第68話 静かなる侵食
午後三時。
いつものように、報告書の確認作業をしていた高野陸の端末に、唐突な通知が届いた。
《接続先:不明》
《音声データを受信しました》
「……は?」
社内イントラからはあり得ない文言だった。
何の操作もしていないのに、画面上に波形のようなエフェクトが表示され、
次の瞬間、低く響く“声”が再び頭に響く。
《──観測、継続中……識別進行中……“揺らぎ”に対する適合度、上昇──》
背筋が凍る。
誰の声でもない、誰の言葉でもない。
だが、それは確かに“こちらを見ている”何かだった。
「高野さん……?」
不意に背後から声をかけられて、心臓が跳ね上がる。
振り返ると、そこには葛城ユイがいた。
「どうかしましたか? すごく顔が青いです」
「いや……なんでもない」
咄嗟に答えたが、ユイの目は鋭かった。
だが彼女はそれ以上深く詮索せず、資料の束を机に置く。
「この報告、あとで共有お願いします」
「あ、ああ。ありがとう……」
ユイが去った後、再び端末を見ると、波形はもう消えていた。
まるで“見られていた”ことすら幻だったかのように。
(……いや、違う。これは……観測じゃない。侵食だ)
高野は思い出す。
あの異世界で、リリィが言った言葉を──
『視られるということは、そこに“道”があるということ』
観測は中立ではない。
“扉”がまだ閉じきっていないのなら──向こう側からの侵入があるということだ。
高野はそっと、懐に忍ばせた結晶片に手を当てた。
微かに温かい。
いや──これは、警告だ。
「……こっちも、動かなきゃな」
蒼銀の戦神、再び。
日常の仮面の下、異界の波動に立ち向かう者として
──高野は、立ち上がろうとしていた。
(続く)




