざ池袋まで行った人間がまだ日も高いうちに神奈川の辺境の地に戻ったのは何故だろう、という冷静であれば真っ先に浮かぶ考えに至り、僕は怒りを失い、替わりに曖昧な思いを抱いたけれど、沢城がまたすぐに笑ったから、僕はその思いさえをも失って、憮然と茶をすすった。そこからは沢城の他愛ないお喋りがあって、相も変わらぬファッションやらスポーツやらのろくでもない話にうんざりして、茶の冷めぬうちに僕はコントローラを手に取った。
ザンギュラビッチのゲームオーバー後、トランプタワーのオープニングがループしていた。お約束の×ボタン三回でキャラクターセレクト画面へ。ゲイル、ダルサン、ザンギュラビッチ、それら目ぼしい選択肢が除外された今、残る五体は、黒髪イケメンことリュオウと、金髪イケメンと、ぽっちゃりした歌舞伎役者と、女と、モンスターだけ。どれも選びたくない! という選挙によく似たシチュエーションに頭を悩ませ、悩ませたところで消去法以外の道はないレ・ミゼラブルで、重たいカーソルはようやく、金髪イケメンことケーンで止まった。陽気なパリピだと猿でも分かる、良い思いをしてきたことが露わな甘ったれたベビーフェイスだ。モニターをぶん殴りたくなる。けれども、これが消去法の果てなのだという絶望が、僕の暴力性に水を差す。ポケモンじゃあるまいしモンスターを使う気にはなれず、女なんか使いたいわけがなく、ぽっちゃりした歌舞伎役者を使う奴の気が知れず、リュオウは絶対に友達になれない陰気なオーラを纏っていて、ケーンしかねぇじゃん! というリアルはそのまま民主主義の敗北だった。
「ケーンのプロフィール、公式のXか何かに記されていたら、教えて」
僕は沢城に願った。心底、欲していたのだ。ケーンの、何か一つでも好きになれる情報を。母親に犯されて女を愛せない体になっているとか、世界一の貧乏だとか、そういう不幸、好きになれる要素を、ください。
「公式のXにプロフィールがあるね」スマホを見ながら沢城は言った。「すごいね。ケーンは世界的大企業の御曹司なんだって」
「ケーン! われ、いてまうぞ!」
殺意の波動の目覚める直感があった。僕にもそんな資質があったのかと驚きながら、サガットの胸をえぐる気迫で昇竜拳を放ち、天井にぶち当たった手が痛んで泣きそうになった。
「それから、ケーンには綺麗な恋人もいるらしいね」
「これ以上、わてを苦しめんでくれなはれ!」
こんな残酷なSMもないだろうと、手よりも強く胸が痛んだ。世界は不公平だ。ケーンみたいな奴らが幸福を享受する一方で、僕みたいなチンカスは一生を底辺で泥水をすすり終えるのだ。わかり始めたMyRevolutionではない、わかり切ってたMyZetuboujanを再確認。知りたくない、自分より恵まれている奴らのことなんて。しかし異常なネット社会は自分よりも恵まれている奴らの情報を下痢くそみたいに無限に垂れ流してくる。僕は、僕らはそんな下痢くそから逃れるすべを持たない。だからこそ僕らは静かに怒りを湛えるのだ、偏に革命の時を待ちながら。そんな心持でさえ、結局ケーンにカーソルを合わせたまま×ボタンを押した惨状は、くどいようだが民主主義の敗北だった。
生意気にもアメリカ国籍のケーンを乗せた飛行機がジャパンにやってくる。VSの文字を挟んでぽっちゃりな歌舞伎役者ことエドハルミ番田と向かい合うケーン。果たしてファイトは開始されるのか? という僕の疑心をよそに、暗転した画面は、2D格闘ゲームのテンプレートだった。ゲージは自分と相手の体力ゲージのみというストイック。99秒以内にどちらかの命を絶つことを強要するタイマーもストイックだ。ようやくバストアップ以外の形で描写されたキャラクターは全身がイキイキしていて、そのダイナミックなドット絵描写に金玉が縮み上がる。そうして、今どきのイントロは皆無で即ファイト開始。前進、後退、ジャンプ、しゃがむ、パンチ、キック、全て自由に操作できる当たり前に僕は、当たり前って尊いんだな、としみじみ思った。
「JPで鍛えたストリートファイターのテクを見せてやんよ」
僕は自ずとイキっていた。ゲーマーの勘から、これストリートファイターと同じだろ、という確信を得ていたからだ。その確信は、真実だった。ストリートファイター2とほとんど同じ操作性で、二十秒も経たないうちに、僕はエドハルミ番田の体力ゲージを半分ほど減らしていた。
エドハルミ番田を圧倒しつつも、これまたゲーマーの勘から、僕はケーンが弱キャラであることを見抜いていた。攻撃のリーチが短いくせに動きまで遅いのだ。これだから女にうつつを抜かすボンボンは、と吐いたため息も温かいうちから、それなら僕のテクで勝たせてやんよ、とこれまた自ずと出たイキり声そのままに、僕はエドハルミ番田をサンドバッグにした。そういう、快感。弱キャラで全てをねじ伏せる、快感。幼少のころから強キャラしか使ってこなかった僕だからこそ、初体験のエクスタシーは強烈過ぎて、エドハルミ番田の体を痛め付けるたび、マゾ男でもドン引きするような笑い声が漏れ出るのだった。そうしてエドハルミ番田の体力ゲージも雀の涙、そんな絶頂間際に、とある違和感があって、僕の無慈悲な連続攻撃は止んだ。インスタのストーリーズみたいな小ウインドウが、いつの間にか画面の端に現れていたのだ。その小ウインドウには、一目で男のものと分かる乳首がアップで映っている。
「なんやねん、これ」女のすっぴんを見た心地になって、興奮は一気に冷めた。「これ、なんやねん」
関西弁が飛び出している間にも、小ウインドウは古いコンピューターウイルスみたいに画面中に増殖していった。それらも男の乳首の画像、あるいは動画だった。
「これ、なんやねん」僕は沢城を見詰めた。「なんやねん、これ」
「公式のXによると、リュオウがインスタにアップした自身の乳首らしい」人格者の葬式であるかのように、沢城の声は切なく響いた。「リュオウとケーンは同門のライバルなんだ」
肛門のライバル? などという腐女子が言いそうな言霊を飲み込み、僕は黙って話の続きを待った。
「リュオウは日雇いの仕事でその日暮らしをしていて、彼女もいない。それで、ライバルであるケーンとの差に承認欲求をこじらせて、インスタに自身の乳首をアップするようになってしまったらしいね」
こんなにも悲しい話があるだろうか? おそらくは人類の半分が共感できる悲劇。こんなにも悲しい話があるだろうか? 僕は胸が張り裂けそうで、嗚咽を抑えることが出来なかった。誇れるものが無い人間は、己の乳首を己で晒す以外、存在を示す手段を持たないのだ。ケーンに悪意が有ろうが無かろうが、リュオウの自尊心が傷付けられてきたという事実に変わりはない。誰が責められる、リュオウを!? 誰がリュオウの乳首を責められる!? リュオウの乳首を責めるような人でなしは乳首に埋もれて窒息してしまえ! 僕は断固としてリュオウの乳首を擁護する! リュオウ、僕たちは仲間だ。虐げられてきた仲間だ。
画面は既に小ウインドウで埋もれていた。悲しいリュオウのパッションを幕にして、ケーンがエドハルミ番田にナニをされているのか、そんなことに興味は無く、僕は一切の操作を放棄したまま、ケーンの断末魔を聞いた。そうして、小ウインドウは全て消え去って、オープニング画面へ。僕は勇ましい指さばきでキャラクターセレクト画面まで行き、リュオウにカーソルを合わせたまま、いいねを押す感覚で×ボタンを押した。
「リュオウ、僕が救ってやるからな」
心なしか、リュオウの陰気な顔が綻んで見えた。人助けをした気分になって、僕の顔も少しだけ綻んだ。こうやって弱者は支え合いながら生きていくのだな、と感慨にふけっているうちに、リュオウとエドハルミ番田のファイトがスタートした。
「恵まれた者たちに踏みつけられようとも、僕たちは僕たちの勝利を掴み取ろう、リュオウ!」
生まれて初めて良いことを言った、と思った矢先、画面の端に小ウインドウが表れて、僕の背筋は凍り付いた。インスタのストーリーズ、今度は乳首だけでなく顔までばっちり映っている。リュオウの、何度も撮り直したのだと分かる不自然な決め顔と、乾いた乳首。ケーンの時と同じように、それはどんどん増殖していった。
「なんでや、リュオウ!? われを選んでやったやないかい! それは、いいねしてやったのと同義やないかい! フォローしてやったのと同義やないかい! なんでエスカレートしとんねん!」
「手遅れだったんだよ」人格者の墓前であるかのように、沢城の声は切なく響いた。「承認欲求お化けになってしまう前に手を打たなければいけなかったんだ。一度承認欲求お化けになってしまえば最後、どれだけいいねとフォロワーが増えようとも満たされない、終わりのない承認レースを加速し続けることになる」
「救いようがない!」
声の限りに叫んだのは、悲しみからではなかった。恐怖を紛らわすために、僕は叫んだのだ。そう、僕は恐れていた。承認欲求お化けと無敵の人が本質的には同じ存在だと理解していたから。心の飢えが、彼らを、いや、僕らを破滅に導き、承認欲求お化けとなった者は自らの乳首を晒し、無敵の人となった者は他人を刺す。発露の方法が異なるだけで、プロセスは同じ。SNSを覗けば、三分で百人の承認欲求お化けを見つけられる。それはすなわち、世界が無敵の人で溢れ返っていることと同義。世界は、既に取り返しのつかないステージまで進んでいるのだ。
画面は既に小ウインドウで埋もれていた。悲しいリュオウのパッションを幕にして、リュオウがエドハルミ番田にナニをされているのか、そんなことに興味は無く、僕は一切の操作を放棄したまま、リュオウの断末魔を聞いた。
もう、うんざりだった。クソゲーはリアルの鏡で、だからこそ、うんざりだった。PS5を窓から投げ捨てたい気分。ここは二階だ。ゲーム機が壊れてしまえばクソゲーからも逃れられる。僕は逃げたいんだ、クソゲーという名のリアルから。何を言っているのか分からねぇって? 僕もだ、僕も分からねぇ。分からねぇからこそ、僕はうんざりしながらもクソゲーを続けるのだった。
性懲りもなく、キャラクターセレクト画面にダイレクトエントリー。カーソルは千鳥足のような挙動の果てに、モンスターで止まった。このモンスター、ブランコという人間らしい名前がある。ブラジル人だそうだ。この時点で既に嫌な予感はしていたけれど、やってみなくちゃ分からねぇのサイヤ人に倣って、×ボタンを押し、無反応で、やっぱりね、と僕は冷笑を浮かべた。
「公式のXによるとブランコはブラジルの人権団体から、ブラジル人はこんな化け物じゃねぇ、って訴えられて」わざわざ言うまでもないことを沢城は言った。「それで使用禁止になったらしい」
「妥当だよゥッッ!」
僕は極めて真っ当なことを言ったと思う。訴えられて然るべきなのだ、ブランコは。僕らジャパニーズに出来ることといえば、地面に向かって、ブラジルの人ごめんなさい! と叫ぶことくらいだ。それ程までに、ブランコは度し難い。
そうしていよいよ二択になった。エドハルミ番田と女、正しく地獄のラストチョイス。言うなれば、人を刺すか自分を刺すか、これしか選択肢が残っていないようなもの。そんな極限状態で、エドハルミ番田だけは断固としてチョイスしない。一体全体、どういった理由があればこんな男をチョイスすることになる? エドハルミ番田という男は、隈取で半裸だ。フランス野郎よりもありのままを話しているぜ。エドハルミ番田という男は、隈取で半裸だ。狂っている。そんな男をチョイスする人間がいるとしたら、そいつも狂っている。僕は無敵の人予備軍だが、そこまでは狂っていない。それじゃあ、残るは女だけじゃないか。
「女か」僕は強く舌打ちをした。「女か」
女は、いつだって僕に無関心だった。物理的には30センチメートルほどしか離れていない距離に居てさえ、女は僕を太陽系の外にある星屑として扱ってきた。女は、僕に一瞥以外をくれたことがない。そんな女がイケメンに群がるとき、僕は人を殺したくなる。だからこそ、僕は常時、人を殺したいのだ。僕が人を殺すのか? おそらく、そうではない。僕のことを認識すらしなかった女が人を殺すのだ・・・・・・僕はもう・・・!!! 女を・・・・・・!!! 愛せねェ・・・・・・・・・!!! タイのアニキより切実! そうは言っても、そうは言ってもなのだ。心が女を拒んでも、体は女を求めてしまうのだ。現にほら、画面に映る女、チュンレイという名のチャイナ娘に、僕の僕は皮さえずる向けている。どれだけ無視されても、肉体という檻を捨てられない限り、僕は女が大好きなのだ。女なら誰でもいい訳ではない。僕はそんな分別のない体をしていない。美女が、大好きなのだ、僕は。そうしてチュンレイは、美女だ。これPIXIVのエロ画像じゃね? と思ってしまうくらい妖艶だ。着衣した上でのバストアップでそう思わせるのだから、尋常ではない。ムラムラする。アジアンビューティーを地で行くクールな眼差しが、僕のマゾを刺激する。催したい。今すぐ下半身を露出して、催したい。沢城が居たって、構わないじゃないか。ホモサピエンスから進化したのであろうイケメンからしてみれば、僕みたいな非イケメンはホモサピエンスから退化した存在、猿も同然だ。動物園の猿山で、己で己の己をいじくっている哀れな猿を見つけたところで、それで居たたまれなくなる人間はいないのだから、構わないじゃないか。そうは言っても、そうは言ってもなのだ。やはり猿にも羞恥心はあって、沢城の大きな瞳に見詰められたとあっては、勃つものも勃たない、出るものも出ない。それはまた悲劇で、ゲイにもバイにもなれない僕は、結局、女に執着するしかないのだ。
僕は、チュンレイにカーソルを合わせたまま、×ボタンを押した。泣きそうになったけれど、泣かなかった。僕の僕は泣いていたけれど、僕は泣かなかった。エンディングまで、泣くんじゃない。既にパンツは濡れているけれど、まだまだ全然セーフだと言い聞かせて、僕は女を堪能するべく、コントローラーを握り直した。
チャイナからアメリカへデンジャラスなフライト、VSを挟んだバストアップ、そしてファイトへ・・・相手はケーン、正しく敵。しかし、そんな憎悪も、全身を描写されたチュンレイのエロスの前では無に等しかった。とんでもねぇ、とんでもねぇ、脚。桜島大根より太く、艶めかしい。目が釘付けどころの騒ぎじゃない、僕はもう首ったけだった。撫でまわしたいと思う。舐めまわしたいと思う。脚は女の武器、とはよく言ったものだけれど、僕は脚よりも足のほうがグッとくるのだけれど、何にしたって、リーサルウェポン、これ以上は望めない破壊力だ。キックボタンを押して、その長い脚がケーンの顔面にクリーンヒットする。すぐさま僕はケーンに自己を投影した。マゾもののAVでよくやるやつだ。大抵、マゾ男優がイケメンだと自己投影に時間を要するのだが、今回は想像力を刺激するドット絵のためか、一瞬で自己投影が済んだ。チュンレイの蹴りを、食らう、食らう、食らう。NPCも欲しがっているようで、僕の適当な操作で放たれる蹴りが面白いように当たる。
「チュンレイ様ぁ」
恥ずかしい声が出て、今更羞恥心もくそも無いだろうとボトムスに手をかけた、その時、画面が停止した。何の前触れも無かったザ・ワールドに唖然としていると、これまた何の前触れも無い、というより何の前触れも無いからこそのポップアップがあって、そこには、続きをプレイしたい方はログインを済ませてください、と書いてあった。PSNのアカウント以外も欲する強欲なメーカーか、と思い、新しいアカウントを作る、を選択すると、フォームが開いた。氏名、年齢、性別、住所、電話番号、メールアドレス、クレジットカード番号および有効期限およびセキュリティコード、それら全ての記入が必須となっている。
「ヤバいアダルトサイトのやつ、これ!」親の顔より見た光景に、僕は絶叫した。「財産はおろか人生さえをも奪われるやつ、これ!」
恐ろしい話だ。サンプルで済ませられる僕には無縁の話だが、恐ろしいことに変わりはない。ネットには無数の罠が仕掛けられている。その魔手が家庭用ゲーム機にまで伸びているのかと、僕の金玉は縮み上がった。おかげで、興奮もすっかり冷めた。人は本当に恐ろしい思いをすると肝だけでなく金玉も冷えるのだと、身をもって知った。
「チュンレイは存在そのものがポルノみたいなものだから、こんな仕様になっているんだって」
妥当だよゥッッ! とはならなかった。そんなノリでツッコむ気分にはとてもなれなかったから。チュンレイのような美女がその性を利用されるとき、僕はつくづく男の邪悪を痛感する。散々、女のことを邪悪な存在として語ってきた僕だけど、実際のところ、男だって女と同じくらい邪悪なのだ。男は、いや、僕も、いつだって美女以外に無関心だった。物理的には30センチメートルほどしか離れていない距離に居てさえ、僕も美女以外を太陽系の外にある星屑として扱ってきた。僕も、美女以外に一瞥以外をくれたことがない。そうして、僕も、男は美女に群がるのだ。男と同じ傷を女も負っているのだと、痛いほどに分かって、それでも僕らが分かり合うことは決してない。同じ穴の狢でありながら、僕らは人類が絶滅するまで憎しみ合う。だって、しょうがないじゃないかぁ。相互理解のための場が、世界のどこにも無いのだから。そんな事ないって? 場を設けて話し合えば男と女は分かり合えるって? リア充だよゥッッ! 男と女で話し合える場を設けられるのはリア充だよゥッッ! ネットじゃ無理だ! 今はもう、ネットじゃまともな話し合いは出来ない! 男と見たら即殺す、女と見たら即殺す、そんな右翼と左翼みたいな関係が構築されたネットに平和的な解決は無い、殺すか殺されるか、それだけだ。そうして、ネット以外の居場所を持たない人々こそが、当事者の非リア充です。ちなみに、僕はネットにも居場所がありません。ははは、笑ってくれよ、笑ってくれぃ!
エンディングまで、泣くんじゃない。そんなの、無理だった。男の悲しみに、女の悲しみに、心を寄せれば無理だった。解れたカーペットに染みが出来た。
「はるちゃん」沢城が僕の背中をそっと撫でた。「どうして泣いてるの?」
お前みたいな容姿に恵まれた人間が存在するからだよゥッッ! と僕は心中で怒鳴った。イケメンが存在しなければ、美女が存在しなければ、人は取り返しのつかない深手を心に負うこともなく、万人が醜い自分を愛し、万人が醜い隣人を愛し、ここに神が説くところの愛が実現する。みんな醜くて、みんないい。肥溜めにあれば、どのウンコも同じさ。その肥溜めの平穏をぶち壊すのが、清潔な水洗トイレみたいな連中、すなわちイケメンであり美女であり、沢城なのである。僕は、今すぐ沢城の首に手をかけたい衝動に駆られた。お前さえいなければ、お前さえいなければ! そんな万国共通の呪詛が脳内を支配する。しかし、それもまた差別だと、僕の最後の良心が思考して、沢城だって好き好んでイケメンに生まれた訳じゃないさ、などという訳の分からない屁理屈をこねて、あげくに情が、疎遠になっていた時も学校でニアミスすれば声をかけてくれたよな、とか、今だって四面楚歌の僕を訪ねてくれるよな、とか、そんな糞の足しにもならない情が、沢城だけは殺さないでおいてやるか、という感動ポルノに僕を帰結させた。
「大丈夫。泣いてない」
噛みながら言って、見やった沢城は半笑いなんかではなく本気で心配している顔で、殺さなくてよかった、と僕に思わせた。
紆余曲折、あった。あんなことこんなことあったでしょう、と口ずさみたくなるような、ストリームファイバー2と向き合った数十分間。そんな地獄の時間も、いよいよ終わりが迫っている。既に、選択肢すらない。エドハルミ番田・・・・・・ここで終わりにしても構わないような気がしている。エドハルミ番田はスルーして、ここで終わりにしても構わないような気がしている。それくらい、僕は苦しんでいた。それくらい、ストリームファイバー2はクソゲーだった。ポケモン図鑑が149体まで埋まって最後の一体がケンタロスだったというシチュエーションによく似ている。思い残すことは無いよな、と呟きながら甲子園の土を拾い集める、そんな球児のメンタルセットで全てを終わりにしても、それはそれで素晴らしいエンディングではないかしら。むしろ、ここからプロ野球を目指す俺の新ストーリーが始まるぜ! みたいな展開のほうがジャンプの引き延ばし漫画みたいで苦しいだろう。149体で、いいじゃん、十分じゃん、それより新しいことを始めようじゃん、という生き方は、極めて健全、万人に推奨できる生き方だ。しかし、しかしである。ここにある僕という存在は、ゲーマー、健全とは程遠い存在なのである。150体揃えるまで終われま10、ギャラ無し放送無しの一人バラエティに興じられる人種、ケンタロス一体のためにサファリゾーンで数時間を費やせるヤバイやつ。僕の心のヤバイやつ、の比ではない、僕はヤバイやつ、なのだ。それならヤるしかないじゃん、というわけで、エドハルミ番田にカーソルを合わせたまま、僕は関節に異常をきたしたかのような指を全身全霊をもって動かし、×ボタンを押した。
ジャパンからアメリカへレッツらゴー。VSの文字を挟んで向かい合うのは、ケーン。ファイト開始!
先ほどとは打って変わって、NPCの動きはキレキレだった。美女からの打撃は喜んで受けるが隈取で半裸の男からの打撃は断固として拒否する、と言わんばかりのフットワークだ。エドハルミ番田の攻撃がどれも大振りなのもあって、当たらない、当たらない。それにしても、だ。チョップやキックを繰り出し、おまけにケツからダイブするエドハルミ番田を見ていると、こいつは一体全体何者なのか、増々分からなくなってくる。プロレスラー? と推測してみるも、プロレスらしい組技はほとんど有していない。空手? と推測してみるも、それならケツからダイブする説明がつかない。
「エドハルミ番田って、何をしている人?」
SNSで気になる人を見つけた刹那、シリだかケツだかに話しかけるみたいに、僕は沢城に問うた。
「お相撲さんみたいだね」
その答えに、僕は憤った。これまでの、沢城なんかに抱いてきたネタの要素がある憤りとは違う、純度100パーセントの憤りだ。この野郎、言うに事を欠いて、相撲だと!? 散々チョップやキックを放っておいて、挙句の果てにはケツからダイブまでしやがって、それで相撲だと!? 冗談は隈取だけにしやがれ! ミサイルを飛ばされるよりもよっぽど憤る、国技への侮辱。母国に散々痛め付けられてきた僕だから、愛国心なんて皆無だけれど、それでも、絶対に憤らなければならない理由が、そこにはある。
エドハルミ番田もろとも、PS5を窓から投げ捨てようとした。今度はギャグではない、ガチのやつだ。その証拠に、ほら、僕はもう掴み辛いPS5を掴んでいる。
コントローラより重い物を持ったことがない腕だから、軽量なはずの最新機器を持ち上げるのにも骨が折れて、そのもたつく内にも放置されたエドハルミ番田はケーンから無慈悲な連打を浴びていた。ケーンの足払いで転ばされるエドハルミ番田。刹那にちらりと覗いた赤いフンドシが、無感情だった僕の眼差しを熱くした。
「ちょっと待て・・・・・・エロいぞ、こいつ」
パンチラならぬ、フンチラ。よく見たら、エドハルミ番田のやつ、めちゃくちゃ肌が綺麗だぞ。顔だって、純粋無垢って感じで、可愛いじゃない。
「男の娘じゃない、こいつ」
そう言語化してみたら、男の娘にしか見えなくなった。最近、男の娘にハマっている僕だ。最初は二次元でしかイケなかったけれど、今では三次元でもイケる僕だ。それじゃあ愛おしくって仕方なくって、放置なんて出来るわけがなくって、PS5を放した手は下半身のそばで躊躇した後、コントローラーを力強く握った。そこからは美少女フィギュアで戯れるが如く、エドハルミ番田のモーションを堪能する。
「近距離強キックでもフンチラするじゃん、こいつ」
それがクセになって、ゼロ距離が僕の間合いになった。兜合わせの趣だ。心なしか、まんざらでもなさそうなケーンに対して、強キック、強キック、強キック。立ってるときは二回ヒットするぞ。特に深い意味はない。
「やっぱり男の娘は素足が綺麗だなぁ」
フンチラとともに覗く足裏は、言霊通りに綺麗だった。御大、川端康成先生は作中で、足指の裏の窪みに思いを馳せていた。御大、喜んでください。エドハルミ番田は足指の裏の窪みまできれいです。そんな馬鹿なことを考えているうちに、ケーンの体力を根こそぎ奪っていた。そうして2ラウンド目が開始! 2本先取制のため、もう1ラウンドを取れば僕の勝利となる。そのビクトリーラインが、スケベの煩悩を消し去り、替わりに芽生えたゲーマーの煩悩によって、僕は偏に勝利を欲した。ここに技巧が生まれ、技巧は駆け引きを生む。ゼロ距離で強キックを打っていれば勝てるものを、無駄に間合いを取ってしまう。これが、まずかった。キックさえ遠く届かない距離で、ケーンが放った攻撃は、波動拳みたいな飛び道具。僕は失念していた。ケーンがアメリカ人であることを、このバトルフィールドがアメリカであることを、アメリカが銃社会であることを。飛び道具が出るのは必然だったのだ。僕は、技巧に走った己を呪いつつ、飛び道具をジャンプで回避し、臭いケツをお見舞いすべく弱キックボタンを押した。全開であろう肛門、そこにケーンが放った攻撃は、昇竜拳みたいな対空技。天を穿つが如く突き上げられた拳が、エドハルミ番田のケツに深々と突き刺さる。もちろん、レトロなドット絵だからそこまでの緻密な描写は無く、脳内補正だ。何にしたって、見事に打ち落とされたことには変わりない。飛んだら落とされる実体験が細胞レベルに刻み込まれ、エドハルミ番田は飛ばねぇ力士に成り果てて、それじゃあただの力士だ、ということで飛び道具の的になる。飛び道具をガードするも体力ゲージは減り、これじゃあジリ貧だと理解したところで飛べねぇままで、僕は思考をかなぐり捨て、現代人らしく一発逆転の策を他人に求めた。
「必殺技のコマンドを教えてくれぇ!」
「よしきた!」唐突な僕のヘルプに、沢城はスマホを手に取り、気持ちよく応えてくれた。「調べる間、耐えて!」
そうして文字通り耐えるのだった。ガード以外に出来ることが無いのだから必然だ。
ジリジリと減っていく体力が、半分を下回る。
「耐えられねぇ!」弱気が口をついた。「急いでくれぇ!」
「公式のXによると、アーケードの筐体にコマンドが記されてあるんだって! ラウンドワンまでひとっ走りしてくるから、もう少し耐えて!」
「こんなクソゲーを天下のラウンドワンが置くかよ! 場末のゲーセンしか扱わないようなブツだ、これは! 場末のゲーセンは絶滅危惧種、発見にも時間がかかる! そんなにも待っていられる余裕はないぞ!」
「それなら、どうするのさ!?」
「エドハルミ番田のコマンドをアップしている変態を探すんだ! この狂ったネット社会、一人くらいは見つかるはずだ!」
「その手があったか!」
そこからは、一秒が一年にも感じられた。イケメンの飛び道具が非イケメンを痛め付けていく現代風刺、そんなものを年単位で見せられ続ける罪深きテレビやネットの如きゴートゥーヘル。僕は逃げ出したかった。コントローラーを投げ捨てたかった。だけど、ここでも僕は自分の図太さを思い知って、今まで生きてきた14年間通り、人生という名のコントローラーを投げ捨てることのなかった14年間通り、歯を食いしばるわけでもなく、切実なようで実際はフワフワした、意志ですらない思い付きをもって、結局はそれなりの安楽で生きながらえるのだった。
「見つかったよ、はるちゃん!」
自分に失望したタイミングで、陽気な声が聞こえて、それは福音の響きすら有し、僕を絶望の底からさえ舞い上がらせた。認めたくはないが、僕は楽しかったのだ。クソゲーの困難に、沢城と協力して挑むことが、楽しかったのだ。沢城も楽しんでくれていたらいいな、という思いが脳裏をよぎって、しかしそんな甘っちょろい思考は認められなくて、僕は唯々、仏頂面を作った。
「貸してみいや」
腐ってもゲーマーだ、ガードなんて眠っていても出来る。僕は受け取った沢城のスマホを片手で操作した。なるほど、とあるXユーザーの、いいねもリポストもされていない、インプレッションは2回だけという悲しいポストだ。「ストリームファイバー2の筐体を探して、5年間にも及んだ僕の旅は、ここ佐賀県大町町のゲーセンで終わることとなりました。ついに、ついに見つけたぞ!」というテキストとともに、ストリームファイバー2の筐体の画像がアップされている。こんなろくでもないことに5年間を費やしたのかこいつは・・・・・・そんな邪悪な嘲りが僕の心を支配したけれど、フォロワーが3人しかいない事実を目にした途端、これ以上ないってくらいの親近感を覚えて、僕はそっとフォローをしてやり、これで僕よりフォロワーが多いね、と呟いた声は自分でもびっくりするくらい優しかった。画像は数枚アップされていて、そのうちの一枚が筐体に貼られたコマンド表だった。エドハルミ番田の必殺技コマンドもばっちり記してある。必殺技は、二種類。ミニマリストよりも無駄がない。
「まずは、これ、万裂張り手だ!」
次の飛び道具が飛んでくるまでの時間を利用し、僕はコマンド表に記されている通りパンチボタンを連打した。イジリー岡田さんの舌よりも早いぜ! という気概は誇張ではない。ボタンの連打速度は僕が人に誇れる唯一の能力です。そうだというのに、万裂張り手が一向に出ない。連打の達人というプライドをかなぐり捨てて、連打技で最も敷居が低い弱で連打してみる。それでも、出ない。コマンドを見間違ったかと再びスマホを見るも、パンチボタン連打で間違いはなかった。
「どないしてん?」下剤を飲んだのに便秘気味、そんなシチュエーションに似た不可思議に、僕は取り乱した。「どないしてん?」
「はるちゃん! パンチボタン連打のコマンド表記の下に注釈が書いてあるよ!」
その声が冷静の呼び水となった。目を細める。確かに、汚い契約書で見る類の極小な注釈がある。僕は画像を拡大し、それを読んだ・・・・・・1秒間に16回のボタン連打を必要とします。
「高橋名人じゃあるまいし!」
無理なのだ。16連射は無理なのだ。どれだけ僕がボタン連打に自信があると言っても、所詮は素人、人生で必ず一度は出会う早漏を武勇伝みたいに語る先輩みたいなものなのだ。高が知れている、ということなのだ。16連射? 冗談だろう?
「イケるって、はるちゃん! 14連射イケたって、この前言ってたじゃん!」
「それ、下の話!」
そういう訳で、万裂張り手は断念、もう一つの必殺技に望みをかけることとなった。ハイパー頭突き、溜め技だ。
「こいつは都合がいい」
言霊通りだ。ガードしながら溜められる。たまに抱くだけで貢いでくれる女みたいに都合がいい。そちらは僕とは縁の無い話だが。兎にも角にも都合がいい。ほら、既に自ずと溜まっている。精液みたいだ、なんて下品なことは言わない。パッションみたいだ、と上品に言っておく。パッションが溜まったら、解き放つしかないっしょ。だから僕は解き放った。左に倒していたアナログスティックを右に倒すと同時にパンチボタンを押したのだ。しかし、繰り出されたのは頭突きと似ても似つかないチョップで、必殺技が不発に終わったことは明白で、僕は再びアナログスティックを左に倒し、先ほどよりも長い時間溜め、寸止めされ続けたマゾ男よろしく、スティックを解き放った。それでも、チョップ、ハイパー頭突きが出ない。僕はスマホを凝視した。そうして、ハイパー頭突きのコマンドにも注釈があるのを見つけ、拡大、それを読んだ・・・・・・相撲教習の修了と同期間の溜め時間を必要とします。
「相撲教習を修了するのに、どれくらい時間がかかるの?」
「半年くらいだね」
沢城がマニアックな知識を披露したこと以上に、半年という規格外の溜め時間が僕の度肝を抜いた。スティックにクセがついちゃう、どころの話ではない、スティックが折れちゃう、そのレベルの話だ。半年とは、それ程までに長い時間である。そんな馬鹿な話があるか? クソゲーとはいえ、ユーザーに半年間もの溜めを強要する悪行があるか? 良ガチャを出し渋るソシャゲじゃないんだぞ。そんな馬鹿な話はないさ。
「フェイクだろ、その情報」自分の信じたいものしか信じないネット民みたいになって、僕は言った。「フェイクじゃん」
「相撲教習の修了に半年くらいの時間を有するのは事実だよ」そう言ってから、沢城はスマホを手に取った。「注釈の真偽、検証している人を探してみる」
いくら狂ったネット社会でも半年間に及ぶ溜め技の真偽を検証する変態はいないだろう、という真っ当なまでに真っ当な考えを僕は抱いた。ネットだって万能ではないのだ、ドラえもんみたいに願ったものを何でも出してくれる訳じゃない。だから、僕は今、地球破壊爆弾を有していないのだ。ネットなんかには何も期待できねぇ、そのメンタルセットは必然、しかし他に頼りも無い現代人のセンチメンタルで、結局はネットの情報待ちという僕。そんな恥辱のうちにもエドハルミ番田は傷付いていって、真っ黄色だった体力バーが真っ赤に染まり切るまでに二桁分の飛び道具も必要としていなかった。
「見つけた! 見つけたよ、はるちゃん! ハイパー頭突きの溜め時間を検証している人、YouTubeで見つけた!」
さすがはアメリカ帝国のプラットフォームだぜ! などと単細胞みたいにははしゃげなかった。XといいYouTubeといい、己の成長のためならばどんな変態さえをも肥やしにする、その見境の無い欲望に、僕は唯々、恐怖した。恐怖しつつも、既にYouTubeなしでは生きていけない体に調教されてしまっているから、僕は沢城から受け取ったスマホに添加物まみれの眼を注いだ。画面に映っているのはチャンネルページだった。ハイパー頭突きを出してみた! というタイトルにナンバリングした12時間の尺の動画がずらっと並んでいる。再生回数はどれも一桁だ。その最後に投稿された366回目の動画をタップする。すり足で後退を続けるエドハルミ番田とファイティングポーズのまま上体を揺らし続けるリュオウの姿が目に飛び込んでくる。オプションで制限時間を無効にしたのだろう、タイマーが∞になっている。リュオウが一向に攻撃を仕掛けない点からして、2Pコントローラー放置の対人戦。なるほど、これなら半年間の溜めも可能だ。
「みなさん、こんにちは、こんばんは。乳首もビンビン、あそこもビンビン、ビンビン動画チャンネルのビンビン国枝です」投稿者の実況が聞こえてきた。「はい、半年間に及んでライブ配信してきた、ハイパー頭突きを出してみた! も終わりが近づいてきております。半年間ね、俺はずっとね、アナログスティックを左に倒し続けてきたんだけどね、こんな苦行に耐えられたのはね、偏にね、みなさんのコメントがあったからなんですよ。人力以外でアナログスティックを倒しておけば楽だよ、とかね、人力でやってるなら証拠として画面分割で手元の映像を出さないと勿体ないよ、とかね、うるせぇ! どいつもこいつもダメ出しばっかりしやがって! ご指摘ありがとうございます、なんて寝言を他のユーチューバーどもが言ってるからって調子に乗るんじゃねぇ! あいつらだって内心は、細かい指摘ばかりしてくる連中を八つ裂きにしたいと思っているんだよ! 細かい指摘なんてされて気持ちのいい奴がいるかよ、ボケナスが! おっと、すみません。乱暴なことを言ってしまって。ほら、俺ももう半年間もコントローラーを握りっ放しだからね、大分とストレスが溜まっているのよ。ほら、PS5付属の充電器でコントローラーを充電している訳だからトイレにも行けなくて、事前に用意していたオマルもキャパをオーバーしていて、部屋中うんこ塗れなのよ。食事もこの半年間、カロリーメイトと水だけで済ませているし、風呂も入ってないから俺の体が臭いのかうんこが臭いのかも分からないし、イライラがマックスなのよ。そんな状態でイカれたコメントを思い出したら、そりゃあキレるよ、人間だもの。まあ、兎にも角にも、後12時間ほどで溜めが完了するわけで、このハイパー頭突き発射の圧倒的感動を視聴者の皆さんと共有できるかと思うと乳首もビンビンあそこもビンビンって言ってね。40年間生きてきて今が俺の人生のピークって感じでね。でも、結局、思い返してみれば、この半年間は楽しかったんだよね。アナログスティックを左に倒しているだけなのにさ、学校に行ってた頃よりも、会社に勤めていた頃よりも、圧倒的に楽しかったんだよね、この半年間。アナログスティックを左に倒しているだけなのにさ。どんだけ学校と会社がつまらないんだよ、って話だよね。だから、良かったと思ってる。まだ終わってないけど、この動画を撮って良かったと思ってる。人生最高の半年間だった。アナログスティックを左に倒しているだけなのにさ。お、コメントありがとうございます! なになに、アナログスティックを左に倒しているだけの低クオリティ動画を公開するようなクズは生きていてもしょうがないと思います・・・・・・またてめぇか、この粗大ゴミのアンチ野郎が! 性懲りもなく別のアカウントで攻撃してきやがって! 分かるものなんだからな、複数アカって! 半年間も粘着しやがってよぉ! アナログスティックから解放されたら即、開示請求するからな! 住所特定して、刺しに行くからな! 怯えて過ごせ、この犯罪者がぁ!」
こんな茶番に12時間も付き合えるわけがなく、僕はシークバーを動かした。代り映えしない画面、そこに変化が起きたのは11時間48分の時点。僕は動画を十秒巻き戻した。投稿者の掛け声と同時に、エドハルミ番田が体を水平にした状態で浮遊し、そのままリュオウに向かって頭からぶつかっていく。正しくハイパー頭突きであった。正しくハイパー頭突きであったが、それが何になるというのだろう? 半年間の溜め時間を有するという狂気が真実であったとして、そんな技を僕が出すことはないし、出したとしても現状を打破する効力はないし、それは正しくネットの情報、知ること自体が目的と化した、それでいて知を愛する哲学からはかけ離れた、何にも生きない現代の知。そんなものを欲した自分が心底嫌になる。同時に、こんなろくでもないことに半年間を費やしたのかこいつは・・・・・・そんな邪悪な嘲りが僕の心を支配したけれど、チャンネル登録者が24人しかいない事実を目にした途端、これ以上ないってくらいの親近感を覚えて、僕はそっとチャンネル登録をしてやり、これで僕よりチャンネル登録者が多いね、と呟いた声は自分でもびっくりするくらい優しくて、僕は少しだけ自分を許せた。そんな茶番のうちにエドハルミ番田の体力が尽きて、勝負は運命のラウンド3に突入。文字通りの崖っぷちで、必殺技という起死回生も望めないシチュエーション。それが、成功への第一歩だった。策を弄する余裕を失い、安楽な一発逆転が存在しないことを知り、ようやく人は我武者羅になり、ここに活路が開ける。僕は、ケーンとの距離を詰めた。飛び道具を撃たれようとも、構わず前進し続けた。そうして、ゼロ距離。後はもう、ひたすらに強キック。技巧も何もあったものじゃない、道徳も何もあったものじゃない、eスポーツであったならば十中八九ブーイングを浴びる、ゴリ押し。ストリームファイバー2はやはりリアルを風刺している。誰にも褒められない、むしろ嘲られ、不格好で、要領も悪く、しかしその勝利への、生活という名の勝利への惨たらしい日常は、そのまま成功への第一歩。日常とは強キックと同義である。それをゴリ押して、ささやかな成功を掴むように、ケーンの体力を根こそぎ奪い、ジャパンからアメリカへの下剋上は、成った。成って、その余韻に浸ることすら許さず次なる戦いを強要する勝ち抜き戦の非情まで、ストリームファイバー2はやはりリアルを風刺していた。
ジャパンに帰国することなく、アメリカからロシアへデンジャラスなフライト。次の対戦相手はザンギュラビッチだ。VS画面を挟んで睨み合うエドハルミ番田とザンギュラビッチのバストアップ、ハードゲイが好みそうな絵面。そうして、暗転、キング・クリムゾン。結果だけが残り、エドハルミ番田の勝利となった。
国際問題不可避とも思えるアメリカ野郎とロシア野郎の屍を越えて、ジャパンに凱旋。次の対戦相手はリュオウだ。真っ当なファイトが始まり、泥臭い肉弾戦が展開。強キックを放ち続けるうちに、ゲーマーの直感が告げる。リュオウ、ケーンより弱くね? リュオウとケーン、さすが同門ということもありリーチの短さも動きの遅さも一卵性双生児みたいにそっくりだ。僕が知る限り、有している必殺技も同じ。そうだというのに、リュオウは明らかにケーンより弱い。ストリームファイバー2のライトユーザーである僕では理由を説明することは不可能だけれど、これは紛れもない事実である、と明言することは可能だ。リュオウは明らかにケーンより弱い。これじゃあ承認欲求お化けになっちゃうよ、と僕は彼女のいないフリーターに同情するとともに、こんな承認欲求お化けにまでキング・クリムゾンされてしまうロシアの筋肉にも同情を禁じ得なかった。このように同情はしたけれど、結局リュオウはイケメンで、もっと言うならばイケメンのくせに承認欲求お化けに身を落としたろくでなしで、それじゃあ強キックが止むことはなく、溜飲が下がるころには、リュオウの屍が出来上がっていた。こんな感じで同胞を倒したら、次は大陸を目指すのが大和民族のお約束だ。ジャパンからチャイナに乗り込む、サナエマニアも大喜びの強硬ムーブ。対戦相手はチュンレイ。女に手を上げるのか? などと頓珍漢なことを言ってはいけない。二次元美少女をオカズにした人間をロリコンと蔑むが如き頓珍漢だ。チュンレイは二次元だ、バーチャルだ。過ぎたリョナに走る訳でもなく、純粋なファイトに興じるのであれば、これは暴力ではない、ファンタジーである・・・・・・予防線は張った、心置きなくファイト開始! 積年の恨みを晴らしてやるぜ、と女への私怨を胸に襲い掛かるも、ファーストキッスならぬファースト強キックが放たれるよりも先に画面停止、からのポップアップ。案の定、ありとあらゆる個人情報の入力を求められるも、人並みのネットリテラシーは有している僕だ、キャンセルを選択する。すると画面が暗転、かわいい顔で涙を浮かべるチュンレイのバストアップと、「まだやるか!? つぎは頭突きのまとにしてやるわ!!」という字幕が映る。
「お前、頭突き出すのに半年かかるだろ」
ツッコミつつ、エドハルミ番田の勝利が確定したことを理解する。個人情報を入力しない人間にはチュンレイに指一本触れさせないという運営の粋じゃない計らいだったのだ。それでも、かわいい泣き顔は拝ませてくれるのだから、ヤバいアダルトサイトよりは幾分か粋か。何にせよ、女に手を上げることなく得られた勝利を、今は噛み締めよう。心残りではあるが、噛み締めよう。噛み締めているうちに、画面が暗転。次のファイトの相手は誰た、誰が相手でもぶちのめしてやるぜ!? と息巻いた僕の肩を透かすように、唐突なムービーシーンが始まる。天井から垂れ下がる鎖、それに両の手首を繋がれたエドハルミ番田。Iの字拘束で、綺麗な脇が全開だ。腋毛どころか剃り跡の漆黒すら存在しない。最近の男の娘は進んでいるなぁ、なんて思っていたら、エドハルミ番田に近付くモンスターが・・・・・・ブランコだ!
「こいつ、訴えられて存在を抹消されたんじゃないのか?」僕は狼狽えながらも言うべきことを言った。「法的に不味いんじゃないのか、出てきちゃあ」
ブランコはウホウホウホウホ言いながら、電界のほとばしる二本の棒を両手に持ち、その先っぽをエドハルミ番田の胸部に、ドット絵なので細部までは分からないが恐らく乳首ではない、胸部に、押し当てた。途端に大笑いを始めるエドハルミ番田。
「電磁くすぐり棒だ!」僕は驚愕しながらも言うべきことを言った。「ゲーム業界の黒歴史! ブランコより不味いやつ!」
骨格透け透けで笑い狂うエドハルミ番田。エロいレズのお姉ちゃんによってではない、モンスターによって拷問される哀れなエドハルミ番田。そんな惨状に圧倒されていたから、画面に表示される体力ゲージと△ボタン連打のアイコンに気が付くまで相応の時間を有した。
「小島監督は悪くない!」僕は心から叫んだ。「レーティングが悪いんだ!」
「はるちゃん! これ、ボーナスステージ!」
「罰ゲームっていうんだよ、これは!」
見る見る減っていくエドハルミ番田の体力ゲージ。アイコン通りに△ボタンを連打すれば減りを抑えることが出来るのは明白。けれども、やらねぇよ。やらねぇ。メタルギアファンなら理解してくれるであろう、僕の憤り。笑うところじゃねぇだろ、ボス! と叫び続けたピースウォーカーの悪夢。丸っ切りその再来で、狂った笑い声をBGMに△ボタン連打などと、そんな過ちを人生で二度も犯せるはずがないのだ。だから僕は、南極の氷に向けられる資本主義の眼差しに似たドライアイをエドハルミ番田の骨格に向けるのだった。
「このままじゃ不味いよ、はるちゃん!」
「何も不味いことはないだろう。幸せそうに笑っているんだから」
「公式のXによると、笑い死にするとゲームオーバーになるんだって!」
「そんなところまでピースウォーカー!?」
ボーナスステージだから放置で問題ないだろう、そんな昨今の冷めたゲーマーマインドが仇となった。死ぬのだ、笑い過ぎたら。だから笑い死になのだ。異性から粗末に扱われたら死にたくなる、そんな当たり前と同義でありながら、その本質を覆い隠したボーナスステージという名の罠。孔明もびっくり。それならヤるしかないじゃん、となるのは必然で、△ボタン連打開始。ゲーマーにとって最も恐ろしいもの、それは世界恐慌でも核戦争でもなくゲームオーバーである。それを回避するためならば、甘んじてピースウォーカーに興じるさ。爪が剝がれるんじゃないかっていうくらい、△ボタンを高速で擦る、擦る、擦る。スクラッチくじ狂いのスクラッチより切実だ。これぞ連打のクラシックである。今どきの美女インフルエンサーなんかには興味がない、今だって磯山さやかが至高のアイドル。そんな趣向もクラシックな僕である。擦るさ、ボタンくらい。擦る、擦る、擦る・・・・・・しかし無情にも、体力ゲージは激しい勢いで減っていく。
「電圧を上げてやがる!」僕は絶叫した。「このマゾがぁ!」
16連射でも足りないんじゃないか? そんな規格外な考えが脳内を過ぎるほどの連打要求。頂き女子だってもう少し良心があるだろう、と思わせるほどの際限ない引っ張り。爪が剥がれるんじゃないか、は既に比喩じゃない。僕の連打は、17連射の域に到達していた。
いつしか、エドハルミ番田の笑い声が子守唄に聞こえていた。気が遠くなっている。全身が汗まみれだ。運動部だってこんなに発汗しないだろう。うさぎ跳びよりもハードなボタン連打。eスポーツじゃねぇ、スポーツだ、これは。そうして僕はコントローラーよりも重たい物を持ったことがない人間です。ナマケモノよりも体力が無いのだから、コントローラーを握っていられなくなるのは、摂理だった。万有引力を証明するように、落下するコントローラー。それをキャッチしたのは、沢城だった。
「俺が引き継ぐ!」
老舗の長男みたいなことを言って、沢城は△ボタンを連打した。指の腹を使ったオードソックスな連打だ・・・・・・オードソックス、それ故に、平凡。遅い、遅すぎる。これでは10連射にも到達できない。就職したくないだけだこの長男、と思わざるを得ない非力。こんな奴に引き継がせてはならない、と心を奮い立たせるも、心が奮い立っても体は奮い立たず、ワールドカップの時だけサッカーを見る軽薄さで、僕は沢城を応援するのだった。頑張れ、頑張れ、頑張れ・・・・・・そんなポジティブワードを念じ続けていたら、人の死しか願ったことのない脳みそが狂って、自分をサッカーファンと錯覚するワールドカップ勢よろしく、応援に熱がこもった。
「頑張れんなよ!」
諦めんなよ! と混ざって、しかしそんな失言も気にならないくらい、恥も外聞も捨てていた。腐っても無敵の人予備軍だ、そりゃ恥も外聞もないさ・・・・・・違う、そうじゃない。そういう後ろ向きな恥も外聞もないじゃない。前向きに、あくまで前向きに、僕は恥も外聞も捨てたのだ。沢城に頑張ってほしい一心で。こんな純真、初めて。
体力ゲージは尽きる寸前、今すぐ電圧下げたいよ。ピースウォーカー伝説。ゲームオーバー不可避、そんな局面で、この日二度目の、「頑張れんなよ!」が飛び出して、沢城の絶叫が続いて、エドハルミ番田の笑い声が、止んだ。そうして、画面に表示される、PERFECT、の文字。僕は、僕たちは、悟った。ボーナスステージをクリアしたのだと。後は自ずと、ハイタッチ。お互いに座っているからこそ可能だったハイタッチ。僕の座高のおかげで成立したハイタッチ。僕のほうが見下ろす形のハイタッチ。後は自ずと、憎しみだけが残った。
地獄は終わった。僕は沢城からコントローラーを受け取り、電磁くすぐり棒以上の地獄はないだろうと、肩の力を抜いた。そうして、チャイナからアメリアへのデンジャラスなフライト。アメリカもある意味では地獄だと思いつつ、それでもやっぱり電磁くすぐり棒以上の地獄はないだろうと、和やかな心でゲイルのバストアップを見やり、過ぎった嫌な予感は、確信染みていた。そうして、ファイト開始! となるべき暗転は、案の定キング・クリムゾン、可愛い顔を滅茶苦茶にされたエドハルミ番田のバストアップと、「国へ帰るんだな。お前にも本場所があるだろう・・・」という字幕が表示されて、その後にはカウントダウンも用意されず、コンティニューさえ許されぬままゲームオーバーと相成った。
「ゲイルは強すぎるから・・・・・・」
「みなまで言うな!」
最後の最後までリアルを風刺するストリームファイバー2であった。どんなに頑張ってもアメリカに目を付けられたら全てお仕舞い。こんなことを言うと反米だと思われるかもしないけれど、僕は親米です。午後ロードで育った僕にとって、イーストウッドやスタローンが親父です。親米どころかアメリカ人みたいなものです、僕は。ちゃきちゃきの大和民族ですけれども。何にしたってお仕舞いはお仕舞い。僕はPS5の電源を切った。
クソゲーの、過ぎた後には、虚無ばかり。精液だか何だか知れない壁の染みを見詰めながら、ワンダーランドだかヘンダーランドだか知れないニューロンの濁りを、僕の魂は彷徨った。そのうちに、「楽しかった」と呟いて、ハッとして、舞い戻った真っ当な思考は、沢城の笑顔、汚れのない純白だけを瞳に映した。
「楽しかったね、はるちゃん」
一体こいつはイケメンであるから美しいのか、それとも・・・・・・その美しさを抱えて生きる人間社会は楽園であるのか、それとも・・・・・・廻った思いに付属する情は仄かで、これを友愛とする短絡は無粋で、返す笑顔すらなく、すすった茶は冷めてより渋かった。
「俺、帰るね」
また来いよ、なんて声が出かけて、大いに焦りつつ、「おう」とだけ答えた。僕たちは玄関に向かった。
「また来るね」靴を履いて、開いた玄関ドアの閉じる間際に、目が合った。「ありがとう、はるちゃん」
ドアが閉じて、無骨な廊下を踏む足音が聞こえなくなって、確かな孤独があった。それを嘲笑できない自分が、滑稽だった。
眠気を覚える。昨晩は日付を跨いでシコっていたから、ではない。シコっていたのは事実だが、それ以上に、何度か関西弁を使ったことが僕を消耗させていたのだ。名古屋よりも西へ行ったことのない人間が関西弁を使うとはそういうことである。眠気と同時に空腹もあった。飯を食って眠ってしまおう、という夕方前の価値観は正しくフリーダム、引きこもりの特権だ。僕は冷凍庫を開き、それなりに上等な肉を取り出した。例によって母親の薄給で買えるわけがない、祖父母が送ってくれた物だ。電子レンジで解凍したそれに、肉切り包丁の刃を入れる。それなりに上等な包丁だから、良い切れ味だった。




