第89話 異界に響く声
高野たちは、沈黙のまま結晶の脈動が収まりゆく扉の前に立ち尽くしていた。
張り詰めた空気のなか、結晶から微かに魔力の余波が漂う。それでも誰も、まだその場を離れようとはしなかった。
だがその瞬間──異世界側。
柚葉は、眩い霧の中で目を開けた。
霧の海を抜けるようにして広がる光景は、かつての“均衡の大地”──精霊の加護を受けた聖域のひとつだった。
「……ここは……」
風が揺れる。懐かしい気配とともに、姿を現すエルフの少女。
「リリィ……!」
柚葉の声に反応し、リリィ=ノルテはふわりと笑った。
「ようやく、また会えたね。巫女様」
二人は再会の抱擁を交わすことなく、ただ静かに見つめ合う。
それは互いの胸にまだ緊張が残っているから。
「この地も……もう長くは保たない。扉の向こう側から、強い“観測”がきてる」
リリィの言葉に、柚葉は頷く。
「感じました。あの“目”の存在……そして、声。あれは……試している」
「そう。世界の意思ではなく、異界の“監視者”。もはや、見ているだけじゃない」
そのとき、大地がわずかに震えた。
空に裂け目が現れ、赤黒い雷光が走る。
異界からの圧力が、次元を削るようにして侵入を試みていた。
「急がなきゃ……高野さんたちが、向こうで危険になる」
「それは……私たちだけの問題じゃないよ」
リリィは、空の裂け目を見上げながら言った。
「向こうの世界とこちらの世界、どちらかが崩れれば、もう後戻りはできない」
柚葉は拳を握りしめる。
「戻らなきゃ。もう一度、扉のもとへ」
リリィは頷いた。
「もうすぐよ。“あの方”も来る。おそらくは、最後の……鍵を持って」
──風が吹く。
柚葉の髪が揺れ、空の裂け目が再び唸りを上げた。
彼女は最後に、リリィに向かって言う。
「ありがとう、また……戦えるね」
(続く)




