第80話 静かなる蠢動
その日、村田ジュンは会社に姿を見せなかった。
だが誰も、不思議に思わなかった。
風邪でもひいたのかと、軽口を交わす同僚たち。
けれど──彼は、すでに“会社”という舞台から降りていた。
薄暗い地下空間。
旧地下鉄跡、封鎖されたエリアのさらに奥深く。
誰も立ち入れないはずのその場所に、彼はいた。
スーツの上着を脱ぎ捨て、黒の術衣を纏った村田の姿は、もはや“あの男”のものではなかった。
「……封印層、あと二重」
彼の前には、青白い結界の輪が浮かんでいた。
それは、かつて水科らが開発した“扉”の残骸──いや、“種”と呼ばれるべきものだった。
「よく残ってたな、これ。さすがに“計画者”の名は伊達じゃないか」
村田の指先が浮遊術式をなぞるたび、結界が軋み、歪む。
「……まもなく、この世界は“統合”を迎える。
そして俺は、その中心に立つ」
彼の背後には、誰もいない──はずだった。
だが、虚空から、声が響いた。
《観測、継続中。意志体、接続を望む》
あの“監視者”の声だ。
高野たちが対峙した異界の意志。
村田は、にやりと笑う。
「おあつらえ向きじゃないか。どちらが先に“扉”を開くか、勝負だな」
術式の中心に、新たな印が刻まれる。
それは、異界でも用いられた“支配紋”。
魔王たちが遺した、魂の支配構文だった。
「あと一手だ、高野」
村田は誰に言うでもなく、闇の中で笑った。
「お前が来なきゃ、俺は退屈で死んじまう」
(続く)




