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第76話 疑惑の約束

朝のオフィスビルに足を踏み入れた瞬間、

高野陸は全身の毛穴がざわつくような感覚に襲われた。

 異世界帰還者である彼の体は、通常の人間が感知できない“異質な気配”に過敏に反応する。

まるで、見えない誰かに睨まれているような緊張感。


 これは、魔素──つまり異世界の残滓だ。

 だがここは、ただの都心のオフィスビル。魔法など存在しない、はずの世界。


(気のせい……で済ませられるレベルじゃないな)


 警戒心を抱えたまま、高野はエレベーターへと足を運ぶ。

 扉が閉まる直前、もう一人の人物が乗り込んできた。


「よう、リク。早いな」


 村田ジュン──軽口が持ち味の同期。だが今の高野にとっては、最も“疑わしい”男だった。


「あ、ああ。ちょっと用事があってな」


 自然を装って返す。

 村田の飄々とした態度は変わらない。だが、高野の感覚は告げていた。

  この男の“奥底”に、異世界由来の魔力が存在している。


「昨日、寝不足でさ。古い資料に埋もれてて……いやー、時空理論とか読んでると眠くなるよな」


 さらりと出た“時空理論”という言葉に、エレベーター内の空気が一瞬にして冷える。


(それ、こっち側の人間が使う言葉じゃない)


 村田の顔には、相変わらず飄々とした笑み。だがその裏で、

   どこかで見た“観測者の波動”が微かに漏れ出ているように感じた。


 やがてエレベーターが会議フロアに到着。

 降り際、村田はふと振り返る。


「そういえば、今日の午後──例の取引先のお偉いさんが来るんだってさ」


「……誰が来るんだ?」


「あの"水科イノベーション"の水科社長だよ!」


 その名が出た瞬間、高野の心臓が跳ねた。

 村田は何も知らない顔で手を振り、フロアの奥へと歩いていく。


 だが、高野にはもう分かっていた。

 この男は、すべてを“知っている”。

 そして、こちらを試している。


(村田……やはりお前が鍵か)


 高野はポケットの中の端末を取り出し、作戦室へと連絡を入れた。


「……今日、動くぞ。水科と村田が接触する。全員、準備を整えておけ」


 次の戦いは、すぐそこに迫っていた。


(続く)

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